第35話 母
四角縁神獣鏡を事務所から持ち出した歩は、聖オーヴァル学園の駐車場に車を止めた。女装していないので中には入れないが、以前と違って七恵がスマホを持っている。彼女に電話をかけて、香を連れてきてほしい、と用件を告げた。
『急な依頼は特別料金です。折り返し、こちらからかけます』
相変わらず七恵の口調は事務的で一本調子だった。おそらく図書館にいるのだろう。声が僅かに反響していた。七恵の行動自体が規則正しく、夜以外は図書館で書籍を修理して過ごしているから想像は難しくない。
「料金って……、玉麗さんみたいなことを言うなぁ……」
金銭に無頓着な七恵が料金などと言ったことが意外だった。シートを倒し、自分の仮説を検証しながら彼女の電話を待つことにした。
上社の矢田王と神紋の八枝刀、矢田王の母親と言われる下社の石姫、……1200年ほど前、矢田王が災いを起こした時に設けられた日の宮と月の宮、そこにいるのは日の神と月の神で、依代になったのが日の巫女と月の巫女、四角縁神獣鏡はおそらく日の宮の御神体……。それらがパズルのピースだ。日の巫女が何らかの事情で亡くなり、日の神は新たな依代としてモモを選んだ……。
歩は車の天井を見つめながら、再度、推理を整理した。
「遅いなぁ」
スマホに目をやる。七恵は折り返しかけると言ったが、それは沈黙していた。フロントガラスの先の景色に眼をやる。車の中はエアコンが効いているが、世界は銀色の太陽に焼かれていて、校舎が陽炎のように揺れている。
ふと思いつき、真由に電話をかけて協力を依頼した。断られると思っていたけれど、彼女は意外にも気安く応じてくれた。
『……口で言っても分からないだろう。メールするよ』
「ありがとう。助かるよ」
紙袋をぶら下げた制服姿の七恵が車の窓ガラスをたたいたので電話を切った。そこに香はいない。
「来てくれたんだ。電話でよかったのに」
涼しい車内に七恵を誘った。
「香がつかまらない。今頃、水ごりを取っているのだと思う」
「どこかの神社か滝にでも行っているのかい?」
「部屋の風呂のはず。冷たいシャワーに打たれているにちがいない」
それは修行ではなく行水だ。ただ涼んでいるだけではないのか?……考えたけれど、口にはしなかった。人それぞれに事情があるように、修行にも違いがあるのかもしれないから。
「部屋に行って呼び出しちゃ、いけないのかい?」
「修行には精神集中が大切だと言っていたから邪魔はしたくない。1日行を休めば、取り戻すのには3日を要する。他人が気安く止めて良いものではないと思う。それとも、それを犯しても呼び出さなければならないほどの用件なのかな?」
彼女の瞳は真っすぐで、歩を射るようだった。
「そう言われたら、呼び出せないな」
「そう。これを着なさい」
七恵が持っていた紙袋を差し出した。中を覗くとジャージとウイッグが入っている。
「これは?」
尋ねたものの、返事は見当がついていた。
「図書館にあった忘れもの。長いこと誰も取りに来ないから、使っても問題はないでしょう」
「ジャージは分かるけど、この青い髪のウイッグは?」
「おそらく演劇部の忘れ物」
歩は、ジャージを身に着けた青い髪の自分を想像した。仮装行列の参加者か、宇宙人にしか見えないだろう。
「それとも事務所に戻る? 事務所から手配のメールがあった。なんでも1億円相当のお宝を盗み出したとか。戻ったら、やりたいこともできなくなると思うけど」
躊躇する歩に七恵が決断を促した。
「玉麗さんの手が回ったか……」
「違う。栄花よ」
「いつの間に、10歳の栄花とメル友になったんだい?」
「子供同士のことよ。気にしないで」
七恵が、自分を子供と言って平らな顔の口元を歪めた。笑ったのだ。
子供、ということで香の小さな身体が脳裏に浮かんだ。同時に閃くものがあった。
「……香さんの修行が終わる前に、冬美さんの母親に会いに行こう。付き合ってもらえるかい?」
尋ねると、七恵がコクリとうなずいた。
真由のメールに添付された地図を開く。示された場所をカーナビに登録して車を出した。涅槃山を下り、国道に出て北に向かった。
30分ほど走ると市営のサッカーグラウンドの工事現場がある。その従業員用駐車場に車を停めた。少し歩くと全身から汗が噴いた。
「ここに何があるの?」
隣を歩く七恵が不思議そうな顔をしている。
「冬美さんのお母さんが働いているんだ。真由さんに聞いた」
砂利道をしばらく歩くと、国道から工事現場に入るゲートにヘルメット姿の人物が立っていた。遠目には男性か女性か分からない。が、それが冬美の母親だ、と歩は確信した。
「こんにちは」
陽焼けした中年女性に向かって名刺を差し出す。
「水野
「はぁ、そうですが……」
彼女は一瞬、七恵に視線を向けたが、直ぐに無視した。歩の名刺に眼を落とすと、何事かを覚悟したような表情をつくった。
朋子の顔の作りや生真面目そうな様子は、冬美とよく似ていた。が、日焼けした真っ黒な肌や額に刻まれた深い皺は違った。長い月日の苦労を象徴している。そんな母親の姿を見ていたら、娘の冬美が阿久を恨んでも仕方がないと思った。
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