第六十五話 リト、とんでもない誤解を受ける

「さて、さて、さて」



 狭い部屋のなかオルガはツカツカとベッドに近づいてくるとリトの顔を覗き込み、にーっこりと笑った。



「ずぅーーーい分とお久しぶりですね?リト?」



 うっ



 オルガに痛いところを突かれた。


 生活能力はもう一人前。帰ろうと思えばいつでも帰れた。


 だが、休日の一日は一週間の買い出しと、もう一日はアルと過ごすのに夢中になったり気が気でなかったりで延び延びになった挙句。



「三ヶ月ですよ三ヶ月。その間一回も帰って来ないなんて酷いじゃないですか」



 オルガがヨヨヨ……と泣くフリをする。



 やめて欲しい。変な誤解を招きそうだ。



「おい、お前こんな綺麗な人泣かせるなんて何したんだよ」


「私達の仲ですのに……」


「どんな仲なんだ!?」


「手取り足取りあーんなことやこーんなことまでした仲なのに」


「おい!お前まじふざけんなよ!」



 悪ふざけでノリノリのオルガのせいでアルは完全にリトとの関係を疑い始めた。



「お前がそんなヤツだったなんて見損なったよ!

 オレなんか居たこともないのに!」



 違うそうじゃない。



 とうとうアルは完全に誤解してリトをガクガクと揺さぶり始めた。



 —やややめめめ—



 リトは制止しようと試みるがガックンガックン揺れる視界でまともな文字が書ける筈もなく……。



「ぢ……が、ぅ……」



 なんとか声を絞り出した。リトが咳き込んだのでアルの手が止まる。



「大丈夫か?」


「おやリト、声が出るようになってきましたか。ちょっと失礼」



 そうやってオルガはリトの手を取り潜った。

 オルガの背後ではアカツキが結界への登録をすると説明し、ナイトの部屋へ他の皆を誘導していた。


 リトとアルの後ろではジルベルトが肩を揺らして笑っていた。



 —オルガの悪ふざけだ。

 彼女は僕らの「家」の夜の巣の医者だよ。僕とはそれ以上でもそれ以下でもないー



 リトは反対の手でさらさらと宙に文字を書いて弁明した。



「随分と冷たいじゃないですかリト」



 診察を終えたオルガが薬をくわえながら少しむくれる。



 確かにそれではあんまりかもしれない。



 オルガは火をつけぷかぷかとタバコのような薬をふかし始めた。



 —強いて言えば……お母さん?—



 以前夜の巣でリトと一番歳の近い仲良しのカティがオルガとアカツキをセットにして「ケンカップル夫婦」としょうしていたのを思い出しながら付け加えた。



 現にルナには「ママ」、「パパ」と呼ばれているのだし。



 その言葉にオルガがブフーッと煙を吹き出した。



「そこは優しいお姉さんでしょうが!」


 —オルガに優しい姉ってイメージは抱けないですよー


「今度こそ酷いですよ!」



 リトとオルガの攻防にアル達兄弟は笑い転げていた。





「コホンさて、と。改めて自己紹介を。

 我々アカツキ一味のアジト「夜の巣」の医者を務めているオルガと申します。

 あなたがジルベルトですね」



 オルガはそう言うなりピッとジルベルトの額に指を当てた。



「三十八度七分。結構なお熱ですね。横におなりなさい。

 それにあちこちの傷、特に失くした腕の傷の治りがよろしくない。

 話に聞いた呪いの影響でしょう」



 アルとジルベルトが目を丸くする。



「そ、それだけで全部分かるんすか?」


「詳しくはきちんと潜ってみなければなりませんが、私程の腕となればこのくらい朝飯前です」



 オルガが得意げにフフンと胸を張る。



「結界への登録には少々体力を使います。あなたは少し治療を進めてからにしましょう。」


 —僕の時はどうしたんですか?—



 リトはルナとアカツキに出会った直後気絶し、目覚めたら夜の巣のベッドの上だった。そして気がついた時には登録されていた。



「ああ、あなたは緊急用の転移紙で帰って来たので。

 粗方治療を終えたらすぐ体力は回復していましたから寝ている間に済ませました」



 そうだったのか。



 オルガがジルベルトに手を当て治療をしながら話し続ける。



「時にリト、あなたの喉はとっくに治っています。

 今までずっと麻痺して声帯を動かせなかったようですがようやくマシになってきたと言ったところです。

 後はリハビリあるのみ。不便でもできるだけ声で話しなさい。これは没収いたします」



 とリトから空中ペンを取り上げてしまった。



 お守り代わりに持っておきたいのに。



 取り返そうとするリトをひょいひょいと片手でかわすオルガが突如ニンマリと顔中に笑みを広げた。



 嫌な予感がする。



「そうそう。可愛い可愛いルナとあなたの可愛い可愛いヨルが「連絡の一つも寄越さない」と泣いていましたよ」



 またしても痛いところを突かれた。

 リトは青くなる。


 夜の巣から出られないルナはともかく、ヨルには前特別休暇で帰った後しばらく……ひと月くらいは週一で手紙をだしていた。



 しかし元から筆無精なのと目隠し訓練での疲れ、それにアルと出会ってから忙しくなり、すっぽかしていた。



「リトは酷い男ですねえ〜可愛い可愛い女の子二人を放ったらかしにして。彼女なのに」



「ウッソだろ!リトお前えええ!

 カノジョいるのかよ!?居ないと思ってたのに!それに二人も!二股か!?

 しかもそれを三ヶ月放っぽってたとか良いご身分だな!今度こそ見損なったぞ!」


「ぢがっ……」



 ヨルが彼女なのは確かだし放ったらかしにしていたのは事実だしルナにも何もしてあげていなかったのも事実だ。

 事実なのだが待ってほしい。



 二股は違う。ルナは五歳児、恋人にするだなんてとんでもない。それに自分はそんな不誠実なことはしない。



 アルがリトの襟をギュウギュウに締める。



 こんがらがった状況を短い言葉で説明するのは難しい。困った。オルガはニマニマと楽しそうに笑っている。



 こんな状況になるのが分かっていてペンを取り上げたなこのお喋りエルフ!



「る、な゛……は、いも゛、ど……」



 リトはせめて二股の汚名だけは拭うべく声を絞り出して必死に首を締めるアルの手をタップした。



 それにしてもアルは女の子が絡むとやけに怒りっぽいんじゃないか。



「妹?ルナは妹って?

 なんだ、二股じゃあないのか」


「血は繋がってませんけどね」



 オルガが茶々を入れるがなんとか汚名は注げたようだ。



「る゛な……五ざ、い」


「五歳?それなら確かに妹だな」


「さあてどうだか……」



 アルが納得してくれてホッとしていたリトに聞こえるか聞こえないかの声でオルガが呟いた。



「それにしても彼女三ヶ月も放ったらかしにしてるのは酷いぞ。すぐ手紙でも出してやれよ」


「ゔん」



 リトが肩を落として誠心誠意ヨルに謝ろうと心に決めたその時またしてもオルガが横槍を入れてきた。



「何も手紙の必要はないでしょう。あなたが行けばいいじゃないですか。

 明日はお休みでしょうが」


「あ゛」



 すっかり忘れていた。



「そういうところですよ。愛想尽かされる前に会いにお行きなさい。ヨルは今王都に居ますよ」


「うわー!王都いいなあ!行きてー!」



 アルが地団駄を踏んで悔しがった。



「行けばいいじゃないですか。あなたも上で登録してくれば済む話ですよ」


「マジか!」


「ジルベルトの治療はこのまま行いますので寝る所もないでしょう?もう明け方ですが。

 帰って少し休んで昼頃にでも王都へ向かえばいいのではないですか」



 とオルガがにっこり優しく微笑む。リト達を優しく労るような言葉と微笑みだ。



 優しい、微笑み。

 だがその微笑みがとてつもなく怪しく見えるのは何故だろう。



「行こうリト!」



 アルが弾んだ声でリトの手を引く。それをジルベルトが引き留めた。



「アル、少し待て」



 そして制するオルガをして体を起こし深々と頭を下げた。



「ジル、べるド、ざん?」


「ジルでいい」



 ジルベルトがふっと笑う。



「我々は君に酷い仕打ちをしたにも関わらず君は俺達を最後まで説得し、受け入れ、更に俺の呪いまで解いてくれた。

 感謝してもしきれない。申し訳なかった。そして、本当にありがとう」


「ぼぐ……は……ア゛ルに、出会え、たがら」



 アルというかけがえのない友達を得た。それだけで充分だ。


 リトはにっこりと笑った。






 ナイトの部屋に行くとアカツキと夜の巣の複雑極まりない結界の全てを担っているルシウスが待ち受けていた。



「皆はどうしたんすか?」


「ひと足先に帰らせた。今頃エルが案内している筈だ」



 アルが訊ねるとアカツキはぶっきらぼうに答えた。



「なあ、あの人俺達に怒ってる?」



 ルシウスが準備する間にアルがひそひそとリトに囁いた。リトは笑って答える。



「いい゛か、だは、ああ、だげど……アガヅキ、は、やざじい、よ゛」



 リトも囁き返した。



 少し声量を落とした方が喋りやすいかもしれない。


 ちなみにあの後オルガはペンを返してくれた。「もしものことがあってはいけませんからね」と。



 やはり確信犯だったようだ。あのお喋りエルフは。



「此処に立て」



 と準備ができたのかルシウスが声を掛けアルを魔力で描かれた魔法陣の上に立たせた。



「手を出せ」



 アルが素直に手を突き出す。



「あいたっ」



 ルシウスは何も言わないままアルの親指をナイフで刺した。そして自分の指も傷つけ擦り合わせる。



「うわ、なんか変な感じする」


「ルシウスと一時的に魔力を交換したからな。少しの間倦怠感が続く。酷いようなら寝て休むことだ」



 アルが思わず声を上げると言葉が少なすぎるルシウスに変わってアカツキが説明した。



「これで終いだ」



 ルシウスが指を離し、ハンカチで血を拭う。指の傷はすでに塞がっているようだ。さすがプラチナブロンドの高位魔力持ちなだけある。



「ひゃい」



 アルはまだ血の出ている指を咥えながら返事した。



「行っていいぞ」



 アカツキの言葉にアルが恐る恐るタンスに潜り込む。リトも続こうとしたその時、アカツキがポンと肩に手を置いた。



 なんだろう?



「その……あまり拒否してやるな」


「?」



 アカツキにしてはなんだか歯切れの悪い物言いを疑問に思いつつ頷いてタンスを潜る。


 五色の扉と茶色い扉の浮く繋ぎの間に降り立ったと同時に誰かが飛びついてきた。



「リト!お帰り!」



 美しいプラチナブロンドをツインテールに結んだ十二歳くらいの少女がリトの頬にキスした。



 誰!?



「えへへ、びっくりした?ママがね、こうしたらリトが喜ぶって教えてくれたの!」



 奥でアルがあんぐりと口を開けている。

 リトも驚きでしばし固まっていたが少女の碧の瞳と顔立ちには見覚えがあった。



「る゛……な……?」


「そうだよ!

 わぁっリト、声が戻ってきたんだね!良かった!」



 ルナはリトにギュッと抱きついた。その頭の位置がリトの首元ほどもある。リトは愕然としていた。



 この三ヶ月の間に何があったんだ!?



「私ね!リトが行っちゃった後、すぐまた長い時間眠っちゃったんだって。

 でもね?起きたら大きくなってて前より成長速度……?もずっと遅くなってもう落ち着くはずだってママが言ってたよ!」



 体に支障がないのは何よりだがあまりの出来事に頭が追いつかない。一人称まで変わってる。



「後ね、うふふ。

 私、もうお外に出てもいいんだって。ママの変装のお薬飲んだら。

 だからね、リトが帰ってきたら初めてのお出かけしたいなって思って取っといたの。

 明日……もう今日だね。お昼に一緒にお外行こ?ダメかなあ?」



 相変わらずの愛くるしい顔で眉を下げる妹にリトはダメなど言えなかった。



「あ゛した、よ、ル゛のとこに……行ぐから、い゛っしょに゛……行く?」


「行く!わぁーい!」



 ルナは両手を上げて喜んだ。こうして見ればまだ言動は幼ざ残している。



「ふあぁ〜ママが出掛けてからずっと起きてリト待ってたの……眠たくなって来ちゃった。朝までもう少し寝るね」



 リトがこくりと頷くと



「じゃあおやすみなさいリト、だーいすき!」



 ルナはめいっぱい背伸びすると再びリトの頬にキスした。仰天したリトは初動が遅れ避けられなかった。



「る、ルナ゛、こう、ゆうこど、は……」


「おやすみなさ〜い」



 リトが注意しようとした時には既に遅く、ルナはドアを閉めてしまった。


 パタンという音でアルが我に返り



「誰が五歳児だこの浮気野郎ー!!!」



 リトの頭をスパーンと思い切り叩いた。



 今理由を一緒に聞いてたはずなのに!



 その後もリトは理不尽にポカポカ殴られたのだった。

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