第三話 教会
誰かの話し声がする。
リトは飛び起きた。急に動いた事で頭が割れるように痛み、動けなくなる。
体の方も酷い痛み方でこの調子だと骨の一本や二本くらい罅が入ってそうだ。しばらくじっと横になっていると、少しずつマシになってきた。
深く息をつくと、首元でジャラリと鎖が鳴った。
見れば首に鉄の枷が嵌められていて、鎖の先は檻に繋がっている。腕は縛られたままだ。檻には大きな錠がかけられている。窓から見える空は夕闇に沈んでいた。
とうとう奴隷になってしまった……。
この国、ウィスクでは奴隷は認められていない。
だが抜け道というのはあるもので、門番や衛兵に金を握らせれば通れてしまうのだ。他にも街を経由せず迂回するという方法もある。
そのような奴隷達は国外で鉱山や農業、戦闘用……果ては愛玩まで様々な目的で売買されるという。
基本奴隷になると運び出される前に呪いがかけられる。服従させたり、言葉を縛ったりと都合の良い呪いをかけて鎖を外してしまえば、一見奴隷と分からず発見されにくいこともこれらの商売が成り立ってしまう一因だ。
これらの情報は世界各国を見て回った祖父から得た知識だ。
話し声に再び意識が引き戻される。
「ええ、そうです。今回ご連絡差し上げたのは今までにない最高位の魔力持ちを入荷したからなのです。今日仕入れたばかりなので活きもいいもので……」
「分かりました。とりあえず実物を見てから決めましょう」
奴隷商が商売しているようだ。
どこかで聞き覚えのあるような客の声にリトは首を傾げた。
と、リトの前に三人分の足が現れる。ランプが翳されると薄暗い部屋に慣れた目には眩しすぎる光が飛び込んできた。
「白……ですか。見たことも無い色ですね。本当に高位魔力者なのですか?」
客が訝しげに尋ねる。
「ええ、はい、もちろん!魔力計測器の針が振り切れたので間違いはないかと……」
奴隷商の媚びへつらうような声。光に慣れてくると奴隷商とフードを被った人物が檻を覗き込んでいた。
ランプに照らされていたのはなんと今朝見た司教の顔だった。
この世を作り、魔力や魔素の源である神。
その神から教皇は世界を救うために神の声を聴く魔法と神の加護を授けられた。
世界中に散らばる聖職者達には神の加護である治癒魔法が授けられ、病や怪我から数多の人を、教皇は神の声を聴き、災害などから世界を救ってきた。
死者の魂を天上へ鎮めて還し、人々に救いと教えを説く。
それが教会だ。
そんな神聖な教会の司教ともあろうものが奴隷商と取引しているなんて一体何が目的なんだろう……?
司教と奴隷商が話を纏めている。
リトはそれを床から見上げることしか出来なかった。二人の後ろに控えていた大男がリトの視線に気が付くとニヤニヤと笑った。リトは大男を思い切り睨みつけた。
「ではそういうことで」
「はい!ありがとうございます!」
商談が纏まったのだろう。司教が奴隷商にパンパンに膨れた巾着袋を手渡す。中で金貨がチャリンと鳴った。
「呪いの方はどうされますか?」
「ああ、ではお願いします」
「かしこまりました!」
商人が錠を開けて大男に声をかける。
「おい、抑えておけ。」
檻の蓋が開き大男がニヤつきながらリトの頭と体を床に押さえ付けた。思わず苦しげな声が漏れると大男はニヤケを大きくしてさらに力を強めた。
奴隷商がリトに手を翳し、しばらく額に押し付ける。リトには為す術がなかった。
「これで服従と、魔力の封印を施しました。どうぞお確かめ下さい」
と、奴隷商。司教がフードの中からリトを見下ろして口を開いた。
「名乗りなさい」
次の瞬間リトの口が勝手に動こうとし、慌てて無理やり口を閉じた。黙ったままのリトに奴隷商が怪訝な顔をして言う。
「おい、名乗れ」
「……嫌だ」
勝手に答えようとする口を押さえつけてリトは歯を食いしばったまま声を絞り出した。奴隷商は息を呑み、大男は思わずリトを押さえる力を強めた。
「まさか服従に逆らうとは……」
司教も驚きを露にした声で呟く。
「誠に申し訳ございません!!わたくしめの不手際で……」
焦りを滲ませた商人を司教が遮る。
「呪いは確かにかけたのでしょう?彼は服従に抗えるほど魔力が強い。そうではないですか?」
司教が突然リトに話を振った。不意をつかれたリトは頷いてしまった。商人が汗を滲ませる。
「高位魔力者の中には稀にそういう者もいます。」
司教は落ち着いた様子で懐から何やら透明な液体の入った瓶を取り出した。
「服従が効かないのでしたら不安材料を減らしておきましょう。これを布に染み込ませて彼に吸わせてください。」
とんでもない発言にリトは体を強ばらせた。奴隷商が怪訝そうな顔をしつつも布を取り出し、液体を染み込ませて大男に渡した。リトは大きく息を吸い込み、顔をできる限り逸らしたが無駄に終わった。
鼻と口を布で覆われる。
首を振り、仰け反って必死の抵抗を試みるも、振り払えない。
足で床を蹴って暴れるリトを押さえる力はどんどん強くなり、脇に鋭い痛みが走った。思わず息をのんでしまう。
しまった……!
慌てて息を止めるが直ぐに頭がクラクラし体から力が抜けていく。
弱々しく抵抗を続けるが、布を更に強く押し付けられた拍子に呼吸をしてしまった。
苦しい。
「ご心配なく。死にはしません。眠るだけです」
司教が冷めた声で言う。リトは司教を睨んだが次第に瞼がゆっくり落ちていく。それを見届けて司教は商人に指示した。
「では後は手筈通りに教会の地下牢へ」
なぜ教会に地下牢が……?
そう思ったのも束の間、薬がリトの意識を刈り取った。
リトがぐったりと動かなくなった後、奴隷商は大きく息をついた。あれだけ痛めつけてもここまで抵抗する者は初めてだった。
その上服従の呪いに抵抗するとは……上客の機嫌を損ねるのではないかとずっとヒヤヒヤしていたのだ。
「では私は一足先に戻ります」
司教が告げる。
奴隷商は慌ててドアの鍵を開けた。司教はスタスタと後ろを振り返ることも無く階段を降りていった。彼の姿が消えるともう一度大きく息をついて、大男に指示した。
「布で包むなり袋に入れるなりして、馬車に乗せておけ」
大男が大きな布を箱から取り出し、檻から鎖を外してリトと共に包んだ。そしてリトを脇に抱える。
他の檻から無気力な者達の視線が追う。これらは近々纏めて国外へ出荷予定だ。
「役立たずどもめ……」
今回高値で売れた子供とは大違いだ。
奴隷商はフンと鼻を鳴らし、大男を引き連れて部屋を出てドアに鍵をかけた。
階段を降りて隠し扉を通り、上質な部屋へ出る。扉は本棚に偽装してあり、一冊の本を引くと回転して開く仕組みだ。
用心のためにかけておいた鍵を開けて外へ出る。
大男が玄関にリト下ろして荷馬車の用意をした。カモフラージュの細々とした荷をリトと共に積み込み馬車を走らせたのを見送った後、奴隷商は上機嫌で思案する。
以前からたまに連絡を取り合っていた司教との今回の取引きはこの上なく上手くいった。教会が何を考えているのかは知らないがこの調子で取引を続けていけば大儲けができる。
奴隷商は一人ほくそ笑んだ。
ガチャリと何かが閉まる音でリトの意識は浮上した。自分が今どういう状況なのか。頭がぐるぐるして上手く思考が纏められない。
「ッ……!」
体を起こそうとすると頭と脇に鋭く痛みが走った。だが痛みのおかげで意識がしっかりと戻ってきた。
奴隷になって、売られて、薬で眠らされて、教会の地下牢に連れてこられた。今日だけで三回も意識を失ったことになる。
「驚きましたね……。もう目覚めたんですか。かなり強い薬だったのですが」
頭上から声が降ってきた。見ると極太の格子の向こうに、フードを脱いだ司教が立っていた。睨みつけるリトに彼は穏やかに声をかける。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。
大人しくしていれば手荒な真似はいたしません。拘束もその内解いて差し上げます。」
司教の言葉にリトが怪訝そうな顔をする。だがそれも続いた言葉で相殺された。
「幾つか質問に答えて、我々に協力してくだされば、ですが」
「奴隷商と繋がりのあるあなたなんかに僕が素直に答えるとでも?」
リトは再び睨んだ。
「いえ。あなたは服従に逆らえます。そう簡単には答えて下さらないでしょうね。ですがこちらの質問に対する反応はどうでしょう?」
確かにそれは隠せないかもしれない。リトの視線が少し彷徨う。
「それでは始めましょう。あなたはラットルの人間であるか。答えなさい」
リトは口と首が勝手に動こうとするのを必死に止めたが、体にまだ力がろくに入らないため首をゆっくり振ることになってしまった。
司教は満足そうに頷く。
「まだ体の制御は取り戻していないようですね。ではどこの出身ですか?」
歯を食いしばって勝手に話そうとする口と舌を抑え込む。
「ハタカ、ノース、ティラルト……ふーむ、中々当たりませんね。では少し離れてカインバックはどうですか?」
口を固く閉ざすリトに司教が質問を重ねる。舌と口は何とか押さえ込んだが表情はそうはいかなかった。
思わず近場の名前が出て動揺してしまった。慌てて平静を装うがもう遅い。
「そうですか。カインバックですか」
司教が満足そうに笑う。カインバックはリトの生まれた村、レスフルの隣街だ。身元がバレるのも時間の問題だろう。リトは動揺が隠せなかった。
「あなた他の情報については後でゆっくり調べるとしましょう。では次に協力の意思があるか。
我々は神のご啓示に従ってある目的を達成するために高位魔力者を求めています。協力して頂ければ立場を優遇させていただきます。充分な見返りもありますよ。いかがですか?」
「嫌だ!!」
今度は押さえる間もなく答えが飛び出した。本心だ。
何が神の啓示だ。
この司教はあの場で奴隷となった人々を見てみぬ振りをするばかりか、リトを金で買って、呪いを掛けた。
人の意志を押さえつけ、無理矢理従わせようとする。人を人として扱わないその精神が気に食わない。
そんな奴らに協力するなんてまっぴらごめんだった。
司教は顔を僅かに険しくすると続ける。
「我々はあなたの望むものを与えられます。そうですね……。
その年でこんな事に巻き込まれるのです。ご家族が居ないのではありませんか?それを取り戻したくはありませんか?」
リトは衝撃を受けた。
リトの唯一の家族……祖父を取り戻す?
それは無理だ。祖父は亡くなった。
だがそれを可能にすると暗に言っているのだろうか?それとも単に離散した家族を再び繋ぐことを言っているのだろうか?
再び動揺を露にしたリトに司教が微笑む。
「ゆっくりお考えなさい。我々はあなたを歓迎いたしますよ」
司教はにっこりと微笑んだ。
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