005.森を抜ける

「何を考えているんだ」


 ラントは鎧を外して寝ている二人の姿を見てため息をついた。夜襲があったらどうすると言うのか。何の為の鎧だと思っているのか。

 マリーのプラチナブロンドの髪は降ろされていてマットに広がっている。エリーは寄り添うようにマリーの近くで寝ている。


(はっ、いかん。見惚れている場合じゃない)


 寝顔だけは愛らしいがやはり貴族の令嬢だ。野営の常識を教え込むことから始めなければならない。


「おい、起きろ」

「ん~」

「はっ、お嬢様っ。朝ですよっ」


 今度はエリーが先に気付き、マリーを揺すって起こす。


「乙女の寝顔を見るなんてどういう神経をしているんですか」

「それはこちらのセリフだ。比較的安全だとは言えなんで鎧を脱いでいる。夜襲の心配をしないのか。何の為の鎧だ。夜襲されて即座に鎧を着けられるのか? 特にお前は従者だろう。マリーの盾になる際に鎧下だけで戦うつもりか?」


 そう言われてエリーはぐっと言葉に詰まった。正論も正論なので言い返せない。

 起き出したマリーも言われて気付いたようだ。

 鎧を着て寝るなんてお嬢様方には考えられないだろうが、ここは魔の森なのだ。街道で休む時だって本当の騎士なら鎧を脱がない。兜くらいはともかく寝る時に鎧を脱ぐ騎士は訓練が足りていない証左だ。


「まぁ良い。鎧は着けられるか?」

「やってみます」


 エリーの返事は良いがやはりぎこちない。ただマリーの肌にラントを触らせたくないらしい。幾度も注意をするとなんとか様になった。そしてマリーの鎧もエリーに着けさせる。一部弱い部分があったのでそこだけは手を貸したがほとんどエリーが着けることができた。ローブを羽織らせてバトルホースに二人を乗せる。


 まだまだ魔の森の行軍は始まったばかりだ。ただラントには退屈な行軍である。

 トールが居るので余程のことがなければ魔物など現れない。魔物たちも分を弁えているのだ。ただ小鬼ゴブリンだけは違う。奴らは知能が虫よりも低いのか相手が明らかに強くても向かってくることがあるのだ。特に女が居ると問答無用で向かってくる。一匹居れば三十はいると思えと言われる害獣だ。肉もまずくて食えず、素材にもならないのでどこの国でも嫌われている。それでも村を襲うことがあるので傭兵やハンターは見つけたら狩れと言われている。


 ラントは〈探知〉を発動させながら、昨日と同様慎重に進んでいった。行きと違ってトールに乗って駆け回る訳には行かない。植物魔法は繊細な魔力操作を要求されるのでそれほどのスピードも出せない。まぁ駆け足になれば令嬢たちの尻は持たないだろう。


(〈治癒〉が使えるのならば優秀だな。公爵家令嬢じゃなければ国か教会に取られていたことだろう)


 昨日昼と夕方にマリーが〈治癒〉を使っていた。治癒魔法はほとんどが才能の世界だ。故に教会は必死で囲おうとしてくる。ただ国も求めている。軍や騎士団などには必須だからだ。国も教会も鎬を削って治癒魔法士を集めていると言っても過言ではない。

 王家にとっても公爵家にとっても治癒魔法の使い手は貴重な筈だ。特に王族でなければ入れない区画でも使い手がいるのは使い勝手が良い。よく王家と公爵家がマリーを手放したなとラントは訝しんだ。



 ◇ ◇



 マリーたちの行程はもう半分ほど過ぎていた。何もなさすぎて本当に魔の森を横切っているとは思えないほどだ。

 ラントに聞いてみると比較的傾斜が緩やかな場所や安全な場所を選んで進んでくれているという。本人だけなら多少危険な道でも通れるので三日もあれば通り抜けられるらしい。

 しかし魔の森と呼ばれるほどの魔境だ。そんな簡単に抜けられるのならばわざわざ魔の森の途切れた場所に国境など置かない。魔の森傍の街道が危険だとは言われない。簡単に思えるのはラントが類稀なる魔法使いだからだ。


「凄いですね」


 自然に言葉がこぼれた。少なくともマリーは原生林が自然と避けて道を開けてくれる魔法など見たことも聞いたこともなかった。貴族院では魔法も学ぶ。未来の宮廷魔導士と呼ばれるような同級生も居たくらいだ。だが彼はラントに敵うだろうか?

 どうにもマリーにはそうは思えなかった。騎士たちですら倒してしまった盗賊たちを一網打尽にしたのだ。どんな魔法を使ったか知らないが、大魔法ほどの魔力は感じなかった。ラントは魔法の使い方が本当にうまいのだ。初級魔法ですら自在に操り、初級魔法とは思えない使い方をする。


「ここは景色が良いぞ。ちょっと登ったところで開けているからな。少し休憩にしよう」

「わかりましたわ。お花摘みをしても良いかしら」

「あぁ、わかった。〈土壁〉


 花摘みの際も三方向を隠し、エリーが空いている場所に陣取る。ラントは壁側の少し離れた場所で見守ってくれている。

 騎士たちはこれほど気を使ってくれなかった。ラントは紳士的だなと思いながらエリーと交代する。

 隠し壁の近くにはトールが座って待っている。彼は「くわぁ」と大あくびをしていた。トールにとっては魔の森のこの辺りなど気にするほどの場所ではないのだろう。


(でもダイアウルフってそんなに強い魔物だったかしら?)


 魔物図鑑でマリーは見たことはある。実物は流石に見たことはないが中級の魔物扱いだったはずだ。

 群れを為すので実際に戦うとなると大変らしいが、たった一体で魔の森の魔物たちが逃げ出すほどの魔物だとは思えない。ラントも秘密が多い男だと思っているがトールにも何か秘密があるのだろう。

 トールの前肢には従魔の証がしっかりと巻かれている。首には大きな布がスカーフのように巻かれている。魔の森を踏破してきたはずなのにその青い布は汚れてすらいない。よく見ると布ではなく革でできている。何の魔獣の革だろうか。想像もつかなかった。


「本当に綺麗な景色ですね」

「北にあるのが名も無い山だ。魔の森の中でしか見られないからな、名前すらつけられていない。冬は山頂が雪に覆われてなかなか綺麗だぞ」

「冬場に魔の森に入るのですか?」

「ハンターに季節なんて関係ねぇよ。冬場の収入がなくなんだろうが」


(ラントの実力ならそれほどお金に困るとは思えないのだけれど)


 声には出さず、言われた景色を見る。それほど高くはないが綺麗な形の独立峰が見える。そして眼下には前を向いても後ろを向いても原生林が続いている。

 後ろを向くと昨日寄った湖が見えた。そこでラントが魔魚を捕まえて焼いてくれたのだ。塩を振っただけなのにとても美味しかった。余った分は塩漬けにしてゆっくりと歩くトールの上に網を置いて魔法も使い干していた。どうにもラントには余裕がある。だからこそ安心してマリーたちもついていけるのだ。


「さて、行くぞ。あと半分だ。貴族のお嬢様だからすぐ音を上げると思ったが意外に根性があるな」

「鎧を着けたまま寝るのは流石に慣れませんけどね。あと半分だとわかっているからまだマシです。あと十日と言われたら耐えられる気がしません」

「そりゃそうだ。俺だってイヤさ」


 ラントは本当にイヤそうな表情をして答えた。流石の彼でも堪えるのだろう。


「申し訳有りません」

「構わんさ、関わると決めたのは俺だし、助けたのに死なれたら寝覚めが悪い。後は街に着いてからも大人しく言う事を聞いてくれよ。本当に危険なんだ」

「わかりました。下町での行動などわたくしたちにはわかりませんもの。エリーもわかりましたね」

「……はい」


 エリーはラントのマリーへの態度で少し隔意がある。命の恩人でもあるしラントについていかないとどうしようもないから諦めているだけで、あまり会話しようともしない。

 ただこればかりはどうしようもない。ラントは御用商人でも貴族でもないのだ。やろうと思えば貴族言葉も使えそうに思えるが、ラントはそのつもりは全くないようだ。公爵家の娘と聞いても驚いていたがかしずくようなことはなかった。

 ただラントの行動は紳士的で随所の所作に気品がある。故にマリーはあまり気にならなかった。



 ◇ ◇



「きゃぁっ」

「手綱をしっかり握っていろ。大丈夫だ」


 トールが駆け回る。十匹のゴブリンが一蹴される。魔物に出会ったのはこれが初めてだった。まさしく血の雨が降る。トールの動きは素早く、目で追うこともできない。鎧袖一触とばかりに十匹のゴブリンの死体ができあがる。

 もうあと一日で森を抜けると言う所だった。


 ただトールには信用がある。なにせ毎日の食事を取ってきてくれるのはトールなのだ。

 ラントが野営の準備中にトールは目に追えないほどのスピードでどこかに行き、毎日魔物を狩って来てくれる。それをラントは結界を張って血の匂いを撒き散らさないように捌き、それらが食卓に並ぶ。残った部分はトールの餌だ。ゴブリンなど相手にならないような上位の魔物ですら狩ってくるのだ。トールの強さは本物だ。


「ちっ、血の匂いに釣られて魔物が来るかもしれん。運が悪かったな。ちょっと急ぐぞ」


 ラントがそう言うと道の拓け方が早くなる。綺麗好きですぐにラントに駆け寄ったトールは〈洗浄〉を掛けられ、急ぎラントを乗せて軽く走る。バトルホースにも駆け足をさせる。

 道が悪いので尻が痛いが二十分も走ると速度は緩まった。ずっとこの速度で走れるならば確かに三日で森を抜けられるだろう。だがマリーたちには無理な話だ。たった二十分の駆け足で治癒が必要そうになる。エリーも必死でしがみついている。


「このくらい離れりゃ大丈夫だろ。ゴブリンは鈍いからな、トールの気配に気付かないことがあるんだ。とは言ってもこのルート以外だと余分に半日掛かる。気にするな」


 ラントの言葉からゴブリンと戦うのは既定路線だったようだ。まさか常に探知魔法を使っているのだろうか?

 ゴブリンが現れた時、盗賊たちに襲われた時の恐怖が過っていたが、駆けたからか頭からすっぽり抜けていた。


(もしかして其の為に走らせたのかしら)


 考えすぎかも知れない。だがラントならあり得ると思った。もう森も浅い位置だ。この辺りにでる魔物にトールが苦戦するとは思えない。

 ラントの紳士ぶりはこの一週間で十分知っている。小さな所で心配りをしてくれているのだ。マリーが後で気付いた心配りは幾つにもわたる。


「明日の夕刻には森を抜けるが、門の開閉時間の関係でもう一泊することになる。人目を避けて街道を外れるから覚えておいてくれ」

「わかりました」


 なぜ街道を外れるのだろう。マリーにはわからないがラントが言うのだから何かあるのだ。

 その日はもう何もなく、最後の森の中の野営となった。



◇  ◇


面白かった、続きが気になるという方は是非ブクマ、いいね、感想、☆評価を頂けるとありがたいです。レビューも大歓迎です。☆三つだと私が喜びます。宜しくお願いします((。・ω・)。_ _))ペコリ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る