第三十一話 怪談の正体
早朝。
吐く息が白い。ダグじぃの小屋の横でリトはアカツキと向き合っていた。
リトは自然体で目を閉じて立っている。一方、アカツキはミスリル製の大剣を持っていた。夜の巣のメンバーの一人に借りた物だ。
アカツキが構えて、リトに斬りかかった。リトは意識を集中して風を切る音、風圧で気配を感じ取り仰け反って躱した。そのまま柔らかく地に手を付けて跳び上がった。リトが一瞬前までいた場所にアカツキが紙のように大剣を振るう。
リトは腰から二丁の魔銃を抜き放ち、構えて、撃った。
アカツキは左右にステップを踏んで避けると一歩大きく踏み出して大剣を振るった。
右に、左に、切り上げ、振り下ろす。紙のように振るわれる大剣をリトは目を閉じたまま、気配だけで躱していく。
腹の高さで振るわれた大剣をしゃがんで躱して、反動を脚に乗せて一気に距離を詰める。銃を構えようとしたその時。後ろから大剣が迫ってきた。銃身で受け止める。
「あ」
リトはパチリと目を開いた。
「今日はここまでだな」
アカツキが大剣を鞘に収める。
これは対タソガレ用の訓練だ。最高に軽いミスリルの大剣でアカツキにタソガレの動きを再現してもらって、寸止めされるのはもちろん、銃身で防いだり、弾いたりしてしまった時点で終了だ。
実際のタソガレの攻撃は一撃でも食らえば即アウト。受け止めて、弾くなんてことは無理だ。吹き飛ばされる。その先待ち受けるのは良いようにされる未来だ。
リトは今浮かんだ嫌な思いを吹き飛ばすように頭を振ると、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
アカツキはリトの頭にポンと手を置くと
「だいぶ気配で察知できるようになってきたな。
見えない死角からの攻撃も、突然の強襲も対応できるようになる」
ワシワシと頭を撫でた。リトは少しくすぐったい思いで微笑む。
遠くでダグじぃがぷかりと煙を吐き出した。
テトラーナでヨルを送った後の帰り道。
つい、と手が引かれた。振り返って見れば昨日の少女だった。
「お兄ちゃん。私の声、ちっちゃいのによく聞こえるね」
リトは少女の目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「うん。僕はこう見えても耳がいいんだ」
「目もいいんでしょう?」
少女が猫目の大きな瞳をクリクリさせる。
「よく分かったね」
とリトは少し驚いた。
「お兄ちゃんにお願いしたいことがあるの」
少女はそれには答えず真剣な顔をして言った。
「僕に?」
リトが問うと、少女は強く頷いた。
「お兄ちゃんにしかできないことがあるの」
一体なんだろう。リトが不思議に思っていると少女は続けた。
「ずっと待ってたの。誰も聞いてくれなかったの。いっしょうけんめい話したのに。」
少女は少し悲しそうな顔をした。
「僕にできることがあるならもちろんするよ」
「ほんと?」
リトが答えると少女は初めて年相応の笑顔を見せた。
午後五時の鐘が鳴る。
「明日もまたここに来る?」
少女が問う。
「うん。今度はちょっと早くても大丈夫かな?」
「ううん。この時間がいい」
少女はふるふると首を振った。
「じゃあ、明日もここで」
リトがにっこりすると少女もにっこりとして駆け出した。数歩進んで振り返る。
「約束だよ?」
「うん。ちゃんと守るよ」
リトが約束すると少女は戻ってきた。
「手、だして」
リトが手を出すと小さな飴を落とした。
「飴ちゃんあげる。約束だよ?」
リトが頷くと少女は今度こそ駆けていった。
「おいー、リト。勝手にどっか行くなって」
カティが姿を現した。
「あ、ごめん」
リトは立ち上がった。
「なぁ、誰と話してたんだ?」
カティが問う。
「五歳くらいの女の子が僕に頼みたいことがあるんだって」
「ふーん。なんだろうな?帰ろうぜ」
リトはポーチに飴を仕舞った。二人で夕日の射す道を並んで帰った。
「小さな女の子……ですか?」
ヨルがリトの顔を覗き込む。
「うん。五歳くらいのちっちゃい子で、肩くらいのかなり明るい金髪で青い猫目の子で……教会の近所の子かなって思うんだけど、知らない?」
リトが問うとヨルはうーん。と唸った。
「教会の近くでそのような子は見たことありませんね……。
その子は一人じゃないって言うけど周りに親らしき人は居ないんですよね?
でも話を聞くに迷子のようでもありませんし……」
と頬に手を当てる。カティが話す。
「リトは昨日も一昨日も会ったって言うけど、俺も、エドワードも、そんな子全然気づかなかったんだよ。
なんか知らん内にリトが見えなくなって戻ってきたらそんなこと言うんだぜ。
リト、お前ちょっと不気味だぞ」
リトは少し顔をヒクつかせた。ポーチから昨日の飴を取り出した。透明な包み紙の中にピンクの飴が納まっている。
「実際飴も貰ったし……ちゃんと実在してるって。心配なら今日はちゃんと隣に居たらいいじゃないか」
リトは口を尖らせた。
「あの、なら今日は私も居てもいいですか?」
リトはパッとヨルを見た。
「もちろん!でも門限は大丈夫?」
ヨルは頷く。
「はい。一度教会まで戻って、少しだけ時間を貰ってきます。」
「なら今日はちょっと早く出るか」
とカティが立ち上がる。リトとヨルも頷いて立ち上がった。
ヨルが教会に一度入って行った。リトとカティは敷地の外でそれを待っていた。クイッと袖を引かれる。
「お兄ちゃん、どうしてここにいるの?」
少女が袖を引いていた。大きな猫目の瞳をクリクリさせる。リトは少女の目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「今日は僕の友達も君に会いたいんだって。お家に帰る時間が決まっているから、
ちょっと遅くなることをお願いしに行ってるのを待ってるんだ。
今日は一人?」
リトが答えると少女はふるふると首を振って、ちょっと考え込むように手を顎に当てる。そしてリトの手を握った。
「こっち来て」
リトの手を小さな両手でグイグイ引っ張る。
「え、ちょ、ちょっと待って」
肩越しにカティを振り返る。カティは教会の敷地に入ってドアの前に立っていた。
「カティ!ちょっと離れる!」
カティが振り返る。
「おー、あんまり遠く行くなよ。俺はここでヨル待っとくから」
少女はリトの手を引いて歩く。小さな歩幅は二歩でリトの一歩だ。教会の裏手の林に入り、進んでいく。
少女の足取りに迷いはない。だがリトはだんだん不安になってきた。
「ねぇ、僕、今あんまり遠くに行けないんだ。
もうちょっと待ってさっきのお兄ちゃんと一緒ならいいんだけど……」
リトが言うと少女は少し立ち止まって考える。
午後五時の鐘が鳴った。
いつもより近い。教会のすぐ裏手だからだろうか。
「お兄ちゃんの友達は、悪い人?」
少女は突然リトに訊いた。リトは少しびっくりした。少女はリトの手を握る力を強めて、真剣な眼差しでじっと見る。
「全然悪い人じゃないよ。むしろすごく良い人だよ。とっても優しいんだ」
リトが微笑むと少女はまた少し考えて
「じゃあ待ってるから連れてきて」
と言った。先程は一人じゃないと言っていたがどう見ても周りには大人どころかリト達以外人っ子一人いない。
こんな小さな子を一人には出来ない。
「君も一緒に戻ろう?」
少女はふるふると首を振る。リトは少し困った。しゃがんで目を合わせる。
「一人だけだと危ないよ。もし、君に何かあったら僕は悲しいな」
少女はちょっとびっくりしたような顔をした。
「お兄ちゃん私のこと、心配してくれるの?
私に何かあると悲しいの?まだ会ったばっかりなのに」
リトは少女の目を見つめてしっかりと頷いた。
「毎日会う約束したらもう友達だよ」
リトが優しく微笑むと少女は目を丸くした。その時、遠くでリトを呼ぶ声がした。
「おーいリトー?どこ行ったー?」
カティがヨルを連れて探しに来ていた。
「こっち!」
リトが立ち上がって声を掛けると二人は走って寄ってきた。
「あんま遠くに行くなって行っただろ。
長ぇトイレかと思ったじゃんか。お、これが例のガキンチョか」
とカティがリトの脇に視線を落とす。少女はリトの手を握ったままじっとカティとヨルを見つめていた。
「うん。そういえば君、名前は?」
リトが思い出したように訊くとカティが呆れる。
「名前も知らなかったのかよ」
「クゥ」
少女が小さく名乗った。リトはにっこりとした。
「いい名前だね」
少女もにっこりする。するとカティの後ろにいたヨルが口を開いた。
「あの……」
リトとカティが振り向く。
「お二人はどなたとお話されてるんですか?」
リトとカティの顔が凍りついた。
クゥが言う。
「大抵の人は私の姿は五時になると見えるようになるんだけど、お姉ちゃん、魔力がほとんど無いのね。だから私が見えないんだわ」
リトは慌ててクゥを見下ろした。
だってクゥはここにいる。
リトの横に立っていて、手を握っている感触も本物だ。小さい子特有の暖かくて湿った小さな手は確かにリトの手を握っている。
「見えないって?」
リトがクゥに問うと顔をやや強ばらせたカティが怪訝そうな顔をして振り返った。
「リト、そのガキなんか言ってんのか?」
「え、さっきから」
ずっと喋っているのに……。
その言葉は続かなかった。リトの背中を冷たい汗が流れる。
カティがスっとクゥに手を伸ばした。リトは思わず庇ってしまった。カティが一瞬、驚いた顔をして苦笑する。
「なんにもしねぇよ。ていうか多分、出来ないだろ」
とそのままクゥの頭に手を伸ばした。クゥの髪が撫でられるはずだった。だがカティの腕はクゥの頭を素通りした。
リトは驚愕した。
「私の声が聞こえるのはお兄ちゃんが初めてなの」
クゥが続ける。
「私のお願い、まだ聞いてくれる?」
と悲しそうな顔でリトを見上げた。リトはもう一度目線を合わせた。
「約束だからね。お願いってなぁに?」
カティとヨルが顔を見合わせている。クゥはにこっと年相応の笑顔になった。
「着いてきて」
と再びリトの手を引く。リトは大人しくついて行くことにした。カティとヨルも着いてくる。
しばらく歩くと洞のある大きな木の前に辿り着いた。
「ここ掘って」
リトは指示に従った。ポーチからスコップを取り出してドキドキしながら少しずつ掘りすすめていく。
カティとヨルが固唾を飲んで見守っている。
二十センチほど掘るとスコップの先に何かが当たった。
リトが恐る恐る土を避けると予想に反して小さな箱が出てきた。土を払う。
手のひらに収まるほどの小さな箱は土の中に埋まっていたにも関わらず、汚れひとつない。
「開けて」
精緻な模様が描かれた蓋をそっと持ち上げた。
中には小さな片耳用の耳飾りがひとつ入っていた。
細かな装飾が施された銀細工のような金具に雫型の深い青色の石が下がっている。
「これを私の妹に渡して」
「えっ?」
美しい耳飾りに一瞬気を取られていたリトは聞き返した。
「これを私の妹に……ううんやっぱり優しいお兄ちゃんが持っていて」
クゥが微笑む。
「どこに行くにも、何時でも、必ず着けて持っていて。
お風呂の時も、寝る時も、絶対必ず。それが私のお願い」
リトは不思議に思いながらも頷いた。
するとふいに、クゥの姿が薄れ、淡く光りだした。誰かの息を飲む音が聞こえる。
「ありがとう。優しい優しいお兄ちゃん。あ、その箱はやっぱり妹にあげてほしいわ」
「妹って?」
リトが戸惑いながら訊くとクゥは頷いた。
「私たちの一番最後の妹。お兄ちゃんのそばにいるわ。いつも見守ってくれていてありがとう。よろしくね」
クゥはそう言い残すと消えた。小さな光が弾ける。
クゥが見えないはずのヨルが近寄ってきてそれに手を翳した。
空に昇っていく小さな光りを三人で見送った。
リトが耳飾りを着けて立ち上がる。
「なんて言ってた?」
カティが問う。リトは少し視線を彷徨わせた。
「この耳飾りを最初は妹にあげてくれって言ってたけど途中から僕に着けてろって……。あと、箱を妹にあげてくれって……」
「妹?今の……この街で、広場に現れて、子供の幽霊ってテトラーナの幽霊でしかないだろ?
テトラーナの怪談が出回り始めたのは何十年も前だ。そこら中のおばちゃんに聞いて回る訳にもいかねぇし、どうすんだ?」
「うーん」
リトが悩んでいるとヨルが言う。
「彼女のことは私には見えませんでしたが最後の光りは少し見えました。微かでしたが喜びと、安心。そして感謝が伝わって来ました。
リトに預けて安心したのなら、リトの思うようにしてみたらいかがですか?」
「うん。そうだね」
リトはにっこりした。ヨルもにっこりして見つめ合う。
「ハイハイ。俺を忘れて二人の世界に入らないでくれ。」
カティがパンッと手を叩きリトとヨルは我に返り二で顔を赤くして俯いた。
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