054.王妃の誘いと王太子の凱旋
「ふむ、こんなところか」
ラントはローブを作っていた。鮮やかな碧のローブだ。マリーの瞳よりは濃い。魔法士は水色、魔術士は薄い茶色。魔導士は碧、宮廷魔導士は深い藍色。そして宮廷魔導士長は紫の差し色を入れたローブを羽織ることが許される。
当然ハンスは紫色の差し色が入っているローブだ。紫は高貴な色だ。基本王族やその血を多く引いている四大公爵家しか身につけることは許されない。宰相や大臣、各騎士団長、宮廷魔導士の長だけは別だ。宮廷魔導士の長というのがどれほど重用されているのかを裏づかせている。
「いい色だ。ベヒーモスの革は染めやすくていいな。竜の革はこうは染まらん」
ラントはベヒーモスの毛皮を藍色で染め、良い感じの碧になるように調整した。丁寧に鞣し、薄く銀色に光っている。本来なら厚さは1メルもあるベヒーモスの皮を丁寧に魔法銀の刃で剥ぎ、ちょうどいい薄さにする。
ベヒーモスの革は物理に魔法に強靭なだけではない。魔術を幾重にも掛けられるという特徴がある。〈硬化〉や〈自動修復〉、〈自動洗浄〉に魔力を籠めた時だけ発動する物理にも魔法にも反応する〈反射〉。魔法石がいくつも装飾品の姿に変えられ、ローブ各所に嵌まっていく。さらに強固な結界も張れるよう設定した。
「ふむ、マリーやエリーの外套も作ってやるか。ベヒーモスの革だ。マリーたちが身に着けていても全くおかしくはない」
ここは貴族街。王宮も近く騎士たちが守っている。マリーを狙う刺客も居ない。安全なのだ。だがラントはラントの居ない時にマリーが狙われるのは我慢ならなかった。
特製の鈴を渡していたり、結界を張る魔術具を渡しているが、鈴を鳴らす間もなく、結界を張る間もなく、意識を刈られたり、殺されたりすることなど幾らでもありえる。
この前の暗殺者たちは凄腕だった。あんなのに狙われたらひとたまりもないだろう。マリーたちなど気付かないうちに死んでいる。
だがベヒーモスの革を羽織っていればその安全性は飛躍的に高まる。自動的に結界を張る機能もつけている。
流石にドレスに使うわけには行かないが、外套ならば良いだろう。幸いサイズなども知っている。ラントは一度工房を出た。大体のサイズは知っているとは言え、
「デボラ」
「はい」
「マリーとエリーの外套に使われている型紙は入手できるか」
「いつでもできますわ、ラント様」
「じゃぁ急ぎで入手してくれ」
「畏まりました」
デボラは優秀だ。半日で用意した。それに合わせてラントは三日掛けて二人分の外套を作り上げた。色は濃い茶色だ。マリーの好みに合わせてある。それにマリーの美しいプラチナブロンドが映える。自分で作って置いて良い出来だと思った。エリーの分は少し薄く、キャメル色にしてある。こっちの色の方がエリーに似合うのだ。
「よし、久々に良い仕事をした、良い気分だ」
過剰に魔術を掛けられた外套は即日マリーとエリーにプレゼントされた。
マリーもエリーもラントに外套をプレゼントされるとは思っては居なかったのかとても驚き、そして喜んだ。マリーなど抱きしめて頬ずりしている。
ラントが外套に掛けられている魔術に関して説明すると「何と戦わせるつもりなんだ」と言われたが、エリーはマリーがより安全になるのならと最後には納得した。マリーにもエリーにも攻撃に使える魔術具も与えてある。
「ふむ、全部読んでしまったな。新しい本を借りて来ないと」
騎士服に碧のローブを羽織り、王宮へ赴く。王城は既に顔パスだ。と、言ってきちんと短剣は見せる。門番たちも顔だけで通したりはしない。しっかりと教育されている。
王宮図書館に向かおうとしたところ、ベアトリクスから呼び出しが入った。珍しいことだ。マリーを呼び出すならともかくラントを呼び出すのはレアだ。何の用だろうとベアトリクスの私室に向かう。王妃の呼び出しを断れる訳が無い。
「ベアトリクス王妃殿下、ご機嫌麗しゅう。騎士にして魔導士、ランツェリン・ドゥ・クレットガウ、参上致しました」
「あら、魔導士の碧色のローブ似合っているわね。それにすごい魔術が掛かっているわね。その革も見たことがないわ。何の革かしら」
「元はベヒーモスから剥ぎ取ったものです。ベヒーモスを扱える職人が王都に居るかどうかわからなかった為、自作ですが。鞣すのも一苦労なのですよ」
「まぁっ、ベヒーモス。伝説の魔獣ではないですか。それを討ち取ったのですか。流石ですね。王族や宮廷魔導士ですらベヒーモスの革のローブなど持っていませんよ。そして鞣し方などおそらく誰も知らないでしょう。王都の職人とは言えほぼ平民です。膨大な魔力がなければ鞣すことすらできなくてよ? ドワーフたちならなんとかできるかしら」
ベアトリクスはからからと笑いながら言った。流石ベアトリクス。慧眼だ。彼女はラントの視る限り、魔力制御も操作もしっかりしている。完璧な魔力隠蔽すら使えるだろう。熟練の魔導士と言われても違和感がない。
しかし用事はなんだろう。話の転がし方が巧みなので何時間でも話してしまえるような錯覚に陥る。気がつくとベアトリクスの術中に嵌まっていて、危うく切り札の魔法や魔法具なども聞き出されそうになった。
「ベアトリクス王妃殿下、お戯れはそろそろにして本題に入っては如何ですか?」
「そうね、良いお話を聞けました。貴方の実力も知っています。クラウディアは旧知でしょう。彼女から魔導士試験の件も聞いていますよ。彼女も魔導士試験に受かりました。他にも幾人か受かりました。誰かさんに触発されたおかげですね。通常一割しか合格者が出ない所、二割も出たそうですよ。最近は近衛の訓練が激しくなっています。クレットガウ卿に高い鼻を折られたからでしょう」
ベアトリクスはくすくすと笑う。クラウディアも居た。彼女はラントと目が合うとぺこりとお辞儀をした。他にも難関だと言われる魔導士試験に幾人も受かっていたらしい。スイードも受かったと聞いた。
「それはおめでとうございます。ですがそれは本題ではないでしょう」
「コルネリウスが直に帰ります。そろそろ貴方の褒美も考えておかねばなりません。何か希望はありますか。貴方はこの内戦の立役者。相手の策謀を見破り、策を立て、有言実行とばかりに敵の首魁を討ちとりました。貴方がいなければこれほどの完勝とは行かなかったでしょう。コルネリウスに経験を積ませると言い、残りの残務をうまく押し付けましたね。見事な手腕です。更に暗殺者の襲撃も見抜き、撃退したと聞いています。功が大きすぎます。陛下や宰相から望みの褒美を先に聞いておいてくれと急かされたのです」
「それでは宝物庫の宝を一つと禁書庫の入室権を」
「あら、それはわかりやすいわね。ではそう報告しておくわ。私には決定権はありませんが、必ず陛下からもぎ取ってあげましょう」
「恐悦至極にございます」
この女傑なら本当にもぎ取ってくるだろう。宰相など唸りながらも逆らうことすらできまい。
ん? 暗殺者? 何かがラントに引っかかった。
「コルネリウス殿下は今どの辺りにいるのですか」
「リドウルビス辺りまでには帰ってきているようですよ。凱旋パレードも準備しています」
「……凱旋パレード」
「えぇ、何せこの半年、我が国は未曾有の危機にありました。民草も王都の民も酷く混乱していたのです。貴族の反乱も長くありませんでしたが、反乱が起きるという事態こそ深刻なのです。騎士や魔法士たちですら戦を知らぬ者が多く、経験がありません。しかもあのランドバルト侯爵が裏切ったということで王国の威信が揺らいでいます。クレットガウ卿、この反乱を貴方は帝国の策謀だと言っていましたね。確かですか」
「確かな証拠はないですが、コルネリウス殿下を狙った暗殺者は帝国式の呪印を使っておりました。間者も呪印が発動し、爆発四散して死体すら残りませんでしたが、私は確実に呪印の形式を見ました。帝国式です。間違い有りません」
ベアトリクスは少し思案した後、頷いた。
「そう、それなら間違いなさそうね。それにしても貴方特殊な魔法具を使ったようね、見せてくれないかしら」
「見せれば王家に取り上げられるほどの切り札です。ご容赦を」
「ふふふっ、貴方、いくつも切り札を持っているでしょう。一つくらい良いではありませんか。命令してもよろしくてよ」
「では他言無用ということで。間違えても宰相閣下などには教えないでくださいね。禁呪に指定されてしまいます」
ラントは幻影の腕輪を取り出し、ベアトリクスに手渡した。ベアトリクスの姿がクラウディアの姿に変化する。体格や胸の大きさまでは流石に変わらない。クラウディアは慎ましやかなのだ。近衛や侍女たちが驚き、声すら上げられない。かろうじてクラウディアが「王妃殿下」と声を発せたくらいだ。
ベアトリクスはラントが作った手鏡をみて驚きの声を上げた。
「まぁ、完全にクラウディアだわ。近衛の服を借りて王城を歩いてみようかしら」
「幻影なので王妃殿下の大きな胸を収めることはできませんよ。専用の近衛服を用意せねばなりませんよ。お戯れはそのくらいにしてください」
「それは特注になりそうね。悪戯には持って来いですが。うふふっ、でも確かにこんなもの、宰相や近衛騎士たちが知れば取り上げてしまうでしょう。貴方達、今見たものは口外法度よ。忘れなさい。クレットガウ卿、返します。良い物を見られました」
楽しかった、とベアトリクスが華美に笑う。大きな胸が揺れる。もう良い年で子を何人も子を産んだ人妻だと言うのに妖艶な色気がある。マリーやディートリンデなどには出せない色気だ。クラウディアも美しいし人妻であるらしいが、武に偏っていて色気というものは少ない。
ラントはベアトリクスから解放された。実に二時間も経っていた。いつの間にと言う印象だ。ベアトリクスは話のネタも豊富で聞き出すのも上手い。夜会では女王と呼ばれることだろう。彼女に逆らえる貴人は、そうはおるまい。国王陛下や宰相閣下も苦労していることだろう。
「暗殺者、暗殺者か。凱旋パレード。俺が帝国ならどこを狙う? 不味いっ」
ラントは騎士を見つけ出し、コルネリウスに手紙を届けて貰うよう手配した。すぐに何か起こる訳が無い。念の為だ。そして当初の目的通り王宮図書館で本を大量に借り、即公爵家に戻った。
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