第42話 真由
8月も残りわずかで、その日も朝から暑かった。歩は、地球環境の急激な変化をひとりで背負わされたような気分だった。
午前中は阿久と得意先を回り、午後はN市に向かった。そこで真由を乗せ、彼女に話を聞きながら冬美の家に送り届ける約束だった。それはモモの意識を取り戻すための大切な仕事だった。
車のエアコンは26度設定。外と違って快適だった。
「エアコンはいい。なかったら10分といられないな……」
言ってしまってから、自分のような化石燃料を無思慮に燃やし続ける行為が、地球を壊しているのだと気づいて考えるのをやめた。エアコンの設定はそのままだ。
約束の時刻にN駅のロータリーに車を止める。助手席のガラス窓をトントンと真由が拳で叩いた。その表情はとても硬い。
ロックを外すと、Tシャツとジーンズ姿の真由が助手席に滑り込んだ。
「呼び出してすみません」
言葉では詫びているものの、顔には怒りが張り付いていた。
歩はアクセルを踏んだ。城跡の駐車場で話そうと決めていた。
車が動き出すとすぐに、彼女が上半身をひねって顔を向け、抗議にも似た質問を並べた。
「母に会ったのは、なぜ? 理由があるのでしょ? 知っていることを正直に言ってちょうだい」
責めるように話す表情は、彼女の母親に似ていた。
「知っていることは、電話で話したよ」
歩は嘘をついた。
「一時的だけど、モモの意識が戻ったと病院で聞いたわ。そのことを成戸さんは隠している。母の所にも断りもなく訪ねた」
「それは……」上手い言葉が見つからなかった。
「ほうら。私をだましているんでしょ?」
真由が歩の肩をゆすった。
「危ないよ。……分かった。話すから、落ち着いて……。あの時はモモさんの意識が戻ったんじゃないんだ。モモさんに憑りついていた日の巫女の意識がしゃべったんだよ」
「え、どういうこと?」
真由の表情から、怒りが消えた。
「その巫女自身は天狗の森で死んでいたんだけど、その魂が憑りついていたんだと思う」
歩は言葉を選んで話した。自分の推理を悟られないように。彼女を傷つけないように……。
「巫女の霊が、モモに憑りついているというの?……そんな馬鹿な……」
歴史や神話に詳しい彼女も、霊異の存在は信じていないようだった。
「僕らはモモさんのお父さんに襲われただろう? あれも霊的な存在が原因だった。モモさんが日の宮の前で意識をなくしたのも、同じような理由なんだ」
「そんな……」
歩の話に理解が及ばず、口がきけないようだ。彼女の唇が丸く開いたまま固まった。
「宇宙のすべてのことが、今の科学で解き明かされたわけではない。それはわかるだろう?」
「ええ。それは……」
聡明な彼女の理性が開かれていくのが感じられた。
「日の巫女の魂は、もう成仏したと思う。巫女だから成仏はおかしいかもしれないけれど、もう、モモさんの中にはいない」
「それなら、どうしてモモの意識は戻らないの?」
「まだ、日の神がいるんだ」
「巫女と神とは、べつということ?」
「うん。日の神は、今もモモさんを新しい巫女にしようとしているけれど、モモさんは受け入れていない。それで意識が戻らないんだ」
「受け入れたら戻るのね?」
「そのはずだよ」
「成戸さんが会ったという月の巫女のようになるのね?」
そのことを彼女に話したことはなかった。
「冬美さんから聞いたのかい?」
「ええ。私たちの間には、隠し事などないのよ」
「そうか……」歩は、どう伝えるか考えた。そこには歩でさえ理解しがたい問題がある。
「あそこに停めるよ……」
見えてきた城跡の駐車場を指した。そこは相変わらずがらんとしていた。
「モモさんとの間にも隠し事はなかった?」
車を停めた後、真由に向いた。彼女の顔に困惑が見えた。
「……モモは、私たちとは違うもの」
「お父さんが金持ちだから?」
「まあ、そうね。そんなことより、モモさんはどうなるの?」
「……モモさんが日の神を受け入れるか、逆に、日の神が別の依代を見つけて離れれば、元に戻ると思う」
「受け入れるというのは、モモさんが日の巫女になるということね? 神と巫女と巫女になる女性とは、三位一体……」彼女が独自の解釈を加えた。「……日の巫女は何をするの?」
「前の日の巫女が式神のようなことをしたのは知っているけど。……どんな生き方をするのかは巫女次第なのだと思う。でも、普通の人間ではなくなってしまうようだ。それは辛い人生なのかもしれない」
「成戸さんは月の巫女とも話をしたのでしょ? 普通じゃないって、どういうこと?」
「簡単には死なない。死ねないということだよ。月の巫女は1200歳だと言っていた」
「1200歳!」
彼女が目を丸くした。
「死ぬのも辛いことだけど、死ねないのも辛いことなんだ」
歩は、七恵ののっぺりした顔を思い出していた。
「そうでしょうね。分かるわ。隠していることはそれだけ?」
真由の言葉には棘があった。
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