043.ホーエンザルツブルグ要塞

「それでは行ってくる」

「ラント、お気をつけて」

「おいおい、誰を心配してるんだ。怪我一つなく帰って来るさ。行きに二週間、睨み合って一週間、帰りに二週間。余裕を持ってもう一週間。遅くとも二ヶ月後には帰って来るさ」

「ふふふっ」

「どうしたマリー」


 突然笑い出したマリーにラントは疑問を問いかけた。


「いえ、帰って来ると言ってくれたのが嬉しくて。わたくしの元がラントの帰る先なのですね」

「あぁ、そうだな。無意識だったがそう思っていたようだ。仕方ない、マリー、両手を広げろ」

「はい?」


 マリーは疑問形になりながらもゆっくりと両手を広げた。ラントはそっとマリーを抱擁する。顔が真っ赤になるのがわかる。侍女や使用人たちからキャーと嬌声があがる。なにせここは公爵邸の玄関なのだ。侍女や使用人だけでなく騎士たちまで見ている。

 ちなみにラントは公爵家の騎士を二人、連れていくことになっている。面倒だが仕方がない。だがあまり多く連れて行くと公爵邸の警備がおろそかになる。腕の良い二人を選んだ。選ばれた騎士はラントに認められたととても喜んでいた。公爵邸を出たラント達はゆっくりと馬を走らせていた。


「しかし王都は相変わらずでかいな」

「クレットガウ卿、王都はアーガス王国随一の都市です。これ以上になると帝国の帝都しかありえません」

「いや、帝国ともなれば公爵家の治める都市でもこのくらいの規模になるぞ」

「帝国の都市を知っているのですか」

「三年ほどいた事がある。活気があって賑わっていたぞ。治安も良かった。アーガス王国は国力でまだ負けているな」

「それは仕方ありません。国土が倍以上あるのですから。だからこそエーファ王国と密に同盟を組み、帝国の脅威に共に備えているのです。幸いなのは山脈があることですね」

「あぁ、あの山脈は容易には超えられない。魔物も多いしな。竜すら棲息している。帝国軍でも山越えは無理だろう」


 帝国が安易にエーファ王国とアーガス王国に攻め込めないのは大山脈があるからだ。切れ目があり、街道は繋がっているのだが厳しい山道で渓谷だ。それも各国一本しかない。故にその出口に要塞を築き、更に要塞の周囲にはいくつもの支城が立てられている。要塞を守るのは武勇に優れていると名高い辺境伯で、公爵家が北方守護に置かれている。

 王都以外で常備軍が置かれているのは帝国国境や魔境の傍だけだ。これはエーファ王国もアーガス王国も変わらない。どちらも同時に手を取って独立したので同じような政治形態になっているのだ。

 そしてその大山脈があるからこそ、簡単には両国は落ちない。独立できたのも大山脈の向こうに押し返してしまえばなんとかなるという希望があったからだ。

 だが帝国は冬がとても寒い。雪も深い。南方で暖かく、食料の生産が容易な両国を虎視眈々と狙っていて諦める様子はない。何せ旧大帝国の版図だったのだ。歴史的にその領土は帝国に属すると大義名分まである。厄介なことだ。

 ちなみにラントは帝国を抜ける時、正規の手段を使わず山越えを選んだ。そして運の悪い事に竜に出会い、トールと死ぬ気になりながら三日三晩掛けて倒した。地形が変わり、戦闘の激しさで雪崩が起きたほどだ。竜の皮はその戦利品だ。


「しかし王太子殿下の騎士団とご一緒しなくて良かったのですか。三人ならば移動も余裕ですが、少し早く付きすぎてしまいますよ」

「気にするな。戦場の確認を先に済ませておきたいだけだ。それに噂に名高いホーエンザルツブルク要塞を見てみたい。本物を見ないと俺の策が有効かどうか判断できんからな。王太子殿下に献策したのが俺で、その案が採用されたんだ。間違っても失敗する訳にはいかん。強行軍になるぞ。付き合わせて悪いが街道は駆け足だ。公爵家のバトルホースなら余裕だろう」

「それでバトルホースを借り受け、騎士二名と言う少数精鋭なのですね。わかりました。お供致します」


(全く、よく教育されてやがる)


 ラントはただの騎士爵に過ぎない自分に頭を下げる騎士たちを見てそう思った。何せ身分なら彼らの方が余程高いのだ。だがラントを頭として認め、従ってくれている。公爵家の騎士団長を倒し、実力を示したのも良かったのだろう。今やラントの言う事を聞かない騎士や魔法士は居ない。

 待っている間もマリーを守るだけではなく、しっかりと鍛えておけと宿題を山程残してやったが、真面目なあいつらならしっかりと熟すだろう。


 マリーにも厳しい試練を与えた。魔力隠蔽はそう簡単にできるものではない。だがベアトリクスはラントの見た所熟練の魔導士に劣らない。何かあればベアトリクスを頼れと言っておいた。

 なにせハンス宮廷魔導士長は自分の目で見たいと従軍してくると聞いたのだ。そんなフットワークが軽くて良いのかと驚いたものだ。


「ここがリドウルビスの街ですね。リドウルビス平原はここから二日ほどで辿り着けます。ホーエンザルツブルグ要塞は更に一日ほどですね」

「一泊して英気を養って要塞まで二日で駆け抜けるぞ。要塞の様子を見ておきたい」

「わかりました」


 本来二週間は掛かる道のりをラントたちは九日で踏破した。リドウルビス平原へ集合するのは五日後の予定だ。まだ余裕はある。


「お前ら、野営の訓練は積んでいるか」


 ラントは面倒くさがって道中の野営は魔法で済ませた。故に騎士たちの野営能力を知らない。


「騎士の訓練で野営を学ばないものはいません」

「じゃぁ実際にやったことはあるか」

「お館様や旦那様の移動の付き添いで幾度かあります」

「ならば見張りや野営も大丈夫そうだな。よし、今日の宿は良い宿に泊まるぞ。風呂付きで料理も美味い店だ。酒も解禁する。俺の奢りだ。好きなだけ食って好きなだけ飲め。娼館に行きたいというならそれも出してやる。だが明日の朝ぐったりしていたら蹴り飛ばすぞ」


 ラントの言葉に騎士たちが満面の笑顔になった。なにせ他人の金で食う飯と酒ほど美味いものはない。更に娼館までついているのだ。

 強行軍をさせたねぎらいだが使い切れない財があるのでラントも余裕だ。三人くらい、財布の心配をする必要すらない。何せ近衛と乱闘しただけで貰った白金貨は金貨百枚の価値だ。それが十枚もある。それ一枚を一日で使おうと思えば一個小隊ですら賄える。

 ラントも久々に娼館に通ってみようと思った。公爵家の使用人も良いが行儀が良すぎる。娼婦には娼婦の良さというのがあるのだ。

 久々の自由にラントも王都は流石に息苦しかったのだなと王都を出て初めて気付いた。



 ◇ ◇



「あれがホーエンザルツブルグ要塞か。凄いでかさだな」


 難攻不落と呼ばれるホーエンザルツブルグ要塞。それは標高二百メルほどの小山の上に建てられており、堅牢な城壁に守られている。収容人数は一万五千人。今は周囲を警戒する警邏隊などを含めて約二万の軍勢がひしめき合っている。遠目で見てもその威容に圧倒されそうだ。

 後背は崖になっており、かなり大きな絶壁になっている。大きな川が流れていて難攻不落との噂も本当に思える。堅牢だ。


「あそこだな」

「どこですか?」


 騎士が尋ねてくる。なにせラントが見ていたのは要塞ではなく川だったからだ。


「帝国がこの件に関与しているのならば必ず間者がいる。そして要塞とて高官などが逃げ場を準備している筈だ。つまり崖から秘密の通路を使って川に出て小舟で逃げる。そういう算段だろう。見取り図には載っていなかったが川しかありえん。絶対に逃がす訳にはいかん」

「なるほど、言われてみればその通りですな。クレットガウ卿は戦略や戦術にも見識があると聞いていたのですが本当だったのですね」

「ラントでいい。クレットガウ卿などと大仰な呼び方をされるのは慣れん」

「ではラント様で」

「それでいい。俺は北方の出だ。初陣は十の頃だった。どこを見渡しても敵に囲まれていてな、必死になって魔法を放って駆け出したものだ。だが迷子になってしまってな。敵の中央に向かって走ってしまった。偶然なのだが敵の本陣に魔法が直撃してな。大功を上げたと称賛されてしまった」

「なんと、十で初陣とは凄いですな。北方諸国は常に戦争が行われていると聞きます。聞きしに勝る魔境ですな。それにしても迷子になって敵将を討ってしまうとは笑って良いのかわかりませんな」

「笑って良いぞ。笑顔はいい。肩に力が入りすぎている。ほら、笑ってみろ。緊張が少しほぐれるぞ」


 騎士たちはニコリとぎこちなく笑った。


「本当ですな」

「笑顔を浮かべていれば怒りなどもすぐ収まる。冷静になるためには一度無理にでも笑ってみることだ。戦場でもそうだ。笑えば恐怖など感じなくなる。笑って戦場を駆け抜けることで『戦鬼』なんて呼ばれたりもしたがな」


 騎士たちはラントの言葉に笑う。少し緊張も晴れたようだ。


「あははっ、ラント様なら『戦鬼』の二つ名も納得できます。どうして北方から逃げ出したのですか」

「国から目をつけられたんだ。戦功を上げすぎたんだな。弱冠十五で騎士団を率いろと言われた。十五のガキにだぞ? 騎士たちも魔法士たちも怒り出すに決まっている。お前たちだって成人したばかりの爵位も持っていないガキに騎士団団長として従えと言われて従うか?」


 騎士は少し考えて答えた。


「流石に十五の子供に従えと言われて従う騎士はいないでしょう。アーガス王国では貴族院に通い始める年齢です。魔法士たちも反発しましょう。難しいですな」

「更に錬金術で大量に人を殺す兵器を作れと言われた。流石に人を殺す兵器は作りたくない。錬金術は人を救うためにあるべきだ。そう思わんか」

「そうあって欲しいものですな。魔法も魔術も、本来なら魔物の脅威から人を救う為に研鑽されたものです。今では人との争いに使われがちですが、本来の使い方と反しているんですね」

「そうだ、俺の師匠などリドウルビス程度一撃で滅ぼすぞ。王城すら吹き飛ぶ。一個人がそんな魔法を操るんだ。恐ろしい話だ。住民たちは自分たちが死んだ事すらわからずに死ぬだろう」


 騎士たちはその光景を想像したのかさっと顔を青褪めさせた。


「まぁいい。要塞の見取り図は貰ったし、威容も感じたが作戦は実行できそうだ。先に仕込みを済ませて置くか? その方が早く帰れるな」

「あの秘策と言う奴ですか」

「そうだ。あっちの岩陰に行くぞ。警備も甘い」


 ラントたちはバトルホースを駆ってラントが指示した場所に辿り着いた。


「秘策の中身は聞いていましたが、どうやるのかはさっぱりです。公爵家の魔法士たちにも聞きましたが絶対に不可能だと言っておりました。どうやられるのですか」

「これを使う」

「それは……魔法石?」

「そうだ、ゴーレムを作る魔法石だ。十もあれば十分だな。帝国の魔法石採掘場で使われているゴーレムだ。優秀だぞ」

「なんと、帝国の……」

「採掘場に居た事がある。その時にゴーレムの優秀さを見てこっそり盗んだんだ」

「流石ですな」

「まぁ見ていろ」


 ラントが魔法石を地面にばらまく。魔法石は周囲の石や土を取り込んで一メルほどの高さの土人形になった。このゴーレムの凄さは強さではない。強いだけのゴーレムなら魔法金属で作れば良い。並の騎士など薙ぎ払ってくれる。

 だが今回作ったのは土木作業用のゴーレムだ。穴を掘り、魔法を使い、強固なトンネルを作ってくれる。

 ラントはゴーレムたちに作業を命じるとゴーレムたちは大岩の横の壁を掘り始めた。物凄いスピードだ。更に魔法を使い、壁や天井を補強していく。高さも横幅も二メルくらいだ。


「凄まじい早さですな」

「そうだろう。帝国の魔導技術が優れている一端だ」


 ラントは魔法を使ってゴーレムたちが穴を開けた場所を魔法で塞ぐ。これでバレない筈だ。


「よし、仕込みはOKだ」

「おーけー?」

「完了って意味だ。あいつらは不眠不休で穴を掘る。大きめの収納カバンも渡してあってそこに土を入れるので土でバレることもない」

「はぁ、錬金術とは凄いものですな」

「極めればな。頂きは俺も知らん。伝説の大賢者くらいじゃないか」


 ラントが皮肉を籠めて言ったが騎士たちには伝わらなかった。


「伝説の大賢者ですか。まだ生存されていると聞きます。ただどこに現れるか誰も知りません。一度でいいから会って見たいですな」


(そんな大したジジイじゃないけどな。自分勝手で我儘なただのスケベジジイだぞ)


 ラントは心の中でだけそう答えた。

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