042.マリーの心配と誤算

「は~~~~~っ」

「マルグリットお嬢様、ため息がなごうございますよ。淑女としてはしたないですよ」

「だって~、王都に着いてからラントがあまり構ってくれないんですもの。それに出陣まで迫って来ておりますわ」

「つまりラント様が最近構ってくれなくて寂しいと」

「なっ、寂しいとまでは言っていませんわ」


 マリーは声を張り上げ、エリーは苦笑いをする。


「ラント様への本来の依頼は王都までの護衛。ラント様が王都に留まる必要性は本来ございませんわ。マルグリットお嬢様が計略を企て、ラント様を王都に縛り付けたんじゃありませんの。それに私にくらい寂しいと本音で言ってくれても良いんですのよ」

「そうね、寂しいの。王都では王城や王宮に良く行って会えない日まであるし、わたくしの部屋を訪ねてくれる回数も減っているわ。王都まではあんなに常に一緒にいられましたのに」

「それは護衛だから当たり前ですわ。護衛対象をほっぽりだしてどこかにいく護衛がどこにいますか。マルグリットお嬢様は狙われていたのですよ?」

「そうだけど~」

「お嬢様、言葉遣いが乱れております」


 マリーはぐてっとソファに背を預ける。使用人たちの目が生暖かい。マルグリットの想いなど既に筒抜けであるのだ。


「それで、その当人は今何をしていらして」

「裏庭の訓練場で騎士や魔法士を鍛えておりますよ」


 別の使用人が即座に答えをくれた。


「何せ公爵家の騎士団長まで叩き伏せてしまいました。魔法士たちもクレットガウ卿の魔法に魅せられてしまいました。何せ王都を守る第一騎士団や近衛騎士団が叩き伏せられ、宮廷魔導士長が認めた方なのです。クレットガウ卿の噂は貴族街で爆発的に広まっていますわ。当家にもクレットガウ卿に婚約者がいないのならうちの娘をどうかと問い合わせや釣書が届いております」

「なにそれ、聞いていないわよ」


 本当に聞いていない。いつの間にそんなことになっていたのだろうか。一応女主人として公爵家を切り盛りしている筈なのになぜマリーの耳に入っていないのだろう。

 マルグリットにはあまり釣書やそのような話は飛んでこない。指輪の話が漏れたのだろう。それでも来るものは来る。当然全て断っているが。


「クレットガウ卿も全て断っておりますのでご安心ください。クレットガウ卿は〈避妊〉の魔法も使えるようでマルグリット様より先に孕む使用人はおりませんよ」

「な、な、そんなこと心配しておりませんわ」


 マリーは顔を真っ赤にして反論した。マリーはラントが使用人に手をつけていることを知っているのだ。たまにルンルンで働いている使用人がいる。どうしたのかと聞いたら昨夜ラントのお手つきになったと嬉しそうに報告してくれ、なんとも微妙な気分になった。


「そんなに寂しいなら裏庭の訓練場に見学に行けば如何ですか? クレットガウ卿がびしばし公爵家の騎士や魔法士を鍛えて頂けているので、騎士団長はほくほくとした顔をしておりましたわ」

「行きます。エリー」

「はい」


 マリーは即座に動いた。使用人がパチンと指を鳴らす。

 裏庭に着くと確かに騎士や魔法士たちが訓練を行っていた。既に集まっていた使用人たちがテキパキと観覧席を用意し、茶と茶菓子を出してくれる。有能な使用人たちだ。


「今は何をやっているのかしら」

「連携の確認だそうですね。騎士五人、魔法士一人でクレットガウ卿に挑んでいるようです」

「ラント、騎士五人を手球に取りながら魔法士に魔法まで放っているわよ」

「えぇ、私も初めて見た時は目を疑いました。ですがこれならばマルグリットお嬢様を危険な魔の森から守り抜き、ランドバルトの反乱軍の勢力圏を抜け、王都までマルグリットお嬢様をお連れできる実力があると納得致しました。それに顔立ちも整っておりますわ。危機に陥った令嬢を颯爽と助け、王都までの長い道のりをたった一人で成し遂げる実力。クレットガウ卿の英雄譚は貴族街にはよく知れ渡っておりますわ。そのうち吟遊詩人たちがクレットガウ卿の偉業を讃えて歌を作ることでしょう。劇になるかもしれません。侍女や使用人たちの間でも騎士号授与と同時に魔法士にまで異例に取り立てられたクレットガウ卿の人気はうなぎのぼりですのよ」


 侍女が語りだす。最後の情報はいらなかった。聞きたくなかった。だが釣書が届くほどなのだ。夜会でラントの魅力にやられた令嬢がいたのだろう。もしくは第一騎士団や近衛騎士団を叩き伏せたと聞いて取り込みたい領地貴族がいるのだろうか。どちらも有り得ると思った。ラントの実力なら引く手あまただろう。


 ラントは訓練場の中で目の前で高速で動き、傷一つ負わずに騎士たちを叩きのめし、その合間に魔法士に魔法を叩きつけていく。他の騎士や魔法士たちも真剣な眼差しで見つめている。


「魔法士、何をしている。乱戦でも敵を確実に射抜く正確な魔法を放て。魔力制御を鍛えろと言っていただろう。毎日きちんとやっているか?」

「やっています。ですが早すぎて手が出せません」

「〈身体強化〉で動体視力を上げるんだ。あと魔法士たちは体力がなさすぎる。こんなんでは行軍にもついていけんぞ。騎士団と共に甲冑を着けて朝に走り込みをしろ。そこ、甘い。そんなことで不意を突けると思うな」


 ラントは六人相手にも怯まず、連携の拙さを指摘し、初級魔法しか使わないのに騎士たちを圧倒している。その動きの洗練さにマリーは見惚れてしまっていた。


「はぁ、素敵ですわよねぇ。クレットガウ卿。私もお相手して貰えないかしら」

「貴女、子爵家の子女でしょう。乙女の純潔は大切な物なのよ。子爵家に返す時に傷物になっていたなどと言う噂が立てば公爵家に泥を塗ることになります。弁えなさい」

「そうなんですよね、侍女でなく使用人であればクレットガウ卿のご寵愛が頂けたというのに、惜しいことです」


 侍女とエリーが言い合っている。貴族家の令嬢ですら短い間でラントはその心を掴んでいる。マリーは愛人や妾は許す。

 なにせ公爵家の娘だ。父も兄も正妻だけでなく側室もいるし、なんなら妾も愛人もいれば使用人にも手を出している。貴族の当主というのはそういうものだ。流石に使用人が孕んだ時は母が激怒していたが。

 そしてラントは末席ながらも貴族家を興してしまった。ならばマリーも許容せねばならない。


(でも正妻の座だけは絶対に譲りませんわ)


 だが正妻はマリーだ。これはマリーの中では決定事項であった。今はまだ身分差がある。心配だがラントは戦場に赴き、功を上げ、その力を世に示すのだ。マリーの目論見は半分までは当たった。だがもう半分は外れた。ラントの実力が高すぎる。故に、ラントは多くの貴族に目をつけられているのだ。

 何せベアトリクスやコルネリウスまで欲しいといい出した。この国の王妃殿下と王太子殿下だ。ディートリンデまで冗談でそう言ったくらいだ。逆らえるものではないが、ベアトリクスとコルネリウスは叔母と従兄弟でもある。親しい仲だ。マリーはラントは自分の物だと言って渡さないように必死になっている。相手がマリーでなければベアトリクスやコルネリウスは問答無用でラントを自身の側近に取り上げただろう。マリーだからこそ、許されているのだ。

 更に騎士団が欲しがっていたり、宮廷魔導士の席を用意すると宮廷魔導士長が明言したのが噂になっているのをマリーは聞いている。


「ラントの実力、見誤っていましたわ」

「えぇ、ですがこのくらいしてくれませんとマルグリットお嬢様が婚期を逃してしまいますわ。もうすぐ十八ですのよ。あと四年以内に伯爵家くらいになってくれないかしら」

「それは流石に難しいのでは?」


 話を聞いていた侍女が引き攣りながら問いかけてくる。


「あれを見てもそう言えますか? ラントが功を立てる機会さえあれば必ずラントは戦功を立てるとわたくしは確信しています」

「私もそう思います。知っていますか。ラント様はあれでまだ本気ではありませんのよ」


 エリーの言葉に侍女が驚いた。


「そうなのですか。余裕そうな表情をしているのでもしやと思いましたが。確かにクレットガウ卿なら何かしてくれるという期待感はありますね。四年で伯爵ですか。やはりそれならば宮廷魔導士が一番手っ取り早いのではないのですか。伯爵は難しくとも子爵号くらいなら貰えるかも知れません。その上で宮廷魔導士です。それならばマルグリットお嬢様とギリギリ釣り合わないと言う事はありません。既に宮廷魔導士長からはいつでも宮廷魔導士の席を開けると明言されているとか。それが一番確実な道なのでは?」

「そうなのですけれどラントが宮廷魔導士などという激務はやりたくないのですって」


 侍女が更に驚きの表情で新しい茶菓子を並べてくれている。


「まぁっ、全ての魔法士が憧れる宮廷魔導士をそんな理由で蹴る魔法士がいるとは思いもしませんでしたわ。なろうと思ってもなれるものがいない狭き門ですわよ」

「ラントは王宮図書館に通い、たまにこうして体を動かして発散する生活が気に入っているようです。欲を言えば魔境にも行きたいそうです」

「魔境など魔物しかいないではありませんか。王都の近くにはありませんよ」

「ラント様は錬金術師です。錬金術の素材が欲しいのですって。買うと高いのだそうですよ」


 侍女は頷き、ふと何かを思いついたのか首を傾げる。目の前ではラントは次の六人を相手にしごいていた。楽しそうでマリーは顔がつい綻んでしまう。何度見てもラントの戦闘シーンは格好いいのだ。模擬戦であれば血が吹き出ないので安心である。ラントは手加減もうまいのだ。


「クレットガウ卿は私たちも驚くほどの報奨金を貰ったのでは? 素材くらい山程買える金額だと聞いていますが」

「ラントは元平民なので高い物は買うよりも自分で取った方が早いと言っておりました。あと素材の質や鮮度も大事だそうです」

「あぁ、錬金術師は変な人が多いですしこだわりも凄いですわよね。マルグリットお嬢様、本当にクレットガウ卿でいいのですか? 絶対に苦労致しますわよ」

「うぐっ……そのくらいわかっているわ」


 マリーは侍女の問に即答できなかった。訓練場には騎士や魔法士を叱咤するラントの姿があった。使用人たちも手が止まり、その姿に目を奪われている。一対一ではなく、一対多数でも華麗に捌き切っているのだ。ラントは鎧すら着けていない。騎士服にローブ姿だ。マリーですらまるで英雄譚の英雄が本から飛び出してきたのかと錯覚してしまいそうになる。


(またラントに傾倒する使用人が増えそうね)


 女子の使用人を中心にラントの人気は高い。だがこれで更にラントの人気は高まるだろう。マリーは少し頭が痛くなった。

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