044.マリーの憂鬱と公爵邸でのお茶会

「はぁ」

「マルグリット嬢様。ため息が多くなっていますよ」

「だってラントが行ってしまったのですもの。心配で堪りませんわ」

「そういえばラント様が作ってくれた化粧品を使ってみましょう。せっかく作って貰ったのにお嬢様もお忙しくて使っておりませんでした」

「そうね、気晴らしに良いかも知れないわ」


 マリーはエリーの提案にそう答えた。湯浴みをし、一度身を清める。エリーや侍女たちが丁寧に洗ってくれた。


「お嬢様!」

「なに、なになにエリー。どうしたの」

「この化粧水と美容液、それにファンデーションと言うもの。凄いです! 化粧の乗りが明らかに違います。天使と見紛うほど美しかったお嬢様ですが、更に美しく輝いています。女神様が降臨したかと思いました」

「そんな大袈裟よ、エリー」

「それにこの精油です。これほど美しい精油は初めて見ました。髪の艶も明らかによくなっています。これまで使っていたのは王国でも最高級の品ですよ。ですがそれ以上です。ささ、ラント様が作ってくれた鏡を使って見てみてください」


 マリーはラントの工房に入った時、鏡に目を奪われた。あれほど美しい鏡を見たことがなかったのだ。そしてエリーは強引にラントに鏡をねだった。それも複数枚。

 ラントは面倒臭いと嫌がったが、マリーも頼むと作ってくれた。ついでと言って手鏡も作ってくれた。それも素晴らしい出来だった。マリー用とあって装飾すら美しい。

 マリーが外行きのドレスに着替え装飾品なども着け、ラントの作った姿見の前に立つ。


「まぁ、本当ね。わたくしじゃないみたいだわ」

「間違いなくマルグリットお嬢様ですよ。ですがこれはいけませんね。王妃様や王女殿下たちに献上せねばなりません。鏡もです」

「貴女、それでラントにあんなに鏡も作らせたの。ぶぅぶぅ文句を言っていたわよ。あの方並に人使いが荒いと」

「これほどの品、公爵家で独占する訳には行きません。王妃殿下には大変お世話になっております。献上すれば必ずお喜びになるでしょう」


 マリーは少し暗い顔でエリーの提案に頷いた。


「そうね、家に居ても鬱々しくなってしまうだけだわ。たまにはこちらから叔母様を茶会にお呼びしましょう。わたくしも誰かと喋っている方が気も紛れるでしょうし、叔母様もたまには王城を出たいと思っているでしょう」

「えぇ、えぇ。ディートリンデ王女殿下も呼んで貰いましょう。貴族院の勉強で手古摺てこずっているそうですから、教えてあげれば喜ばれますよ。この可愛らしい手鏡はヘルミーナ王女殿下用ですね。ピンク色で可愛らしいです」

「貴女、それで細々と注文をつけていたのね。最初からそのつもりだったんでしょう」

「もちろんです。王妃殿下、王太子妃殿下。そして各王女殿下用に一つずつ作らせました。手鏡もです。私の見立てですが全ての王女殿下に合わせて色合いなども変えてあります。きっと喜んで頂けます」

「エリー、貴女はそういうのが得意だものね。わたくしのドレスを選ぶのも貴女のがうまいわ」

「えへへっ、そんなに褒められると照れてしまいます」


 そんなマリーとエリーの会話を聞いていた侍女は青褪めた。

 何せ王妃殿下や王女殿下たちが大挙して公爵邸に集まるのだ。使用人一同本気で取り組んでもてなさなければならない。更に献上品もあると言う。大仕事だ。

 侍女は即座にマリーの部屋から出て家令にそれを伝えた。家令も驚き、せめて三日後にして貰うよう指示を出した。

 通常は一週間くらい余裕を持つものだがマルグリットの様子に侍女たち一同は心を傷めていた。更に王妃殿下は案外フットワークが軽いので誘うと明日にでも来てしまいそうなのだ。それは流石に公爵家でも準備が足らない。

 最高級の茶葉に茶器の用意。お茶菓子も王室御用達の物は食べ飽きているだろうから、目新しいものを用意せねばならない。茶もハーブティなど珍しい物を用意する必要があるだろう。


 幸いバルコニーにラントが恐ろしく透明な板ガラスを使って綺麗に覆ってくれた。人が乗っても割れない脅威の硬さを誇るガラスだ。毎日磨き上げるのは大変だが冬の寒さも和らぐだろう。公爵家自慢の庭も一望できる。王妃殿下や王女殿下たちにも満足して頂けるよう、公爵家の中は急にちゃぶ台をひっくり返したように慌ただしくなった。



 ◇ ◇



「まぁ、ディートリンデ。マルグリットからお茶会のお誘いですってよ。貴女もどうかしら」

「マルグリットお姉様から? 行きます。万難を廃して行きますわ」

「そうね、せっかくだからヘルミーナも連れて行って上げましょう。あの子は王城を出たことがありません。王城からすぐそこの公爵邸なら許可も出るでしょう。後コルネリウスが出陣したことで心配しているフランツィスカも呼びましょう。彼女も気晴らしが必要だわ。マルグリットとも友好を深めておいた方が良いでしょう。なにせあのクレットガウ卿を見つけ出した子だものね。マルグリットを見ていると在りし日のお姉様を思い出すのよね。つい可愛がってもらった昔を思い出して甘くなってしまうわ」


 ベアトリクスは即座に返事を出した。当然返事はイエスだ。更に参加者の人数も伝えた。王妃、王太子妃、王女が二人。如何に公爵家と言えど錚々たる顔ぶれだ。きっと侍女や使用人たちは慌てて準備に奔走しているに違いない。


「ふふふっ」

「どうしましたの、お母様」

「なんでもないのよ、ディートリンデ」


 その様子を想像してしまい、笑みが漏れてしまう。さっと扇子で隠した。




 三日後、ベアトリクス、王太子妃であるフランツィスカ・フォン・エル・アーガス、ディートリンデ、そしてヘルミーナの四人は馬車に乗って公爵邸を訪れた。なにせ王族から四人も出るということで近衛が二十人も付いてきているし、侍女の数も多い。


「いらっしゃいませ、叔母様、ディートリンデ。フランツィスカ王太子妃殿下とヘルミーナ殿下はお初にお目に掛かります。マルグリット・ドゥ・ブロワですわ。この度は趣向を凝らして見ましたの。楽しんでくださいませ」


 公爵家の使用人を率いたマリーが立派に挨拶をする。もう完全な公爵家のタウンハウスの女主人だ。ベアトリクスの実家でもある。久々に訪れた実家も、侍女長のデボラの様子も変わらないようで安心する。


(久々に来るとホッとするわね。お父様もお兄様たちも領地に帰ってしまっているから、マルグリットがいると言うのも新鮮だわ)


「マルグリット様、丁寧なご挨拶ありがとうございます。コルネリウス王太子の第一妃、フランツィスカ・フォン・エル・アーガスでございます。今日はお義母様に楽しみにしていて良いと言われてとても楽しみにしていたのですよ」

「ヘルミーナです。まるぐ……マルグリットお姉ちゃん」

「ふふふっ、ヘルミーナ殿下。可愛らしいですね。言いづらかったらマリーで良いですよ」

「マリーお姉ちゃん!」


 人見知りの気があるヘルミーナがすぐにマリーに懐いてしまった。流石あの姉の娘なだけある。姉は人誑しだったのだ。

 ラントもマリーの魅力にころっといってしまったのだろう。あの男の本質は自由人だ。騎士だの魔法士だの望むとは思わない。富も名声も求めれば思うがままであろうに、五級ハンターに甘んじていたことからも簡単に推察できる。

 そのラントを王都に留め、たった一言のパスでコルネリウスなども使って王都に留めている。見事な戦略だった。女の魅力だけでなく策略で男を絡め取る。狩りとはこうやるのだという見本だとベアトリクスですら舌を巻いたほどだ。


「さぁ、こちらへ。新しくバルコニーを改装したのですよ。そちらでしたら寒くありません」


 マリーや侍女たちに案内されたバルコニーは往年の物であったが、美しい透明な板ガラスに覆われていた。ピカピカに磨かれて居て綺麗な庭が見える。ヘルミーナなど「わぁ」と素直に感動している。これなら冬の寒さもない。ベアトリクスも声さえ出さないが驚いていた。これほど美しい板ガラスなど初めて見た。

 これも必ずラントが関わっているのだろう。なぜならベアトリクスはラントの魔法の腕も魔術の腕も知っている。更に本業は錬金術師だと言う。

 ならばこのくらいなんのことなく作ってしまうだろう。王城にすらない美しい板ガラスで覆われたバルコニーはフランツィスカやディートリンデも驚いていた。これだけでこの度の茶会は成功が約束されたようなものだ。


「ねぇ、マルグリット。化粧品や香油を変えたのかしら。貴女、いつになく美しくない?」

「これはクレットガウ卿が作ってくれた化粧水、美容液、精油などを使ったのです。お美しかったマルグリットお嬢様が更に磨きが掛かりました。後ほど、王妃殿下様方には献上させて頂きます」

「まぁ、嬉しいわ。ねぇ、ディートリンデ」

「はいっ。お姉様が更に美しくなっていますわ」

「マリーお姉ちゃん綺麗」


 女に生まれて美容に気を使わぬなどありえない。市井の女性ですら気を使うくらいなのだ。

 マルグリットは元より美しかったが、更に美しさに磨きが掛かっている。その理由があのラントが作った化粧品だと言うのならば試したいと思うのが乙女心だ。献上されると聞いてベアトリクスとフランツィスカ、ディートリンデの心はぐっと鷲掴みにされた。


「こちら、珍しいハーブティーを用意してみました」


 出てきたのはやはり透明ガラスでできた茶器だった。ティーポットも透明ガラスだ。差し色と美しい装飾が入っている。アーガス王国風ではない。完全にラント作だろう。芸術の才能もあるのかとベアトリクスは驚いた。

 いや、マルグリットの着けている装飾品、髪飾り、首飾り、指輪。全てが膨大な魔力が籠められている特別な魔法具だ。魔術士程度では使いこなすことすら難しいだろう。そして公爵令嬢が着けても違和感のない優美さ。ラントに芸術の才能があるのなどそれを見れば一目でわかる。見逃していたと悔しく思った。


「まぁっ」

「綺麗」

「凄いっ!」


 茶器に蕾が置かれ、湯が注がれるとガラスのティーカップの中で蕾から花が開く。その様は美しく、フランツィスカとディートリンデが目を輝かせている。ヘルミーナなど身を乗り出してテーブルにかじりついて見入っている。

 ベアトリクスは古今東西の茶葉を飲みきったと思っていたがそのハーブティはベアトリクスですら知らないものだった。香りも高く、味も良い。更に王室御用達ではないが有名店だと言う店から取り寄せたという茶菓子が出される。王室御用達の茶菓子は美味いがいつも食べていると飽きが来る。マルグリットの気遣いに気付き、感謝した。


「そしてこれは皆様へのプレゼントでございます。どうぞお手に取ってください」


 声もでない。美しい手鏡だった。銀色の魔法金属で飾られている。そして鏡の美しさたるや、王妃であるベアトリクスですら初めて見た。フランツィスカもディートリンデもあまりの美しさに声もでない。ピンク色の装飾をされた手鏡を渡されたヘルミーナはぴょんぴょん飛んで喜んでいる。間違って割ってしまわないだろうか心配になる。そんな乱暴に扱って良い品ではないのだ。


「姿見もあるのですが、そちらは後ほど王城へ献上させて頂きますね。王妃殿下、王太子妃殿下、各王女殿下用にそれぞれ用意させました」


 鏡と言えば金属を磨いた物が定番だ。だがこの手鏡は薄い金属が透明ガラスに貼り付けられているようだ。どうやってこんなに美しく薄い金属を貼り付けられるのだろう。魔法や魔術に精通しているベアトリクスですら想像もつかない。王城の専門錬金術師でも再現は難しいだろう。


(惜しいわね。マルグリットの物でなければ王家専属の錬金術師として囲うのに。そういえば宮廷魔導士長のハンスも彼を狙っていたわね)


 見たこともない茶器。王妃ですら飲んだことのないハーブティ。そして美しい手鏡。それだけで王家の子女たちの心は鷲掴みだ。

 フランツィスカとマリーは戦場に出ていった愛する男たちを心配する気持ちが通じ合いすぐに仲良くなった。人見知りのするヘルミーナもマルグリットに懐いている。


(これはマルグリットに王城を乗っ取られる日も近いわね。王家の女たちはもう貴女に、いえ、クレットガウ卿の作る物にメロメロよ。本当に惜しいわ、流石に同盟国の公爵令嬢の専属錬金術師を取り込む訳には行かないわ。いい男を見つけたものね。羨ましいわ。王妃という立場にある私ですら嫉妬してしまいそうよ)


 ベアトリクスは王太子妃や王女たちと歓談を楽しむマルグリットを見て美しく微笑んだ。

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