第四十九話 逃走劇

 駅の外に出ると通りの人々が何事かと駅を見ていた。

 リトはエルの手を引いて走った。エルは時々足をもつれさせる。


 人通りのない路地を選んで駆け抜ける。薄暗い倉庫の裏でようやく足を止めた

 。

 エルが荒い息をつきながら一言。



「そ、うこ、の……中に、入った、方が……いい」



 息も絶え絶えに言った。


 人がいないのを確かめ、エルを待たせて倉庫の鍵を調べる。巾着から針を取り出して、素早く鍵を開けた。

 ドアを開け、エルの手を引いて中に滑り込む。急いで元通りに鍵を閉めた。


 薄暗い倉庫の中を進む。食品庫だろうか。大きな木のコンテナがたくさん積んである。


 その内の一つに足をかけて登り、エルを引っ張り上げた。


 あまり長くはいられないがエルを少し休ませなくてはならない。

 なんせ今、エルは大魔法を使ったばかりな上、魔力の枯渇による発熱と悪寒に襲われているのだから。


 カタカタと歯を鳴らして震えるエルの背中を擦った。着のみ着のまま身一つで逃げ出してきたので温めてやることも出来ない。


 唯一の救いはこの街が冬なのにあまり寒くないことだった。



「こ、この街周辺……の村まではね、大規模な、魔法陣結界が、と、特殊な方法で、描かれていて……冬が、来ないんだ。」


「冬知らずの街……」



 祖父の話に出てきたことがある。



「そう。上空は雪が、降る様な気温でも、雨に変わるんだ。」


「エル、少し休んだ方が良いんじゃないですか?

 僕が見張ってます」



 リトがそう言うとエルは頷いた。



「そ、そうしようかな……。ありがとう。ヨ、ヨイヤミに、連絡を……」



 リトが頷くとエルは横になって直ぐに寝息を立て始めた。リトは周囲を見回し、箱から箱へとを歩き回った。


 倉庫の片隅にじゃがいもの入った袋を見つけた。近くの箱の中にじゃがいもを移して、持って帰る。



 折り畳んでエルにかけた。無いよりはましだ。



 再び横に座り、ブーツから巾着を取り出す。巾着を漁って指輪を取り出して、指に嵌めて魔力を通した。



「リトです。攫われて今、エルと一緒にイスタルリカの大通りから北側を逃げ回ってます。

 助けて……」



 祈るような気持ちでハッキリと声を出す。だが最後は掠れてしまった。


 指輪はサラサラと崩れて消えた。






 十分程してエルを揺り起こす。


 もう少し休ませてあげたいけど移動しなければ危険だ。



 駅の騒ぎはどうなっただろう。



 エルが目一杯魔力を込めて壊した魔導人形はしばらく暴走して、取り押さえるのにかなり時間がかかるとのことだった。追っ手も取り敢えず魔導人形を片付けなくてはならなくなるため時間が稼げるという作戦だ。



「エル、エル。起きてください。移動しないと……」



 エルは直ぐにムクリと体を起こすと目を擦った。



「そうだね。なるべく、遠くに、行こう。」



 ぶるりと大きく身を震わせる。リトは少し迷って袋を持っていく事にした。


 少しドアを開けて人が近くにいないことを確認する。


 安全を確かめた後再びエルの手を引いて歩き出すと、鼻先にポツリと雫が当たった。

 空を見ると暗い雲がかかり雨がぽつぽつと降り出した。



 ついてない。泣きっ面に蜂とはこのことだ。



 二人は駆け出した。


 しばらくすると雨はザアザア降りになり、二人はびしょ濡れになった。並んで袋を被って走り続けたがあまり役にたたなかった。エルはガタガタ震えている。



 このままでは非常にまずい。

 どこか空き家でも見つけて温まらないと。



「僕に、土地勘が、あったら、よ、良かったんだけどね」



 エルが言う。



「外に出たことがなかったんですか?」


「ああ、閉じ込められてた」



 リトが問うと、エルは苦虫を噛み潰したような顔をした。



「イスタルリカは、メ、メルに、決して許されない事をした。僕は、アイツらを許さない」



 そう言うエルの目は暗い。



 エルとイスタルリカ家の確執は思った以上に深そうだ。



 路地を縫うように走り続けて北へ進む。時々通りを横切らなくてはならなかったが、幸いなことに雨のお陰で人通りは少なく、出くわした人もみんな傘を差してあまり周囲を見ていなかった。


 しばらく進むと、住宅街らしき場所に出た。リトはエルを待たせて窓を覗いて回った。


 その中の一つに床に薄く埃の積もった空き部屋を見つけたためエルと共に正面へ向かう。

 建物の廊下を進み、鍵を開けて中に滑り込んだ。ドアを閉めると二人は服を脱いで絞った。


 水を吸ってすっかり重たくなった服からは大量の水が出た。


 部屋は幸いなことに家具が備え付けで、ベッドもあった。先住人の忘れ物でも無いかと棚を開けて回る。

 部屋の片隅のカゴにブランケットが一枚残されていた。



 よかった。これでエルを少し休ませられる。



 椅子に濡れた服を掛けて円形にしてその直ぐそばにベッドを持ってくる。


「エル、これに包まって少し寝てください。

 今のままじゃ本格的に体を壊してしまいます」



 とブランケットを手渡す。



「レ、レノくんも、休まなきゃ……」



 しかしエルはそう言ってブランケットを返そうとした。



「僕はまだまだ大丈夫です。魔力が限界突破してるのは伊達じゃありませんから」



 そう言って笑って安心させようとする。


 エルはしばらくごねたが、結局リトに無理やりブランケットにきっちり包まれて、ベッドに放り投げられると大人しくなった。



「……ありがとう」



 エルが何度目か分からない礼を言う。



「おやすみなさいエル。

 雨が弱まるまでしばらくここにいましょう。ゆっくり休んで下さい」


「うん。お休み」



 エルは直ぐに寝息を立て始めた。


 リトは椅子の中心の床に座ると膝を抱えて手のひらを上に向けた。宙の一点を凝視する。



「ファイアーボール」



 一言唱えると手のひらより少し大きいほどの火球が現れた。瞬きをしても途絶えないように意識を集中させた。






 ——一日前。



「ううー、お、お腹痛い。腰が痛い、頭も痛いわ」



 メルがベッドの上で呻いていた。エルが優しく腰をさすってやる。



「痛み止めは?」


「飲んだけど効かないのよ」



 メルの顔色は悪い。



「毎月ながら酷いねぇ。何か欲しいものはあるかい?」


「ない。昨日から碌に寝れてないから酷い気分だわ……」



 エルは立ち上がりキッチンへ行った。戸棚を開けていくつも並んだ薬草茶を吟味ぎんみした。

 しばらく眺めていたが良いものが見つからず戸棚を閉めて二階の研究室へ向かう。


 ゴタゴタ積まれている実験器具や、工具、怪しげな薬の入った瓶の並ぶ棚を避けて薬草棚へ。


 ガサゴソと漁って目的のものを取り出す。


 ポトルの葉だ。血行をよくして体を温め、痛みを和らげる効果がある。他にも安眠効果やリラックス効果のある薬草を幾つもチョイスして薬研で砕いた。


 エルは特製ブレンド茶葉を持ってキッチンに戻ると、水を入れるとすぐに湯が沸くポットでお茶を入れた。


 独特の甘い薬草の匂いが広がる。頃合いを見てカップに注ぐと再びメルの枕元に立った。



「メル、これ飲んでみてぇ。配分を変えてみたんだ。少し楽になるかもしれないよぉ」


「ん。ありがと」



 メルはムクリと体を起こすとベッドの上でお茶を受け取った。ふーふーと冷まして一気に飲み干す。



「んーちょっと楽になったかも……」



 しばらくしてメルが言う。



「そりゃぁよかった〜」



 エルはふにゃりと笑うと今の配合をメモしようと紙とペンを取り出した。書き込もうとしたところで、インクがないことに気がつく。


 確認するとコルナの材料も、食べ物もない。



 しょうがない買いに行くか。



「メル、ちょぉっと悪いんだけど買い物に付き合っ……」



 そこまで言って振り向くとメルはすうすうと寝息を立てて眠っていた。



「昨日寝れなかったって言ってたもんねぇ」



 エルはメルの頭をそっと撫でて、布団をかけた。鍵を持って外套を羽織る。



「それじゃぁ、少し出てくるよぉ」



 小さな声でそう言うと鍵を閉めて出ていった。






 メルが目を覚ましたのは次の日の朝だった。


 ぼーっとした頭で時計を見る。お茶の効果か、体調はまずまずに落ち着いていた。



「ずいぶん寝ちゃったわね……寝すぎだわ」



 洗面台に立って顔を洗い、髪を梳かして寝癖を直して、ツインテールに髪を結ぶ。


 この髪型をするとエルが喜ぶのだ。


 そこでふと思い出す。



「エル?」



 そういえば起こしてくれても良かったのに。



 研究にでも没頭しているのか。エルは度々そういったことがある。



「エルー?」



 呼びかけてみるも返事はない。



 おかしいな。いつもだったら直ぐ気がついて「後で」とか、「もうちょっとぉ」とか生返事があるのに。

 よっぽど熱中しているのだろうか。



 二階へ上がる。研究室のドアをノックした。



「エールー?」



 呼びかけて返事を待つ。中からは物音ひとつもしない。



 寝落ちてるのかも知れない。



 そう思ってドアを開けた。


 しんとしている。


 何に使うのか分からない器具がカチカチと音を立てるだけだ。



 何かがおかしい。



 研究室へ踏み込む。ゴタゴタと積まれた実験器具を避けて机の見える位置に来た時、不安は確信に変わった。


 急いで部屋を出て、鍵を探す。



 一つ足りない。エルが一人で出たと言うことだ。嫌な予感がした。



 メルは家を飛び出した。






 ノーゼンブルグ邸にてカラシキが門を警護している騎士から連絡を受けていた。



『それが……いまいち要領を得なくて。エルがどうとか言ってるんですがどうします?』


「待ってください。メルはエルを連れていないんですか?」



 カラシキの顔が険しくなる。



『え、ええ。メル一人です』


「すぐに入れてください」



 カラシキは足早に玄関ホールへ向かった。

 間もなくメルが玄関に現れた。



「カラシキさん!大変なの!エルが家に……家からいなくなってたのよ!

 あ、あたし昨日具合が悪くていつの間にか寝ちゃって……」



 カラシキの顔を見るとメルは堰を切ったように話し始めた。メルの顔は青ざめている。



「まずは執務室へ。話はそこで聞きましょう」



 カラシキはメルを先導して歩いた。案内中もメルはずっと落ち着かない様子だった。

 執務室へ着きヴィルヘムと向かい合わせるとカラシキはメルに話を促した。



「あ、あの……昨日、あた……私具合が悪くていつの間にか寝ちゃって……。

 目が覚めたのが今日の九時前でした。

 それまでエルが一度も起こしに来なかったのがおか……おかしいなって思ったんです。

 鍵を探したらひとつしか無くて!

 エルが一人で出かけて戻って来てないんです!!」



 メルの目から涙が溢れ出た。



「いつから居なくなったのかは分からないんだね?」



 ヴィルヘムが手を組んで静かに尋ねた。



「はい……。でも少なくとも夕飯の時には起こしてくれるはずなのでそれくらいから……。

 どうしよう。あたしのせいだ……」


「カラシキ、各団長へ連絡してエルの家へ至急一人、騎士を派遣したまえ。

 もしかしたらひょっこり戻ってくるかもしれん。

 即座に捜索隊を編成してくれ」


「は、かしこまりました。」



 カラシキが指輪に向かって指示を出そうとするとヴィルヘムが付け加えた。



「ああ、それと、メルくんを応接間へ。君には少し落ち着くことが必要だ」



 最後の一言はメルに向けて言った。






 メルが執事に連れられて出ていき、カラシキが指示を終えるとヴィルヘムは頭を抱えた。



「あれ程ひとりで出歩くなと言ったのにぃ……」



 はぁーと大きくため息をつく。



「エルの性格上メルの体調を慮ったんでしょうな」



 カラシキが言うとヴィルヘムはモノクルを外して拭き始めた。ヴィルヘムの落ち着くための儀式のようなものだ。



「どう思う?」


「イスタルリカだ」



 ヴィルヘムがカラシキに問いかけたその時、タンスからオレンジ頭のアカツキが現れて答えた。


 カラシキが素早く部屋の鍵を閉める。



「アカツキ……どうしてそれを知っているんだい?」


「リトから緊急連絡が入った。

 攫われてイスタルリカにいる、と。エルも一緒だと言っていた」



 アカツキは非常に不機嫌そうだった。


 それもそのはず我が子のように可愛がっている二人が行方不明なのだから。

 オマケにリトの掠れた「助けて」の言葉がどれ程二人の状況が逼迫しているかを物語っていた。



「イスタルリカ家に連れていかれたのかい?」



 もしそうならば取り返すのはかなり難しい。



「北側を逃げ回るつもりらしい。ほぼ既に敵の腹の中だ。

 一箇所に留まるより動き回った方が時間が稼げると思ったんだろう」



 アカツキがむっつりと答えた。



「こちらは顔が割れてない奴を捕まえ次第送るつもりだ。だが手が足りない」



 アカツキが何とかしろと目線で言ってくる。



「そこまで分かったら充分だ。

 目撃者を何名かでっち上げてイスタルリカに書簡を送る。少しは牽制出来るだろう。この短時間でイスタルリカなら間違いなく汽車で移動させられたな。

 捜索隊を派遣する。あちらも渋るだろうがこちらがエルが汽車に乗せられたという確固たる証拠を掴んでいるとなると断れない筈だ」



 そう言ってヴィルヘムは顔を険しくさせたまま目を細めた。


 その時忙しなく長いノックがされた。こんな叩き方をする者は一人しか居ない。


 カラシキが鍵を開けるとヤツラギが飛び込んできた。



「エルは!?」



 ヤツラギは髪はボサボサ、ブーツは左右逆に履いてるし服は慌てて引っ掛けてきたようでシャツが半分飛び出していた。



 どこから駆けつけたのかはお察しだ。



「リトと一緒に攫われてイスタルリカだ」



 アカツキが答える。



「エルのおバカ!なんのために俺がいつも任務の時でも直ぐ駆けつけられる位置についてる思ってるんだ!

 て言うか何やってるんだあのバカ師弟!」



 ヤツラギは頭を抱えた。



「エルのお灸は帰ってきたらたっぷりと据えるとして、今は取り敢えず東へやる要員を集めろ。

 カラシキ、書簡は?」


「出来ております」



 いつの間に書いたのかカラシキはすかさず書簡を差し出した。


 ヴィルヘムが領主印を押して封をする。


 カラシキはそれを受け取って執務室の壁に取り付けられた小さな靴箱程の大きさの扉の内のひとつに入れて魔力を込めた。



 この世界での一般的な手紙の仕組みはレタル紙と呼ばれる紙で出来た封筒に入れ宛名を郵便インクで記し、これまた特殊な魔法陣結界が仕込まれたポストに魔力を込めることでその街の郵便局に転送される。


 そして郵便局にしかない転送大結界によって郵便インクの宛先を読み取られて各ポストへ再配達される仕組みだ。


 尚、読み取りと再配達には凡そ一日かかり転送された手紙がその間何処でどうなっているかはいまだに解明されていない。


 厚さ三十cm程で相手のポストに入る程度の大きさの小包ならレタル紙で包めば送ることが出来る。


 ポストの魔法陣は郵便屋と呼ばれる職人を各自好きな時に呼んで、転送大結界は月初めに一度彼らによってメンテナンスされる仕組みだ。新しいポストを設置するときも郵便屋を使う。


 ちなみに昔、同じ原理の応用で人の転送が出来ないか試みた者がいたそうだがその結果は大惨事。以降転送術の研究は至極慎重に進められるように制限を受けることとなった。


 だが、街主同士の重要な書類などで万が一があってはならない。

 そのため街主の館には必ず各街主邸直通のポストが二十五個取り付けられているのだ。



「駅に連絡して汽車を止めろ。イスタルリカの返事があり次第発てるようにしておけ」


「「はっ」」



 カラシキとヤツラギが返事した。



「俺も出る。ヨイヤミとして。イスタルリカで繋がる通信具を寄越せ」



 アカツキがそう言うとカラシキが部屋から出て行った。

 その間にアカツキはオルガの薬を飲んで布で目を覆った。間も無くカラシキが戻ってきて通信具をアカツキに渡す。



「動きがあったら騎士団に置いてる奴を連絡に寄越してくれ」



 と言い残してアカツキはタンスに入っていった。

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