第三章

第三十八話 リトの引っ越し

 ダグじぃの小屋の横でリトとアカツキが向かい合う。


 雪が舞っているがこの一体には積もっていない。

 夜の巣の植物魔法のエキスパート、ダグの土魔法による効果だ。


 アカツキが大剣を抜き、リトに飛びかかった。リトは魔銃を抜きながら左に体を振って避けた。それを大剣が追う。

 リトは右手の魔銃を大剣の力に逆らわずに添え、そのまま銃身の上を滑らせて力の流れを僅かに変えた。出来た隙間に身を沈めて滑り込み、一歩踏み出してアカツキの顎に銃を持った拳を突き上げる。

 アカツキはそれを仰け反って躱した。後ろに倒れ込むようにして飛び退りながら右腕一本で大剣を紙のように横薙ぎに振るう。

 リトはそれを前に転がって避け、今度は足を払った。アカツキは軽く跳んでやり過ごすと大剣をリトに振り下ろした。リトは再び大剣に魔銃を添え、銃身を滑らせ逸らした。アカツキの大剣が地面に刺さる。


 その一瞬を突いてリトは両手で魔銃を構えて、撃った。アカツキが地を蹴って後転しながら大きく退る。


 リトが更に撃つ。アカツキは器用にそれを大剣で弾き、距離を詰めた。リトはその行動を予測して弾を置くように撃っていった。

 アカツキの逃げ道を弾幕で塞ぐ。アカツキは片手で大剣を紙のように振るって弾を斬り伏せ、弾いて道をこじ開けた。


 更にその先に置かれた弾が遂にアカツキの腹と脚に命中した。


 アカツキが立ち止まって口を開く。



「ようやく俺にも当てたな」



 アカツキにそれほどダメージはない。当たっても強めの打撲ぐらいの怪我で済む。


 膨大な魔力故、出来なかったコントロールをリトはついにものにした。


 まだまだ荒いところがあって相変わらず魔法はほとんど使えないけど。


 タソガレとの戦闘後、体の出来ていないリトでも体勢を崩さずに受け流す方法をアカツキは教えてくれた。それによりリトは攻撃を捌いて素早く反撃に繋げられるようになったのだ。


 魔銃の扱いにも慣れてきたリトにアカツキはもうひとつ戦術を教えた。相手の行動を予測して弾を撃つこと。


 早撃ちして弾幕で逃げ道を防ぎ、誘導して、確実に仕留める。


 魔力の多い者にしか出来ない方法だ。


 リトの訓練は最初はアカツキが教えてくれるが途中からは手の空いている者に相手をしてもらうことに移行していた。


 毎度変わるメンバーに実戦形式で挑んでいくのだ。


 付き合ってくれたメンバーには何度かは勝てるようになってきてたが、アカツキには手加減されてても弾はかすりもしなかった。

 今日この時までは。初めてアカツキ相手にやっと一本取れたのだ。



「さすがだな。よくやった」



 アカツキがリトの頭に手をポンと置きワシワシと撫でた。



 くすぐったい。



 リトには母も父も居ない。祖母も三歳の時に亡くして、家族の記憶と言えば祖父だけだ。祖父はめいっぱい愛情を持ってリトを育ててくれた。


 それでもリトは時々親子で連れ立つ近所の子供達を見て寂しさを感じる事があった。

 その祖父もこの秋に亡くなって、リトはひとりぼっちになった。


 そんなリトは今は夜の巣にいる。夜の巣は高位魔力者を多数含む犯罪武装集団だ。


 尤もそれは世間一般での認識で実際に悪行を働いているわけではない。


 非道な実験を繰り返し、高位魔力者を狙う教会から、助け出し、保護するための戦いを繰り返している内に、アカツキ含む戦闘要員と逃げ出した者達に賞金をかけられてしまったというだけなのだ。


 夜の巣の結束力は強い。夜の巣にいる者は家族だとアカツキは言った。それはリトにとってもそうだ。


 家族を守るための力を付けたい。その一心でリトは修行に励んでいた。

 アカツキは無愛想で無表情だが、よくこうして褒めてくれる。



 父親がいたらこんな感じなのだろうか。



 頭を撫でられながらリトはしょっちゅうそう思うのだった。


 遠くでダグじぃがぷかりとパイプを吹かして輪を作っている。


 リトは大きくにっこりした。






 リトに執着し、度々襲って来ていたタソガレの逃亡から一ヶ月。

 タソガレの育て親だったトルタスに聞き出した洞窟のある地は以前盗賊退治に行ったニコリスの近く、北東の国境付近の森だったらしい。

 アカツキはすぐに行方を追わせたが痕跡は残されておらず、生きているのか、死んでいるのかも分からない。


 でももし生きていたとしてもとっくに国外へ逃亡しているだろう。何となくモヤモヤしたものを残す決着だ。


 そんなことを考えながらリトがオートミールを食べているとカティがやってきて話し出した。



「夜の巣のパトロン?」


「そ。そろそろお前にも説明しとけってアカツキに言われてたんだよね」



 カティが頬杖をついてフォークをハムに刺す。

 カティは夜の巣でリトと一番歳が近い。便利な結界術を使い、諜報、工作、隠蔽などを担っている。



 カティの話はこうだった。


 夜の巣には大きなパトロンが着いている。その見返りが夜の巣の戦いのプロ達、戦力の提供だ。


 この国、ウィスクは二十六の街とそれに付随する無数の小さな村等で成る国だ。

 一つの街につき一家。貴族の当主が街主となって治めている。基本的に世襲制だ。


 その数ある街の中でも特に大きな街が四つある。


 北のノーゼンブルグ。東のイスタルリカ。南のサルベラカルド。そして西の、王都ウィスクタリア。


 国王、アーサー・フォン・ウィスクタリアが治める王都以外の三つの大都市の内の一つ。

 ノーゼンブルグの当主こそが夜の巣のパトロンだった。


 ノーゼンブルグの街はウィスクの防衛の要。残された世界の最北端。

 魔王全盛期は北の街一帯を率いて隣国と協力し、魔王軍の進行を食い止め、魔王が去った今も北の凶悪凶暴な魔物相手に常に先陣を切って戦う、騎士と冒険者の街だ。


 故に騎士団を幾つか抱えている。


 騎士団と聞こえはお堅いイメージだが、ノーゼンブルグは武力を集めるため、国から比較的自由な騎士団編成が認められている。


 その中の一つに飛びっきりの問題児を集めたものがある。


 力こそ全ての戦闘狂、百戦錬磨の色狂い、居眠り魔、呪いで縛られた犯罪者等々……。


 そんな騎士団の中に夜の巣の手配書メンバーが紛れているのだ。だがしかし彼らの戦力は正に一騎当千。少数精鋭でノーゼンブルグの主力を担っているらしい。


 現ノーゼンブルグ当主は大層な変わり者だが子供時代のアカツキを知っており、現在に至るまでずっと気に入っているらしい。



「そんなに凄い人が味方に着いているのになんで教会はのうのうとしているの?」



 リトが問うと



「三大貴族なのに国への発言力が低いのはひとえに一街主だから。

 国王への発言はより上位に当たる街を持ってない中央貴族達を通して行われる状態だから、だ。そして中央貴族には教会の息が掛かっている者が大多数を占めているってワケ」



 カティはハムを咀嚼しながら答えた。

 リトは関心してほーっと大きく息をついた。食べかけで手が止まっていたふやけたオートミールを慌てて掻き込む。


 今まで夜の巣の豊富な資金力の出処や戦いのプロ達はどこに行っているのかなど、ずっと謎だった事が解けた。



「他人事みたいに関心してっけどお前……」


「えっ?なんて?」



 カティが何か言いかけて言葉を切る。リトは一瞬オートミールに集中していたためうっかり聞き逃したのだ。



「いや、なんでもねぇよ」



 カティはさっきからどこか不機嫌そうだ。


 リトは不思議に思いながらもその時は深く考えなかった。






 ある日の夜。部屋でルナに本を読んでやっているとアカツキがやってきた。


 ルナは三ヶ月半前まで教会の実験によって不老不死の呪いにかかっていた。


 五歳のまま三十年。肉体的にも精神的にも成長出来ない呪いだ。それをリトが解いた。


 リトが祖父の魔王に受けた呪いを解くために考え出した、リトにしか使えない、リトが唯一使える解呪の魔法で。


 解呪から凡そ二ヶ月眠り続けたルナは、目覚めてからというもの、今まで吸収出来なかった分を補うかのように知識欲に飢えている。そのためもう五歳相応の絵本では満足出来なくなっていた。


 今読んでやっているのはリトが以前ルナの解呪のヒントを得た勇者の物語の原本だ。



「着いてこい。ルナ、リトを借りるぞ」


「えぇ〜?またぁ!?」



 ルナに謝りつつ部屋を出るとアカツキの部屋に連れていかれた。


 惑星の模型、球体の地図、ランプ、光る液体の入った瓶に、、何かの鉱石、そして本の山。相変わらず物に溢れたアカツキの部屋には興味が尽きない。


 アカツキが机につき、机の前に置いてある長椅子をリトに勧めた。リトは本を少し避けて落ち着くと少しドキドキし始めた。



 こんなにかしこまってする話って一体なんだろう?



 リトが座ったのを見届けてアカツキが口を開いた。



「カティからパトロンの話は聞いたな」



 リトは頷いた。カティに朝ごはんの時に説明されたのは確か一週間前だったろうか。アカツキは「そうか」としばし沈黙した。

 リトが大人しく待っているとアカツキは真っ直ぐにリトの顔を見つめた。



「お前をノーゼンブルグにやることにした」


「えっ?」



 リトは突然のことに素っ頓狂な声を上げてしまった。



「ここしばらく教会も動きはないし、先日、お前は俺に弾を当てた。もう実力は相当にある。次の段階に進むべきだ」



 アカツキの言葉にリトは驚いた。


 リトは弱い。カティに弾を当てられるのも、エドワードに一本取ることも、ルドガーと引き分けることも、まだたまにしか出来ない。

「たまには私が相手して差し上げましょう」とオルガに放り投げられたこともまだ記憶に新しい。


 アカツキにだってまだまだまだまだ手加減されている。



「場数が違う。お前に足りないのは実践だ」



 リトがその事を口にするとアカツキは言う。



「お前の歳では少し早いが……夜の巣の通過儀礼みたいなものだ。少しの間揉まれてこい」



 お前……そこに放り込まれるんだぞ。



 カティが言いかけた言葉の続きが分かった気がした。






 翌日からリトは忙しくなった。

「しばらくは一人で部屋を借りて生活することになる」とアカツキに言われ、自室を整理整頓掃除した。


 荷造りに取り掛かる。新しく借りる部屋は必要最低限の家具は設置されているらしい。


 ポット、コップ、歯ブラシ、本、薬の調合セット、ランプ、下着、服、本、シャンプー、石鹸、タオル、本、カラトリー、皿、水筒、万年筆、本、ブックスタンド……。


 目につく端から小物をポーチに詰め込んでいった。


 呼ばれてオルガの部屋に行く。自室を出て、繋ぎの間で茶色の扉を三回ノック。ドアノブの数字を一に合わせて、医務室に入った。


 大きな円形の医務室の壁には壁に埋め込まれるようにしてベッドが沢山並んでいる。今はどれも空床だ。医務室の奥のドアをノックする。



「どうぞ」



 オルガの返答を聞いてリトはドアを開けた。壁一面いや、四面にびっしりの棚。その中には薬草や骨、角など、薬の材料が詰まっている。

 部屋の至る所に薬の調合や治療道具、何に使うのか分からない謎の器具等が渦高く積まれている。


 それらを避けてオルガの側へ行くとどっさり薬を渡された。



「いいですか、この黒いのは血止め軟膏、この赤いのは傷薬です。だいたい三秒あれば少々の傷は跡形もなく消えるでしょう。出血が酷い場合は血を止めた後、傷に直接垂らして使ってください。

 こっちの白い飲み薬は解毒剤。まぁあなたにはほぼ必要無いかもしれませんが。

 この水色の液体は体力回復。この黄色いのは打撲、捻挫に効きます。必要な大きさに切り取って貼ってください。即効性があります。

 この茶色い軟膏は火傷にたっぷり塗ってください。

 このオレンジ色の丸薬は増血剤です。

 こっちの透明なのは雪目を防ぐ目薬です」



 オルガが弾丸トークで説明する。



 どうしよう。全部覚えてられるだろうか。



「ご安心ください。簡単なメモもあります」



 ピッと指に挟んだメモを見せる。それがあるならいいんじゃないかってくらい喋ってたけどそれがオルガだ。オルガはお喋りなのだ。


 夜の巣の医者であるオルガの作る薬はだいたいケバケバしい色のものが多い。

 効果はてきめんだが味がとんでもなく酷かったり、一時的に痛みが増したりするので嫌がる者は多い。



「そしてこれがこれからあなたにとって一番重要な薬です」



 オルガがトンと机に透き通った淡い青みがかったグレーの薬を置いた。リトはそれをまじまじと見つめた。



「これは髪の色を変える薬です。」


「えっ?」



 リトは素っ頓狂な声を上げた。



「考えてもみなさい。あなたの髪は染めても、保つのはせいぜい五日。しかも徐々に薄くなる。これから長期間外部の人と接するでしょう。任務に着くのが五日以上続いたらどうします?

 毎回部屋で染めるのも時間がかかりすぎるし無理があります。

 この薬は一瓶飲めば三週間髪の色が変えられます。薬の分解の早いあなたでも一週間は保つでしょう。何より染料落としで洗われても落ちません」



 と言いながら瓶を二十本ほど並べていく。



「そ、そんなモノがあるならもっと早く知りたかったです……」



 毎回出かける度に髪を染めるのも大変だったし、染料落としのせいで酷い目に遭った事は数えきれない。



「あなたが頑張って調合しているから黙っていました。薬の調合は力になりますからね。

 これはアカツキもしょっちゅう飲んでます。一時間や二時間でいい時は舐める程度で足りますから」



 なるほど。飲む量によって時間調整ができるのか。



 リトはオルガと協力して薬をポーチに詰め込んでいった。






 翌日、荷造りしているとアカツキがやってきた。



「変装薬をほんの少しだけ飲め。」



 言われるままに薬を飲むと、リトの髪はあっという間にアッシュブロンドに染まった。


 青みを帯びた淡いグレーの髪をしげしげと眺めているとアカツキが再び声をかけた。



「メガネをかけろ」



 リトがメガネをかける。



「こっちを向け」


「?」



 リトがアカツキの方へ体を正面に向けると、アカツキは何も言わずに写真を撮って去っていった。



「???」



 リトは訳も分からず見送った。






 髪の色が戻って昼食を食べた後、リトは髪を染め粉で真っ白な頭を茶色に染めて食堂に再び戻った。


 食堂の壁にかかっている無数の鏡の内、一番右端の鏡に足を踏み入れる。


 水を通るような感覚の後、上品な家具でまとめられた大きな部屋に降り立った。



「おや、リト。いらっしゃい」



 ロッキングチェアで編み物をしていたソフィが顔を上げる。



「こんにちはソフィ。お加減いかがですか?」


「とってもいいわよ。ありがとう。ヨルちゃんのとこに行くの?」



 ソフィがにこにこしながら訊く。ヨルはリトの恋人だ。



「はい。行ってきます」


「気をつけてね」



 ソフィに見送られて外に出た。積もった雪道に足跡を増やしながらまっすぐ教会併設の孤児院へ向かう。通い慣れた王都のこの道もしばらく歩けなくなると思うとリトは少し寂しくなった。


 孤児院の戸口を叩く。少し待つと扉が開いて若いシスターが出てきた。



「あらリト、こんにちは。今日はルドガーさんと一緒じゃあないの?」


「こんにちは。今日は兄は仕事で体が空かなかったんです」



 タソガレに襲われたヨルの怪我を誤魔化す過程で、ヨルを暴漢から救ったことになっているルドガーはリトの兄という設定だ。


 ヨルの部屋の前まで通される。若いシスターは「ゆっくりしていってね」と声をかけて立ち去った。


 リトはドアをノックした。



「どうぞ」



 ヨルの鈴を転がすような声が応えた。リトが中に入るとヨルは机に着いていた。



「お客さん!?」



 ヨルと同室の子供がはしゃぐ。リトは子供に目を合わせると挨拶した。



「こんにちは。お邪魔します」



 子供はにぱーっと笑顔になった。


 他の子と遊んでくるようにヨルに背中を押されて子供はパタパタと走って行った。



「調子はどう?」



 リトが問うとヨルは頷いた。



「おかげさまで。一昨日やっと左足のギプスが外れたのですよ」



 と足を軽く持ち上げて見せる。リトはほっと大きく息をついた



「よかった……」



 右腕と右脚のギプスも直に外れるだろう。ヨルは怪我の治りが遅い。魔力が極端に低いからだ。


 ヨルはよいしょと椅子から立ち上がってリトと一緒にベッドに腰掛けた。リトは早速本題を持ち出すことにした。



「ヨル、しばらく会いに来れなくなるかもしれないんだ……」



 ヨルは驚いたような顔をした。リトは声を落として続けた。



「しばらく北の……ノーゼンブルグに行くことになる。

 夜の巣の通過儀礼でそこでしばらく一人暮らししながら鍛えてもらいに行くんだ」


「そう……ですか。」



 ヨルが少し俯いてリト肩にそっと寄りかかってきた。ヨルの髪がさらりと流れる。


 髪の明るさで魔力の高さが分かるこの世界においてヨルの髪は漆黒に近い。


 光にかざせば辛うじて青みを帯びていることが分かる程度だ。リトはこの色がとても好きだ。


 リトも頬を寄せる。花のような香りがした。



「いつまで……かは分からないんですよね?」


「それが……年単位なのかも半年とかなのかもよく分からないんだ」


「そうですか……寂しいです」



 ヨルがポツリと言った。ヨルがそう思ってくれることが嬉しい。

 リトはそれが表情に出ないように気をつけながら体の向きを変えた。ヨルも頭を離して同じように向きを変えて、ほぼ正面に向かい合った。


 俯き加減のヨルの頬を優しく両手で包み込む。

 ヨルが顔を上げた。吸い込まれそうな美しい金色の瞳を覗き込む。



「休みになったら戻ってくるよ。部屋にはタンスがあるんだ」



 とリトは少しいたずらっぽく笑った。


 タンスとは結界と様々な空間で出来た夜の巣を繋ぐゲート、移動手段の一つだ。鏡やタンスなどの紋様を通して色んな場所に行ける。


 ヨルがぷーっと頬を膨らませた



「……。黙ってましたね。わざと。

 私は年単位の覚悟を決めるのに時間をかけていたのに」


「ごめんごめん」



 むくれるヨルを見てリトは笑いを押し殺しつつ、おでことおでこをくっつけた。



「最初はやっぱり慣れるまでしばらく戻って来れないと思うんだ。待っててくれる?」



 ヨルは顔を戻してくすりと笑った。



「当たり前じゃないですか」



 リトはそっとヨルの顔を引き寄せて唇を重ねた。ヨルもリトの手に手をそっとかけて身をゆだねた。


 少しして離れて二人同時に赤くなる。



「あ、そうだ」



 とリトはポーチをゴソゴソした。懐中時計を取り出すとヨルの手のひらにそっと乗せて握らせる。



「預かってて欲しいんだ。僕が北から帰って来るまで」



 精緻な細工の施された懐中時計はリトの祖父の形見の一つだ。中を開くと蓋の裏に祖父母と母が写った唯一の写真が入っている。


 ヨルが目を見開く。



「これ……持っていかなくて良いんですか?リトのお守りなのに……」


「ヨルに持ってて欲しいんだ。一応ルドガーか誰かが様子を見に来るだろうけど、念の為のお守りだよ」



 ヨルは懐中時計をじっと見るとコクリと頷いた。

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