第二十八話 絶体絶命

 質屋に短剣は無かった。

 ポーチも、水筒も。

 質屋に行った二日後の午後三時。冬の気配が近づいて来たこの丘もそろそろ寒くなってきた。


 大きくため息をついたリトにヨルが優しく声をかける。



「リト……まだマントがあっただけ良かったじゃないですか?」


「そうだね」



 リトが今着ているマントは祖父のマントだ。少し古い型のややくたびれたマントは防寒、防熱、撥水、防炎など多機能マントなのだが、知らなければ質はいいがただの古ぼけたマントにしか見えないため残っていたのだ。


 それでもリトにとっては大事な祖父の遺品。

 ヨルの言う通り一つだけでも残っていて良かったと思うことにした。


 元気を取り戻したリトを見て、にこにこしていたヨルが顔を引き締める。



「リト、しばらくは王都に来ない方がいいかも知れません。少なくとも数ヶ月は……」



 どうして?とリトが目で尋ねると、ヨルは続けた。



「近々、枢機卿の来訪があります」



 枢機卿。教皇に継ぐ権力を持つ者達だ。教皇を直接補佐し、聖騎士団を動かすこともある。



「視察を兼ねた巡礼だそうです。警備が厳重になりますし、聖騎士も何人か連れてくるとか……」


「分かった。ありがとう」



 リトが微笑むとヨルが肩に寄りかかってきた。


 花のような香りがする。


 リトは少し赤くなりながらもヨルの頭に頬を寄せた。



「次に……会えるのはいつになるんでしょうか」


「そうだね……」


「今年この丘に来れるのも最後になりますね……」


「そうだね」


「次の時にはもう雪が積もってますね……」


「そうだね。雪だるま作りに来よう」


「ふふ……一日ひとつ。並べていきましょう」



 二人で顔を見合わせて笑った。






 ヨルを送った後、しばらく顔を見れなくなるのでトルタスの店に行くことにした。



「今日という今日は許さん!!!」


「あーもー。うるせーなー」



 リトが店に入るとトルタスの怒鳴り声が響き渡った。フードを被った背の高い男と揉めている。

 トルタスが杖を振るうと、魔法で作り出した半透明な光る刃が空を切った。男はひょいひょいとそれを避ける。



「な、何してるんですか!?」



 リトが慌てるがトルタスは全く気付いていない。刃が次々と本棚に刺さっていく。

 男は面倒くさそうに避けて距離を詰めると、トルタスの襟首を掴んで杖を取り上げた。



「コレ!!!離さんか!!!」



 トルタスがキーキーと怒って拳を振り回す。



「あーあーもー。ほら客だぞ」



 クルリとリトの方へ向ける。トルタスはリトに気が付くと途端に大人しくなって拳を下げた。



「ああ、お前さんか。いらっしゃい」


「こんにちはトルタス。何してたんですか?本に刃が刺さってましたけど大丈夫なんですか?」



 リトが問うとトルタスは本棚を指さした。


 見ると本棚に刺さっていた刃はさらさらと崩れて消え、後には傷一つない本が残されていた。


 リトが驚いていると、トルタスが説明する。



「ワシの編み出した防護魔法がかけてある。一定以上の速度のもの防がれるようになっとる。」


「なんでまたそんなものを……」


「この親不孝者を追い出すためじゃ!!」



 と、フードの男を指す。リトはトルタスに子供が居たことにちょっと驚いた。



「ハイハイ出ていきますよー」


「コラ!そっちから出るんじゃない!!!」



 フードの男はリトの横でちょっと立ち止まると、ドアを開けて出ていった。






 トルタスの店で買った本をポーチに仕舞う。



 これでなにかヒントが掴めればいいんだけど……。



 ルナはまだ目覚めないままだ。

 以前トルタスの店で買った本はとても参考になって、オルガと一緒に色々と試してみたけどダメだった。


 物思いに耽りながらソフィの家への近道の路地に入る。すると、後ろから声をかけられた。



「おーいリトじゃねぇかー。元気してたかー?」



 フードを目深に被った背の高い男が歩いてくる。リトは振り向いてしまった後で思い出す。


 茶髪でメガネのリトを知る者は限られている。だがリトはこの男に覚えがない。



「誰……?」



 リトが一歩下がって訊くも、男は構わず進んでくる。



「俺だよ俺ー。忘れたのか?ひっでぇなー」



 リトが更に一歩下がろうとしたその時、男が目にも止まらぬ速さで横に来た。

 驚いたリトが身を引くと、男はフードを上げて顔を覗かせた。リトの目が驚愕に見開かれる。トンッと首に衝撃を受けた。



 ガクリと力を失ったリトを男が抱きとめる。



「おっとやりすぎてねぇよな?」



 リトの口に手を当てて、息を確かめると頷いた。リトが落としたメガネを拾うと楽しそうに赤い目を歪めた。






「そーれワシワシーッとなーっ」



 という妙なかけ声と共にガバガバと何か液体をかけられてリトは目を覚ました。咳き込んでいると暖かい液体が少量落とされわしわしと頭を洗われる感覚。



 なんだかいつか前にもこんな事があったような……。



 混乱していると更にガバガバと暖かい湯をかけられる。


 あんまりにも長く、何回も、執拗に、かけられて息が出来ない。苦しい。



「そろそろいいかなー?おっと悪ぃ悪ぃ。息が出来ねぇか」



 リトが苦しそうに顔を歪めてゲホゲホと咳き込んでいると声が差程悪いと思ってなさそうに言う。


 むしろ楽しそうだ。



「待ってろー今拭いてやるからなー」



 頭が痛い……。



 リトは酸欠で上手く働かない頭を巡らせた。



 何か大変なことがあったような……。



 今度は柔らかいタオルに包まれてゴシゴシと拭かれ始めた。



 微妙に痛い。



 リトが逃れようと藻掻くと片手で押さえつけて乱暴に拭く力を強める。



「よし!こんなもんか!」



 揉みくちゃにされてボサボサのリトを見下ろして声は楽しそうに言った。髪が丁寧に梳かれる感覚。

 体が持ち上げられてボスッという音と共に何か柔らかいものの上に放り投げられた。



「よっ調子どう?」



 男がリトを覗き込む。リトは目を彷徨わせた。



 霞んで見えない。



 だが徐々に目の焦点が合ってくるとそれに伴い、リトの表情が非常に険しくなっていった。


 ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて手を振る男は、リトが一番会いたくない人物、タソガレだった。


 リトは飛び退ろうとして、全く身動きが取れないことに気が付いた。驚いて見ると腕と、脚が二箇所縄でキツく縛られていた。



「もうちょっと嬉しそうな顔しろよなー」



 タソガレがヘラヘラして言う。椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。


 無理な話だ。



「なんで……」



 徐々に記憶を取り戻したリトが呟く。王都での帰り道、突然タソガレに襲われたのだ。



 どうしてこんなところにいるのか。どうやって王都に入り込んだのか。なぜ変装していたリトを見破ったのか。そもそもなぜリトの名前を知っていたのか。



 疑問が次々に湧き上がる。タソガレはそれを頬杖をついて楽しそうに見ていた。



「俺がお前のこと知ってんのが不思議か?夜の巣のリトくん」



 リトは驚愕に目を見開いた。



 夜の巣の名前は世間に知られていないはず。それをどこで知ったのか。



「まぁ、それは教えてやんねーけど。企業秘密だ」



 リトはタソガレを睨んだ。タソガレはニンマリして続ける。



「今、俺さぁ気分いーんだ。なんか聞きたいことあったら答えてやるよ?」



 リトはちょっと迷った。



 果たしてこの男に真面目に答える気があるのか。



「なんで僕のことが分かった?」



 迷った末、訊くことにした。



 少しでも時間を稼がなくちゃ。解決策はないけど。



 タソガレに見えないように手首を捻る。



「ああ、それな。声と匂いだよ。まぁそれも偶然だったけど。俺の日頃の行いのせいかなー」



 そんなもので判別できるなんてやっぱり頭おかしい。



 リトにとっては最悪な出来事だ。腕をグイグイと捻じる。なかなか固くて緩まない。



「どうやって王都に入ったんだ。さすがに門番もお前に気づくはずだ」


「おっとそれも企業秘密だ。なんでも答えるとは言ってねぇからな」



 リトは嫌な顔をした。タソガレはそれを見て楽しそうに笑った。



「ハハハそんなに嫌な顔すんなよなー。俺は神出鬼没なんだ」



 まずい……そろそろ質問が尽きる。



 必死に腕を捻じった。手首が擦れて痛いが少し緩んできた。



「ここはどこなんだ」



 リトが問うとタソガレはニンマリと笑って立ち上がった。リトが転がされているベッドに腰掛けると、耳に口を寄せて



「王都の端の連れ込み宿だよ」



 と吐息混じりに囁いた。リトは耳がゾワゾワして身を引いた。タソガレはその反応に満足そうに頷くと体を起こした。



「あれ?また説明しねぇとわかんねぇ?

 連れ込み宿ってのは男が可愛い女の子を連れ込んであんあん言わせる所だよ」



 リトは顔を強ばらせた。





 リトとタソガレが見つめ合う。


 尤もその表情は対照的で、タソガレは嬉しそうな愉悦の混じった表情で見つめ、リトは冷や汗を流しながら怯えの混じった表情で見つめていた。



「ぼ、僕の髪を元の色に戻したのはなんでなんだ?」



 リトはこれから起こることを少しでも先延ばしにしようと質問を絞り出した。するとタソガレはリトの髪を手に取って滑らせた。



「そりゃこっちの方が唆るからからな」



 こんな質問するんじゃなかった。



 俄然やる気になった様子のタソガレを見てリトは思った。タソガレがリトの上に屈みこむ。


 リトは緩くなった縄から強引に腕を引き抜いた。


 タソガレの頭を引き寄せ、思い切り頭突きをかます。



「いっ……てぇ……!!」



 タソガレが頭を押さえて仰け反った。リトは急いで起き上がった。


 腰を探るがポーチも魔銃もない。慌てて見回すと少し離れた棚の上にマントや、メガネと一緒に纏めて置いてあった。


 そちらに手を伸ばしたところで捕まった。ベッドから落ちて床に押し付けられる。



「ったく、すっげぇ石頭だね。お前」



 タソガレは背中に膝を乗せてそう言うと、リトの右腕を両手で掴んだ。右腕がミシリと軋む。



「ッ!!」


「こっちの腕。まだ万全じゃないだろ?また折られたくなきゃじっとしてろって。」


「嫌だ!!!」


「ああ、そう」



 タソガレはニヤリと笑って腕を握る手に力を込めた。右腕の骨がミシミシと鳴り、鋭い痛みが走った。


 リトが小さく悲鳴を上げる。


 タソガレは手を離すと、右腕を庇うリトの襟首を掴んで、少し広いスペースに引きずり出した。

 リトを床に転がすと、肌着ごと服をたくし上げる。リトが足掻くと再び膝で押さえつけた。



「いやー、いいね。

 従順なのより、嫌がるのを無理矢理捩じ伏せる方が何百倍も楽しいな」



 とプレゼントをもらった子供のようなウキウキした声で言う。



「このっ……!!変態っ!!!」



 リトは他に言い返す言葉が見つからなかった。



「褒め言葉って取っとくぜ」



 タソガレはそう笑うとリトの背中に舌を這わせた。下から上へ。ゆっくりと撫であげるように。ゾクゾクと怖気が走る。

 何とか反撃しようと必死になって、左手でタソガレのブーツを殴りつけると、掴まれて押さえ込まれた。

 首筋を軽く噛まれる。リトの皮膚が、わっと粟立った。

 死にものぐるいで足掻き、痛む右腕でも押しのけようとするが何せ体勢が悪い。左手が一瞬自由になるも、為す術なくすぐ捕まり更に強い力で押さえ込まれた。

 タソガレの手がするりとリトの脇を撫でて下へ降りて行く。


 絶望と、恐怖と、焦燥、羞恥が一緒くたになった感情が溢れてリトの目に涙が浮ぶ。タソガレはそれを凶悪な笑みを浮かべて舐めとった。


 そこでタソガレが突然ピタリと動きを止めた。何かを感じたのか、顔を上げる。


 次の瞬間バァアーーーンッッという音とともにドアが吹き飛んだ。誰かがゆっくりと入ってくる。



「んだよ……またお前かよー」



 タソガレがうんざりした声で言う。リトが顔を上げる。



「アカツキ……!!!」



 恐ろしい程に無表情なアカツキが立っていた。

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