第24話 悪夢
「俺の宝剣を返せ」
歩は、闇に反響する声を聞いた。
誰だ?……臆病なので声は出せない。身を縮め、闇の中に目を走らせ耳をそばだてる。見えるのは、ただ無限の漆黒の闇。聞こえるのは、宝剣を要求する地を這うような声ひとつ……。
「俺の宝剣を返せ……」
体が重くなる。声と共に闇が、体内に侵入してくるのだと思った。耳から、鼻から、汗腺から……、穴という穴から闇が侵入してくる。それが肺いっぱいになると息ができなくなり、脳いっぱいになると考えることができなくなる。歩は、あがき、悶え苦しみ、そして目覚めた。
「夢か……」
自分の部屋が実在していることに安堵してスマホに目をやる。デジタル表示の数字が、30分ほどしか寝ていないと示していた。
宝剣を返せと言ったのは大国だろうか? それとも、彼に宝剣を預けた烏山由規だろうか?
「どっちでもいいじゃないか。夢だ……」
そう自分に言って聞かせたものの、数日前の事件がそれを許さない。あの日、一刀両断された夢を見た日、大国に襲われたのだ。まさに正夢……。今の夢が正夢でないと言い切れるだろうか?
ブルっと背筋が震えた。
楽しい夢を見直そう。楽しいこと、楽しいこと、楽しいこと。……自分に言い聞かせて頭に浮かんだのは七恵ののっぺりした顔だった。
すると、胸にチクチクする感覚がある。冬美と会う約束……、らしきものをしたことを思い出した。彼女の生真面目そうな顔を思い出す。彼女はまた会いたいと言った。自分は了解した。それはデートの約束かもしれない。小さな喜びと罪悪感が頭の中でせめぎあう。
僕は馬鹿だ。……歩の理性が言った。ところが、それを笑う別の歩がいた。
七恵も冬美も手に入れろ! 香とだって詩織とだって、できるかもしれないぞ!……それは頭の隅っこで生まれ、脳を、胸を、腹を、股間を……、まるで体内に取り込んだ宝剣を伝うように全身を犯していった。
思い出せ。背中にあたった香の巨乳を……。
思い出せ。人魚の詩織と合わせた唇の甘さを……。
思い出せ。七恵を抱いて寝た夜のことを……。
別の誰かは、脳にしまい込まれた記憶の断片をひきづりだして見せた。
「やめてくれ……」
歩の意識は呻き、漆黒の闇に落ちる。すると声を聞いた。
「俺の宝剣を返せ……」
誰だ?……声はのどに詰まって音にならない。
「俺の宝剣を返せ……」
声は四方八方から攻めかかってくる。歩は卵のように身を丸めて声から逃げた。その姿は子宮内の胎児のようだ。……それを包む声は羊膜。やがてそれは強さを増して水風船のゴムのようになる。ゴムは圧迫してくる。じわりじわり……。
ゴム風船に閉じ込められた歩は呼吸ができなくなって目を覚ます。
「夢か……」
自分が子宮やゴム風船の中にいるのではないと知ってスマホに目をやる。デジタル表示の数字に、30分ほどしか寝ていないと知った。
宝剣を返せと言ったのは大国だろうか? それとも、彼に宝剣を預けた烏山由規だろうか?
「どっちでもいいじゃないか。夢だ……」
再度、そうつぶやいて目を閉じる。何も解決していないことに本人は気づいていない。気づいたところで無視しただろう。
楽しい夢を見よう。……頭に浮かんだのは七恵ののっぺりした顔だった。すると、胸にチクチクする感覚がある。冬美と会う約束をしたのを思い出した。七恵と冬美……。二人の女性を思い浮かべたことに小さな罪悪感を覚える。
おまえは馬鹿だ。……歩の知らない誰かが笑った。
思い出せ。白衣からのぞいた香の太ももを……。
思い出せ。人魚の鱗の下から現れた桜色の亀裂を……。
思い出せ。玉麗に握られた股間の愉悦を……。
別の誰かは、歩の記憶をかき乱した。
「やめてくれ……」
歩の意識は呻き、三度、漆黒の闇に落ちる。すると声を聞いた。
「俺の宝剣を返せ……」
境界のない漆黒の闇が縮小する。まるで寿命を迎えた恒星がブラックホールになるように……。そうして歩は小さな〝点〟になり、呼吸ができなくなって目を覚ます。
夢と覚醒の連続。……寝ても覚めても、あるのは苦悩と困惑。そうした夢と現実のループから解放されたのは、部屋に日の光が差し込むようになってからだった。
疲れの取れない眼をごしごしこすり、始業時刻前に階下の事務所に入った。
すでに玉麗と好子が自分の席で仕事の準備を始めていた。驚いたのは、玉麗の机の前にある応接椅子に、七恵と香がちょこんと座っていたからだ。
いつものように、七恵は聖オーヴァル学園の制服姿で、香は白衣姿だ。阿久が彼女たちを相手に、何やら真剣に話している。にやけた目をしているから、エロい話をして彼女たちを困らせているのかもしれない。
もしかしたら、口説いているのかも。……いやいや、と自分の推測を否定する。如何に阿久でも、中学生を口説くことはないだろう。青少年育成条例に反するようなことを言ったら、玉麗が黙っているはずがない。
「アユミちゃん!」
歩を見つけた阿久が手を挙げてヒラヒラと振った。
「アユムです」
そこに行かない理由はなかった。七恵たちは歩に会いに来たのに違いないのだから。
玉麗の前を横切る。彼女は何も言わなかったが、「アホ、ボケ、カス」とオーラが言っているように感じた。もはやそれは殺気に等しい。
恐る恐る阿久の隣に掛けた。
「退院おめでとうございます。うふ」
香の胸が揺れる。
「2人とも中学生には見えないよね」
言いながらも香の胸にばかり眼をやる阿久の顔はすっかりエロオヤジだ。1500歳だと知っているからか、七恵には目もくれない。
「何か用事なの?」
歩は、あらためて七恵に尋ねた。
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