第三十二話 目覚め

 リトは自室で机に置いた小さな箱を眺めて悩んでいた。緻密な模様の描かれた美しいこの箱はクゥからリトに託された物だ。



 僕の側にいる人って誰の事だろう?



 祖父が亡くなった後、ひとりぼっちだったリトも今や沢山の人に囲まれている。


 オルガの話ではテトラーナの幽霊はオルガが教会に捕まる直前。三十年前くらいから流行ったということらしい。



 三十年……という数字にピンとくる。



 リトの側にいて、三十年以上生きてて、リトが見守っている人。


 ルナしか思い当たらない。


 ルナが居たのは王都でテトラーナはその隣街。関係があっても不思議はない。こじつけに近い推察だが不思議と合っている気がした。


 思いを馳せる。



 クゥは見たまま、あの幼さで亡くなったのだろうか。ルナのお姉さんということはやはり教会の犠牲者なのだろうか。



 頬杖をつくと耳元で青い石の耳飾りが揺れた。

 すべすべとした透き通るような深い青のその石はクゥの言い方では最初ルナの手に渡ることを望んでいたようだった。だが途中から気を変えてリトに渡したようにも思える。



 果たしてこれで良かったのだろうか。



 耳飾りを触りながら考える。



 よし、このまま悩んでいても仕方ない。ルナの所に行こう。



 そう決めて立ち上がった。






 部屋を出て茶色の扉を三回ノック。数字を1に合わせて医務室へ入った。


 今は誰も居ない。ベッドは全部空床だ。医務室を通り過ぎてオルガの研究室をノックする。



「どうぞ」



 オルガの許しを得てドアを開けた。


 相変わらず壁一面の棚には薬草類がはみ出てるし、ゴタゴタと物が大量に積み上がっている。



「どうしました?」



 オルガが書類から目を上げた。



「ルナの所にちょっと……」


「ああ、どうぞ」



 と部屋の奥のドアを指す。リトは礼を言って、物を崩さないように部屋を横切り、オルガとルナの寝室へ入った。部屋は暗く、小さなランプがルナの枕元を照らしている。


 ルナはもう二ヶ月近く飲み食いを一切してないのにも関わらず健康体そのものだ。


 体温も、体重も、身長も変わらない。ただ、目覚めないだけだ。

 リトは椅子をベッドに引き寄せて座った。ルナの長い髪がランプに照らされてキラキラと光る。



「ルナ……僕、多分ルナのお姉さんに会ったよ」



 リトが優しく話しかける。



「クゥって名前だったんだよ。ルナにこれを渡して欲しくてずっとずっとテトラーナで待ってたんだって……」



 そっと枕元に箱を置く。当然ながら返事はない。すぅすぅと寝息をたてるルナの頬にそっと手を当てた。



 温かい……。



 手の甲から伝わる温もりに安心しながら次の言葉を考える。


 次の瞬間リトが硬直した。


 ふいに、ルナが瞼を震わせてパチリと目を開けたのだ。体を起こして目を擦る。



「……リト?」



 夢でも見ているのではなかろうか。



 リトは自分の頬を思い切り抓った。



 痛い……。



「なんでかみのけあかいのー?」



 ルナが不思議そうに首を傾げた。

 バターーーン!!!とドアが開きリトは飛び上がった。見るとオルガが立っていた。



「ル、ルナ!?いつ起きたんですか!!?」


「た、たった今です」



 動揺するオルガに動揺したリトが答える。


 オルガはあわわ……と情けない声を出しながら一歩一歩ルナに歩み寄った。



「ママ?どうしたの?」



 ルナがキョトンとして訊く。オルガが固まる。

 次の瞬間オルガの目から涙が溢れた。リトはオルガに椅子を譲ったがオルガはそれに座らず、ベッドに身を乗り出してルナを抱きしめた。


 そしておんおんと泣き出した。



「ル、ルナあああ!!!あなた二ヶ月も眠ってたんですよぉぉお!!!心配したんですから!!!」



 いきなり泣き出したオルガにルナは戸惑いつつも抱きしめられていることが嬉しそうだった。



「?ママ?なかないで」



 オルガは鼻水を大きく啜ると部屋を飛び出して行った。



「ア、アカツキーーーーーー!!!!!」



 嵐のように去っていったオルガを見送った後、リトとルナは顔を見合せた。眠る前のルナとひとつも変わっていないように見える。



 良かった……。



 リトは大きく息をついた。






「ルナ!」



 アカツキが部屋に現れた。ぐしゃぐしゃで前が見えない状態のオルガの手を引いている。


 その顔には安堵の色が浮かんでいた。


 やはりオルガもアカツキもずっとルナの事を心配していたのだ。



「パパ!!」



 ルナが喜んでベッドから降りようとするのを皆で引き止めた。



「なんでー?」



 ルナが少し不服そうに言う。アカツキは椅子に座ってルナと目線を合わせた。



「ルナ、お前は二ヶ月ずっと眠っていたんだ」


「おねぼうさんしちゃったの……?」



 アカツキの言葉にルナが申し訳なさそうに言う。



「心配するな。何かしらの魔法の影響で眠ってたんだ。お前が悪いことはひとつもない」



 アカツキが優しい声で言う。



「うん!」



 ルナがにっこりして頷いた。アカツキはその頭にポンと手を置くとワシワシと撫でた。



「明日も元気だったらダグに会いに行くぞ。寂しがってたからな」



 アカツキが言うとルナはにっこりした。

 アカツキがオルガを連れて出ていくとリトは再び椅子に座った。



「ルナが起きてくれて本当によかった。嬉しいよ」



 リトがちょっと涙を滲ませながら言うとルナは嬉しそうに笑顔になった。そして唐突に顔を真面目に戻して



「あのね、ルナね……ユメを見てたの」



 と言い出した。



「夢……?どんな夢?」



 リトが優しく問うとルナは一生懸命話してくれた。



「んっとね、ルナね、ひとりぼっちだったの。そしたらねおんなのこがきて、ルナを色んなところにつれてってくれたの」



 リトが相槌を打つとルナは語る。



「そしたらたくさんひとがたおれてたの。どこにもいっぱいたおれてて……それで……それ、で……リト!!!」



 話に少し不穏な気配が漂ったところでルナは突然思い出したようにリトに飛びついてきた。



「リトが……リトが……たおれてたの。

 よんでもおきなくて……おねぼうさんだよっていってもおきなくて……」



 リトは震えているルナをそっと抱きしめた。


 どうやら怖い夢だったようだ。たくさんの人が倒れてる、リトも倒れてる夢……。なんだか不吉な予感がした。






 翌日。リトはルナを連れてダグじぃの畑へ来ていた。


 ダグじぃはリトに手を上げて、そこでルナに気づいて固まった。



「ダグじぃー!」



 ルナがダグじぃに駆け寄り、膝によじ登る。ダグじぃはパイプを放り出すと、ルナを抱き抱えてポロポロと涙をこぼした。



「じぃ……いたい?」



 ルナが心配そうに見上げる。ダグじぃは首を振りルナをギュッと抱きしめた。

 ルナがえへへーと嬉しそうに顔を緩める。リトもなんだか涙が滲んできた。


 ダグじぃが顔を上げてリトを見てきた。



「昨日突然、目を覚ましたんです。今日オルガが診たけど健康そのもの。バッチリです」



 と説明するとダグじぃはリトまで抱え込んで泣き出した。リトも目を潤ませてダグじぃとルナを抱きしめた。


 朝食を摂りに食堂へ行くとカティとエドワードが向かい合って座っていた。二人はリトに気が付くと手を上げて、そこで二人揃ってフォークをカラーンと取り落とした。



 なんだかこの感覚、癖になりそうだ。



 リトがそう思いながらも説明する。



「昨日の夜中に起きたんだ」


「おはよう!」



 ルナが元気に挨拶するとカティとエドワードは揉め始めた。二人ともルナを横に座らせたかったのだ。


 結局、ジャンケンで勝ったエドワードの隣にルナ、敗者のカティの横にリトが座ることになった。



「ちぇーしょうがねぇリトで我慢するか」



 酷い言いようである。



 リトがルナの分と自分の分を運んで来るとルナは目を輝かせた。ノーマンにルナが起きたことを伝えたら後で来るそうだ。



「リトありがとう!おなかペコペコ!」



 リト達はちょっと驚いた。解呪の前、ルナは食事を必要としていなかった。

 ルナにとって食事はオルガが癖づけた、ただの習慣だったので食が細かったのだ。


 ルナの前に食事を置くと、いただきますを言うや否やルナは勢いよく食べ始め、あっという間に平らげて、おかわりを要求した。


 リトは三回おかわりを取りに行った。


 これは明らかな異変だった。よく食べるのはいいことだ。だが今までのルナの経緯から考えると異常だった。



「おいルナ、よく噛んで食えよ」



 カティがテーブル越しに口を拭いてやる。


 その間もルナは口をむぐむぐさせて食べる勢いを弱めなかった。


 そこにノーマンが現れた。



「ハッハッハ!ルナ!!久しぶりだなぁ!俺に会えて嬉しいか!!!」



 ノーマンが己の筋肉を見せつけるようなポーズを取りながらルナに挨拶した。



「ノーマン、おはよう!おいしいよ」



 ルナのちょっとズレた答えにも動じない。



「フハハハハハ!!!そうだ!!俺の料理は美味いだろう!!?

 俺の料理は愛と筋肉の賜物だからな!!!それにしてもルナ今日はよく食べるじゃないか!いいことだ!!」



 ノーマンが一言喋るごとに辺りの空気がビリビリと震える。ノーマンは声がちょっと大きいのだ。






 二つ目の異変に気づいたのはその日の夕方だった。


 リトはルナの寝室で絵本を呼んでやっていた。するとルナはふいに立ち上がり、別の本を持ってきたのだ。ルナが今まで読んでいた絵本より少し難しい言い回しや単語の多いやつだ。


 リトが読んでやると分からない単語の所で止めて意味を訊いた。教えてやるとこういう事かと別の言い回しで聞き返すのだ。


 ルナは今まで呪いのせいで精神的に成長出来なかった。


 一定以上の言語を理解出来なかったり、興味を持てなかったりしていた。だからいつもだいたい同じ絵本を読んでもらい、新しい本を持ってくることなどなかった。


 だが今は明らかに新しい言語に興味を抱き、理解を示している。


 そしてその言い回しや考え方は明らかに五歳児のものではなかった。


 リトは少し言い知れぬ不安を感じた。






 ルナがすぅすぅと寝息をたてる。ギュッと握られた温かい手をそっと離して、クゥの箱を握らせた。


 ランプを消して部屋を出るとオルガが待っていた。


 リトはオルガの部屋で今日の事を話した。オルガは驚き、思案した。



「呪いが解けたせいなのは間違いないでしょうね……」



 不老不死の呪いが解けた今、ルナは成長できるという事なのか。



「でも……なんだかあまりにも急なような気がして、少し……不安です」



 リトが胸中を話した。オルガは顎に手を当てて少し考えると切り出した。



「リトの不安はルナのこの急激な成長がどこまで続くのか……ということですね?」



 リトは頷いた。



「確かにルナの成長は異様な速度のようですね。まるでこの三十年分を取り戻すかのように……。

 ルナが例えば、三十歳一気に成長してしまった際に体や精神に支障をきたすのではないか。

 それが心配……そうですね?」



 リトは激しく頷いた。


 そんな速度で成長したら何がしかの不具合が起こってもおかしくはない。リトはそれが不安だった。



「リトの不安は尤もです。しかしまだ今日は初日です。毎日体と魔力を測定して、もう少し様子を見ましょう。」



 オルガはリトの不安を和らげるように優しく微笑んだ。

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