第41話 ピース
「主人のことをご存じなのですか?」
真紀子の瞳は不信の色に染まっていた。
ウアッ。……気の弱い歩の身がすくんだ。なんの罪もない、社会的には弱者ともいえる彼女を責めるような格好になるのが辛かった。とはいえ、ここで引くことはできない。仕事なのだ。それだけではない。モモの、そして自分の未来がかかっている。
意を決して口を開く。
「いいえ、母子家庭ということしか聞いていません。失礼ですが、離婚されたのですか?」
「主人は十年ほど前に他界しました。商売に失敗して自殺したのです」
自殺だって! とんでもない地雷を踏んでしまった。……後悔と同時に、閃くものがあった。
「もしかしたら、以前はF市で酒屋さんをされていたのですか?」
彼女は打たれたように息をのみ、それから目を細めて口を開いた。
「……ええ、どうしてそれを?」
「大国さんがお金を貸していたという……」
恐る恐る口にした。
「そんなことまでご存じなのですね。お恥ずかしい限りです」
真紀子の顔から血の気が引いていた。気の毒なほどに打ちひしがれている。
歩は迷ったが、心を鬼にして尋ねた。
「ご主人は、確か烏山……」
名前が出てこない。
「由規です」
「そうでした。大国さんからお金を借りた時に、青銅製の剣を担保に渡したと聞いていますが、それを手に入れた経緯を聞かせてもらえませんか?」
「そんなことをどうして?」
真紀子が顔を曇らせた。
「大国モモさんの意識が戻らないことと関係があるのです」
「はぁ……」彼女の顔から少しだけ曇りが消えた。「……あの剣は、主人の祖父が黒島という遊び人から買ったものだと聞いています。黒島はその後、大国と名を変えたそうです。それから長く大国家とは付き合いがあって、それで主人はお金を大国さんから借りたのです」
大国は昔、黒島といったのか。黒島?……その名前に聞き覚えがあった。が、どんな人物だったか思い出せなかった。
「真由さんは、そのことを知っているのですか?」
「ええ、主人や祖父から聞いていたと思います」
「黒島というのは?」
「黒島家は評判が悪かったと聞いています」
彼女の説明で思い出した。
「神社の御神体を盗んだという黒島ですね?」
「ええ。あの剣も御神体の一つだと主人から聞かされたことがあります。そんなものを持っていたから、祟られたのでしょうね」
彼女が胸の前で両手を強く握った。見る見る間に、細い指が白くなっていく。それが折れるのではないか、と案じなければならないほどに……。
「今でも借り入れの返済をされていますね。大変でしょう」
白い指を見つめながら言った。価値のない同情だと知りつつも、口にせざるを得なかった。
「ええ。でも、借りたものですから、返すのは当然です。娘も大学に行くのを諦めて就職すると言ってくれています。勉強が好きで進学校を選んだはずなのに、早く社会人になりたいと笑うんです。それを見ていると、私は辛くて……」
真紀子が泣いた。
「立派なお嬢さんですよ」
先頭をきって山道を歩く真由の顔を思い出していた。
それから真紀子を勤め先まで送り、丁重に礼を言って別れた。
帰路、歩はハンドルを握りながら考えていた。……母子家庭で育った冬美と真由。冬美は何不自由なく育ったモモに嫉妬する理由があったがそれだけのことだ。真由は違った。真由の父親は大国からの借金を苦に自殺し、母親の真紀子は今もその返済に苦しんでいる。そして真由は大学進学をあきらめた。
日の宮の前で、モモは大国屋がN市に支店を出すと話し、そこで真由の母親を雇ってやろうと話したのだ。
モモに悪意はなかった。むしろ、善意のつもりだったのだろう。が、それは真由にとって屈辱以外の何物でもなかったに違いない。
真由の感情が爆発し、無意識のうちにモモを日の神に差し出してしまったのではないだろうか?……推理に過ぎなかったが、当たっている自信があった。
モモの意識を取り戻すためには、真由にそのことを伝えなければならないだろう。無意識の内にそうしてしまったとはいえ、真由はショックを受けるに違いない。
歩は気が滅入った。その一方で、玉麗は喜んだ。
「そうか、御神体と大国屋、真由とモモのピースが嵌ったということだな」
歩が報告すると彼女は満面の笑みをつくった。
「モモの件では大国さんは被害者だが、その他の件ではいかがわしい事を沢山やっている加害者。お蔭で落としどころも見つかりそうだ」
彼女は笑みの裏側で算盤をはじいていた。
歩は彼女ほど楽観的にはなれなかった。……真由にどのように伝えるか? モモの意識をどうやって取り戻すか?……まだその具体策が思い浮かばない。
その夜遅く、真由から電話があった。
『歩さん、ひどいわ!』
電話の向こうの真由は興奮していた。歩が母親のもとを訪ねたことが面白くないらしい。
「勝手に会って悪かったね。でも、おかげで問題が解けてきたんだ」
『そうなの? でも、母がどうして……』
「お母さんじゃないんだ。あの剣のこととか……」
『そうなんだ……』
彼女は少し落ち着いた。翌日、会いたいと言うので、駅前で待ち合わせることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます