第六十話 逃亡者

「レノっていつも眠そうだよな」



 枝に腰掛けた途端船を漕ぎかけたリトの背中をアルが支えた。

 季節はもう春の中の月中旬。週末アルと遊ぶのはもうすっかりお馴染みになっていた。



 —魔法の練習し始めてから寝る時間が倍に増えたんだ。なんでかな—



 リトはそう書きながらメガネを少し上げて目を擦った。



「あーそれな。オレの時もあったよ。魔法使ったり、コントロールすると精神の疲れが溜まるらしい。まあこれも慣れでなくなるけど」



 確かに解呪の魔法を開発する過程で、魔力を巡らせる練習をし始めた時も眠くてしょうがなかった。



「レノはさ、魔法どこまで習った?」



 アルの問いにリトは少し考えた。本来の使い方よりだいぶ違うが、詠唱破棄までは行ったはずだ。



「へえ!早いな!」



 リトがそう書くとアルは目を見張った。



 —声が出なくなったから振り出しに戻っちゃったけどね—



 リトが付け加えるとアルは少し顔を曇らせた。



 —僕の声は怪我が原因だよ—



 アルに聞かれる前にリトは自分から答えた。



 —ちょっとした事故でね、喉が潰れたんだ。身内の凄腕の医者が元通りにしてくれたけど正直言って声が戻るかは五分五分だって—



 リトはそう書いて少し足をぶらつかせた。



 —そりゃあ不便を感じることもあるけど、書いても話せるし、魔法だって杖に気に入られたらまた使えるようになる—



 アルとじっと目を合わせる。



 —だから僕は結構楽観的に考えてるよ—



 リトはにっこりと本心から笑った。



「そっか。じゃあ早く戻るように動かさなきゃな!」



 アルもにっこりと笑った。






 二週間後。

 リトとアルは組み手をすることになった。リトが訓練相手の力量が違い過ぎて碌に動けないと愚痴ったからだ。



「ふっふっふ、負けねえぞ。オレは結構動けるからな。手加減すんなよ」


 —僕も、負けない—



 そう言って目隠ししたリトとアルが向かい合う。


 リトはアルがどれだけ動けるのかはまだ知らないがあの言いよう、それに最初に助けてくれた時の身のこなしを考えたら強いのかもしれない。

 それに、同い年、ほど近い体格で臨む組み手に少しばかり胸が躍った。



「それじゃ、投げるぞ」



 辺り一帯木の根が絡み合う足場の悪いこの場所で自分がどれだけ動けるだろうか。



 コインが落ちる音がすると同時に二人は動いた。


 アルの拳がリトの顔を狙う。リトはそれをガードしながら右足で蹴りを放った。アルは蹴りを見事なステップで躱し脚を抱え込もうとする。

 それを察知したリトは飛び上がり、回転しながら左足で後ろ回し蹴りをお見舞いした。アルは仰け反り後ろに手をついてバク転の要領で距離を取る。一瞬前までアルの体があった場所に体を捻ったリトの踵が落とされた。

 アルが木を蹴り勢いをつけてカウンターを狙った手刀を放った。リトは勢いを殺さず前方に転がりアルの足を払う。


 足払いを食らう前にステップ踏もうとしたアルが木の根に足を取られ、わずかにバランスを崩したのをリトは見逃さなかった。


 地に手をつき勢いをつけてアルの顔面目掛けて飛び蹴りをした。


 それを避けてアルが更にバランスを崩す。リトは空中で身を捻るとアルの側頭部に向けて蹴りを放った。



「うぎゅっ!」



 え?



 リトの蹴りはアルの腕にしっかりとガードされた筈だったのだが当のアルは吹っ飛んで木に激突してしまったようだ。



 —大丈夫!?—



 リトは素早く目隠しを外してアルに駆け寄った。



「い、てて。おっ前一体どんな運動神経してんだよ。

 冒険者といえ明らかに一般人の域超えてるだろ……ったく」



 リトが手を貸すとアルはぶつくさ言いながらも立ち上がった。



 よかった。大した怪我はしてないみたいだ。



 —アルこそ身のこなしが一般人じゃないよ。

 特に足運び。あんなステップ踏まれちゃ当たんないよ。

 アルが根っこに足を取られてなかったら今頃僕の方が伸びてたかもしれない—



 リトがメガネを掛けながらそう書くと



「そりゃ俺は魔法使いだから……言ったろ?数秒先の未来が見えるって。

 それをお前ったらほぼタイムロス無しで動き回るから追いつけなくもなるだろ」



 リトはびっくりした。



 魔力は意志の力で動く。魔法使いは魔力感知でそれを察知し先の読み合いをするのが定石だ。と、アルとエルから教わったばかりだったが自分の動きは魔力とほぼ統合されている?


 よくよく考えてみれば訓練時、戦法を考えることもあるが体はほぼ反射的に動かしている気がする。


 先日の戦闘訓練でも闇雲に突っ込み過ぎだと言われたことだし、魔力を意識してそれに追いつくように動いていけば……そう、魔銃で弾幕を予測して置いていくように……。



 リトが考え込んでいるといきなりガクガク揺すられて現実に引き戻された。



「なあ!お前訓練してるっつったよな!

 何処の誰に稽古付けてもらってんだよ!ずるいぞ!

 魔法使いなのにそんなに動けるなんて!

 兄貴でもそこまでできないぞ!オレにも教えろ!」



 アルが不満を全面に押し出した顔をしてリトを揺さぶり続ける。



 —わ、わかったって!そんな揺すっちゃ書けないよ—



 ガクガク前後左右に揺すられながらなんとか制止する言葉を宙に書くとリトはようやく解放された。



「さあ教えろ!さあ!さあ!!さあ!!!」



 リトを解放したアルはズイズイ迫ってくる。



 爛々らんらんと光る目がいつぞやのエルを思い出してちょっと怖い。



 —僕の体術と魔法は別々に師匠……がいて、その人が両方できるわけじゃないよ—



 エルは公認師匠だしアカツキも体術の基礎と魔銃の扱いや一通り動けるまでずっとつきっきりで訓練してくれていたから師匠と言っても差し支えないのではない……だろう。



「んだよ二人も師匠がいるのか?やっぱ狡い!」



 アルが膨れっ面になる。



 同い年の男子の膨れっ面を見てもさして嬉しくはないのだが……。



 その事はそっと心の片隅に追いやってリトは続けた。



 エルはさて置きアカツキの事はなんて言おう?



 そこで名案を思い付く。



 —実は僕、今この街の黎明の騎士団って所にお世話になっていて、そこで訓練してもらってるんだ。

 体術は元騎士団に居た人が師匠で、魔法は現役所属の魔法使いのエルって人に教えてもらってる—


「黎明の……騎士団?」



 リトが書いた文字を目で追っていたアルの顔が突然険しくなった。



 —どうしたの?—



 リトが首を傾げるとアルは「なんでもない」と手を振った。



 もしかしたら貴族に属する騎士団にいいイメージがないのかもしれない。



 —騎士団って言ってもね、僕のいる黎明の騎士団は大分自由な扱いだし構成員も自由でみんな平民ばっかり。

 色んな人が居るよ。僕の師匠のエルは前は訓練サボって好きな魔法の研究ばっかりしてたし、エルの妹のメルはそんなエルを蹴飛ばしてて、居眠りばっかりするから夜勤専門の人とか、あとは団長は酷くてさ……その、歓楽街大好き?—



 そこまで書くとアルは吹き出した。



「ぶはっ歓楽街大好きってなんだよ!

 あはははお前も入れて変な奴ばっかだな〜」


 —僕は変じゃない!常人枠だ!—



 リトが憤慨するもアルはお構いなしにゲラゲラ笑いっぱなしだ。



「は〜おっかし。なあ、オレ達友達だよな?」


 —もちろんだよ!アルの方こそ変な事聞くじゃないか—


「だよな〜」



 そう言って笑い合った次の週。


 アルは約束の場所に現れなかった。






 アルが姿を消して二週間経った。世界の最北端であるノーゼンブルグも昼間は春の陽気が心地いい。


 身を屈めた頭上を鋭い刃が通り過ぎる。



 明後日も来なかったらどうしよう?



 次々と襲いくるアームソードからバク転を繰り返し体を逃す。



 旅暮らしだと言っていたし急に発つことになったとか?



 距離を取り魔銃を放つが相手は軽々としたステップでそれらを躱し、リトの予測弾幕も切り開いて見せる。



 だが自分の住所は教えてある。

 連絡も一切ないのはあまりにも不自然だ。



 迫ってきた相手の刃を銃身で滑らせ蹴りを放った。



 アルに何かあったのではないかとリトは気が気ではなかった。

 不安と焦燥感に襲われていると唐突に視界がひっくり返った。



 あ



「レノくん集中力が足りないよぉ〜?」


「ほんと一体どうしたのよ」



 観戦していたエルとメルからブーイングが飛んでくる。


 リトの魔力感知と視界の統合はほとんど完了した。

 アルが話してくれた体験談通り、魔力を巡らせている範囲の視野は明瞭に、死角はほぼゼロ。

 後は先視や細々とした調整の訓練を残すのみというところで先週は紫頭を秒で伸し、昨日はメルから一本取り、今日はヤツラギとの対戦だった。



「俺相手に考え事とは随分舐められたものだなー?

 ああ?」



 リトの脚を掴んで宙吊りにしたヤツラギが青筋を立てている。



 —すいません!—



 リトは素早く文字を書き素直に謝った。



「おーおーレノはどこぞの魔法使いに似ず素直に謝れて偉いなー……とでも言うと思ったか?」



 ヤツラギはリトを一度下ろすと今度は胸ぐらを掴んで鼻先寸前まで顔を近づけた。



「おい、ふざけるなよ?これが実戦だったらどうなってる?

 首チョンパで今頃お前はお空の上だ。

 隊の全員の命が掛かってる時でもお前はそうするのか?少し動けるようになってきたからって油断が滲み出てるぞ」



 ヤツラギの言うとおりで仕事中に考え事……それも私情で上の空だった事を猛省する。



 —すいませんでした—



 もう一度、それしか書けず萎れるリトに凄んでいたヤツラギは深いため息を吐いた。



「次やったら俺の酌な」



 久々にギョッとしたリトを落としてヤツラギはやる気のなさそうに団員に呼びかけた。



「おーい今日はここまでだ。

 解、散。ハイ!」



 ヤツラギがパンッと手を叩くと団員達がバラバラと散って行く。



「なんか悩み事でもあるの?相談乗るわよ?」


「ここ最近伸び幅はすぅ〜っごいのにぼぉっとしてるしねぇ」



 寄ってきたメルとエルが心配そうに声をかけてくる。



 —それは……


「おー忘れてた。レノはちょっと残れー」



 リトが書きかけた所でヤツラギに声をかけられ飛び上がった。

 エルとメルが残念そうに「後でね」と手を振って去っていった。



 ちょっと待ってほしい。一人で置いていかないでほしい。



「そうビビんな。酌の話じゃない」



 と言いつつリトの首に腕を回し抱き込んでくるのは何故なのか。



 腰が引けるリトにヤツラギが一枚の紙を見せる。そこに『手配書』の文字が見えてリトはピタリと動きを止めた。



「うっかり忘れてたんだがコレ、お前が特別休暇の間にイスタルリカから全国へ回って来たんだ目を通しとけ」



 イスタルリカ……冬の終わり月にエルとついでにリトを誘拐した因縁いんねんの街だ。


 その街から手配書……なんだろう?



 リトは抱え込まれたままその手配書とその仔細に目を通した。



『三ヶ月前、以下数名はイスタルリカの当主暗殺未遂を犯しイスタルリカの重要研究機関の破壊、損傷などと共に多数の犠牲を出した末逃亡した非常に凶悪な犯罪者である。

 発見次第即刻殺処分したれり』



 その文章の下に5人の写真とそれぞれの特徴が載っていた。


 一人、一番大きい写真にはエルと同じようなストロベリーブロンドの青年が写っていた。年頃もエルに近そうだ。

 他四人も順に見ていく。シルバーブロンドのいかつい男、スカイブロンドのメガネの男、かなり明るい金髪の女性、明るい黄緑色の髪の鋭い眼差しの男。



 皆かなりの高位魔力者達だ。それに……



 ヤツラギを見上げる。



「気付いたか。お前もそろそろ頭がキチンと回るようになってきたなダメ弟子。

 そうだ。普通この国では余程の凶悪犯であっても生死問わずで懸賞がかけられる。

 で、できるだけ生かして捕らえて裁判に掛けるのがセオリーだ。例え死罪一直線でもな。

 お前らの誘拐事件もあって確信に変わったが……裏がありそうだろう?

 事件起こして三ヶ月も経って回してきたことと言いな」



 ヤツラギはずずいとリトに顔を寄せた。



「ヴィルヘム様はコイツらの捜索及び捕縛を一番動かしやすい俺達、黎明の騎士団に一任なさった。

 殺さず捕えるように、とな」



 ヴィルヘムはここノーゼンブルグの街主だ。「夜の巣」のパトロンでもあり、ノーゼンブルグや黎明の騎士団にはヤツラギ含め何人もの協力者や変装した賞金首の夜の巣のメンバーが紛れ込むのにも協力してくれている。



「そしてコイツらの注意するべき点は髪色だけじゃない。コイツを見てみろ」



 と一番大きく見出されていたストロベリーブロンドの青年を指す。


 そこには『元魔法士団副団長:ジルベルト』と書かれていた。



 随分な要職だ。それに、リトは不思議とこの青年を初めて見た気がしなかった。

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