第47話 調停

 宝会計事務所の打ち合わせ室に大国と桑野親子の顔があった。歩が、玉麗の命を受けて呼び出した。


 歩と玉麗の正面に大国と桑野真紀子、真由が、顔を見ずに済むように横一列だ。とはいえ、二者の間には静電気が走るようなピリピリいう緊張感がまとわりついていた。


 担保を紛失した借用関係を正常に戻すことは現実的な仕事だったが、それはとりもなおさず、真由の心の中に巣くった暗いものを整理し、モモの意識を取り戻すために必要な作業だった。


「早速ですが……」玉麗が挨拶を済ませると簡単な事実確認を行った。大国が所有していた宝剣が大正時代に上之宮から盗まれた御神体だったことや、それが後に桑野家に売られ、20年前には借金の担保として大国に預けられたこと、その借金は今も返済が続けられていることなどだ。


「……つまり、お二方の貸借関係は、今も平穏無事に継続しているということです。その借用に対する担保の件について、大国さんから説明があります」


 玉麗が彼に発現を促した。


 顔を強張らせている大国が、桑野親子に向いて頭を下げた。


「申し訳ない。預かっていた剣を、私の不注意で失ってしまいました……」


 そのことについては、すでに歩が説明していた。何を今更、といった面持ちで、桑野親子が目の前の大国の頭を見つめている。


 間を置いて、大国が言葉をつづけた。


「……あれは、お宅の御主人が大切にしていた物。いかに、私が物の怪によって操られていたとはいえ、それを持ちだしたのは事実です。本当に申し訳ない」


 その言葉が誠意のあるものかどうか、歩には判断できなかった。優秀な経営者は演技もウソも上手いものだからだ。玉麗はどう見ているだろう。横目で彼女の表情を窺った。が、氷の仮面の奥の気持ちは読み取れない。正面に視線を戻す。


 母親の真紀子は、全てをあきらめたような表情をしていた。しかし、真由のそれには影があった。


 昨日、香に降りた父親の言葉を思い出してくれ。……歩は心底願った。真由が反発する限り、誰も救われないのだ。


「あの剣は、私どもなどが持っていてはいけないものだったのです」


 真紀子が言った。その時、大国が胸をなでおろしたのが、歩にはよく分かった。玉麗もそうなのだろう。間髪入れず言った。


「桑野さんには、状況を理解していただけ、とても助かります。だからといって、損害賠償は必要ですよ。大国さん」


「え、ええ。もちろんです。……まずは、これをお返します」


 大国が、烏山由規の署名のある借用書をテーブルに置いた。


「これは……」真紀子が借用書を手にして、他界した夫の署名を懐かしそうに見つめた。瞳が潤み、ついには涙がこぼれた。夫のことを思い、これまで借金の返済に苦しんだ年月が彼女の胸を締め付けているのに違いない。


 大国も玉麗も、彼女が苦難の年月を記憶に納めるのを静かに待った。彼女がそうして顔を上げるまで十数分を要した。


「それから……」おもむろに大国が話した。「……これまで返済いただいた200万円ほどを返却します。剣の価値を考え、真由さんが大学に進学するさいの授業料と生活費を4年分、私が負担したいと思います。それで、許していただけないでしょうか?」


「そんなに……」


 大国の申し出に真紀子が驚きの声を上げる。


 これで借金問題は解決だ。……歩は半分安堵した。残りの半分は真由の気持ちだが……。彼女の表情は決して満足しているようには見えなかった。


「それからこれは……」


 歩から見れば話が中途半端な状況で、大国が玉麗に顔を向けた。


 彼はカバンから桐の箱を取り出した。ふたを取ると奴奈之宮神社の御神体と思われる勾玉があった。その黒い勾玉は神秘的な輝きを放ち、玉麗と歩の視線をひきつけた。真由は勾玉には関心を示さなかったが、それを差し出した大国の太い指を見つめていた。


「……これは奴奈之宮神社に……。財部さんから、納めていただけるでしょうか?」


 大国が言った。


 何故か、歩の胸に熱いものがこみ上げた。頭がぼんやりして優しい何かに抱きとめられたような感覚があった。


「これは、大国屋さん自身で納められた方が良いのではないですか?」


 玉麗が答えると、大国が首を左右に振った。


「これが我が家にあるのは、先祖の過ちによるものです。謝罪するのはやぶさかではありませんが、私が持ち込んだら大きな話題になるでしょう。奉納でもしたように思われては恥ずかしい。大事にならないように、財部さんに間に入っていただきたいのです」


「なるほど。そういうことでしたら」


 玉麗が勾玉の入った桐箱を受け取った。


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