056.凱旋と襲撃

「ふむ、何もないな」


 コルネリウスが呟いた。それにラントが応える。


「なければないで良いのです。杞憂であればそれで問題有りません。ですが私が帝国側であれば必ず暗殺者を送り込みます。凄腕の魔導士を使うでしょう。狙いは王都の広場辺りですかね。市民の被害すら考慮せず、大魔法をぶっ放します。殿下たちは気付いた瞬間には蒸発するでしょう」

「クレットガウ卿が帝国に居なくて本当に良かったと俺は今胸を撫で下ろしたぞ」

「そうですな。そこが一番危ないでしょう。帝国の喧伝にもなります。全国に一瞬で王太子殿下が襲われたことが広がるでしょう。国が割れますな」


 ラントが恐ろしいことを言った。アドルフが同意する。実際背筋に寒気が走った。そしてラントが味方であることを本当に頼もしく思った。


「殿下、これをお持ちください。半径五十メルの結界を張る魔道具です。私が合図したら必ずこれに魔力を籠めてください」

「だが似たような魔道具は俺も持っているぞ」

「ふむ、見せて貰えますか」

「これだ」

「良いものですね。ですが範囲が狭い。これでは殿下は守れても近衛が死ぬでしょう。大切な近衛騎士、死なせたくはないでしょう。今回はこちらをお使いください」

「わかった」


 コルネリウスたちは順調に軍を進めていた。どこからも襲撃が来る様子などない。だがラントが襲撃があることを仄めかしていた。ラントが来ると言ったら本当に来る可能性が高い。

 実際ホーエンザルツブルク要塞前に布陣した時は、暗殺者がコルネリウスの首を狙って王太子の天幕を狙ってやってきた。その時コルネリウスは幻影の腕輪を使って近衛の振りをし、別の天幕に居た。眠っていたのだ。もし本来の天幕で寝ていたら毒付きの短剣を突き立てられていたかも知れない。

 何もなく王都前まで帰り着き、ランドバルト侯爵はラントの言った通り渡された薬で起き上がれるまでになった。ラントの見立ては本当だったのだ。

 帝国の毒まで網羅しているとは思わなかった。ラントが居なければ誰も気付かず、ランドバルト侯爵は死んでいただろう。信の置ける良い男だ。亡くすには惜しい。コルネリウスはそれだけでもラントに感謝した。

 ランドバルト家の者たちは全てラントに感謝しているだろう。夫人たちなどが娘を嫁にどうかなどとラントに言っていた。娘はまだ貴族院に通っているらしい。他の娘たちは既に嫁に行っている。それに今回の反乱の余波で婚約は解消されているだろう。


 ラントは魔導士で騎士でもあるが所詮騎士爵だ。それが侯爵の娘を娶れるとなれば望外の幸運だろう。だがラントは静かに固辞した。

 ラントにはマルグリットが居る。コルネリウスにもマルグリットがラントに惚れていることくらいはわかる。そしてラントも満更ではないことに気付いていた。

 侯爵家の娘よりも公爵の孫娘であり、王太子の従姉妹のマルグリットの方が格が高い。ランドバルト侯爵家の娘が娶られるとしても、側室になるだろう。


 だが夫人は本気でラントに目をつけているようだ。例え側室でもラントの嫁に娘を送り込みそうな視線だった。それほど感謝しているのだろう。

 何せラントがいなければ侯爵は死んでいた。それどころか囚えられ、地下牢にいたのだ。皆衰弱していた。

 そしてランドバルト家を救ったのは全てラントの策だ。ランドバルト家にはその事を話している。ランドバルト家の者たちの心はラントへの感謝で一杯だ。実際に救い出したコルネリウスよりもラントに忠誠を誓いかねない。

 ラントなら王にでも成れるのではないかとふと頭を過った。だがラントは決して玉座など望まないだろう。そのくらいは彼の性格をわかっている。


「さて、軍を解散せねばならんな」

「〈拡声〉の魔道具です。兵たちを労ってやってください。そうですね、殿下は激を発したことがないでしょう。こちらの原稿をお読みください。胸を張り、堂々と声を張るのです」

「うむ、借りるとしよう」


 コルネリウスは拡声の魔道具を借り、ラントがさらさらと即座に原稿を書き上げる。それを一読し、コルネリウスは前に出て兵たちに声を発した。ラントが土魔法で台を作ってくれる。万を超える軍の目がコルネリウスに集まる。


「諸君、よくぞ長き戦いについてきてくれた。諸君らも知る通り、この戦は我らの完全な勝利に終わった。ホーエンザルツブルク要塞は落ち、反乱を企てた前ランドバルト侯爵は死に、その家族も囚えた。ランドバルト市は落ち、反乱軍も全て降伏した。帝国の間者ですら捕らえることができた。前ランドバルト侯爵に囚えられていた貴族の人質や、本来のランドバルト侯爵も助け出せた。それは諸君らの努力の賜物だ。俺は王太子の名に置いて宣言しよう。必ず諸君らの働きに応じて褒美を約束する。よくぞここまで着いてきた。家に帰り、家族に顔を見せてやれ。数カ月ぶりの凱旋だ。英雄の帰還だと胸を張って家族に会うのだ。褒美は後ほど諸君らに必ず配る。後日朗報を待て」

「「「「「おおおおおっ」」」」」


 王都前で轟音が鳴る。万を超えるの兵士の叫びだ。耳が痛くなりそうだった。コルネリウスは自身の演説でこれほど効果があるとは思っても居なかった。ラントの原稿のおかげだ。自分ではこれほどの効果を表す言葉を発することができないと思った。王太子であるのに、ラントに負けている。悔しいと思った。要するに、何でもできるラントに嫉妬したのだ。


「殿下、人にはそれぞれ役割があります。クレットガウ卿に嫉妬などしては行けません。あれは規格外です。うまく手綱を握ることだけをお考えください」

「そうだな、王族として恥ずべきことであった。忠言、感謝する」


 アドルフに言われ、コルネリウスは恥じた。直臣ですらないラントに救われたと言うのに、そのラントに嫉妬したのだ。ラントの好意に甘えているだけなのである。

 嫉妬は心を歪ませる。そうすればラントの心もコルネリウスから離れるだろう。そうすればラントが敵対するかも知れない。それを考えてゾッとした。

 全く勝てる想像ができない。近衛騎士たちが全て地に伏した訓練場を思い出した。ラントが叛意を抱いたらコルネリウスの首などあっという間に落ちるだろう。

 ラントは良くも悪くも鬼札なのだ。使い方を間違えてはいけない。幸い今の仲は良好だ。心配して急ぎ駆けつけてくれた。ならばこのまま仲を深めれば良い。

 王族だからと言って誰よりも優れている必要はないのだ。優れている者を自在に使うのが王族だと父は言っていた。ならばラントもうまく使わなければならない。それが王太子であるコルネリウスの責務である。


「コルネリウス殿下、万歳。クレットガウ卿、万歳。アドルフ閣下、万歳」


 コルネリウスは初心を思い出した。ラントへの嫉妬などどこかで消え去っていた。そして清々しい風が吹いた。兵達がコルネリウスの名を合唱していた。気持ちが良いと思った。



 ◇ ◇



 王都に入る。既に軍は解散している。彼らは思い思いに清々しい顔で家に帰っていった。何せ数ヶ月も拘束したのだ。コルネリウスは街の宿や領主邸などに泊まったが兵士たちは街の外で野営することなど度々あった。冬の寒い時期にだ。辛かったに違いない。

 だが彼らは泣き言も言わずにコルネリウスについてきた。そして王都に帰ってきた。皆ホッとした顔をしている。家族に会えるのが嬉しいのだろう。

 コルネリウスもベアトリクスやディートリンデ、ヘルミーナなどに会えるのが楽しみに思えた。


「殿下、まだ気を抜いては行けませんよ」

「そうであったな。王宮に帰るまでが戦だ。近衛たち、警戒しろ」

「「「はっ」」」

「ふふふっ、儂が声を掛ける必要など全くありませんでしたな。クレットガウ卿、前は断られたが本当に軍に入らぬか? 大将で迎えるぞ。お主が居れば帝国など怖くはない。クレットガウ卿が帝国を蹴散らすのが目に見えるようだ」

「アドルフ閣下、それは以前お断りしたじゃありませんか。二十代の大将など聞いたことがありませんよ。兵士たちもついてきません。それに俺にごぼう抜きされた軍の重鎮方がどう思うか。嫉妬の嵐に晒されるのはごめんです」

「今回の戦、全ての功はお主にある。軍でお主の偉業を知らぬ者など居らぬ。嫉妬するものはでるだろうが、認めぬ者は存在しない。なに、儂が保証するのだ。誰が文句を言えようか」

「謹んでお断り申し上げます。閣下。私は自由で居たいのです」

「また振られてしまったな、ガハハハッ」


 ラントとアドルフが笑いながら話している。だが彼らは歴戦の勇士だ。談笑しながらも警戒を切らしていないのがコルネリウスでもわかった。

 ラントが言っていた王都の広場に辿り着いた。人が大勢いる。襲撃など来るのだろうか。

 瞬間、強力な魔力が遠くから発せられるのが感じられた。襲撃だ!

 ラントは上空を見つめている。それに遅れて近衛や魔法士たちが騒ぎ出した。ラントに比べて遅いと思った。すでにラントは魔力を練り上げている。


「上を見ろっ」

「なんだとっ、街中で上級魔法だと」

「あれは〈火炎隕石(フレイム・ストライク)〉だ。まずいぞ」


 コルネリウスはぞっとした。物凄いスピードで十メルはある巨大な燃える塊が迫ってくるのだ。死んだと思った。魔法士たちは必死で結界を張っている。


「ふむ、あれでは被害が大きくでますな、流石帝国の魔導士。よく練られた良い魔法だ。仕方ありません、私が対処しましょう。〈氷結隕石(アイシクル・ストライク)〉」


 ラントが魔法を唱えると巨大な氷の塊が即座に現れ、上空で燃える隕石と氷の塊がぶつかり合い、爆発した。

 広場に居た市民たちはワーワーキャーキャーと騒ぎ逃げ出している。


「騎士たち、広がれ。殿下、お早く魔法石で結界を。近衛たちは殿下から離れるな。必ず守る。また大技が来るぞ。構えっ」


 コルネリウスは言われた通り結界を張った。五十メルの大きな結界だ。近衛騎士たちがコルネリウスの側に集まってくる。騎士や魔法士たちは散る。また大技が来ると言われたからだ。

 ラントは浮遊し、逃げ惑う市民を見て、倒れた老人や子供、女たちを助けている。混乱した市民たちは逃げ惑い、転ければ踏まれて死んでしまう。

 ラントは俯瞰の眼でも持っているのかと疑った。

 あの凶悪な魔法を撃ち落としただけでなく、市民たちを助ける余裕まであるのだ。実際倒れた市民たちは〈念動〉で浮かされ、安全な場所まで運ばれていった。多くは老人や女、子供であった。踏み潰されれば必ず死んだであろう。


(また魔力が高まっている。来る!)


 そしてラントが予言した通り、巨大な火炎の竜巻が広場に巻き起こった。

〈火炎竜巻(フレイムトルネード)〉だ。さっきの〈火炎隕石〉と言い上級でも上位の魔法だ。そう簡単に放てる魔法ではない。しかも街中だ。どれほどの被害がでるのかコルネリウスには予測もつかなかった。だがラントは冷静だった。


「〈氷嵐(アイシクルトルネード)〉」


 ラントが作り上げた氷の竜巻が火炎の竜巻にぶつかり、もの凄い熱気を発しながら、火炎竜巻は消え去った。


「そろそろこちらからも攻めさせて貰うぞ。三人か、これ以上王都を壊さしてなるものか。こちらが受けてばかりだと思うなよ。もう場所は割れている。俺を甘く見たなっ、〈誘導閃光(ホーミングレーザー)〉」


 ラントが楽しそうに笑っている。なぜこんな状況で笑えるのだろう。普段は整っている顔が凶相になっている。獰猛な狩人の顔だ。あの顔を自分に、王国に向けさせてはならない。必ず国が潰れると感じた。戦鬼、その言葉が頭を過った。

 ラントが魔法を唱えると三本の閃光が魔法を放たれた方向に飛んでいく。遠くで爆発が起こった。そしてそれから襲撃が起こることはなかった。


「騎士隊、魔法士隊、十名ずつ光の向かった場所に行け。だが間違っても死体に近寄るな。爆発するかもしれぬぞ。結界で包むのだ。そして市民たちに避難を呼びかけろ。殿下、拡声の魔道具でこちらの原稿をお読みください」

「わ、わかった」


 十名の騎士と魔法士たちがラントの命により現場に走る。コルネリウスは原稿を読んだ。だがまだ心臓がバクバクしている。

 殺されかけたのだ。ラントが居なければ死んでいた。市民も多く巻き添えになっただろう。余波で多くの市民に怪我人が出た。死人も出たかもしれない。壊れた広場は酷い惨状だ。だが上級上位の魔法がぶつかりあったのだ。仕方がない。このくらいの被害で済んだのが奇跡だ。呼吸を落ち着け、原稿を読む。


「アーガス国王太子、コルネリウスだ。襲撃者は撃退した。もう危険はない。負傷者が居れば前にでよ。治癒魔法を掛ける。王太子の名に置いて宣言する。もう危険は去った。安心せよ。壊れた建物は王家の名に置いて修繕する。後ほど役所に陳情せよ。繰り返す、壊れた建物は王家の名に置いて修繕する。後ほど役所に陳情せよ。もう安全だ。安心して家に帰るが良い」


 そう言うと市民たちがホッとしたような表情で現れた。傷を負ったものは多く居たらしい。魔法士たちで治癒魔法が使える者たちが治癒を掛けて行く。


「クレットガウ卿、見事な物だな。これで王都市民の忠誠も王太子殿下に注がれるであろう」

「襲撃などない方が良いのですがね。悪い方の予感が当たりました。死者はでなかったようで安心です。おい、魔導士たち、お前たちのそのローブは飾りか? なぜ即座に対処しない。お前たちの仕事だろう。違うか?」

「はっ、申し訳有りませんでした。ですが流石にあの一瞬で火炎隕石に対処するのは我らには不可能だったかと」


 魔導士の隊長がラントの叱責に頭を下げる。


「ならば精進せよ。常に王族を守れるように、上級魔法くらい一息で使えるようになっておけ。魔導士の名が泣くぞ」

「はっ、クレットガウ卿がいなければ王太子殿下のお命は危なかったでしょう。感謝致します」


 ラントが胸を張り、堂々と言う。


「構わん、王太子殿下を救う為に俺はやってきたのだ。だが本来はお前たち魔導士、そして近衛騎士団の仕事だ。近衛たち、襲撃を予想していたか? 殿下をお守りできたと断言できるか? たるんでいるんじゃないのか?」

「はっ、クレットガウ卿のご慧眼、誠に見事。精進致します」

「王太子殿下の首は一つしかない。奪われてからでは後悔もできんぞ。普段から励め。鍛錬が足らん。危機感が足らん。近衛の名は飾りか。エリートだと誇りを持って胸を張れるか? お前たちが盾になり、あの魔法を食い止められたか? 帝国の魔導士は恐ろしいぞ。たった三人で王太子殿下の首を狙ったのだ」


 ラントの激に全ての近衛騎士、魔導士、魔法士、騎士が真剣な顔をして聞いている。敵の策を先読みし、完全に対処する。何せアレほどの魔法戦が行われたと言うのに死者が一人も出ていない。ラントこそが英雄だ。誰もがそう思った。


「さぁ凱旋だ。王都市民たちに騎士たちの姿を見せてやれ。反乱は終わったのだと。もう襲撃はおそらくない。胸を張れ。背筋を伸ばせ。王太子殿下を中心に堂々と王宮へ帰るのだ。その姿を見れば市民たちは安心して殿下を称えるだろう。さぁ、行くぞ」


 ラントが激を飛ばすと近衛たち、魔導士や魔法士たち、騎士たちが隊列を組み、歩き始める。彼らの表情は真剣だった。そしてその姿を見た市民たちは、大いに湧き、コルネリウスたちの凱旋を大声で祝した。

 これが凱旋かとコルネリウスは胸が熱くなった。それほどの熱狂が王都では渦巻いていた。


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