第3話 新しい仕事

 その日、梅世が事務所のカギを開けるとすぐに大国が訪ねてきた。玉麗たちが大黒屋を訪ねた時から1カ月ほど経っていた。


 梅世に呼び出され、事務所に下りた玉麗が驚いたのは、大国の容姿容貌がすっかり変わっていたことだった。でっぷりと出ていた腹はへこんですっきりし、頬はこけて何かに憑りつかれたような影のある瞳をしていた。


「お嬢さんは、その後いかがですか?」


 玉麗は、すっかり諦めていた仕事がまいこんだものと喜びながら、おためごかしの挨拶を述べた。


「実はそのことで伺いました。あれからあちこちの医者や祈祷師きとうし、超能力者を訪ねて治療を頼んだのですが、娘の意識が戻りません」


 玉麗は、首を傾げた。来訪の理由は出店のことではなく、娘のことなのか?……病気ということもあるので、慎重に尋ねた。


「それはご心配ですね。祈祷師などを訪ねたということは、病気ではないのですか?」


「医者は脳死に近いというのですが、時々脳波が振れるようなのです」


「それで、完全な脳死だとは言い切れない?」


「はい。医者も希望はあると言います」


「それで、なぜ、当事務所へ?」


 玉麗は再び首を傾げて大国の瞳の奥を覗きこんだ。


「祈祷師の一人が聖オーヴァル学園の出身だったもので、隈川くまかわ理事長を紹介いただいたのです。昨日、理事長にお会いすることができまして、娘を助けてくれそうな力のある者の紹介をお願いしたのです。そうしましたら、人魚の鱗事件をこちらで解決されたと聞きました」


「それがお嬢さんの病気とどういった関係が?」


「はっきりしたことはわからないのですが、祈祷師によれば、娘の異常は涅槃山ねはんやまの三神の祟たたりではないかというのです」


「なるほど」


 仕事の話ではなかったと知り、玉麗の気持ちは萎なえた。返事もおざなりになっていく。


「娘は2人の友人とあの山にハイキングで登ったのです。そうしたら、山頂で動かなくなったそうです。まるで人形のように……。それで祈祷師は三神のたたりだというのですが、三神のどの神がどのように祟っているのかは分からない……」


 彼は、愛娘に起きたことを滔々とうとうと詳細に語った。


「はぁ」


「隈川理事長さんは、こちらなら霊異のモノの取り扱いにたけているとおっしゃるので、力になっていただけないかと……」


わらにもすがるような気持ちでいらっしゃった?」


「ええ……、いや、そんな……。申し訳ありません」


 大国が肩をすぼめ、深々と頭を下げる。


「いえ、お気になさらずに……」


 そういいながら玉麗は、どうやって追い返そうかと考えた。人魚の鱗盗難事件は解決したが、それで特別な利益は得ていない。歩を雇ったことを考えれば、むしろ赤字といえた。


 ――ハアー……――


 隠したつもりだったが、彼女のため息は大国の耳に届いた。


「報酬なら、いくらでも出します」


 彼は玉麗の、いや、現代人の弱点を心得ていた。


「ほほぉー……」玉麗の脳が打たれたように活性化する。「……い・く・ら・で・も、ですか?」


 声に魂が宿っていた。まるでオリンピックのプレゼンテーションで『お・も・て・な・し』と美女が言葉を置いていくように……。


「引き受けていただけますか?」


 大国が身を乗り出す。


「それでは、お宝の銅鏡をいただけますか?」


 思わず、頭に残っていた〝お宝〟が唇からこぼれた。ダメ元だ。


「あの商売繁盛の宝を、ですか?」


 大国が怯えるように身を引いた。そんな姿を見ると、彼女のSの魂が揺り動かされる。試すように尋ねた。


「1億円の銅鏡、娘さんの命より大切ですか?」


「い、いいえ。モモの命には代えられません。対価としてお渡ししましょう」


 覚悟を決めたのだろう。彼は背筋を伸ばし、玉麗に燃えるような瞳を向けた。


 やれるかしら?……玉麗は考えた。モモの意識不明の原因はわからない。従って、治療方法の見当もつかない。ただ言えるのは、ということだ。何でもやってみて運よくモモの意識が戻ればいいではないか。ダメだったら銅鏡を返せばいい。そんな計算をした。


「では、さっそく。悪魔祓あくまばらいにとりかかりましょう。しばらくお時間をください」


 口から出まかせを言い、右手で拳を作ってみせる。


「よろしくお願いします」


 大国は、玉麗の作った拳を信じて帰宅した。


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