第三十三話 焚き付けオルガ
「まぁ!本当ですか!良かったぁ!!」
テトラーナの部屋でリトはヨルにルナの事を話すと、ヨルは笑顔を綻ばせた。
「うん。今のところ前以上に元気だよ」
本当はヨルに合わせたかったが、ルナは以前街に一人で彷徨い出てしまった事があり、それ以降は鏡が通れないようにされていた。
今は無理でもこのまま順調に成長していけば、その内外にも出られるだろうという事だった。
にこにこするヨルを見つめて、リトも幸せだった。
するとその時、コホン、と咳払いがひとつ聞こえた。
「全く……ラブラブですね。
カティやエドワードがからかいたくなるのも分かります」
今日はオルガが着いて来ていた。
早朝、リトと一緒に朝市に出かけたからだ。今は、朝市の帰りにそのままヨルを訪ねて連れて帰ってきたのだった。
リトとヨルが赤くなる。オルガは顔中に笑みを広げた。
「この子が噂のヨルですか……。ふむふむ顔も可愛いし、性格も良い。
リトはいい趣味をしていますね」
などと自己紹介もまだなのにヨルの上から下まで目を走らせて呟く。
「ヨル、初めまして。私は夜の巣の医者、オルガと申します」
と手を差し出した。ヨルがその手を握ると、ガシッと両手で掴み
「所でヨル。うちのリト君はどうですか?」
なんて言い出した。リトは盛大に吹き出した。
「ちょっ……!オルガ!突然何を言い出すんですかっ!」
「可愛いですか?かっこいいですか?多少短慮な所もありますが頭もいいですよ?優しいですか?ヘタレですか?」
リトの言葉は届かず、オルガは止まらない。
「ちょっと物足りなくないですか?
もう付き合ってるも同然なのに未だキスのひとつもしていない。そんなあなたに朗報です。
この薬を一滴飲み物に混ぜればあら不思議。奥手なリトもたちまちオオカミに……」
「何を言い出すんだこのおしゃべりエルフっっ!!!」
とんでもないものを売り込みだしたオルガにリトはとうとうチョップを食らわせた。
「……痛いじゃないですかリト。何をするんですか。何を。
いいじゃないですか。奥手なあなたに代わって私はヨルに手ほどきを……」
悪びれもしないオルガにリトはもう一度チョップした。
大いに余計なお世話だ。
ヨルは目を白黒させていたがちゃっかり薬を受け取っていた。
「……ヨル?」
リトが見ると慌てて薬を後ろに隠した。
「なんでもないです!私はリトの優しい所もかっこいい所も沢山知ってます!別にちょっと手を出して欲しいだなんて……」
顔を真っ赤にしながら後ずさる。
そんなヨルも可愛いがここは心を鬼にしなくてはならないようだ。
「ヨル、それ、オルガに返そう?
いや、僕に渡して?」
オルガに返したってまた繰り返すだろう。碌なことにならない。
リトが笑顔で一歩踏み出す。ヨルはイヤイヤをする様に首を振りなが一歩下がった。
「ヨル……?」
リトがもう一歩踏み出す。ヨルは何度も首を振りながら「た、たまには……」とか「その、これは最終手段で……」などと言いながら退っていく。
そんな恐ろしい薬に頼らずとも大丈夫だと示さなければならないということなのか。
リトは天を仰ぎたくなった。そのためにどうすべきかリトの頭はとっくに答えをはじき出している。でも順番と言うものがある。出来れば穏便に済ませたい。
「ヨル、無駄な抵抗はやめるんだ」
悪役みたいな事を言いながら更に一歩詰め寄る。ヨルはまた退ってとうとう壁にぶつかった。
リトは素早く距離を詰め、壁際に追い詰めたヨルを逃がさないよう肩の横に両手をついた。
出会った頃はほとんど変わらなかった背も今ではリトの方がちょっと高い。ヨルが顔を真っ赤にしながら期待に目をキラキラさせてリトを見上げてくる。
やめて。そんな目で僕を見ないでくれ。
「ヨル……渡して?」
最終通告だ。
ヨルはリトから目を離さずふるふると首を振った。リトはヨルの顎を捕まえて唇を重ねた。
後ろで大きく息を飲む音がしたが気にしない。
しばらくして、そっと離すともう一度囁いた。
「それ、渡して?」
ヨルはゆっくり頷くと瓶をリトに手渡した。リトを見つめる目が熱く、潤んでいる。
それを見てリトは自分の行動を思い返し、恥ずかしくなった。腕で顔を隠す。
顔が熱い。火が出そうだ。
リトは本読みだ。こう見えたってそれなりに、割と、まあまあ知識は豊富なのだ。
オルガのニヤニヤとした視線が突き刺さる。
あぁ……後でなんて言われるやら……。
リトは薬をポーチに仕舞うとヨルを解放した。はぁー。と大きく息を吐いてしゃがみ込む。
オルガに焚き付けられた形で順番が前後してしまったが今言うしかない。本当はもっとちゃんと場を整えて言いたかったけど。
リトはもう一度深呼吸すると立ち上がってヨルを見つめた。ヨルはまだ壁に背をつけてちょっとぼーっとしていた。
「ヨル……?」
リトが呼び掛けるとハッと我に返った。慌てて居住まいを正す。
そんなところも可愛い。
「な、なんですか?リト」
「僕と付き合ってくれる?」
じっとヨルの目を見つめる。ヨルは金色の目をぱちくりさせた。五分経って、十分経った。
何か言い方がまずかっただろうか。そもそも告白する前にキスしたのはまずかったのだろうか。
リトがそう思い始めた頃にようやくヨルが反応した。花が開くように笑顔になる。
「……嬉しい……!えぇ!もちろんです!リト!!」
とリトに飛びついてきた。ギュゥッとリトに抱きついて頬ずりをする。リトもヨルを抱きしめ返した。
花のような香りがする。
「改めてこれからもよろしくね」
リトが言うと大きく頷いた。オルガの視線が突き刺さる。だがそれもそう気にならないほどリトも嬉しかった。
「いえいえ私の事はお気になさらずどうぞ続けてください。
ご馳走様です。本当はお邪魔者は退場した方がいいのですがそういう訳にもいかず……」
などと
ヨルはそろそろ戻って教会の仕事を手伝わなくてはならないからだ。
オルガはメガネを外し肌の色を白く変えて変装している。
「療養所ですか……。懐かしいですね」
療養所の方向を向いてオルガが呟く。
オルガは世界各地を旅していた。きっとテトラーナにも寄ったのだろう。今では表を堂々と歩けないオルガの胸中を思うとやり切れなかった。
夜の巣は……アカツキはそんな風に表を歩けなくなった者にもう一度日の目を見せてやりたいと思って戦っていると聞いたことがある。
そのためにはやはり現教皇とそれを取り巻く枢機卿や聖騎士団などともやり合わなくてはならない。
そのための戦力を少しずつ集めているのだ。
来るべき時、自分はヨルを巻き込まずにいられるだろうか……。
手を繋いで横を歩くヨルを見る。ヨルは視線に気が付くと顔をこちらに向けた。
「どうされました?」
「ううん。なんでもないよ」
その顔を見てモヤモヤとしていた考えは霧散した。リトはそう言って微笑んだ。
教会からの帰り道。朝市の名残のある通りへリトとオルガは向かった。
「私の都合に付き合わせて悪いですね」
「大丈夫ですよ」
オルガの買い忘れに着いてきたのだ。
「何を忘れたんですか?」
リトが問うとオルガはにっこりして
「ハルサの木の皮です」
と答えた。
ハルサの木とは葉や実は薬の材料に。木材は魔力を溜め込む特異な性質故に魔法道具等に使われる。人の手では増やすことの出来ない貴重な木だ。
乱獲を防ぐために、街で厳重に管理されている。その幹は美しい白い皮で覆われている。
その皮を何に使うのだろう?
「迷子追跡薬ですよ」
リトの疑問にオルガが苦笑しながら答えた。
オルガが言うにはハルサの木は魔力を内に溜め込んだり、周囲の魔力値が下がると吐き出したりと、調整する役割があるそうだ。
そのため、皮は魔力感知に優れるのだという。
内に溜め込む性質は世に広く知られているが調整役を担うことはあまり知られていないらしい。
「出る機会も、一度に出す量も少ないので来る時は毎回チェックしているんですけどね……。今回はうっかりしていました」
通りを足早に進んでいく。
「まだやってるといいんですが……。あ、見えました」
オルガが指さす方を見ると組み立て式のテントの中で店主が動いていた。
「おう、姉ちゃん。久しぶりだな」
近づくオルガに気が付くと店主は手を止めた。
「お久しぶりです。ハルサの皮は今回出てますか?」
リトはテントを覗き込んだ。
様々な生薬の匂いがするそのテントは奇っ怪な骨や、小動物の干物、薬草などで溢れていた。
地面の上に敷かれた布の上に広げられたそれらをリトは興味深く見ていた。
「坊主は姉ちゃんのツレか?」
いつの間にかオルガと話を終えていた店主が低い声でリトに話しかけた。リトは頷いた。
「ハルサの皮なんて通なもんを買いに来る姉ちゃんは立派な薬屋じゃねえか。しっかり学んで役立てろよ」
リトの事をオルガの弟子か何かかと思っているようだ。リトはしっかりと頷いた。
「……いい子だ。坊主、お前自分の髪色が嫌いなのか?」
唐突な店主の問にリトは驚き、硬直して身構えた。
「いや、答えなくてもいい。俺ぐらいになると髪を染めてんのかどうか見ただけで分かるようになる。
坊主、髪染めが落ちにくくなるやつやろうか?」
この髪色にする染め粉はリトが調合したものなのだが、実の所茶色の染め粉より落ちやすくて、ほぼほぼ毎日染めなくてはならないので困っていたのだ。
リトは大きく頷いた。店主はテントの奥へ行き白い干しぶどうのような実を一包み持ってきた。
「メルドゥの実だ。本来はこのまま毒消しに使うんだが、火で炙って粉々に砕いて染め粉を調合する時に混ぜるといい。
今回は試しで持って帰りな。金はいい」
リトが財布を取り出すと店主はそう付け加えた。リトは礼を言ってメルドゥの実を大切にポーチに仕舞った。
支払いを済ませたオルガと共に路地を通って部屋に戻る。オルガは上機嫌だ。
ハルサの木の皮を手に入れたからだろうとリトは思っていた。
しかし違っていたようだ。
「さぁ、リト。先程の薬を返してください」
部屋に着くとオルガがにこにこして振り向いた。今度はリトが首を振った。
あんな薬をオルガに返すなんてとんでもない。
するとオルガは顎に手を当ててわざとらしく言った。
「それは困りましたね……。もし返してくれないのなら……」
と言葉を切る。リトは嫌な予感がした。
「今日のリトのあーんな事やこーんな事の勇姿を皆にところ構わず触れ回ってしまうかも知れません……。ショックで、つい、うっかり、口を滑らせて」
リトは顔を引き攣らせた。オルガはにっこりしてポンとリトの肩に手を置くと続けた。
「まぁ、それもリトが私の薬を返してくださればそんなことは起こりません。返してくれますね?」
この悪魔!
リトは口から出かかった言葉を飲み込んで、ポーチから薬を取り出した。オルガはリトの気が変わらない内にサッと瓶を取り上げると再びにっこりした。
「ありがとうございます。ダイジョウブ、ダイジョウブ。使うことはありません……多分」
最後に何か聞こえた気がしたぞ。
見るとオルガは目を逸らして口笛を吹いた。
「さぁ、やることも済んだし、帰りましょう」
恨めしそうなリトの視線から逃れるようにオルガがタンスを開けて、二人は夜の巣に帰った。
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