第12話 図書館の少女

「本当に……。4カ月も顔を見せずに、冷たい……」


 七恵の言葉は報告書を読むようで、表情ものように動かない。それでも、彼女が喜んでいるのは分かった。


 彼女はという人魚の呪いを受けていて推定年齢は1500歳。中等部を卒業すると進学し、高等部を卒業すると髪型や名前を変えて再び中等部に入学している。そうやって彼女は数百年間も同じ生活を季節がのように繰り返している。そんなことができるのは、彼女が歳を取らないだけでなく、聖オーヴァル学園の創設者にして所有者だからだ。


 長く不毛の時を生きた七恵は感情を失いかけていたのだが、黄泉よみに落ちる玉を手に入れたことで表情に生気が戻りだした。とはいえ、まだリハビリの状態で表情に感情が現れるのは珍しい。


 七恵の不老不死の謎を解き、人魚の呪いを解くトヨタマヒメ神の赤玉と白玉を手に入れたのが人魚の鱗盗難事件だった。実質手に入れたのは、前学園長の命がけの献身的な祈りだった。その対価として、学園長は天狗の森で命を落とした。


 悲しみも癒えぬ間に、学園には新しい学園長が赴任してきた。赤玉と白玉を手に入れた七恵は永久図書委員改め、いつかはこの世を去る半永久図書委員として図書の修繕に当たっている。


「ごめんなさい」


 歩は長い間、顔を見せなかったことを詫びた。


「それはかまわない。でも、その髪型は似合わない」


 彼女が見た目にダメ出しをするのは滅多にないことだった。


「そ、そうですか……」


 おかっぱ頭の七恵に、髪型を指摘されるとは! それが七恵に人間らしい感情が戻っ証拠かもしれない。……的外れな指摘も嬉しかった。


「それで今日は、何の用?」


「仕事を依頼されたんだけど……」


 歩は、どのように説明すればいいかと戸惑った。


「ここに来たということは、簡単な仕事ではないのですね? 霊異のモノの関係?」


「ええ。涅槃山の祟り神の話です。山頂にある社と、そのご神体のことを調べたいのだけど、何か、資料があればと思って……」


「もちろんある。来て」


 七恵が席を立ち、廊下に出ると奥に向かって進んだ。そうして奥から2番目のドアを開けた。


 ホコリと防虫剤の臭いが2人を襲う。そんなことは意に介さず、彼女が照明のスイッチを入れた。闇の中から降ってわいたように、沢山の棚が現れる。そこに巻物や平積みにされたファイルが並んでいた。


「そこに座って、待って」


 七恵がテーブルを指して奥に向かう。椅子に掛け、彼女が棚の向こう側に消えるのを見送った。


 資料を集めた部屋はホコリ臭いけれど、テーブルや椅子はきれいに掃除されていた。そこを拭くのも七恵の日課だ。彼女は聖オーヴァル学園の生徒でありながら滅多に授業には出ない。ほとんどをこの図書館で、書物や収蔵品の維持管理に費やしている。歩はそのことを誰よりもよく知っていた。


 5分ほどして七恵が戻った。


「待たせてごめんなさい」


 七恵が両手に抱えていたファイルをそっと下した。


「これが4つの社の由緒書きの写し。写されたのは平安後期のようだから、100%正確とは言えないけれど、ないよりはいいでしょう。……由緒書きというのは、創建理由やその後の歴史が書いてあるもの。原本は社の火事で焼失しているから、ここにあるのが一番古い資料といえる」


 彼女の低い声が、窓のない空間で低く反響した。


「ちょっと待って。社は月の宮、上の宮、日の宮の三つでは?」


 歩は昨日見て回った社と祠を思った。


「人々は忘れてしまっているけれど、山頂にある社は創建時代が違う。最初に造られたのは上社と下社。歩の言う上の宮が上社、中腹にある奴奈之宮神社が下社よ。その後に、日の宮と月の宮が造られた。詳しくは、自分で読んで」


 七恵が持ってきたファイルは4冊で、1冊ごとに『上社由緒書き』『下社由緒書き』『日の宮由緒書き』『月の宮由緒書き』とタイトルがついていた。


 歩は一つずつ手に取って目を通した。どれも和紙で見たこともない漢字が並んでいて読むことができなかった。


「ムリ、全然読めない」


「相変わらず頼りがない。どれどれ」


 歩が諦めたものを、七恵が手に取って目を通す。


「……資料を見ると上社と下社は飛鳥時代に建てられた。上社の神はウカノ御霊神みたまのかみと箭田珠勝、ご神体は八田王の剣。下社の神は沼の水神と石姫。ご神体は黒勾玉」


「へー、。そうなんだ。奴奈之宮神社は、全く関係のない社だと思っていたわ」


 歩は女性になりきっていた。いつだれが、2人の会話を耳にするか分からない。


「石姫が息子を思って上社を創建し、土地神のウカノ御霊と合祀ごうししたらしい。下社もその時に作られた。石姫が死んでから、石姫が下社に合祀された」


「ところで、石姫ってだれ?」


「八田王の母親なら欽明天皇の妻に決まっています。それ以上のことは分からない」


 中等部の少女は上から目線で応じた。1500歳だから当然だけれど……。


「一番の問題は日の宮のほうだと思う」


 彼女は、日の宮のファイルを開いて目を走らせた。


「どういうこと? 教えてちょうだい」


 歩は書面をのぞき込んだ。


「雨が降り続き、奴奈ぬな沼の水はあふれ凶作になった。それが上社の祟りだと言われた。その理由は分からない。そして、上社の皇子の御霊を安んじ、民の病をいやすために2人の巫女が使わされ、日の宮と月の宮を建てて空の雲を晴らそうとした、というのが起こりだと書いてある」


 七恵が珍しく表情を歪めた。笑ったのだ。歩はそう感じた。


「どうかしたの?」


「その時の巫女の様子が描いてある。日の宮の巫女は知的で細身の15歳の少女。月の宮は情熱的で豊満な体の少女だったそうだ」


「それが、どうしておかしいの?」


「豊満な体って、どんなかなと想像してしまった」


「Fカップとか?」


 彼女と同室で過ごしたときのことを思い出し、思わず胸に目をやっていた。彼女の胸はおそらくCカップだ。


「馬鹿」


 七恵の拳が歩の右の頬に飛んだ。

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