033.公爵家の日常

「ふぅ、まだ慣れねぇな」


 ラントは公爵邸での生活に少しずつ慣れつつはあったが、まだまだ違和感は大きかった。広くふかふかのベッド。触るのも恐ろしい豪華な調度品。そして着替えや風呂まで使用人に世話をされるのだ。

 マルグリットに貴族の生活に慣れろと言われてしまったので渋々従っている。


 与えられた服などが繊細な生地過ぎて自分で着替えようとすると破ってしまいそうで怖い。これ一着でいくらするのだろう。何せ王室御用達の大店おおだながやってきて、ラントの採寸をすると布やら装飾品の説明をし、一切値段の話がでなかったのだ。下町なら本当に家が一軒買えてもおかしくない。


 即座にラントは〈強化リインフォースメント〉の魔術陣を仕込み、更に魔法耐性を上げる魔術陣も消える透明なインクで書き込んだ。与えられたマントやローブには強力な魔術を籠めてある。

 これはマリーやエリーの服にも行ったものだ。貴族街だから治安は良い。公爵家なので襲われる心配はないだろう。だが帝国が一度マリーを標的にしたという事実がある。本命は王太子殿下だったのであろうが、マリーにも魔の手が伸びて来ないとは思わない。


「ラント、おはようございます」

「あぁ、おはよう。マリー。今日も美しいな」

「やめてくださいっ、ラント。貴方あれから時々からかってくるようになりましたよね。目が本気ではありませんわ」

「なんだ。本気で言っているぞ? それにエリーの発言を覚えていないのか?」

「エリー!?」


 マリーがエリーをバッと振り向く。その仕草でさえ上品だ。

 彼女のような存在はこの宮殿や王城のような華美な場所でこそ輝く。旅中でも所作が美しいとは思っていたが野営やラントたちが背伸びして泊まる宿では役不足であった。マリーは幾らするかもわからない上品な調度品に囲まれ、使用人に傅かれているのが最も似合っている。生まれながらの上級貴族と言うやつだ。


「何のことだかわかりませんね」

「ラント、どういう事ですか」


 エリーはマリーの追求に対してそっぽを向いた。あの様子ではエリーもあの時の事を詳しく覚えていないのだろう。エリーの顔も真っ赤だったので失言したことにすら気付いていない。


「エリーは俺が一度だけだぞと言ったあの時、『私も惚れてしまいそうです』と言ったんだ。『も』とはどういうことだろうな。くくくっ」

「エ、エ、エ、エリー! 貴女っ」

「申し訳有りません、マルグリットお嬢様。ですがあの時は衝撃が大きすぎておそらくポロっと」


 朝食で使用人たちが給仕している。三人きりではない。それ以上の話はせず、マリーは終始顔が赤かった。可愛いやつだとラントは思った。


 さて、ラントの仕事だが実はそうない。もうマリーの護衛は終えたのだ。だが騎士と魔法士に叙勲されてしまった。アーガス王国の魔法士と言えば男爵相当の発言力を持つ。ラントの元々持つテールの魔法士資格など吹けば飛ぶような物だがこの国では違う。

 ただ仕事はないが公爵家の騎士たちや魔法士たちに稽古を付けてくれと毎日のように頼まれる。


 ラントもその方が気楽でいい。騎士たちも魔法士たちも熱心であるし、もうラントを下に見ることもない。邸に居ると侍女や使用人の秋波が凄いのだ。いつでも手を出していいんですよと、窓を拭きながら尻を突き出す使用人すら居る。危うく気楽な酒場のつもりで手が出そうになった。

 この世界にセクハラの概念などない。酒場の娘の尻を触ったくらいで怒られることなどそうそうないのだ。むしろ酒場で春を売っている娘までいる始末だ。

 ラントはそんな公爵邸に長居すると危険だと悟っていた。何せ長旅で女の一つも抱いていないのだ。普段は娼館や気に入った酒場の娘などを口説くのだが護衛中はそんなことはできない。ラントも男だ。溜まる物は溜まっている。それを体を動かすことで発散するようにしていた。流石に公爵邸の使用人に手は付けられない。


「やっ」

「甘いっ」


 ラントが刃引きの剣で騎士の胴を打つ。騎士たちの剣は洗練されているが、ラントの使う無手勝流に翻弄されている。ラントは戦場で剣を学んだ。騎士の精神など発揮している暇はない。気がつけば隣を走っていた奴が死んでいたとか部隊が魔法で吹き飛んだなど幾らでも転がっていたのだ。

 故にラントは剣も槍も魔法もなんでも使う。何なら砂を掬って目潰しをしたり、魔法で墨を吐いたりもする。金的も禁忌などではない。むしろ急所の一つで積極的に狙っていくべき部位だ。


「次っ」

「某がお相手つかまつる」

「いい気合だ。今日はすっ転ぶなよ」


 ラントの居た空間が斬り裂かれるような一閃。即座に逆袈裟に跳ね上がってくる。剣は振るより止めるのが難しい。あれほどの一閃を放ち、即座に止め、次の攻撃に繋げる。なかなかできるものではない。ラントは間合いを大きく空けるために後ろに下がった。当然、相手は更に突進してくる。

 ラントは回避に努めた。革鎧のラントと比べ金属鎧の騎士は疲労が大きい。多少の事で動きが鈍ったりはしないが、この騎士はずっと訓練を続けてきた後にラントに挑んできた。流石に動きが鈍った所で攻め立てる。

 途端に騎士が防衛に回る。


「ま、参った」


 三分程は耐えたが猛攻に耐えきれず、首に剣が添えられる。


「「「おおお~」」」


 見学していた騎士たちが歓声をあげる。


「ほら、見ていないで自分たちの訓練をやれ。いざ襲われた時に誰がマルグリットお嬢様を守ると思っている」

「「「はっ」」」

「ふふふっ、まるでラントの騎士団のようだな」

「団長。そんなことはありません」

「だが騎士団に良い刺激を与えてくれている。感謝する」

「こちらも体を動かしていた方が楽なのです。お気遣いなく。いつでもお呼びください」

「いや、魔法士たちがすでに待っているようだぞ。城に向かうのではないか」


 騎士団長が視線で太陽の位置を示した。


「ちっ、もうそんな時間か。仕方ないな」

「くくくっ、貴殿は時に粗野な言葉が出るがそれが本性だろう。公爵邸はそういう意味では息苦しかろう。もう少し気を抜くことだ。多少言葉が粗野であってもこの公爵邸で気にするものは居ない。何せマルグリットお嬢様のお達しで、恩人だからな」


 ラントは団長に気遣われ、着替えに戻った。一度風呂も浴びなければならない。登城するのだ。使用人たちが待ち構えている。ラントの風呂係は争奪戦だそうだ。嫌なことを知ってしまったとラントは天を仰いだ。



 ◇ ◇



「うふふっ、ラントは相変わらずですわね」

「お嬢様。ラント様も男です。ずっと私たちに付き合わせてしまいました。溜まっているんですよ」

「溜まっている? 何が?」


 マリーはエリーが何を言っているかわからなかった。詳しく聞こうとすると他の侍女たちまで寄ってくる。どうしたものだろうか。


「男性は──で、──がこうなので、適度に女性を抱かなければ溜まるのです」

「まぁっ、そんな行為は愛し合う男女がするものでしょう」


 説明され、マリーは顔を真っ赤にする。だがエリー以外の侍女もうんうんと頷いている。


「旦那様も使用人に手をつけていたではないですか。子も産ませています。奥様も側室もいるのにですよ。男性とはそういうものです。クラウス様も使用人に手を出していますよ」


 それはマリーの知りたくなかった家族の現実だった。だが男性というのがそうであるならばマリーはラントに苦行を強いたことになる。

 侍女の話によると使用人たちがラントに「使われ」ようと誘っているのだが一向に手を出す気配がないらしい。

 侍女や上級使用人はともかく、下級使用人たちなどはそのような事も含めて業務として契約しているようだ。使用人たちの契約などマリーは気にしたこともない。そんなことになっていたのかとマリーは驚いた。

 実際、使用人の幾らかは伯父に当たる公爵家の男たちのお手つきだと言う。それどころか従兄弟たちも手を出しているとか。貴族男性はそれが当たり前なのだ。


「だからラント様も溜まっているのではないかと。だから騎士たちと剣を合わせて発散しているのですよ」

「そうなのですね。知りませんでした」

「マルグリットお嬢様。ラント様と結ばれるにせよ結ばれないにせよ、ラント様に我慢を強いてはいけません。多少のおいたは見逃す度量が必要です。本日ラント様の元へ使用人を向かわせます。宜しいですね」

「……わかったわ。ラントに不便は掛けたくないもの」


 マリーは渋々とだが同意した。

 そもそもラントがモテない訳がない。本当の姿や剣や魔法の腕を知らなくとも、紳士で振る舞いは女性に優しく、ハンターであるのに顔に傷一つない。更にたまにマリーに見せる甘い笑顔を使えば街娘などいちころだろう。娼館という手もある。あの年齢で経験がないなどとあり得ないだろう。


「貴族の男性の性事情は知っておられますか?」

「いえ、知らないわ」

「では簡単にお話しましょう」


 侍女によると貴族男性は一定の年齢になると、筆下ろしという物をされるのだという。婚約者に恥を掻かせないために女の扱いを覚えるのだ。その際は未亡人などが相手としてあてがわれる。避妊の薬を飲んで行われるので子はできない。それでも避妊の薬は確実ではない。マリーの父のように子が出来てしまい、妾として囲うこともある。

 そして貴族院でも貴族専用の娼館という物があるらしい。男子生徒は定期的に通い、女の扱いを覚えるのだとか。聞いているだけで顔から火が出そうだった。


「マルグリットお嬢様の恩人に返せる物は全て返したいと思っております。そういうこともマルグリットお嬢様は今後知って置かなければなりません。王太子妃教育で忙しくてそちらはおろそかになっていたのですね。これからはそちらも含めて貴族夫人の勉強も進めて行きましょう」

「……わかりましたわ」


 マリーは頭の中がぐるぐるしていて爆発しそうだった。


「マルグリットお嬢様は箱入りですからね。ラント様は女性の扱いも手慣れていますよ。大丈夫です」


 エリーが太鼓判を押した。その自信満々の声を聞いてマリーはエリーは流石頼りになるなと思った。



◇  ◇


貴族家に仕える使用人事情。全員が全員と言う訳ではありません。お手つき用員がいると言うだけです。お手つきになると使用人にも給料として反映されるので泣き寝入りという訳ではありませんし、了承済みです。こういう世界だと思ってください。


いつも誤字報告、感想ありがとうございます。

面白かった、続きが気になるという方は是非ブクマ、いいね、感想、☆評価を頂けるとありがたいです。レビューも大歓迎です。

☆三つなら私が喜びます。宜しくお願いします((。・ω・)。_ _))ペコリ

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