013.追求
「参ったな」
ラントはガシガシと頭をかいた。それほど鈍感なつもりはない。マリーのあの顔の赤くなりようは熱でも魔力酔いでもない。おそらくはラントに惚れたのだ。
「どこでだ?」
ラントは思い浮かぶ節をいくつか思い出した。
まず命をギリギリの所で救った。これが一番あり得ることだが襲撃のショックの方が大きいだろう。それに最初マリーはかなり警戒していた。
次に魔の森の踏破だ。公爵家の令嬢だ。流石に他のハンターたちのように、もしくは貴族という名の蛮族だった北方諸国の貴族たちのように扱う訳にはいかない。
だからできるだけ配慮をした。これほど女性に配慮するのはいつぶりだろうとラントは思い出せないくらいだ。ジジイには女性は優しく扱えと教えられてきた。だが令嬢の扱いなど教わった覚えはない。市井の女なら幾らでも口説くことができるが貴族の令嬢は初めてだ。テールでは親が勝手に侍女などを連れてきて抱かせてくれた。魔力持ちの子を多く増やす為だ。
それからあったのはアレックスの襲撃だろうか。あの戦いはしっかりと見られていた。イヤな殺しだった。それが表情に出たのだろう。貴族の仮面など北方の蛮族たちは被らない。被れない。ラントが使えるのはジジイに教え込まれたからだ。だがそんなものは使っていなかった。表情に出ていただろうか。思い出してもわからない。
「しっかしなぁ」
蛮族の出であるラントとマリーでは身分が違いすぎる。なにせアーガス王国の王妃が叔母だと言うのだ。王妃の出は当然のように公爵家だ。そしてその公爵家の長女が友好国であるエーファ王国の公爵家に嫁いでいる。これはブロワ家が本来であれば次代の王妃になるからだろう。
両国の王妃が二代に渡って叔母、姪の関係になるのだ。次代を見据えた政略結婚だと言える。
「入って良いですよ、ラント様」
そこまで考えた所でエリーから入室の許可が出た。長い着替えだと思えばローテーブルの上にはちゃっかりと紅茶と茶菓子の後がある。着替え終わった後、彼女たちは茶会を楽しんでいやがったのだ。
ふと見るとマリーはベッドで寝ているようだ。毛布を頭まで被っている。ラントは念の為遮音の結界を張った。
「随分と余裕だな」
「貴方には言われたくありません。北方の雄、常勝無敗の戦鬼。テールの麒麟児。ランツェリン・フォン・クレットガウ様。ラントとは安直ですね」
「いいだろ、どこにでもいる名だ。安直な方が案外バレない物なんだよ」
エリーは貴族令嬢らしく礼をした。やはりエリーも貴族家の出なのだ。北方諸国の伯爵家などエーファ王国の男爵家にも劣るレベルだ。より強大な帝国で言えば準男爵にも劣るかも知れない。
だがあの国は実力主義だ。一代で伯爵くらいなら上り詰めるのも訳はない。ただし戦争で功を上げれば、と注釈が付くが。もしくは魔法士資格を取って宮廷魔導士になれば自動的に伯爵並の待遇が与えられる。それだけ帝国は魔法士の育成に、数を揃えることに力を入れているのだ。
ラントにはその気がなかったので実力は隠していたが、ラントの資質に目をつけた貴族が居た。目ざといものだ。実力は隠せても資質はなかなか隠せない。初級魔法の使い方一つで見破られてしまったのだ。
帝国の動きを見るにここ数年で確実に戦争が起こる。今はまだ前哨戦だ。そして戦争が起きれば必ず両国が共同しなければ跳ね返すことすら難しい。ラントはエリーを見据えて続ける。
「やめろ、その名はもう捨てたんだ。それにエリー、どうして今更様付けなどをする」
「気付いているのでしょう。マリーお嬢様の気持ちに。もし二人がくっつけば私の主人になるのです。今までの態度も謝罪します」
「やめろやめろ。俺とマリーに交わる道はない。身分を考えろ。もっとちゃんとマリーの幸せを祈ってやれ。俺なんかと付き合っても良いことは一つもないぞ」
エリーはコテンと首を傾げた。
「テールの麒麟児であればお嬢様の伴侶にもふさわしい方ですよ。私も近代史の授業でその名を聞いたくらいですよ。放浪の大賢者の初の弟子となればアーガス王国でもエーファ王国でも正体が知れれば爵位くらいころっとくれますよ。それだけ切迫していますからね」
「その代わりに馬車馬のように働かせられるだろう。そんなのはごめんだ」
エリーはずいと乗り出して畳み掛けてくる。
「ですが貴方はマリーお嬢様をお見捨てになられない。できない。違いますか。このままだとお嬢様は王宮に辿り着けても幸せにはなれません。なにせ内戦真っ只中ですからね。王宮側が負けて蹂躙されるかもしれない。貴方はそれを見過ごせますか?」
「うぐっ」
ラントは痛い所を突かれた。マリーに付き合っているのは二つの理由だ。一つは単純に寝覚めが悪いからだ。地雷を踏み抜くのを承知で助けた命、大切にしたいという気持ちが大きい。
二つ目は帝国に両国が蹂躙されるとラントには都合が悪いというのがある。マリーの美しさに絆されたというのも否定できない。旅を続けるうちにマリーの良い所は幾度も見られた。これが上級貴族かと感心するほどだ。
東側の国の言葉はまだ習得できていない。文化もかなり違う。大樹海と荒野、砂漠などの魔境も越えねばならない。
系統の違う魔法を使うらしいので興味はあるが、アーガス王国はなかなか居心地が良かった。その国が蹂躙されるのはラントとしてはなんとか防ぎたい事態だ。だが個人でできることなどそうはない。
幸いにしてまだ帝国は本腰を入れていない。現皇帝のスローガンは富国強兵と南にある旧大帝国領の復活だ。そして未だ富国強兵は終わったとは言えない。あと数年は猶予があるだろう。内乱や公爵令嬢の追放など前哨戦に過ぎない。
「それにお嬢様は美しく、更に芯の通った女性です。あれほどの女性はそういませんよ。貴族院に通い、多くの茶会で貴族の女性を見続けた私が言うのです。信憑性は高いですよ」
エリーは自信満々に言う。ラントも同意せざるを得ない。事実だからだ。
「そりゃマリーは美しいさ。間違いない。芯が通っているというのも短い付き合いでもわかっている。だが俺はこの国では何者でもないしがない五級ハンターだ。せめて一級にでもならないと、いや、それでも弱いな。精々男爵か子爵の側室の娘か養女が精々だろう。ハンターが貴族の嫁を貰うなんて物語の中だけだ」
「貴方も一応は伯爵家の出なのでしょう。北方諸国の伯爵号などどれだけ信用ができるかわかりませんが、伯爵は伯爵です。ギリギリセーフだと見れます。それに貴方は力を持っています。その力を存分に奮えば帝国の脅威もなんとかなるのでは? 先程の錬金術、凄かったです。私ですら見惚れたくらいです。どちらの王国にも貴方ほどの錬金術師はいらっしゃいません。魔法士や魔導士ですら怪しいところです。貴方、帝国でも出世しようと思えば幾らでもできたでしょう」
エリーは畳み掛けてくる。マリーが寝ていると思って歯に衣着せぬ物言いをしてくる。
「帝国ではハンターすらやっていなかった。あそこは囲い込みが激しかったからな、俺だとバレたら確実に捕まる。実際バレなかったが捕まりそうになったんで逃げてきたんだ」
「帝国では何をしていたんですか?」
ラントはくすりと笑い、エリーの問いに答えた。
「鉱夫さ。魔法石のな。ちょうどよく新しい鉱山が発見されてな。帝国の魔法石は純度が高い。帝国の魔導技術が高い一番の理由だな。そして採掘した魔法石の原石の一部をちょろまかしていたのさ。工房にあった魔法石はほとんどが帝国産だ」
「空間魔法使いですからね。ちょろまかすくらいはお手の物でしょう。ですが魔法石は加工が難しいと聞きます。いえ、それも貴方には言うべきことではないですね。自身で加工ができるのでしょう。純度の高い魔法石の加工など宮廷魔導士案件ですよ」
エリーは呆れるような目をして言ってくる。しかし事実だ。ちょろまかした魔法石の原石を加工したのは自分でしたからだ。他人に任せると魔法石の質が下がる。それに帝国には国家錬金術師が居た。宮廷魔導士などに魔法石の加工を任せるなどアーガス王国やエーファ王国の魔法の質の低さが伺える。
これでは帝国の脅威を跳ね返すのも難しいだろう。
「それに貴方もマリーお嬢様に惹かれているのでしょう。いえ、惹かれない筈がありません。身分の差を言い訳にして気持ちに蓋をしていますね」
「なんで言い切れる」
「ふふっ、女の勘を舐めないでください。たまに優しい目でマリーお嬢様を追っていますよ。私はそんな目で見られたことはありません。女性は視線に敏感なのです」
(くそっ、この侍女、マリーの事となると途端に有能になりやがる)
ラントは自身の心の内を言い当てられて珍しく狼狽えた。マリーに惹かれているのは間違いない。そしてその気持ちに必死に目を逸らしていたのも確かだ。王都にマリーを連れていけば二度と会うことはない。そうすれば傷も浅くなる。
まさかマリーがラントに惚れるとは思わなかった。幾度か女とは付き合ったことがあるが女の惚れどころは本当にわからない。いつの間にか惚れられていることが多い。粗雑な言葉遣いを使い、わざと北方訛りを矯正せず、目立たずにやっていたはずだが幾度も女に言い寄られた。
それがラントの隠しきれていない品の良さと優しさ故だとはラント自身すら気付いていなかった。
「ふふっ、ちゃんとマリーお嬢様の幸せを考えてください。もう情が湧いているでしょう。恋とまでは行きませんがラント様はマリーお嬢様をお見捨てできません。それならば最後まで付き合うのが紳士と言うものです。北方の蛮族に紳士を求めるのは酷でしたか?」
エリーはニヤリと笑う。これがこの女の本性かとラントは今更気付いた。
「ちっ、煽るな。エリーはマリーと俺がくっついても良いのか? もっと良い男は沢山いる。マリーの美貌なら言い寄ってくる男はいくらでもいるだろう」
「ハンターと幾度も同じ部屋で泊まったのです。事実はどうあれマリーお嬢様には傷がついてしまいました。そして貴族は純血を大事にするものです。これはアーガス王国でもエーファ王国でも代わりはありませんよ」
「純血など確認すれば良いだろう。手なんか出しちゃいない。エリーはそれをよく知っているだろう」
エリーはくすりと笑った。策謀の匂いがする笑みだ。ラントですらゾクリとした。こんな笑みもエリーはできるのだ。ただのポンコツ侍女ではなかった。
「えぇ、その紳士ぶりとテールの麒麟児と言う正体を知って気が変わりました。私の望みはお嬢様の幸せです。王太子妃など妹君に任せてしまえば良いのです。それで万事解決です」
エリーはニヤリと笑う。やはりこの女はやばい女だ。マリーへの想いが信仰になっている。
「解決するためには帝国の侵略を抑えなければならないんだが?」
「ラント様ならできますよ。私は確信しました。これでも公爵家騎士団や王国騎士団の候補生を何人も見て来たのです。ラント様の剣術、魔法、共に国内ではトップレベルです。ラント様が居れば帝国の脅威は大幅に下がるでしょう。マリーお嬢様の幸せにはラント様が居れば安泰です」
エリーは狂信者の目をしていた。これを覆すのはどう足掻いても難しい。ラントはどうにかならないものかと天を仰いだ。
◇ ◇
マリーファーストなエリー。初っ端から嫌われていますがマリーの幸せを願っているだけです。あと貴族社会以外を知らないのでラントへの当たりが強かったですが、ラントはそういう物だと知っているのでスルーしていました。
そしてラントがテールの麒麟児であると言うことで手の平をくるっくるに回します。ドリルです。
それだけラントの名がエーファ王国などでも広まっているという証左です。
いつも誤字報告、感想ありがとうございます。
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