015.手紙と万年筆
「マリー、起きてるか? なら手紙を書いてくれ。悪いが明日この街を離れることになった。悪いな、休ませてやれなくなって」
「いえ、構いません。お父様たちに無事を報せられるのが嬉しくて仕方ありません」
「俺も手紙を書く。無難なことだけ書いておけ。詳しくはこっちで書くから」
「はい」
マリーはベッドの上で悶えていたが流石に少し落ち着いてきた。身分の差はあれど両思いだと言うことがわかったのだ。それだけでも嬉しい。
ラントの顔はまだ直視できないが、貴族の仮面を被って冷静に対応できたと思う。
渡された紙とペンはかなり上質な物だった。ペンは見たことのないものだ。羽ペンではない。ペン先には金属の軸がついていて、軸先はニつに割れている。インク壺は普通だ。どう使うのだろうか。
「あー、万年筆は知らねぇか。そうだよな。羽ペンはあまりに使いづらいんで俺が作ったんだ。それはこう使うんだ。腕は立てた感じで書くと書きやすいぞ」
ラントがさらさらと隣で手紙を書いている。距離が近い。だがしっかりと話は聞かねばならない。トクントクンとうるさい心臓に鎮まってくれと思いながらマリーはラントのマネをして渡されたインク瓶に軸先を漬けて手紙を書き始める。インクの乗りが良い。紙も書きやすい。いつにもなく筆の進みが早い。これも自作なのだろうか。あり得るとマリーは見抜いた。
そしてラントが左利きであることをマリーはこの時初めて知った。
「拝啓、お父様。寒さも厳しい季節になってまいりました。家族の皆は壮健でしょうか? わたくし、マルグリット・ドゥ・ブロワは無事です。エリーも同行してくれています。親切な魔法士の方に危ない所を助けて頂きました。今はアーガス王国のある街に居ます。すぐに移動しているので返事は頂けませんが、護衛を頼み、王都へ向かっています……」
書きたいことは沢山あるが渡された紙は二枚だ。それで収めろと言うのだろう。返事が貰えないのが辛い。だがマリーの無事を報せることができるだけで僥倖なのだ。むしろ無事であったことが奇跡に近い。
国境を通らずに国に入るのは犯罪だとは言え、魔の森を抜けたなどと言って誰が信じるだろうか。国の騎士団でも難しいだろう。そう考えるとトールは明らかにおかしかった。単なるダイヤウルフではない。なにせダイヤウルフに狩れる筈のない魔物まで狩って来ていたのだから。
時間が経ってようやく冷静に色々と見つめ直すことができた。ラントの正体が割れた今、何が起きても不思議ではない。放浪の大賢者の弟子なのだ。放浪の大賢者の伝説は非常識な物ばかりだが信じ難いかもしれないが事実だと歴史や魔法の先生は言っていた。
(もしかしてわたくし、今物語や伝説の中にいるのでは?)
書きたいことを書き終えてマリーは隣を見る。ラントの字はアーガス語だが美しい筆跡だった。どう書こうか迷っているのか筆が止まっている。ラントもうんうん唸っている。
ちらりと見ると飾り言葉なども学んでいることがわかる。貴族教育がしっかりとされているのだ。普段やらないだけでやればできるのだとマリーはラントの評価を改め、そして彼の字ですら素敵だと思ってしまった。
「ふぅ、手紙なんて久々に書いたな。マリー、おかしいところはないか。添削してくれ。と、言ってもまた書き直しだと言われると頭が痛い。書類仕事は手紙ですら苦手なんだ」
ラントに苦手なものがあるとは思わなかった。クスリと笑ってしまう。ラントは自身の正体が知れたのがきっかけなのか、色々な事を隠すのを止めてしまった。
マリーに取ってはとても都合が良い。なにせラントの事ならば何でも知りたいと思ってしまう。左利きなのも、流麗だが癖のある字も、全て素敵だと思ってしまうのだから恋と言うのは厄介だ。恋は盲目と言われる意味をマリーは初めて知った。
マリーはラントの手紙を見たがマリーの書いた分より分厚い。それに多くはラントが作った魔法具の説明だった。瑕疵がないことを確認し、大丈夫だと太鼓判を押すとラントはホッと息を吐いた。本当に書き直すのはイヤだったのだろう。
「マリー、お前はこの部屋に残って居ろ。エリー。侍女服ではなくドレスに着替えろ。お前の分も一着買って置いただろう。商業ギルドに行くぞ。あそこの高速便が一番信頼性が高い。その分値段も高くなるがな」
「あの、ラント。お金は大丈夫なのですか?」
マリーはずっと気になっていたことを聞いた。なにせラントはマリーたちにドレスを与え、宿に泊まる時は高級宿だ。風呂付きの宿が高いことは途中の街で他の宿の値段を教えて貰った事でマリーも知っている。なにせ桁が違うのだ。実際どの宿も満足できる宿だった。調度品の質が多少落ちる程度で、従業員の質も高い。豪商や下級貴族が使うような宿らしい。
「大丈夫だ。臨時収入があったからな。気にするな」
ラントの言葉は本当に思えた。実際ラントは全く焦っていない。大銀貨も金貨もほいほいと財布から取り出している。
金銭は扱った事はないが、金貨の価値が高いことは知っている。道中ラントに平民の通常の給料を教えられたのだ。一家四人で金貨二枚あれば一月暮らしていけると言う。
この宿の値段は大銀貨七枚だ。四人部屋だと言ってもかなり高い。庶民では泊まれないというのもあながち嘘ではない。
ちなみに五級ハンターの平均収入は月に金貨六~八枚らしい。通常よりも高いが、命を対価にしていると考えればそういう物なのかも知れない。
三級になると大金貨三枚が相場だと聞いた。確かに金貨二十枚、つまり大金貨二枚で三級ハンターを王都まで護衛に雇うのは無理な値段だ。なにせ片道だけで一月近く掛かる。帰りのことも考えれば尚更だろう。
更に護衛依頼は通常依頼よりも相場が上がるのだそうだ。更に指名料も掛かる。金貨二十枚はラントを指名し、一月以上掛かることを考えた上での値段だと言う。
あのいかつい男はギルドマスターだったと言うから値段も相応だったのだろう。ラントがあの時間はいつも書類仕事がイヤでサボっているんだと笑って話していた。
◇ ◇
「エリー、お前も着飾ればなかなか見れるじゃないか」
「貴方もいつもそういう格好をなさったらいかが? その格好ならばお嬢様の隣に立っていても遜色がないわ」
「冗談よしてくれ。品性のなさで即バレるさ。それに嫉妬の視線というのは怖いものなんだぞ。良い女を連れているだけで絡まれるんだ。ついでに襲われて女まで攫われることがある。間違っても脇道には逸れるなよ。マジで危険だからな」
「わかりました。ラント様」
エリーは相変わらず口が減らない。ただ態度は少ししおらしくなった。更にラントに様をつけるようになった。マリーはその辺を訝しく思っていないのだろうか。
着飾ったエリーを連れて商業ギルドに入る。ラントも風呂に入り、小綺麗な格好をしているのでギルド内でも浮いて居ない。更にエリーの美しさに商人たちが目を剥いている。彼女もやれば淑女然とした動きができるのだ。普段は侍女らしくテキパキと働いている。
(マリーもそうだがエリーも案外目立つな)
ラントはそう評価しながら仕事のできそうなメガネを掛けた男の元へ向かった。メガネのガラスの純度が低い。透明ガラスはまだそう普及していないのだ。だがメガネを使えるということはこの男はギルド内でも相当の地位にいるやつだ。そうでなければメガネなんて高級品を普段使いできる筈がない。
「何か御用ですか」
「こちらのお嬢様がな、配達の依頼がある。エリーお嬢様、商品を」
「わかりましたわ」
エリーが化粧箱を取り出す。中には二通の手紙とブローチや首飾りが入っている。化粧箱にはしっかりと魔法で封がしてあり、マリーの血を借りて登録した。マリーの親族しか開けられない特殊な錠だ。
「エリー、本名で書け。エーファ王国語でいい」
「わかりましたわ」
こっそりとエリーに耳打ちする。エリーは素直に言われた通り依頼表を書いた。エリーの字もマリーには負けるがなかなか美しいものだった。侍女を任されるだけはある。話していると案外教養があることに気付かされる時があるのだ。
「ではこちらをグリフォン便でですね。出立は三日後になります。王都に先に寄るので到着はエーファ王国王都についてから更に三日掛かります。よろしいですか」
「あぁ、構わない。それで値段は?」
「金貨五枚になります。国を跨ぎますからね」
ラントは言われた通りの値段を払った。なかなか高いがグリフォン便は小さな荷でも恐ろしい値段がするのだ。なにせ一部とは言え魔の森の上空を通るのだ。危険極まりない。グリフォンほどの上級魔物でなければ魔の森の上空など通れはしない。
その代わり早さは申し分ない。馬でも二ヶ月以上掛かる所が十日も掛からないと言う。しかも一度王都を経由してからデボワ公爵領に向かうのだ。グリフォンの早さが伺える。
エリーの書いた書類を見るとエリナリーゼと言う名が書いてあった。家名もある。なかなか大仰な名だ。だが貴族の娘にはよくある名でもある。
ラントは初めてエリーの本当の名を知った。
◇ ◇
(こいつ、こういう時は本当に優秀ですわね。やればできるではありませんか)
商業ギルドでのラントの態度は完璧だった。お嬢様に仕える上級使用人と言う態度を崩さない。
先に打ち合わせをしていたが、北方訛りさえなくなっている。やはりわざとそうしていたのだ。流暢なアーガス語で商業ギルドでも上役と思われる者と談笑をしている。会話の中身も十分ついていきながらちゃっかり情報収集までしている。
(やはり有能だわ。放浪の大賢者の弟子というのは本当のようね。礼法が古風なのは放浪の大賢者のせいなのかしら)
エリーは鷹が獲物を狙う目でラントを観察していた。なにせマリーの伴侶になるかもしれない男なのだ。しっかり見極めなければならない。
今までの旅程でそれなりに人格は把握しているが、未だ信頼するとまではいっていない。ただ実力だけは認めている。
アレックスたちとの戦いや工房での錬金術はエリーですら見惚れる物だった。あれなら襲撃者たちなど一瞬のうちに倒せてしまうだろう。
倍の人数が居たとは言え騎士たちを倒した盗賊たちだ。並の腕ではない。
ラントはランドバルト侯爵の手の者だと言っていた。なぜエーファ国内で事を起こしたのかと言うと自領で他国の貴族が襲われたとなると大騒ぎになるからだと説明された。
マリーは国外追放の憂き目にはあったが貴族籍はまだ残っている。公爵令嬢のままなのだ。エリーも同様で、男爵令嬢のままである。
(そういえば、私の相手は旦那様が紹介してくれるはずでしたがどうなるのでしょう)
エリーは来年十九歳になる。貴族の世界では二十を超えれば行き遅れと言われざるを得ない。二十二を超えたら完全にアウトだ。
エリーは恋愛になど夢を見ていなかった。マリーと共に居られれば良い。マリーの愛した男ならばエリーも愛することができる。その自信があった。
(でもお嬢様の傍に居られるのが一番ですわ。私が結婚できなくても実家には関係のないことですし。あの時は冗談で言いましたがやはりラント様の妾にして貰いましょう。そうすればお嬢様とずっと一緒に居られますわ)
エリーのマリーファーストは留まることがなかった。
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