第49話 矢田王
「歩、どうした?」
玉麗は、意識を乗っ取られたような彼の異変に気付き、シャツの胸ぐらを掴んで乱暴に前後に振った。大概の人間なら、こうすれば正気に戻るものだ。ところが彼はそうならなかった。全身をふるわせたかと思うと涙を流した。
「魂の清き者よ。すべて忘れるがいい」
その声は、いつもの歩のものではなかった。威厳のある大人の声だ。
玉麗は、思わず彼のシャツから手を放した。
歩が立ち上がった。その表情には気品があって、瞳には柔らかい光が宿っていた。
これはアユミじゃないな。何者に憑りつかれた?……矢田王、日の神、貧乏神。玉麗は候補を三つに絞った。
歩はゆっくりと足を進めてテーブルを回り込み、真由の肩に手を置くと抱きしめた。抱き合った二人の身体はショールームのオブジェにでもなったように青く光った。
刹那、バチバチと音が聞こえそうに激しく輝きだした。歩のシャツやパンツが引き裂かれ、はじけ飛んだ。全裸になった歩の身体には、八田王の神紋がくっきり浮かんでいた。が、真由を抱きしめているために、それが人々の眼に触れることはなかった。
エロいな。……玉麗はそう言ってその場を和ませようと思ったが、唇は動かなかった。
「私がゆるす」
青い光の中で歩が言った。その声に、美子が反応した。
「八田王さま……」
誰もが固まっていた。ブーンというエアコンの音だけが、空気を震わせていた。そんな時間が数分、いや、実際は十数秒続いた。
真由を抱いていた歩が腕を緩めると、彼女は半歩下がり、その場に
玉麗には、真由が歩の巨大な口にし難いアレを拝んでいるように見えた。
「何て立派な……」ゴクンと息をのんだのは梅世だった。「……アッ、見ちゃダメ」
彼女は栄華の目を両手で覆った。
「見たい!」
栄華はジタバタ暴れたが、母親の太い腕は彼女を完璧に制圧していた。
「八田王さま。天地神明に誓い、これから一生、あなた様に仕えます」
改めて真由が恭しく頭を下げ、それから顔を歩の神紋に向けた。
「真由さんに、日の神が憑いた?」
玉麗は美子に尋ねたつもりだったが、彼女は聞いていなかった。いつの間にか真由の隣にひざまずき、歩の股間に、いや、神紋に見入っている。
「頼むぞ」
歩が短く言うと、真由と美子が「ハイ」と頭を下げた。
彼が何を頼んだのか、玉麗には分からない。
歩は、2人の巫女を従えて打ち合わせ室を出た。
「待て、歩……」
玉麗は、彼らが涅槃山に向かうのだろうと思った。それは構わない。しかし、歩は全裸なのだ。そのまま外に出られたら、宝会計事務所に悪い噂が立ちかねない。
慌てて彼らの後を追った。
「服を、……いや、八田王さま、御召し物を!」
とりあえず、古臭い言葉で訴えた。が歩は止まらなかった。
エレベーターホールに出た歩は、玉麗の予想に反して3階に上がり、彼の部屋に入った。
「良かった」
玉麗はホッと胸をなでおろした。
「これから乱交パーティーでもするのか?」
無責任な声がする。背後に阿久が立っていた。その後ろで、真紀子が泣いていた。
※ ※ ※
涅槃山の日の宮の鏡がぼんやりと光を帯びた。その中で少女が微笑む。その顔は、紛れもない真由のものだった。
※ ※ ※
「玉ちゃん、どうするつもりだ?」
阿久が、まるで玉麗に責任があるかのように言った。
「私が悪いの……?」
玉麗は思わず歩の部屋のドアを蹴った。八田王が憑りついた彼と、月の巫女の美子、新たに日の神が憑りついた真由がその向こうにいる。出てこいと命じても出てこないだろう。
本来、日の神の依代が見つかれば、それだけで問題は解決するはずだった。が、歩と真由が世間離れした存在になってしまい、問題が複雑化してしまった。
「玉麗さん、冷静になって」
再びドアを蹴ろうとする肩を好子が制した。
「作戦会議をしましょう」
玉麗は自分に言い聞かせ、その場にいた全員を連れて打ち合わせ室に戻った。
宝会計事務所の5人、その内の1人は子供の栄花だが、それと大国、真紀子の7人は、打ち合わせ室で額を寄せあった。
「このままでは、歩が
好子が問題を明確化した。
「淫行ってなあに?」
栄花が不明な文言を質した。
「子供は黙っていなさい」
梅世が娘の頭を押さえる。
「ママ。ウザーイ」
栄花の抗議。彼女は母親の手を強く払った。
「歩の……、なんだ、ナニは、あんなに大きかった?」
玉麗は、どうしてもそれをはっきりさせたかった。そうしなければ夢で見てしまいそうだ。
「確かにこのくらいあったわね……」
拳を作って重ねた。
それに好子が拳をひとつ乗せた。
「このくらいはあったわ。まるでAV男優みたい……」
三つ重なった拳に、それから好子の顔に、みんなの視線が集まった。
「エッ、私?……AVなんて見てないわよ。少し、しか……」
顔を赤らめた好子が、フルフルと首を振った。
「AVってなあに?」
再び栄花が質す。その耳を、梅世が両手でふさいで言う。
「子供には関係ないの」
「聞こえなーい!」
栄華が声を張り上げると、その口も母親の手でふさがれた。
「俺がチェックした限りでは、歩のナニは普通サイズよりも小さかったはずだ。だから、女装も楽だった」
阿久が冷静な分析結果を報告した。
「すると、今のナニは、八田王のナニということね」
「八田王、恐るべし……」
玉麗と梅世が唸る。
「ナニって何よ?」
栄花が質す。
7人の議論は思わぬ方向に進み、直面する問題を見失っていた。
「とにかく、状況を確認することです」
男性のナニに関心のない大国の一言で、議論は修正された。
「合鍵を使って、中に入りましょう」
梅世が提案した。
「なるほど、それもそうだ」
大家である玉麗が事務室へ走った。
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