第5話 同級生

 歩は福労に降りて冷たいウーロン茶を飲みながら、問題を考えた。


 宝会計事務所の問題は、女性が強いことだ。玉麗、好子、梅世、そして栄花……。エース会計士の阿久さんだって、勝てるのは梅世さんぐらいだ。……そこまで考えて頭を振った。


 いやいや、問題は、大国モモの意識を取り戻す方法だ。……頭の中のスーパーコンピュータのような小さな脳をリセットした。


 何ができるというんだ?……目の前のグラスを両手ではさむ。それは結露していて冷たく気持ちがいい。


 薄茶色のウーロン茶の中には透明な氷が浮かんでいて徐々に小さくなった。それは、彼の思索が進んだ証拠だった。


「氷が水になる。水は氷になる……」


 問題を解決するには原因を知らなければならない。そう、当たり前の結論に至った。


 歩は、神の祟りを受けた時にモモが歩いた涅槃山のルートを歩いてみようと思った。大国からモモと山に登った同級生の情報を聞いて、彼女たちと会う約束を取り付けた。


 待ち合わせ場所は涅槃山中腹にある奴奈之宮ぬなのみや神社に並ぶ奴奈之宮公園。そこは市が管理する立派な公園だが、花見の時期を除けば、市民はほとんど利用することがなかった。モモと友人の桑野真由くわのまゆ水野冬美みずのふゆみは、7月20日にそこで集まり涅槃山に登ったのだ。同じその場所から、同じコースを登ることに決めていた。


 涅槃山はF市の中央にある、熊野山、葉山、月山という三つの頂を持つ標高200メートルほどの低い山で、見る方角によっては、釈迦涅槃像しゃかねはんぞうに見えることから涅槃山とか釈迦山、霊山などと呼ばれている。


 三つの頂にはそれぞれ社があって、最初に向かう月の宮は釈迦像の頭のあたりにあり、上の宮は肩、日の宮は腰のあたりにある。


 歩が人魚の鱗事件を解決した聖オーヴァル学園は、山の中腹、ちょうど釈迦像の股間のあたりで、奴奈之宮公園はへそのあたりになる。


 歩が陽射しを避けて桜の木陰で待っていると、真由と冬美が並んでやって来た。2人とも小さなリュックサックを背負っている。


 真由はピンクのタンクトップとジーンズ姿で、はやりのショートヘアが愛くるしい。広い額の美しい知的な印象のある少女だった。冬美は胸元が大きく空いたシャツとピンクのキュロットで、短いシャツの下からチラチラ白い腹がのぞいた。大きな胸とくびれた腰は大人の女性らしさを印象付けていて、肩より長い髪が風に揺れるときに目を細めるのは、誰かを誘うような女性に見せている。


「私服もいいなぁ」


 思わず声が漏れた。聖オーヴァル学園に潜入したことで、制服姿の少女には慣れていた。制服は少女に付加価値を付けるけれど、一方で個性を殺している。真由と冬美の露出度の多い普段着は、肉体だけでなく、それぞれの心の内までむき出しにしているような魅力があった。


 70点、88点。……少女好きの歩は、眼にした少女たちに点数を付ける。それは誰にも言えない嗜好だ。


 視線が合うと、2人が手を振って駆けてくる。


「待った?」


 歩にため口で話すのは聖オーヴァル学園の生徒たちと同じだった。


「いや。僕も来たばかりだよ。今日はよろしくね」


 いやおうなしに目じりが下がった。


「モモのためだもの。私もがんばります」


 冬美が両手を前に出して拳を作った。


「歩さん、恋人はいるの?」


 真由がいいながら、歩の周りを値踏みするように一周した。


「……いきなりだね」


 歩はタジタジ。女子高生には慣れているはずなのに、男子の姿でいると勝手が違った。


「あら、大切なことよ。ねぇ、フユ」


「ま、まあね」


「でも、ちょっと頼りなさそう」


 真由が歩の腕を握った。


「細すぎ。顔はまあまあいいけど……。50点ね。男はたくましくないと」


 真由の採点は厳しい。


 辛口だな。心が折れそうだ。……全身の力がぬけた。


「私は細いのがいいな。年齢的にも好みだわ。90点よ」


 自分と同じように点数を付ける真由と冬美に驚いた。それ以上に、面と向かって口にすることに驚愕いた。


「まあ、こんなものか……」真由が歩の手を解放する。「……がんばろう!」


 彼女が拳をつくってみせる。


「オゥー!」


 真由と冬美は拳を上げて、呆然としている歩に冷たい視線を送った。どうしてやらないのか、と抗議しているようだ。


「オ、オー」


 あわてて拳を振り上げた。


「では、出発!」


 完全に真由のペースだった。


 アスファルト道路を上り、左に折れる。杉林の中を舗装された立派な車道が続いているが、車は走っていない。


「どうして山に登ることになったの」


 歩は尋ねた。


「夏休みの研究として、涅槃山の三神の研究をしようと言うことになったんです。それで、とりあえず社を見ておこうということになって、山に登ったの」


 答えたのは冬美だった。


「この山は、大昔に大天狗が作ったと伝えられているのよ。もちろん伝説だけど。知らない?」


 先頭をいく真由が、振り返った。


「ああ、知らなかった」


「天狗の話は山岳信仰が興隆したときに語られたと思われるので、飛鳥時代以降に生まれたものだと思います。この山にも修験者が修行した場所があるんですよ」


「へー」


 歩の知らない話ばかりだ。


「上の宮には都を追われてきた皇子が祭られている。月の宮と日の宮が祭られたのは、月山信仰の影響かな」


 先頭の真由は歩くのが早く、話すたびに足を止めて冬美と歩との距離を確かめた。


「今は、月の宮には皇子が持っていた三種の神器の一つである鏡が収められていると言われているけど、それを私たちは疑っていて、夏休みの研究にしようとしたわけです」


「鏡が偽物だと?」


「そういうことじゃないの。三種の神器を知ってる?」


 そこで真由は右に折れ、山道に入った。その道は人ひとりがやっと通れるほど狭いもので、笹やぶの中をうねうねと登っている。別に車で登れる道もあるが、「そこには歴史がないのです」と冬美が言った。


「三種の神器と言うと、鏡、勾玉、剣だね?」


 歩は足元に視線を落として歩くことにした。目を上げると小石を踏んで足を滑らせる可能性があるし、冬美のまるい尻を見つめる格好になる。正直、見ていたいけれど、大人として慎むべきだと思い耐えた。


「少しは知っているようね。鏡は伊勢神宮いせじんぐう草薙剣くさなぎのつるぎ熱田神宮あつたじんぐう。勾玉は皇室内。……でも、私たちが疑ったのはそういうことじゃないのよ」


 真由が言った。


「ふむふむ……」と相槌を打つ。


「たとえレプリカでもいいの。三種の神器が表すのは鏡が天照あまてらす、勾玉が月読つくよみ、剣が素戔嗚すさのおだろうということです」


 冬美が解説する。


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