第三十四話 危機

 リトは大きなため息をついた。



「おやおやー?どうしたのかなー?カノジョが出来たてのリトくん」


「熱い熱いキッスからの告白をかました覇気はきはどこに行ったのかなー?リトくん」



 朝食の席でリトはカティとエドワードに挟まれて頭を抱えていた。


 オルガは皆に触れ回るのは止める事にしたが、三日も経たず、カティに喋ってしまったのだ。


 当然、カティは誰かれ構わず触れ回り、リトの告白は夜の巣の周知の事実となっていた。


 それも事細かに、詳しく、詳細に。


 アカツキにオメデトウ。とカタコトで苦笑されながら言われた時のリトの心中は穏やかじゃなかった。

 オルガとカティへの呪いでいっぱいだった。



 こんな事なら薬を返すんじゃなかった……。



 リトは本気で後悔していた。



「僕と付き合ってくれるかい?ヨル?」


「ええ、もちろん!嬉しいわ!リト!」



 後ろでカティとエドワードが茶番劇を繰り広げているがリトは無視する事にした。


 ソーセージにケチャップを山程かける。



「なぁ、おい。次いついに行くんだよ」



 カティが隣に腰掛けてリトをつつく。



「そうだぞリト。くっ付いたばかりで間を空け過ぎるのは良くないぞ」



 エドワードが反対側の隣に腰掛けて追い討ちをかけた。



 まるで悪魔の双子のようだ。



「うるさいな。ヨルが次にテトラーナに来れる時会えたら会うよ」



 リトはソーセージに集中した。ヨルは今、王都に帰っているのだ。



「つまらん……つまらんぞリト!」



 エドワードがリトの肩に手をかける。



「そうだぜリト。そこは危険を犯してでも会いに行くって答えるべきだろ!

 そのためなら俺も全面協力を惜しまない。愛は障害があればあるほど燃えるのだ」



 カティもリトの肩に手を置いて熱弁した。リトは大きくため息をついた。






 昼過ぎ。

 ヨルは家路を急いでいた。両手には袋いっぱいの日用品を抱えていた。



 ――昼食後にヨルは若いシスターにこっそり呼ばれた。



「ヨル、悪いんだけどお使いに行ってくれない?

 昨日院長に頼まれてたのを買い忘れちゃってて。今から午後の集会でちょっと手が開かないのよ。お願い」



 ヨルはお願いに弱かった。

 素直に頷いたヨルにシスターはにっこりして、多めの駄賃とメモを渡す。



「余ったら好きに使っていいから。よろしくね」



 シスターはそう言い残して立ち去った。ヨルは部屋に戻るとフード付きのマントを手に取った。



「ヨル、お出かけ?」



 と同室の子供が目をクリクリさせて問う。この孤児院で一番歳の近い子だ。正確な歳は分からないがそれでも五つ程離れている。



「ええ、少しお使いに行くだけですよ」


「なーんだー」



 ヨルが答えると子供は口を尖らせた。ヨルは子供の頭を撫でた。



「帰ってきたら本、読んでね」



 と子供が言う。



「分かりました。待っててくださいね」



 ヨルはにっこりしてフードを被った。



 ――シスターも分かっていただろうがヨルの足は遅い。だが一番最年長でしっかりしているヨルに頼むしかなかったのだろう。



 集会が終わるまでに帰れるだろうか。

 吐く息が白い。今日は雪が降るかもしれない。



 そう思って空を見上げると空はどんよりと厚い雲に覆われていた。冷たい風が吹いた。フードが落ちそうになって慌てて押さえる。


 ふと、気が付くと近く路地に人が這いつくばっていた。



「大丈夫ですか?」



 ヨルが駆け寄るとその人はしゃがみ込んで何かを探しているようだった。



「ああ、うーんと……ちょっと落し物しちまって。探してるんだ」



 と地面を探る。


 ヨルは買い物袋を脇に置いて近寄った。側に一緒にしゃがみ込む。



「一緒にお探ししますよ。何を落とされたんですか?」


「ああ、ありがとう。でも、もう見つけたよ」



 とその人はヨルの腕を掴んだ。咄嗟に身を引こうとしたが強い力で引き寄せられる。



「だれ――」



 か、と叫ぶ前に口を塞がれる。黒いコートのフードを被ったその人はヨルを抱え込むと耳元で囁いた。



「あんまり暴れんなよ。力加減が難しいんだ。壊しちゃ台無しだからな」



 首に衝撃を受けてヨルの意識は途切れた。






 フードの男が力を失ったヨルの体を小脇に抱えると一拍空けて路地に男が飛び込んできた。


 冒険者風の男はヨルを抱えたフードの男に対峙して拳を構えた。



「お前……!何をしている!その子を離せ!」


「ああ、来たきた。お疲れさーん。」



 フードの男は別段慌てるでもなくヘラヘラと手を振った。


 冒険者風の男はあっという間に距離を詰め、フードの男に肉薄すると顔面目掛けて拳を振るった。フードの男はヨルを抱えているにも関わらず、ヒョイヒョイと軽い調子で避ける。


 冒険者風の男が蹴りを放つとフードの男は屈んで避けて大きく飛び退った。冒険者風の男はそれを追って段々と路地の奥に誘い込まれて行く。

 十字路に差し掛かった時、フードの男が背を向けて逃走した。冒険者風の男がそれを追う。するとフードの男は地面を蹴って冒険者風の男の頭上を宙返りしながら飛び越えた。



「は……?」



 冒険者風の男が振り向く間もなくフードの男の蹴りが頭に叩き込まれた。崩れ落ちる冒険者風の男にフードの男が言う。



「ああ、リトに一人でこの前アイツ攫った時の路地に来いって言っといて。他が来たら殺すってな。

 待つのはそうだな日が沈むまで。

 ま、それまでにお前も起きるだろ」





「っっどうしてっ!!!」



 繋ぎの間でリトが激昂して叫んだ。今にも飛び出さんばかりのリトを、ギリギリと羽交い締めしたままアカツキが言う。



「少し待て、と言ってるんだ。今はカティが居ない。お前一人が行けば奴の思うままだ」



 先程アカツキにヨルがさらわれたと緊急連絡が入った。そしてその場にリトがいたのがまずかった。


 即座にアカツキが捕まえて今の膠着こうちゃく状態に至る訳だがアカツキがジリジリと押されている。


 リトが激しく藻掻く。アカツキは強く押さえ込んだ。他に応援を呼びに行くことすら出来ない。



「アイツが!ヨルを!攫ったんだ!!

 日が沈むまで!確かにそう言った!時間がない!!」



 リトが身を捩りながら叫んだ。



「だから少し待てと言っている。

 今、ルシウスを呼ぶ。姿を隠して俺が着いていく。頭を冷やせ!」



 アカツキは珍しく声を荒らげた。



「それがバレたらどうするんだ!

 アイツの五感は異常だ!!ヨルに危険がっ……及ぶっ……だろっ!!!」



 リトがとうとうアカツキを振り解いた。


 赤い扉から飛び出して行く。


 アカツキは荒く息をつきながらポーチから紙を取り出して燃やした。しばししてルシウスが現れる。



「ヨルが攫われた。姿を隠す必要がある。直ぐに準備してくれ」



 ルシウスは黙って頷いた。






 ペシペシと頬を叩かれる感覚でヨルの意識は浮上した。



 寒い……。



 床から這い上がる冷気に身を震わせた。



「おーい、生きてるかー?」



 ゆっくりと目を開ける。少しぼやけた視界を瞬きで払った。



「おっ、おはよぉさん」



 覗き込んでいる顔を見てヨルは驚いた。



「アカツキさん……?」


「いいや、違うよ。俺はタソガレ」



 タソガレはヨルと目を合わせてニンマリとした。瞳が赤い。

 ヨルは身を起こそうとして、頭に痛みが走って動きを止めた。



 タソガレ……以前、リトを攫った人。



 段々とハッキリしてきた意識に記憶が蘇る。路地でタソガレに捕まったことを思い出す。


 ヨルはタソガレを睨んだ。



「そんなに睨むなって」



 タソガレはヘラヘラと笑って立ち上がった。

 少し離れた所にあった重そうなソファを軽々と引きずって来る。ドスンと音を立ててヨルの目の前に置くと腰掛けた。



「お前もリトも気が強いね。今、自分がどういう状況か分かる?」



 ヨルはそう言われて初めて自身の状態を確認した。手足を縛られて床に転がされている。


 部屋に目を走らせるとタソガレは入口を背にヨルの前に腰掛けていた。


 床には薄くホコリが積もっている。


 何処かの家のようだが、この部屋にも、隣室や上階にも人の気配は無かった。



「……。どうして私を攫ったのですか?」



 答えは分かっているが聞かずにはいられなかった。



「ん?そりゃリトを呼び出すためだよ。お前あれだろ?

 リトのカノジョ。

 茶髪メガネのリトで情報集めたらすぐ分かったぜ。俺の情報網も中々のもんだろ?

 いやー、なかなか一人になってくんなくて困ってたんだわ」



 タソガレが頬杖をつきながら言った。ヨルは胸が痛くなった。



「ここはどこですか?」



 ヨルは少しでも情報を引き出そうと質問した。



「王都の空き家」



 タソガレは真面に答える気が無さそうだった。



「何故そこまでリトに執着するのですか?」



 ヨルが質問を重ねるとタソガレは黙ってヨルの長い髪の毛を一束手に取った。


 もてあそびながら思案する。



「んー、アイツはさぁ……顔も可愛いし、髪も綺麗だし、好みなんだよね。

 それにさぁ、俺はどうも邪魔されればされるほど燃えるたちみたいなんだわ」



 とニィっと口の端を吊り上げた。ヨルはサッと青ざめて顔を顰めた。


 タソガレは立ち上がると頭上に回り込みヨルの顎を強い力で掴んで持ち上げた。



「お前も珍しい髪で可愛い顔してんだけど、弱いんだよな。お前、魔力かなり低いだろ?」



 ヨルは手を振り払おうとしたがビクともしなかった。頬が痛くなってきた。



「リトの何よりいい所は俺が無茶苦茶してもすぐ壊れねぇとこだな。」



 と言いながらヨルから手を離すと今度は足元に回り込み、いきなりなんの躊躇いもなくヨルの足を踏みつけた。


 嫌な音を立てて足があっさり折れた。ヨルの叫び声が長く響いた。



「ほら、脆いだろ」



 涙を流しながら歯を食いしばって痛みに耐えるヨルを足で転がす。タソガレはニンマリと笑ってヨルを覗き込んだ。



「いいね。美人が苦しんでるのはなかなかそそるな」



 と言いながら今度は腕に足を乗せる。ミシミシと腕が音を立てた。


 激しい痛みに襲われてヨルの口から悲鳴が漏れ出る。


 その時、ドアが激しい音と共に吹き飛ぶようにして開いた。涙に滲んだヨルの視界に真っ白な髪が飛び込んできた。






 入口を背に立つリトに二人が顔を向ける。



「リ……ト……」


「おー、来たな。遅せぇからちょっと遊んじまったよ」



 息も絶え絶えなヨルと愉悦に歪んだ顔のタソガレ。


 激しい怒りがリトの顔を鬼の形相に変えていた。



「離れろ……」



 リトは怒りに震える声を絞り出した。


 タソガレはヘラヘラと笑ってヨルの腕に更に体重をかけた。ヨルが小さく悲鳴をあげる。


 リトの髪が怒りで逆立った。風もないのにマントが巻き上がり、部屋の家具がガタガタと音を立てて揺れ始める。

 ドアの蝶番が耐え兼ねるかのように壊れた。


 リトが今にも飛びかからんとした時、タソガレがいつの間にか手にしていた短剣をヨルの喉元に突きつけた。リトに命令する。



「武器を捨てろ。ポーチもな」



 リトは怒りに戦慄わななきながら腰から魔銃の差さったベルトとポーチを外して床に叩きつけた。



「メモ読んだよな?ちゃんと回収して一人で来たか?」



 タソガレがリトの背後を確かめるように首を伸ばした。

 リトはポケットから言われた地点に貼り付けてあったメモを取り出すとビリビリと破り捨てた。



「一人で来た!ヨルを解放しろ……!!!」



 リトがギリギリと歯を食いしばりながら声を絞り出す。



「よしよし。

 じゃあ、これを飲め。そしたら解放してやるよ。約束だ」



 タソガレはヨルに短剣を突きつけたまま、自身のポーチから何かを取り出すとリトに投げて寄越した。


 リトが片手で掴む。見ると薄く色のついた液体が片手に余るほどの大きさの瓶を満たしていた。


 リトは怪訝そうな顔をしてタソガレを見た。



「早く飲めよ」



 タソガレがニンマリと笑ってヨルの喉に短剣を食い込ませる。ヨルの白い肌に一筋血が流れた。


 リトは素早く瓶を開けると一気に飲み干した。


 そしてそのまま派手な音を立てて盛大に倒れ込んだ。ヨルは今度こそ悲鳴をあげた。



「リト!?リト!!リト!!!一体何を飲ませたの!?」



 ヨルが呼びかけてもリトはピクリともしない。タソガレは軽薄な笑みを浮かべて短剣を仕舞うと答える。



「心配すんなってただの睡眠薬だよ。

 高位魔力者が丸一日意識が飛ぶヤツ。の、原液。

 ま、せいぜい10日かそんくらいだろ。気がついた時にゃ遥か遠くの異国の地かもな。」



 そう言うとヨルの腕を踏みつけて折った。ヨルが声にならない叫びを上げる。


 タソガレは痛みに喘ぐヨルを跨ぐとリトに近寄ってロープを取り出してぐるぐると厳重に縛った。



「こ……国外に出るつもりなの?」



 ヨルが必死に問う。タソガレはヘラヘラと笑って



「そ。何処かは教えねぇよ」



 と碌に取り合わない。ヨルは唇を噛み締めた。



 何とかして時間を稼がなくちゃ。アカツキさんなら来てくれるかもしれない……。



 そう思って口を開いたヨルに、いつの間にかまた近くに来ていたタソガレが猿轡を噛ませた。



「!」


「悪ぃなー。お前とももうちょっと遊んでたいけどこっちも急ぐんだよ」



 そう言ってタソガレはリトを連れて出ていった。


 ヨルはそれを絶望の面持ちで見ていることしか出来なかった。

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