第二話 とことん不運

 川沿いを二日歩いて朝。リトは大きな街に辿り着いた。

 ここ、ラットルはずいぶんと発展した街だった。道行く人に地図を見せて貰ったおかげで分かったことだが、元いた宿のある街とは街二つも離れていた。



 「教会だ…」



 ラットルには大きな白い教会があった。

 透き通るような銀の十字架に、3つ並ぶ金色の鐘。窓には意匠を凝らしたステンドグラスが嵌められている。


 教会の前では司教だろうか。長い帽子をかぶる優しげな顔をした男が幼い子供たちと挨拶を交わしていた。



 「司教様ありがとうございましたー!」


 「ありがとうございました!」



 話には聞いていたが教会を見るのは初めてだった。


 綺麗だなと思いしばらく見ていると、先程の司教から優しく声をかけられた。近くで見ると若い…20代前半だろうか?



 「朝のミサはつい先程終わってしまったのですが中でお祈りされていきますか?」


 「いえっ見てただけなので大丈夫です。ありがとうございます」



 と礼を言い立ち去る。もう一度振り返ると司教は教会の中へ入っていった。

 リトは少し道を外れて冒険者組合の建物を探すことにした。






 大通りを外れても道行く人は多い。しばらく歩くと前から男が三人道に幅を利かせて歩いてきた。


 皆ぶつからないように避けて歩いていたが、男のひとりが大きくよろめき女性にぶつかった。


 女性と、ぶつかったスキンヘッドの男が派手に転けたが、周りの人々は何も無かったかのように歩いてゆく。リトは女性に駆け寄った。



 「大丈夫ですか?」



 手を差し伸べ女性を立たせる。女性は「ありがとう」と礼を述べ、そそくさと立ち去った。


 ほか二人はゲラゲラと笑っていたが転けたスキンヘッドの大柄の男は憤慨してリトに掴みかかった。



 「てめぇどこ見て歩いてやがる!!!」



 ぶつかったのは男の方だ。しかもぶつかった相手はリトではない。


 リトは咄嗟に避けてしまい、男がまたしても転けて、今度はゴミ箱に突っ込んでしまった。



通りかかった息が酒臭い…。酔っているのか。



 しかしゴミ箱からゆらりと立ち上がった男はすっかり酔いの覚めた顔押して怒心頭で言葉も出ない様子だった。



 こういう時はどうすればいい?



 男は頭に張り付いたなにかの皮を地面に叩きつけてゆっくりと歩いて来た。他の二人も酔いが覚めたようで遠巻きに見ている。



 「こういう時はとりあえず謝っとけ!!!」


頭の中の祖父がベチベチと杖で叩いてくる。


 「ご、ごめんなさい」


 こんなものでは止まりそうにない。その後は?


 「とりあえず逃げろ!!!」


祖父が警報を鳴らした。



 リトは殴りかかってきた男を躱し脱兎のごとく逃げ出した

 男達は一瞬呆気に取られていたがすぐに怒鳴り散らしながら追いかけてきた。

 リトは小柄な身を活かしてスルスルと人の間を縫って逃げるが後ろの方で彼らが人を弾き飛ばして追いかけてきているのを見て、狭い路地に入った。



 他の人に迷惑はかけられない……となると。


勢いよく飛び上がり壁と壁を蹴って屋根に上がる。


もしやここにいればバレないのでは?



とそっと様子を覗くと壁をよじ登るスキンヘッドと目が合ってしまった。



 「お前そこを動くなよ……」



 男は意外に追いつくのが早く、リトを睨みつけて目をギラギラさせた。



 正直言ってそこまで恨まれることをした覚えはないのだが。



 屋根から屋根へと飛び越え乗り越えしながら逃げるが、何せ知らない土地だ。建物の途切れている所などに引っかかり上手く進めない。


 後ろを振り返るとなんと追いかけてくる人数が増えていた。前からも何人か走って来る。


 男が魔力の高めの仲間を呼んだのかもしれない。街壁まで追い詰められたら逃げるのが大変だ。撒くのが正解かもしれない。


 そう思って人のいなそうな路地を見つけて飛び降りた。

 だがそこは袋小路だった。



 「そんな……!!」



 前から後ろから男の仲間がひらりと飛び降りてくる。取り囲まれ、壁を背にに張り付くしかないリトに一番遅れてやってきたスキンヘッドが言う。



 「もう逃げられないぜ。この糞ガキ」



 こうしてリトは袋叩きにされた。






 勢いよく液体を頭からかけられてリトは目を覚ました。息を継ぐ間もなく二杯、三杯とかけられてゴホゴホと噎せる。

 グイグイと髪を梳かすような感覚があり頭上から二人分の声が聞こえてきた。



 「落っちねぇな。身体能力からして結構高い魔力持ちに間違いねぇんだが」


 「仕方がないな。これ使え」



 暖かい液体が頭に落とされ、ワシワシと洗われる。

 逃れようともがくも両手は後ろできつく縛られており胴にぐるぐると巻き付けられていた。オマケに身体中がひどく痛い。


 またしても二、三杯頭から水をかけられ、びしょ濡れになったリトは小さく震えた。



 今はどういう状況なんだろう?



 またしても頭上で驚いたような声が上がる。



 「なんだこの色は!?こんな訳の分からん色に金は払わんぞ!!」



 リトはハッとして顔に垂れ下がる髪を見た。


白に戻っている。先程の暖かい液体は強力な染料落としか何かだったのか。


 またもしくじったと焦燥感に駆られてまたもがくと、背中に足を乗せ体重をかけられた。

胸部が圧迫されて呼吸が苦しくなり体の痛みが増し、肋骨がミシミシと軋む。さらには髪を掴まれて無理やり顔をあげられたので声も出ない。



 「頼んますよ旦那ァ!明らかに普通のガキじゃねぇ動きをしてたんですって!!間違いなく高位魔力持ちだ!!!」



 なるほど僕は売り飛ばされようとしているのか。



 顔をあげられたことによってスキンヘッドの男の商談相手の顔が見えた。身なりに気をつけていそうな恰幅の良い男だ。


スキンヘッドが髪を掴んだまま振り回すので痛みはMAXだ。



 「……まぁ容姿は悪くない。その事も踏まえて、そうだな……金貨二十枚でなら買ってやろう」



 スキンヘッドがパッと手を離した。苦しい体勢から解放されたリトはゼイゼイと息をついた。



 「二十枚!?そりゃねえよ!!基準で行けばプラチナより上ですぜ!?六十枚貰っても足りませんや!!!」



 と声を荒らげる。

 恰幅の良い男が指輪の着いた短い指で顎を摩る。



 「でもなぁ……。そんなに言うなら測ってみようじゃないか」



 と懐から外側に針の付いた金の懐中時計のようなものを取り出す。


 魔力計測器の一種だ。


 中に数字はない。通常の時計の部分に色が付いている。体に外側の針を突き立てると暗い灰色から薄い金色まで、魔力に応じて明るい方へ内部の針が触れる仕組みだ。


 身動きの取れないリトには抗う術もなく、肩に計測器が突き立てられた。

 祖父の計測器で経験済みだが、リトの魔力は測れない。壊れてしまうのだ。


 男は針がグルグルと猛スピードで回り続ける針を怪訝そうな顔で見つめた。



 「まぁいい……。金貨四十枚だ。」



 壊れた計測器を針を拭いて懐に仕舞いながら告げる。



 「いや、でも、もうちょい……」


 「ダメだ。不確定要素が多すぎる。これ以上は出さん。嫌なら他所へ持っていけ。まぁその伝があればだがな」



 スキンヘッドが食い下がるも男は断固として値段を変えなかった。



 「チッ……分かりやしたよ」



 スキンヘッドは諦めた様子で舌打ちして渋々とリトを引っ張って立たせた。

 彼が求めた値段より幾分下がったがそれでも大金だ。


この世界では金貨は銀貨百枚。銀貨は銅貨五十枚で換算される。銀貨が三枚もあれば上質な宿に泊まれる。


 見回すと薄暗い部屋で松明が燃えている。石造りの壁の窓には格子がはまっていて部屋にポツリポツリと置かれた檻には人が入っていた。


この身成のいい男は今では非公認とされている奴隷商だったのだ。


 リトは自分が非常にまずい状況である事を理解した。






 奴隷商がスキンヘッドを下がらせ、部屋の入口に控えていた明るい茶髪の屈強な大男を呼ぶ。



 今を逃せばもう逃げられない。



 リトは覚悟を決めて奴隷商の足を勢いよく払った。奴隷商が転ぶ。スキンヘッドは驚いた顔をして固まった。


だが大男は事態をすぐに把握してリトの前に立ち塞がった。


 腕が固定されていて動きにくいことこの上ないなく身体中が痛みに悲鳴を上げていたが、リトは素早く駆け寄ると小柄な身を活かして大男の足の間に滑り込んだ。


 リトは予想外の動きに驚いて僅かに行動を遅らせた大男の脇に渾身の回し蹴りを入れた。

 大男は体勢を大きく崩してよろめいた。



 「捕まえろ!!!」



 奴隷商が叫んだ声でようやく事態に追いついたスキンヘッドが、リトを捕まえようと両腕を広げた。リトは走った勢いそのままに彼に頭突きした。


 鼻血を出しながら倒れるスキンヘッドを飛び越えて入口に駆け寄る。後ろを向いて取っ手を掴んだが開かなかった。


 だが幸いドアは木製だ。少し距離を取って足を上げ蹴破ろうとしたまさにその時、いつの間にか追いつかれた大男に掴まれてしまった。


 大男はリトの足首を掴んだまま勢いよく引き寄せた。

リトは無駄な足掻きと分かりつつ残った足で飛び上がり蹴りを繰り出した。が、そう上手く行く訳もなく、宙に吊り上げられてしまった。


大男と目が合う。男は怒りの滲んだ笑みを浮かべるとリトを床に叩きつけた。


 視界が大きく歪み、頭の中でぐわんぐわんと音が響き渡る。そして胸ぐらを掴まれ、思いっきり殴られた。

再び床に叩きつけられたリトは、薄れる意識の中で奴隷商が大男に怒鳴りつける声を聞いた。



 「やりすぎだ!間違いなくコイツは高位魔力持ちだ!最高位の分類だ!!使い物にならなくなったらどうしてくれる!?」



 揺れる視界の中で奴隷商が大男に指を突きつけて怒り狂っている。大男が何やら言い訳のような事を言い出した。


そこでリトの意識は途絶えた。

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