055.喝を入れる

「マリー、少し出てくる。二~三週間ほどだ」


 ラントがそう宣言するとマリーが寂しそうな表情をする。


(こら、寂しそうな表情をするな。俺が悪い気になるだろう。悪い女だ。これが天然だというのだからやっておられん。その気になれば世紀の悪女になれるぞ)


 だが即座にマリーはいつものマリーになって顔を上げる。強い女だと思った。そこが気に入っている。ラントと一緒に死線をいくつか潜り抜けたことでマリーは肝が座っている。元々芯の強い女だった。それが真に強い女に化け始めている。

 マリーはベアトリクスに憧れていると言う。ああまでなったらラントでもお手上げだ。今でこそ翻弄しているが、そのうち尻に敷かれることになるだろう。その未来を予見して、ラントはぶるりと震えた。


「わかりましたわ。寂しいですがお留守番しています。そうそう、魔力隠蔽、ようやくできそうになりましたわ。流石にラントが戦から帰って来た時にはできませんでしたが、最近コツを掴みましたの。ラントの指南書は優秀ですわね」

「あれは俺がジジイの魔導書を読み解いて分かりづらいところをわかりやすく書き直した奴だ」

「まぁ、では──様のっ?」

「そうだ、ジジイは天才肌で何でもできた。だからできんもんの気持ちはわからんのだ。魔導書にも『魔力をぐっと体内に籠める』としか書いておらんぞ。一行だけだ。俺の書いた指南書は二ページに渡っていただろう」

「えぇ、わかりやすく指南されておりました。モノクルもとても便利に使わせておりますわ」

「その調子で頑張れ。間違っても教会に目をつけられてはならん。その指輪を嵌め、公爵家と王家の家紋の短剣を持つマリーに手を出せる存在は居ないがな」


 マリーはビクッと震えてラントの与えた輝く指輪を見つめた。


「わかりましたわ。間違えても教会に近づいたり致しません」

「よし、いい子だ。そのままいい子で待っていろ。エリー、デボラも任せたぞ」

「「はっ」」

「それで、どちらへ?」

「ちょっとコルネリウスを向かえに行ってくる。ちとキナ臭い」

「まぁ、コルネリウスお兄様を。わかりましたわ。いってらっしゃいまし」


 ラントはアレックスに跨り、馬を走らせた。騎士服を着て魔導士のローブを羽織っている。貴族街を抜け、王都も並足で走る。騎士であり、魔導士であるラントは王都内の騎乗も許されている。

 馬の上から見る王都の街並みは素晴らしい物だった。だが光があれば影もある。王都にもスラム街や闇の住人はいるのだ。

 だが大通りを通っていれば問題ない。貴族が使う門の門番に王太子殿下の短剣を見せると驚かれた。当然フリーパスだ。王都を出ると「はっ」と鞭を入れて駆け足にさせる。間に合うと良いのだが。


 ラントが辿り着くと、軍は無事なようだった。コルネリウスに何かあればこうはいくまい。だが軍規が緩んでいるように感じた。


「ふむ、無事なようだな。だがやはり弛緩している。こればかりは仕方ないが帰るまでが戦争だ。戦争を知らぬ奴らだ。今が一番危ない時だと言うのに。ハンス閣下も居ない。アドフル閣下だけでは流石に目が届かんか」


 ラントは一週間で王太子の軍に合流した。諸侯の軍はリドウルビス市で別れている。残った軍は囚えた貴族たちを連れながら、ゆっくりと行軍している。

 ラントが本陣を目指す。「注進、注進、王太子殿下に用命がある」と魔導士のローブを着たラントが叫びながら言うのだ。誰もが道を開けた。

 それを見てラントはまだ苦い顔になった。


(ちょっとは疑え。フリーパスで通してどうする)


 やはり戦争を知らない世代が多いせいか甘い。更に大戦勝の後だ。浮かれている。だがその御蔭で面倒な問答はなく、ラントは本陣までアレックスを進められた。


「おう、クレットガウ卿ではないか。お主は今王都にいるのではなかったか。どうしたのだ」


 下馬するとアドルフに声を掛けられる。


「えぇ、ちょっとコルネリウス殿下とお話致したく馬を駆けて参りました。それにしても戦勝に湧き、少し浮かれているのではありませんか。緊張感が足りませんぞ」

「それは儂も思っておった。まだ戦争は終わっておらぬ。だと言うのに気を抜いている者が多すぎる」


 ラントが問いただすとアドルフも苦い顔になった。やはり同様の懸念を持っていたようだ。


(仕方ないな)


「クレットガウ卿、如何した。俺に用事だと聞いたが」

「えぇ、ですがその前に一つ喝を入れさせて頂きたく。許可を頂けますか」

「構わぬ。お主のやることには間違いがない。ぜひやってくれ」

「では」


 ラントは〈拡声〉の魔法を掛ける。


「お前らっ、その気の緩みようは何事かっ。ここには王太子殿下がおられるのだぞ。戦勝に酔って何を気を抜いている。家に帰るまでが戦争だと思えっ。今ここで襲われたら如何する。俺など誰何すらされずに本陣まで来られたぞ。それは気の緩み以外何者ではない。シャキッとしろ。お前らは褒美が欲しいのだろう。だが王太子殿下に一筋でも傷が入ればお前らは罪人だ。王都に帰り、家族たちに顔を見せる際、英雄として帰るか、罪人として帰るかどちらが良い。考えよ、そして疲れているだろうが胸を張り背筋を伸ばせ。常に警戒をせよ。まだ戦は終わっておらぬ。気合を入れろ。わかったか。わかったら大声を上げろ」

「「「「「おおおおおっ」」」」」」


 ラントの声は万の兵士たちにあまねく届いた。轟音のように声が響く。これで良い。喝は入った。油断するような兵士は一人もいなくなるだろう。

 見るとコルネリウスや近衛まで当てられて腕をあげ、声を上げている。ちょっとやりすぎたかも知れない。だがやり過ぎなくらいでちょうどいい。何せラントの懸念が当たればこれからが勝負所だからだ。

 誰の? 帝国に決まっている。企みを叩き潰され、帝国が泣き寝入りなどする筈がない。気を抜いているコルネリウスの首を必ず狙ってくるはずだ。それに気付き、ラントは大急ぎでコルネリウスの陣へ駆けつけたのだ。

 アドルフはうんうんと頷いている。ラントの激で軍に気合が入った。アドルフも満足なようだ。


「それでクレットガウ卿、いかがしたのだ。俺も気合が入ったぞ。良い演説だった。アドルフが軍に覇気がないとこぼしていたのだ。だがクレットガウ卿が演説しただけで全員に気合が入ったようだ。確かに俺も疲れている。気が抜けていたことは否めない。だが王宮に帰るまでが俺の仕事であり、それまで戦は終わっていない。至言だな。心に刻むこととしよう」


 ラントはコルネリウスに真意が伝わったことを理解して喜んだ。


「えぇ、殿下。まだ戦は終わっておりません。最も危険なのが凱旋時です。王城や王宮は強力な結界が張ってありますが、王都内ではそんなことはありません。殿下の首を狙うには絶好の機会だと思いませんか? しかも近衛も騎士も魔法士も、先程のように弛緩していたのです」


 コルネリウスは驚いた。何せ自分の首が狙われているというのだ。近衛たちもざわつく。主君の命が危ないと宣言されたからだ。


「そうだな、不意を打たれたら危なかっただろう。クレットガウ卿、感謝する」

「頭をそう簡単に下げるものではありませんよ。王太子なのですからぐっと胸を張り、背筋を伸ばしてください。それよりも王都に入り、軍が解散してからが最も危険です。王都で王太子が暗殺される。これほど派手なニュースはないでしょう」

「そうだな、誰もが恐れ慄くだろう。王宮は大混乱に陥るに違いない」

「ですので、殿下は心構えをしていてください。私が必ずお守りします。その為に駆けてきたのです」

「ふむ、クレットガウ卿は言った事は必ず実現してきたからな。信用するとしよう。だが近衛たち、本来はお前たちの仕事だ。わかっているな。気を抜くなよ」

「「「はっ」」」


 近衛たちが気合の入った顔で返事をする。これなら大丈夫そうだ。


「そういえばランドバルト侯爵を助け出したそうですな」

「あぁ、だがランドバルト侯爵が病と言うのは本当だったようだ。起き上がれぬ状況にある。今は後方の馬車に居る」

「少し見に言っても?」

「構わぬ」


 ラントはコルネリウスに連れられて後方の馬車に行った。王太子が先導とは何と豪華なことだろう。当然近衛たちも付いてきている。魔導士や魔法士たちもだ。王太子の居る場所こそが本陣である。アドルフもニヤニヤしながらついてきている。


「この馬車だ。おい、コルネリウスだ。入るぞ」


 馬車が開けられると中には中年の病人が一人、夫人らしき美女が二人乗っていた。次の馬車には息子らしきランドバルト侯爵に似た男が三人、麗しい人妻が二人。そして小さな子が一人乗っていた。これでランドバルト家の全てだと言う。ほかは貴族院に通っているとか。全て女子らしい。流石に貴族院に居ては反乱に関係はないだろうと放置されているらしい。貴族院に通う本人たちは針の筵だろうが。

 ラントは寝たきりのランドバルト侯爵に近づき、口元の匂いを嗅いだ。そして脈を取り、首筋に手を当てる。夫人たちはその様子を祈るように見ていた。


「ふむ、この香り、症状。毒ですな」

「なっ」


 ラントが断言するとコルネリウスと夫人たちが驚いた。皆病だと思っていたのだ。


「帝国北方で取れる特殊な毒草を使った毒です。病に似た症状で発見されづらく、ゆっくりと衰弱し、死にます」

「そんなっ、旦那様はっ、旦那様はもう回復しないというのですか」


 執事らしき男が縋ってくる。


「安心しろ。解毒薬がある。俺を誰だと思っている。魔導士にして錬金術師だぞ。さらに帝国にいた事がある。この毒は幸いにも知っている物だ」


 それを聞いて慌てていた夫人たちも縋るような目でラントを見つめてきた。コルネリウスとアドルフも驚いている。


「なんともクレットガウ卿には驚かされてばかりだな。まさか帝国でしか使われぬ毒をも知っているとは。その慧眼、畏れ入るばかりだ」

「なぁに、根無し草で各国を渡り歩いていただけでございます。たまたま知っていただけですよ」


 と、嘯くがジジイの残した本には古今東西の毒と解毒薬の作り方がしっかりと載っていた。帝国に居る時に素材を採取し、念の為大量に備蓄して置いたのだ。もちろん毒も持っている。暗殺者が使うような強力な毒だ。

 収納鞄に手を入れる。そしてその中で空間魔法〈収納ストレージ〉を使う。流石に帝国の毒に対する解毒薬など常備はしていない。工房にある。だが〈収納〉を使えば工房にある物も取り出せるのだ。収納鞄に手を入れたのはカモフラージュだ。間違っても空間魔法が使えるなどと知られてはいけない。


「これを朝夕二回に分けて飲ませてください。夫人にお預けします。こうして頭をあげさせ、口を開けさせ、ゆっくりと飲ませるのです」


 ラントが見本を見せ、夫人に目線で合図すると夫人はうんうんと頷いた。しっかりとその様子を目に焼き付けている。


「時折、様子を見に来ます。とりあえず〈解毒〉の魔法も使っておきましょう。この毒には単純な〈解毒〉では治りませんが症状が軽くなります。〈解毒キュア・ポイズン〉」


 ラントが魔法を唱えると苦しそうだったランドバルト侯爵の顔が少し落ち着いて見えた。それだけでも夫人たちがホッとするのがわかる。


「さて、殿下。ランドバルト侯爵の事はわたくしにお任せください。大丈夫です。この症状ならまだ復活できます。私のことを信じてください」

「クレットガウ卿を疑うことなどせぬ。お主は言葉に出したことは必ず為して来たではないか。魔導士資格を取ったのだな。そのローブ、似合っているぞ」

「ありがとうございます。ですが間違っても報奨で宮廷魔導士になどしないでくださいね」


 ラントがパチンとウィンクすると、コルネリウスは苦笑した。裏で手を回して囲い込もうと画策していたのだろう。コルネリウスは「バレていたのか」と言う表情をしたのだ。

 ラントは自由を愛する。間違っても宮廷勤めなどしたくはない。しっかりと釘を刺しておかなければならない。

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