第23話 約束

 午後、玉麗と歩は大国屋を訪ねた。相変わらずキンキンに冷えた会議室に入ると、大国が御神体の銅鏡を買った時の領収書と剣を担保にした時の借用書を差し出した。


「これが銅鏡の領収書、こちらが剣を担保に取った際の借用書です」


「拝見します」


 玉麗が銅鏡の領収書を手にする。


「安田産業。……つぶれた安田グループの資産だったのですね。商売繁盛のお守りにはなりそうもない。むしろ、何らかの呪いがあるのでは?」


「安田産業って、なんですか?」


 歩が尋ねると、玉麗が目尻を上げた。


「経営者が道楽で美術品を買いあさって潰れた、古い大企業だ。そのくらい勉強しておきなさい」


 それは歩だけでなく、大国屋にとっても耳の痛い話だったろう。二人は肩をすぼめた。


「不明の至りとしか言いようがない。私は恥ずかしい」


 大国はそう言って、リンゴが出したコーヒーに大量の砂糖をどぼどぼと入れた。そうした日常的な行動が、心底反省している者のようには見えなかった。


 玉麗が借用書を手に取った。


「……債務者は烏山由規からすやまよしのり。記載内容には不備がない。確かに、書面上は大国さんが剣を所持する権利がありますね」


 彼女の言葉に、大国が胸をなでおろした。


「元金だけでも150万残っているということなら、別途、遅延損害金を請求する権利もある」


「ええ、無茶な貸付や、取り立てはしなかったつもりです」


 玉麗に理解されたと感じたのか、組織のトップとしてのを覚えたのか、大国の顔に余裕の表情が生まれた。


 女王様はそういうのが一番嫌いなんだ。……歩は大国に冷めた目を向けた。組織のトップは、常に孤独でなければならないと玉麗は考えている。仲間などを集め出した時点で、部下はろくでもないイエスマンに成り下がる。するとトップは、イエスとひれ伏さない部下が信用できなくなる。玉麗に言わせれば、トップ自身が、組織を〝仲間〟という名称の誰かに売り渡したものと同義だ。


「債務者が返済できなければ、担保は大国さんのものですが……。無事に返済が済んだ場合は、どうしますか?……大国さんは、契約通りに、宝剣を債務者に返さなければなりません。民事的には、大国さんは担保物を、


 宝剣を持ち出して歩に切りかかったのだから、大国は、もはや善良な管理者ではない。


「そ、そんな……。あれが消えたのは不可抗力です」


「倉庫から持ち出したのが大国屋さんである以上、不可抗力を主張するのは難しいでしょうね」


「どうしたらいいでしょう?」


「私は会計士であって、弁護士ではありません。そのあたりの相談には応じられません。弁護士法に抵触することになります」


 彼女は借用書を大国の前に返した。彼は夢も希望も失ったというような顔でそれに視線を落とした。


「……宝剣は成戸さんの身体の中です。返しようがない」


 つぶやくように言って、歩に視線を向けた。


「僕が盗ったわけじゃないですよ」


 歩は慌てて弁解した。


 慌てる歩を横目に、玉麗が口を開いた。


「担保物が返却できない場合、大国さんは金品で補償しなければなりません。あの剣は御神体であり、形状から想像すると国宝級。……その価値が証明されたら、大国さんは破産するかもしれません」


 彼女が話を盛るのはいつものことだった。大国の顔が真っ青だった。


「まあ、大黒屋の経営のことは私どもが関知することではありません。烏山由規さんの相続人が宝剣の価値を知らなければ、それですべてが終わるかもしれませんが……。何れにしても、私どもは御嬢さんの意識を取り戻すことに全力を尽くしましょう。では、これで」


 事務的に言って腰を上げた。


「私はどうしたら……」


 すがる大国を置き去りにするように、玉麗は会議室を後にした。歩は彼に会釈して玉麗を追った。


「冷たくないですか?」


 歩は、車に乗ってから訊いた。彼女は、じろっと睨み返してくるだけで、返事をしなかった。


「怒っているんですね?」


 玉麗が何を考えているのか分からない。が、客に怒りを見せる以上、大変な憤りを感じているのだろう。無駄な質問は止めて、自分の体の中に消えた宝剣について考えることにした。




 福労で夕食をとっていると真由から電話があった。


『退院おめでとうございます。フユから聞きました』


「ありがとう。冬美さん、大丈夫かなあ。部屋から急に飛び出して行ってしまったんだけど」


『あの人が怖かったからです。泣いていました』


 電話の向こう側から誰かの話す声がする。声が小さくて内容は聞き取れないが、そばに冬美がいるようだ。


「そうだよね。あんなことがあったんだものね。もしかしたら、冬美さんと今も一緒なの?」


 真由と冬美が大国を蹴る姿を想像すると複雑な思いがした。


『ええ』


「本当に二人は仲がいいんだね」


『私たち、境遇が似ているので』


「真由さんもファザコン?」


『やだぁー』


 電話の向こうで彼女が笑った。


「私は違います。2人とも、母子家庭だということです」


『そうなんだ……』


「同情しないでくださいね。それはそれで重たくなります。フユに代わります」


 10秒ほど、無音の時間があった。


『もしもし……』その声は暗い。


「今日はすまなかったね」


『私こそ、飛び出してしまって、失礼なことをしちゃいました』


「いいや。誰も冬美さんが悪いなんて思っちゃいないよ」


『よかった』


 冬美の声が僅かに明るくなった。


「真由さんの家に行ったの?」


『いいえ、来てもらったんです。真由は定期を持っているから』


「研究レポートは進んでいる?」


 事件から冬美の気持ちを逸らすために、話しを変えるた。


『お陰様で。なにか変ったことでも分かりましたか?』


「いいや。残念だけどモモさんの方も進展がない」


『そうですか……。また、会ってもらえますか?』


 ――また、会ってもらえますか――歩の中で冬美の言葉がリフレインする。女性に縁のなかった歴史に終止符が打たれたのかもしれない。……歓喜が全身を駆け巡った。


 同時に、背中が引っ張られるような緊張も感じた。それは、分岐点に立った時の感覚だ。恋愛シミュレーションなら、YESと応えたら女性との距離が一歩縮まる場面……。すなわち、冬美に恋人の席を用意するという答えだ。NOを選べば、彼女を哀しませるのが確実だ。


 七恵ののっぺりと顔が頭の中でちらついた。それから、玉麗のヒスイのような冷たい視線に貫かれる感覚があった。


 電話の向こうから、密やかな息遣いが聞こえる。


 泣いたばかりの冬美を、再び悲しませる強さが、歩にはなかった。


「いいよ。いつでも遊びにおいで」


 積極的に誘わなかったのは、唯一、自分自身への抵抗だった。


『ありがとうございます。嬉しいです』


 冬美が明るく応じて電話を切った。


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