第四話 解呪の魔法

 その時地下牢の入口が叩かれた。司教が扉の鍵を開ける。



「司教様。例の子供を捕らえました。一人でフラフラと歩いていたところを確保したようです。如何なさいますか?」


「ああ、目撃情報から二日してやっとですか。

 いいですよ。ここへ連れて来なさい。逃げないよう、呪いを施しておきましょう」



 体格の良い明るい髪の教徒らしき男が下がると、上階から揉めるような声が聞こえてきた。



「やだ!!はなしてっ!!!」


「コラ!暴れるな!!」



 入口から五歳くらいの幼い少女と二人の屈強な教徒が入ってきた。続いて先程の教徒も入ってきて扉に鍵をかける。

 少女は教徒に片腕ずつ掴まれて引きずられるように連れてこられた。



「はなしてっ!はなして!なんでこんなことするの!なんにもしてないのに!!」



 司教はツカツカと近寄るといきなり少女の頬を張り倒した。バシッと肉を打つ音にリトは思わず身を竦めた。

 少女は床に倒れ、声を失い、ポロポロと涙をこぼした。

 リトの胸中に激しい怒りが湧き上がった。



「身を弁えなさい罪人が」



 と吐き捨てるように言った。



「そんな小さな子になんてことするんだ!この人でなし!!!お前の方がよっぽど罪深いぞ!!!!」



 リトは激しい怒りに駆られて叫んだ。司教は少女を隣の牢へ引きずりながらチラリとリトを見遣った。その顔は今朝の優しげな面影は無く、酷く冷たいものだった。


 そして大きなため息をついてリトに問う。



「それで?先程の答えは?」


「断る!!!」



 リトは噛み付くように言い放った。



「仕方ありませんね。そこの二人。

 彼にご自分の立場というものを教えて差し上げなさい」



 と屈強な教徒二人が棍棒を手に持ち、リトの牢へ近づいてくる。その向こうで司教がもう一人の教徒へ言う。



「ではこの子に呪いを……あぁ私が掛けるのでご心配なく。抑えていなさい」


「この!極悪非道に……!!!」



 言い終える前にリトは引き起こされて脇に重い一撃を食らった。激しい痛みに悶絶する。


 続けて二撃、三撃と食らうととうとう肋骨がボキリと嫌な音を立てて折れた。

 激痛に襲われ、悲鳴をあげそうになるが、こんなヤツらに屈してなるものかと歯を食いしばった。






 頭、肩、脇など、上半身を中心にめちゃくちゃに殴られ、ぐったりとなったリトにいつの間にか側へ来ていた司教が再び問う。



「気は変わりましたか?」



 グイッと首の枷に繋がった鎖を引き上げる。リトは肩で呼吸をしながら司教を睨みつけた。



「人を、なんだ、と、思ってるんだ。お前達、みたいな、人でなしに……付き合うつもりはない!!」



 祖父は自分の人生に満足して亡くなった。寂しいけれどそれを取り戻そうとは思わない。



 揺れてた心は定まり、キッパリと断った。

 司教とリトは黙って見つめ合ったが、しばらくして司教がため息をついて鎖から手を離した。



「残念です。ではあなたにも同じ呪いをかけましょう」



 差程残念でもなさそうに呟いて、リトの額に手を翳して押し付けた。頭が締め付けられるように痛み、首に幅五ミリ程の二重線が現れた。

 術をかけ終えた司教が手を振り、やっと解放されたリトは崩れ落ちた。



「命が惜しければ教会の敷地から出ないことです。」



 と言い捨てて立ち去ろうとする司教に



「たかが一司教がこんなことをしていいのか?上に見つかったら叱られるどころじゃ済まないぞ」



 と凄んでみる。



「我々は教皇のご意思の元に動いています。ご心配なく」



 司教は冷たい微笑を残し、教徒達を連れて立ち去った。



 教皇ということは全教会ぐるみなのか。教会なんて清冽な顔をしておきながら裏では真っ黒じゃないか。


 でも今先ず最優先にすべきことは……


「大丈夫?」



 リトは体を引きずるように起き上がりながら隣の牢に優しく話しかけた。


 幼い少女はロウソクの光が届かない影で怯えたように小さく震えて涙をこぼしていた。





 リトは飛びそうになる意識を必死に保った。

「いてて……」と声を漏らしつつ体を起こして片足のブーツを脱ぐ。すると小さな巾着が転がり出てきた。


 万が一に備えて隠し持っていたものだ。森を彷徨った時に集めた薬草も入っている。リトは後ろに縛られた手でポケットナイフを取り出し、器用に綱を切った。


 解放された手を擦りながらもう一度少女に声をかける。



「大丈夫?僕はリト。悪い奴に捕まっちゃったんだ。一緒だね。」



 と苦笑いをする。


 少女はそろそろと近づいてきた。髪の色が驚くほど明るい。ほの暗いロウソクの灯り1本ではよく分からないが恐らく最高位の部類の魔力持ちだ。


 頬が痛々しいほど腫れており、リトと同じ紋様が現れている。



「いたい?」



 と少女が小さく心配そうに訊く。


 自分もケガをしてるのに他人のリトを気にかけてくれる……優しい子だ。罪人にはとても見えない。



「うーん。ちょっとね」



 と話す度に痛む肋骨を隠して答える。そして巾着を漁りながら少女に言う。



「もうちょっとこっちにおいで。腫れに効く木の実持ってるんだ、よっと」



 手のひらの四分の一もない小さな巾着からつるつるとした五センチ程の丸い緑色の実をいくつも取り出す。


 サトリャンナの実だ。エルフが好んで使い、炎症を抑え、痛みを和らげる効能がある。


 甘酸っぱく子供でも食べやすい上、そのまま食べても即効性があるありがたい実だ。

 少女の目は手品のように実が出てきた小さな巾着に釘付けだ。



「これ?これはね見た目より中がずっと広いんだよ」



 巾着ももちろん祖父のお手製。拡張収納巾着だ。普通拡張収納術はある程度の大きさがある物を広げる魔法で、一定の大きさのものにしか掛けられない。

 これは晩年祖父が開発に成功したもので拡張空間を別次元に作って付与したという代物だ。


 ポーチより口が狭いため入れられるものが限定されるが重宝している。



「まだまだ出てくるよ」



 とリトは巾着から懐中時計、小さなすり鉢と乳棒、そして木の実や薬草をポコポコ取り出した。


 少女は目を輝かせている。そのまま食べられる木の実をいくつか少女の手に乗せてやりながらもう一度名乗る。



「僕はリト。君の名前は?」


「ルナ……」



 少女はリトが口に木の実を放り込んでバリボりと噛み砕くのをじっと見ている。



「ルナ。いい名前だね。

 ルナはどうして捕まったの?」



 リトが訊ねると幼い少女、ルナは視線を落とした。



「ルナね、ルナたちね、わるいひととたたかってるの。

 さっきのわるいことするひとたちからね、まもるの」


「何を?」


「みんな……かぞくを」



 ルナの答えにリトは心を決めた。



「少し待ってて。その実を食べてごらん。美味しいよ」



 リトに再度促されてルナはサトリャンナの実を少し齧る。すると目を輝かせて実を口に入れてモグモグしだした。気に入ったようだ。


 ルナが木の実を食べている間にリトは目を閉じ感覚を研ぎ澄ました。






 魔法には直接魔力を変化させるものと、魔力で変化を与えるもののふたつに大きく分けられる。



 例えば重い物を持ち上げる魔法を使うとする。


 自身の魔力を筋力へと変化させて持ち上げるのが前者。

 魔力で物を軽く変化させて持ち上げるのが後者だ。



 前者は詠唱や紋様などを通して己や周囲の魔力を変換させることで発動し、後者は魔法陣や魔力で生み出される「核」に自身の魔力で術式を書き込み付与することで発動する。


 その中で呪いは後者にあたり、術式が刻み込まれた目に見えない核を人に埋め込む事を主に指す。



 核の形は人によって異なる。そして術者当人以外には完全に知覚できない。


 そのため他者は歪んだ術式を読み取れず、術者当人以外には解けない……とされるのがこの世界においての基本だ。



 しかしリトは核の形がハッキリと見え、歪みを直して術式を読み取ることができる。


 この世で並ぶものが居ない程に高い魔力を持つ故の、鋭い魔力感知能力がそれを可能にしていた。

 そしてこれはリトしか知らない事だが、核は術者より高い魔力を持っていれば刻み足せる。


 普通は呪いを掛けられた者へ魔力を巡らせても呪いの雰囲気を知覚することしか出来ない。そのため呪いから逃れるためには核に魔力を限界まで注いで壊すことしか出来ない。


 核を破壊するには大量の魔力を消費し、呪いを掛けられた者は大きな代償を払うこととなる。


 核破壊を行えば霧散した核により、上手くいっても身体の至る所が一緒に破壊され、下手をすれば体が崩壊する。



 だがリトは正確な魔力感知と圧倒的な魔力を合わせ持つことによって、核に新たな対となる術式を刻み足すことができるのだ。


 相反する術式を刻み込まれた核は消滅し、呪いは解ける。


 リトが様々な文献を見て編み出した、リトにしか使えない、そしてリトが唯一使える魔法だ。



 フーと息を吐き出して自分の体内にゆっくり魔力を巡らせ、呪いの核を読み解く。


 今リトにかけられている呪いの核は三つだ。


 魔力の封印、服従、そして逃亡した場合に訪れる死。



 最後の司教がかけた呪いにゾッとする。

 魔王時代の全盛期このような呪いが蔓延っていたのは知っていたが、現在において実際にこんなものを人にかけるなんて……。


 教会の敷地から出なければ大丈夫みたいな事を言っていた事を思い出す。とりあえず牢から脱出した途端に死ぬなんてことは無さそうだ。



 封印は魔力の差が桁違い過ぎてリトには全く効力を発揮していないのは幸いだ。


 核に新たな術を書き込み消滅させる。


 自分の解呪は成功した。パチリと目を開ける。首の紋様がスゥッと消えた。


 次はルナだ。


 ルナと目が合う。良かった。頬の腫れは引いてきたようだ。






「こんなところかな」



 リトとルナの牢を隔てていた比較的細い格子は大きく歪み人が通れるようになっていた。

 痛みを押してリトがこじあけたのだ。

 解呪を行うには対象に触れる必要があり、時間もかかる。中断すれば危険が及ぶかもしれない。

 そこで苦肉の策でこうして牢をぶち抜いて、鎖のせいで移動できないリトに代わり、ルナに来てもらった。次に奴らが降りてきた時が最初で最後の逃げ出すチャンスだ。



「ルナ」



 ちょいちょいと手招きする。ルナは歪められた格子をまじまじと見つめていたが素直に応じた。



「今から君の解呪をするよ」


「かいじゅ…?」



 ルナが首を傾げた。大きな瞳に不安が過ぎる。



「君にかけられた呪いを解くことだよ。ここから逃げられるようにしてあげる」


「すごいね!」



 と初めて笑顔を見せた。



 可愛い。妹が出来た気分だ。



 リトはルナの頭をそっと両手で包み込み、深呼吸して意識を集中させた。



 魔力で見る世界はあたたかな闇だ。その中に魔力の灯りを感じ取る。


 魔力で生み出された核も当然光を放つ。闇に朧気に浮かぶその形をどこまで認識できるかは見る人の魔力によるところが大きい。


 複数の魔法がかけてあっても核は独立している。それが普通だ。


 だがルナの中は複雑怪奇な術で溢れていた。


 魔力を巡らせたリトの知覚に現れた核は、今までに見たどんなものよりも異様な形をしていた。


 核と核が捻れて混ざり合い、癒着していてそれが幾箇所にも浮かんでいる。

 癒着した核は細い糸のようなもので繋がっていて、糸は脈打つように時折チカチカと光る。

 そしてそれら全てが半透明な殻で幾重にも覆われていた。



 これを短時間であの司教が施したとは思えない。この子には魔力が高い他に何か秘密があるのか。



 正体不明の核が知覚を埋めつくして司教がかけたはずの呪いが見つけらない。


 しかもいくら魔力を送り込んでも手応えがなく、まるで海藻の中を泳ぐみたいだ。

 幼い頃祖父に放り込まれた海を思い出す。もがけばもがく程絡まって遂には溺れてしまった。



 額に汗が伝う。



「リト。だいじょうぶ?」



 ルナが訊いたその時。


 ものすごい大砲のような音が響き渡りリトの背後の入口が吹き飛んだ。


 何事かと思いながらルナを抱き寄せ庇う。



「なに?なに??」



 ルナも怯えたようにリトにしがみつく。


 瓦礫を乗り越えてかなり明るい髪色の男が現れた。足元に教徒が踏んづけられて伸びていた。



「ここにいたか。」



 と無表情な男がつかつかと近寄って来た。


 身構えるリトを他所に男はそのまま屈み込み、ルナの頭をワシワシと撫でた。



「無事で良かった。」


「パパ……!!!」



 ルナが瞳を潤ませる。


 リトはどういう状況なのか飲み込もうと目を白黒させた。男が…ルナパパがこちらに向き直る。



「お前は何者だ。」


「隣の牢に入れられてた者です……」



 尻すぼみに答える。



 我ながら何だこの説明は。



「リトだよ!かいじゅしてくれるの!!のろいをといてルナをここから出してくれるって!!!」



 ルナが男の袖を引き代わりに説明してくれた。



「解呪……?」



 男は怪訝そうな顔をしてリトを、そしてルナに現れた紋様を見る。呪いは時に紋様となって体に現れのだ。男の背に大きな筒が揺れた。



 先程の大砲みたいな音はこれだろうか?



「なんだそれは。」



 男がボソリと訊く。リトは一瞬キョトンとしてしまった。



「呪いは術者と同格かそれより高い者の魔力を流して壊すことしかできない。生き残るか死ぬかは一か八かだ。

 解呪なんて魔法は御伽噺でしか聞いたことは無い。そんな魔法が使えるのか?」



 無愛想な男はリトを見つめる。薄暗い中でも鮮やかなその瞳には真摯さが見て取れた。


 リトは解呪とルナに恐らくかけられたであろう呪いについて簡単に説明し、そして付け加えた。



「自分の呪いも解けました。この子の呪いも時間をかければ解けると思います」



 階段の上から近づいて来る足音がする。


 男は一瞬にわかには信じ難いという顔をしたが、ひとつ頷いて短剣を取り出し、リトの鎖を床に押し付けて断ち切った。



「着いてこい」



 そう言って筒を構えた。

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