第五十四話 エルとメル(中)

「エル」


「もうちょっとぉ」


「エルー」


「後でねぇ」


「エールー!」


「はいはい。なぁに?メル」



 生返事に耐えかねたメルがエルを揺すった。


 エルは九歳、メルは六歳になった。エルはこの秋で十歳になる。



「ねぇエル、もう時間よ?」


「えっ?もう?」



 メルが頬を膨らませた。

 エルの世話の甲斐あって、メルの精神は年齢に近づいた。


 エルの方も一年前に幅広い学科の大学修了課程を全て終えてのけ、今は魔法研究開発に力を入れている。そのため体は以前より開くようになっていた。


 精神的にもゆとりが出来た。エルは魔法が好きなのだ。



「魔法の特訓つけてくれるんじゃなかったの?」



 おおよそ貴族の子女らしからぬ話し方。



「もちろんだよぉ。ごめんごめん」



 エルの方ものんびりと間の抜けた貴族の子息らしからぬ話し方だ。


 二人とも普段はこんなじゃない。エルとメル、そしてメルの乳母のカリーナを含む三人の時だけ二人とも力を抜いていた。


 カリーナは必要最低限しか話さないが、細やかな気遣いのできる優しい人だった。カリーナはメルが乳母を卒業すると解雇されそうになったが、エルとカリーナ本人の必死の嘆願によってメルの侍女として使える事が許された。


 エルの乳母は二人の母を追うように事故で亡くなった。


 メルは魔法教育を受けているにも関わらず、魔法が使えないままだ。発動すらしなかった。

 勉学のスピードも人並み、貴族としては遅いくらい。それでもメルの最初の遅れを考えれば、とんでもない成長速度なのだが、父親はメルに興味を失った。


 そのためメルは今や放置されている。なのでエルがメルに特訓をつけていた。



「じゃぁ今日も魔力の循環からやるよぉ」


「ええ〜今日もぉ?」



 メルが不満そうに言う。エルは苦笑した。メルは早く魔法が使えるようになりたがっているのだ。



「メル、これが出来るようになると随分違うんだよ」



 エルが言い聞かせる。



「メルは魔力を人の体内に巡らせられないからね。自分の体にはとっても上手に巡らせられるけどねぇ。

 少し勝手が違うけどこれは体の外に魔力を出す練習になるんだよ〜」


「うーん……分かったぁ」



 メルは渋々返事した。エルはそんなメルの頭を撫でた。



「地味だけどきっとメルにも使えるようになるからねぇ」


「うん!」



 メルはにぱっと笑った。






 秋も近いある日のこと、エルとメルとカリーナの三人で、久しぶりに許された庭の散歩を楽しんでいた時。


 それは起きた。



「おい、なんで妾の子と出来損ないが庭を歩いてるんだよ」


「お兄様……」



 エルのすぐ上の兄が三人の前に立ち塞がった。


 すぐ上の兄は十一歳。エルと二つ違いだ。


 彼はエルとメルをさげずんでいた。そしてちょくちょくこうして難癖を付けて絡んでくるのだ。



 良い迷惑である。



「申し訳ありません。すぐに帰ります。」



 とエルがメルとカリーナと共に向きを変えるとまた前に回り込んで来た。



「あの、お通し下さい」



 兄はエルを見るとパッと丸メガネを取り上げた。



「「あっ!」」



 エルとメルが声を上げた。初めてエルの表情が大きく動いた。

 それを見て兄は満足そうにニヤニヤと笑った。



「お前、妾の子のくせに生意気なんだよ。お父様の気を引いてそんなに楽しいか?

 媚びばっか売ってお父様に贔屓してもらいやがって……大人しく屋敷の隅で縮こまってればいいのに」


「お返しください!お願いします!お返しください!!」



 エルが必死になって叫んで取り返そうとする。エルはこの歳の子にしてはかなり背が高いが兄には敵わない。


 兄は腕を高く上げて嫌らしく笑った。



「そんなに返して欲しければ、這いつくばって靴でも舐めろよ」



 エルは流れるような動作で地面に屈み込んで片膝をつくと、優雅に兄の足を取って靴を舐めて見せた。


 エル以外みんな呆気に取られて動けなかった。



「これでよろしいですか?」



 エルの声に兄がハッと我に返った。



「生意気なんだよっ!!」



 そう言うとメガネを地に投げつけて踏みにじった。


 その瞬間、兄が吹っ飛んだ。メルが飛び蹴りを食らわせたのだ。


 メルは優雅にすら見える着地をすると素早く兄へと駆け寄った。ワンピースの裾が翻る。

 メルは地面に伸びて呆然とする兄に馬乗りになって殴り始めた。



「メル!」


「メル様!」



 エルとカリーナがハッと我に返ってメルを止めに入った。



「よくも!よくも!!」


「メル!落ち着いて!!メガネは無事だから!」



 エルが言うメガネはエルの言う通り傷一つなかった。エルが厳重な防護魔法をかけているからだ。


 だがしかしメルはなかなか殴る手を止めない。

 とうとうエルがメルを抱えて、カリーナが兄をメルの下から引き摺り出して引き剥がした。


 兄は顔がボコボコに腫れ、鼻血を出して気を失っていた。






 その日の夜二人は父親に呼び出された。



「なんの為に呼ばれたかは分かっているな」



 三人は黙っている。メルは記憶にある限り初めての父親との面会がこんな形になって青ざめている。


 父親は大きく息を吐くと裁決を下した。



「エルリムは謹慎。メルヒラは魔封じを付けて三日鞭打ちの刑だ。

 その間の食事も無し」


「父上!枷は犯罪者を封じる為に開発したもので……!!」



 魔封じとはエルが開発に関わった、魔法使いの犯罪者につける枷のことだ。人によって「魔封じ」、「枷」などに略される。


 人は誰しも魔力を持っている。その量に比例して体力、持久力、耐久力、魔力感知を含む六感などが上がるのだ。

 魔力は人の体に満ち、常時緩やかに巡って僅かながら体外に放出されている。


 魔封じの枷は魔力を乱す波動を出す鉱石から作られており、着けると体内の魔力が乱され、魔力が練れなくなるので魔法も使えなくなるだけでなく、身体能力が全て著しく低下するのだ。


 それはつまり普通の六歳児以下体のメルに鞭を打つことに違いなく、暗に死ねと言っているようなものだった。



「どうかお考え直しください!!お願いします!!」



 エルが叫ぶ。するとその肩を押さえてカリーナが前に出た。



「旦那様失礼を承知で申し上げます。どうかお考え直しください。

 メルヒラ様はお生まれになった際よりお身体が弱く、それに伴い心身の成長が遅れました。現在もまだ感情が幼く、ご自分を制御出来ません。

 メルヒラ様を御し切れなかった全責任はわたくしにございます。真横に居たにも関わらず止める事ができませんでした。

 誠に申し訳ございませんでした。

 罰ならどうか私めに。どうか……どうかお慈悲をお願い申し上げます。」



 そう言ってカリーナは静かに土下座をした。



「カリーナ!僕にも……僕にも非があります!!」



 エルも声を上げて土下座する。カリーナとエルは頭を下げ続けた。


 父親は深くため息を吐いた。



「エルリムとメルヒラは一週間の謹慎の上、食事抜き。カリーナは解雇だ」



 父親は無表情のままそう告げた。






 一週間が経った。この日、カリーナは屋敷を発つ。


 カリーナの嘆願が聞き入れられたのも、カリーナの罰が解雇だけで済んだのも、カリーナが隣街の貴族の出だからだ。


 門の前に三人が並ぶ。



「カリーナ……僕らのせいでごめん……」


「カリーナ……本当にごめんなさい」



 二人は謹慎が解けた瞬間に門に来た。


 一週間も水だけで過ごしたのでお腹は極限に空いているが、それどころではなかった。


 カリーナは静かに頷いた。



「僕らのこと、ずっと見守ってくれていてありがとう。

 カリーナのこと、ずっと忘れない。本当にありがとう」


「カリーナ…カリーナのこと大好き。

 第二のお母さんだと思ってるわ。これからもずっと……。今までありがとう」



 エルが静かに、メルがポロポロと涙を溢しながら別れの言葉を口にした。


 カリーナは荷物を足元に置いて二人に一歩近づくと二人をそっと抱きしめた。エルとメルが驚いた顔をする。



「私は……」



 二人を抱きしめたままカリーナが口を開いた。



「子供を亡くした直後、気落ちしている中、イスタルリカ家の乳母としての働き口を得ました。

 お二人のお母上はとても優しく、聡明で気さくで、そしてお二人はとても可愛くて私の心はは癒されました。

 烏滸がましい話ですが、お二人のことを我が子のように思っております。

 お母上が亡くなった後、お二人をお守りするのは自分だと思いました。今回このような形になり、力及ばず申し訳ございません」



 カリーナが言葉を切る。二人は何も言えなかった。


 カリーナはスッと体を離して、二人の肩に手を置くと、静かに二人の顔を交互にしっかりと覗き込んだ。



「エル様。メル様。どうかお元気で。

 そして、どうかお二人で幸せになってください」



 そう言ってカリーナは荷物を拾って立ち上がった。頬に涙が光っている。



「今まで誠にお世話になりました。

 また、どこかで」



 カリーナが馬車に乗り込んだ。

 動き出す。

 遠ざかっていく馬車をエルとメルはいつまでも見送っていた。


 二人を愛称で呼んでくれるのはもうお互いしかいない。二人ぼっちになった。






 エルの誕生日になった。いままではメルとカリーナ、生前のエルの乳母や母とささやかに、小さなケーキにロウソクを立ててお祝いするだけだったが、今年は十歳という節目であり、各種博士号を修め、様々な魔法や魔道具の開発に関わってきたエルのお披露目も兼ねて小さなパーティーが開かれた。


 エルは母の杖を試すこととなった。


 この世界において、杖は魔法使いにとって重要な品である。


 杖を持つと威力をそのまま、あるいは増幅させ、僅かな動きのみで魔法を使うことができるようになるからだ。


 通常、魔法は声に出して詠唱する事によって初めて体内の魔力と外部がリンクする。だが杖はそのプロセスを省略出来る。

 つまり無詠唱で魔法が使えるようになるのだ。


 更に、杖を使う状態で一節でも呪文を唱えればその威力は魔法使いの力量にもよるが十倍にも二十倍にもなると言われる。


 だが、誰でも杖を持てる訳ではない。


 と言うのも、杖は「考える木」と呼ばれる、世界に両手で数えられる程しかない、巨木エラルメルカの枝で作られ、その杖を扱えるかどうかはエラルメルカに気に入られるかどうかに左右されるからだ。


 巨木エラルメルカは膨大な魔力と、二つ名の通り一定の意志を持っているとされている。


 気に入った者が横を通った時にわざと枝を落とすなんて言う逸話も多数ある。


 そんな木の枝から作られた杖は貴重品で、継承は別として、勝手に処分することはどの国でも禁じられている。


 親から子へ受け継がれることも多いが、親は使えても、子は使えないという事もざらにある。


 その場合は己の所属する国へ返す事が基本とされている。全てはエラルメルカとの相性次第だ。


 だが全ての杖の行方が追える訳もなく、どこぞの倉庫や宝物庫に眠っていることもある。または、何かの褒賞として、杖の全権を勝ち取る者もいる。


 杖に気に入られるとそれは温かく手に馴染み、逆に嫌われると痛みとともに弾かれるのだ。


 パーティーに集まった客達が見守る中、エルは布に包まれた杖に手を伸ばした。

 そっと布をぐると、中からエルの背丈ほどのすんなりとした杖が出てきた。


 母は北の孤児院の出で、身寄りがなかったため、学院から杖が贈られたそうだ。だからこれは正真正銘母の杖だ。


 エルはドキドキしながら杖に手を伸ばした。触れる直前で少し止まる。そしてゆっくりと握った。杖は温もりと共にしっくりと手に収まった。


 あたりからパラパラと拍手が湧く。エルは杖を手に一礼すると急いでその場を離れた。


 沢山の人から呼び止められ、挨拶や祝辞の声を掛けられる。それらに笑顔を貼り付けて対応して、人が切れた隙を見つけて会場の片隅へ逃げ出した。



「エルリムお兄様おめでとうございます」



 メルが直ぐにそばへ寄ってきて言う。



「ありがとうメルヒラ」



 そこで二人は辺りを見回し、自分たちに注目する者が居ない事を確かめた後、二人で顔を見合わせてふにゃりと笑った。



「おい、出来損ない」



 いつの間に側へ来ていたのか直ぐ上の兄が、メルの髪を強く引っ張った。



「痛い!」


「お兄様……どうかメルヒラから手をお離しください」



 エルが目を鋭くする。兄は周囲の大人にみえないように、メルの髪をぐいぐいと下へ引っ張る。



「俺に命令するな」



 エルが杖を持つ手を後ろにやった。



「ではしょうがないですね」



 エルはあっさりそう言った。突然態度を変えたエルを兄は不審に思った。


 次の瞬間兄とメルの足元が凍り、兄の足元はツルツルに、メルの足には細くしっかりと絡みついた。


 兄が足を滑らせる。バランスを取ろうとしてメルの髪から手が離れた。氷は一瞬で消えて兄は強かに尻もちを着いた。


 その間にエルはメルを引き寄せ後ろに庇った。ニイッと悪い顔をして兄を覗き込む。



「い、今……」


「あららお兄様大丈夫ですかぁ?」



 兄が何か言おうとする声に被せて聞く。



「何がだ!お前が今なにかしたんだろ!」



 兄が腰を擦りながら憤慨して立ち上がった。



「なぁんにも?

 僕には何も見えませんでしたが……メルヒラは?」



 エルがわざとらしく後ろを振り返ってメルに聞く。メルはふるふると首を振って一言。



「もしかしてお兄様には幻覚が見えてらっしゃるのですか?お若いのに可哀想……」



 と形の良い眉を八の字に下げてみせた。



「ふっざけ……!!」



 兄が声を荒げかけてまた転ぶ。



「今日はお兄様災難ですねぇ」



 エルは助け起こそうともせずにニヤニヤした。

 顔の半分ほどもある丸メガネが怪しく光を反射する。



「お、お前が杖……!!」



 兄が叫ぼうとして今度は声が小さくなって消えた。



「ん?なになに杖……?僕の杖がどうしたんですか?」



 エルがわざとらしく耳を寄せる。兄が立ち上がって掴みかかろうとするのをひょいと躱してまた氷を張る。


 兄が滑って今度は前から地面に突っ伏した。氷が一瞬で消える。



「お兄様は僕が杖でなにかしたとおっしゃいますが、普通、杖をまともに扱えるようになるのに一ヶ月はかかりますよ?

 僕はたった今手にしたばかりですし、呪文も唱えてない。証拠は何もありません」



 兄は顎を打って目を回していた。



「さぁ、メルヒラ。お兄様はお具合が悪そうだからそっとしておいて差し上げよう」


「そうですねエルリムお兄様」



 そう言って二人は兄からくるりと背を向けた。こっそり顔を見合わせてニヤリとそっくりの悪い笑顔を浮かべる。


 パーティー会場の片隅、小さな騒動に気づいた者は居なかった。

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