004.行軍

 コンコンと何かが叩かれた音がして、マルグリットは目を覚ました。ドアのノックの音ではない。目を開くとエリーが横に寝ているのを見てくすりと笑う。


(ふふっ、エリーの寝顔、可愛いわね)


 しかし襲撃されてギリギリの所助け出されたというショックから、国外追放の憂き目にあったと言う事実で塞ぎ込んでいたマルグリットは久々に笑った気がした。昨日は疲れて居たのか熟睡したようだ。体が軽い。


「何かしら」

「もう出発の時間だ、起きてくれ」


 よく聞く執事の声でも、ましてや目の前で眠るエリーの声でもない。昨日あったばかりのラントと名乗った男の声だ。

 寝ぼけていた頭が急速に覚める。がばっと起き上がると土魔法で作られた部屋の入口にラントの姿が見える。

 そこでマルグリットはホッとした自分に驚いた。ラントがマルグリットたちを見捨てる可能性を考えたのだ。しかしそれは単なる懸念で、ラント自身は乙女の部屋にも入らずにじっと待っている。


「エリー、エリー。起きて頂戴」

「ふみゅぅ、マルグリットお嬢様~」

「エリー!」

「はいっ! マルグリットお嬢様っ、おはようございますっ」

「いいかな。さっさと出ないと他の商隊やお嬢様を探しに来た者たちに見つかるかも知れないんだが? 起きてさっさと準備してくれないか?」


 ラントの声は冷ややかだった。マルグリットもエリーもすぐさま準備を整える。と、言っても持っているのはドレスと家を出てくる時に与えられた収納鞄だけだ。収納鞄の中身も着替えと少数の母の形見くらいしか持ち出せていない。

 金銭などは全て騎士たちが管理していたのだ。その騎士たちももう居ない。金銭はラントが漁ってしまった。マルグリットたちは一文無しなのである。


「すぐ準備致しますわ」

「待て待て、準備ってもその格好では魔の森は通れない。これに着替えてくれ」


 ラントはそう言って二着の服と皮鎧を投げ入れる。ご丁寧にブーツまでついている。

 服は長袖長ズボンで、着替えは容易だが皮鎧など身につけたことがない。流石のエリーも鎧の付け方など知らないだろう。

 とりあえず急ぎでドレスを脱がして貰い、与えられた服を着る。ラントの姿は見えない。乙女の着替えを覗くような真似はしないようだ。

 誂えたようにピッタリとは行かないが、マルグリットたちの丈に合っている。いつの間にこんなものを用意したのだろうか。


「あの、申し訳ありませんが鎧は付け方がわかりません」

「あ~、じゃぁ着けてやるが、体に多少触ったからってギャーギャー言うなよ」

「私に先に着けてください。それを覚えて私がお嬢様におつけ致します」

「わかった、俺はどっちでもいい。さっさと出たいんだ」


 ラントはテキパキとエリーに革鎧を着け、ブーツの紐が緩いとぎゅっと締め直す。エリーは見様見真似でマルグリットに着けようとしたが流石に無理なようで、諦めてラントに着けて貰った。そして最後に二着のローブを渡される。フード付きだ。

 ローブを羽織ると二人ともまるでハンターのような見た目になった。ただし似合ってはいない。鎧に着られているように見える。


(まさかこんな形で殿方に触られるなんて思っても見なかったわ)


 そう思うも国境を通れば即座に捕まると聞けばラントの言うことを聞かない訳には行かない。ラントが邪(よこしま)な思いをマルグリットたちに持っているならば幾らでもチャンスはあった。ラントの実力は高い。懐剣で喉を突く間もなく拘束されてもおかしくはないのだ。当のラントは寝ていないのかあくびを噛み殺している。


「まさか、寝ていないのですか」

「見張りをしなきゃならんだろう。商隊に見られるだけでもまずいんだ。昨日襲撃にあったのをもう忘れたのか? お嬢様」


 そう言われるとマルグリットは弱い。最後のお嬢様の呼び方が少しきつかった気がした。


「いつまでもお嬢様と呼ばないでくださいまし。マルグリットと言う名があります」

「そうだな、だが長いからマリーでいいか。どちらにせよアーガス王国に渡ってマルグリットと名乗る訳にも行かん。少なくともランドバルト侯爵の支配地域を抜けるまではな」

「わかりました、ではマリーとお呼びください。エリー、貴女もマリーと呼ぶのよ」

「はい、マリーお嬢様」


 マルグリットはマリーと言う愛称、偽名を受け入れた。久しぶりにエリーからそう呼ばれた気がする。幼い頃はエリーもマルグリットの事をマリーと呼んでくれていたのだ。


「さて、行くぞ。俺たちが居た痕跡も消さないとな」


 休憩所で使った薪や金網、灰などはすでに完全に撤去されていた。魔法で作られた部屋もすぐさま地面に戻る。ラントがざっと片手を振ると魔力残滓すら無くなった。

 流石にその所業にマリーも目を剥く。魔力残滓を消すのは非常に高度な技術なのだ。


(この人本当に何者なのかしら)


 マリーはラントの魔法技術の高さに驚きながら、ラントに「ついてこい」と言われ、森の縁までやってきた。ラントが振り返りながらちょくちょく魔法を使っている。何をしているのかと聞くと足跡と匂いを消しているのだと言われた。慎重なことだがありがたい。


「ここが魔の森」

「あぁ、っても最終端だけどな。北に行けばどんどんと広がり、中央部があって恐ろしい魔物が沢山いる。それこそ一国を滅ぼすような魔物も潜んでいるって話だ」

「まるで見たことがあるように言うのですね」

「まさか」


 ラントはおどけてみせたが全く魔の森に対して畏れを抱いていないように見えた。その自然体な姿はマリーたちの恐怖を拭ってくれる。ラントと居ればなんとかなるのではないか、そういう雰囲気を彼は持っているのだ。


「バトルホースに乗っていて良いのですか」

「むしろそっちの方が安全だ。良い子だ、大人しくしていろよ? 〈召喚(サモン)〉・トール」


 召喚陣がラントの足元に現れ、巨大な銀色の綺麗な毛並みの狼が現れる。体高は一メル半もあるだろうか、バトルホースに乗っているので見下ろす形になるが、それでもその大きさに慄く。

 エリーも怖いようでギュッとマリーに抱きついてきた。バトルホースも一歩後ずさった。


「こいつは従魔のダイアウルフだ。名はトール。こいつが居ればこの辺の魔物は近寄っても来ない。安全だ」

「そうですのね。不安で仕方ありませんでしたが、安心できました。ありがとうございます」

「お荷物がいなけりゃトールも必要ない。この辺りはそれほど危険な場所じゃないからな。さぁ、行くぞ」


 ラントが魔法を唱えると原生林の道が切り拓かれて行く。そしてダイアウルフに乗ったラントとバトルホースに乗ったマリーとエリーがそれについていく。魔法の関係上それほどの速度は出せないようだ。むしろどれほど魔力を持っているのだろう。マリーたちが過ぎ去ると森は元の原生林に戻っていく。


 それからは魔の森とは思えないほど順調に進んだ。なにせ魔物は襲ってこない。だがたまにガサリと音がしたり、遠吠えが聞こえてきたりする。その度にマリーとエリーは身を震わせた。

 ラントの言う通り魔物は近寄ってこない。トールの身から溢れる魔力に恐れを為しているのだろう。それだけが救いだ。


「ちょっと、方角が違うんじゃありませんの。それに魔の森を抜けるだけなら一週間も掛からないと思いますわ」

「直線で行けばな。だが少し北に逸れたルートを取る。目的地の街がそっちにあるんだ。まさか国境の一番近い街に入れると思っていたんじゃないだろうな。あの街に国境側から行けば必ず国境を超えた証を求められる。俺たちは密入国をするんだ。違う街なら銀貨を払えば通れる。俺の前の拠点もその街にある。だから一週間掛かるんだ。安心しろ、来る時もトールのおかげでほとんど魔物には出会わなかった」

「わかりましたわ」

「ひっ」


 また遠くで遠吠えが聞こえる。汚らしい声だ。エリーが怖そうにしてマリーに捕まっている。


「ここで一端休憩だ。緊張しただろう。疲れが思ったより溜まっているはずだ。昼食にするぞ」


 拓けた場所でバトルホースから降りる。確かに緊張していたようで太ももがぷるぷるする。尻も痛い。並足でこれなら駆け足で走ればどれほどなのか想像も付かない。

 ラントが土魔法で椅子を作ってくれ、白パンと簡単なスープを作ってくれる。スープには途中で採取していたハーブと燻製肉が入っていた。


「美味しい」


 素直にそう思えた。疲れた体に塩が染み渡る。燻製肉も思っていたよりも柔らかい。移動途中で渡された干し肉は噛みちぎれないほど硬かったものだ。


「それは自家製だ。二週間くらいなら持つ。俺が来る時は三日で駆け抜けたからな。帰り分までなら大丈夫だろう」

「何の肉ですか」

「猪頭鬼(オーク)だ」


 オーク肉など初めて食べた。本物も見たことはない。だが魔境近くの村や街では貴重なタンパク源であり、そして脅威でもあると貴族院では教わっている。


「さて、出発するぞ。急がないと日が暮れる」

「はい」


 三十分ほど休憩し、マリーたちは土台に乗ってバトルホースに乗り込む。

 ラントはトールに鞍無しで乗り、自在に魔法を操っている。休憩所の魔力残滓すらあっという間に消してしまった。


(本当に何者なのかしら。ただの魔法士とは思えないわ。宮廷魔導士だと言われても驚かないくらい)


 マリーはそう思うが聞く勇気はない。こんな場所で見捨てられてしまったらいくらバトルホースに乗っていると言ってもどうしようもない。エリーは少し慣れたようでしきりに尻を気にしている。彼女もやはり痛かったようだ。


「〈治癒(ヒール)〉」

「ありがとうございます。マリーお嬢様」

「いえ、わたくしも痛かったの。それに太もももぷるぷるとしているわ。乗馬なんて久しぶりですもの。更にバトルホースは大きいわ。これほど大きな馬に乗ったことなんてありませんもの。こんなに痛いものなのね」

「私もこれほどとは思っていませんでした。金属鎧を着て馬に乗る騎士様たちは凄いのですね」

「えぇ、ほんとに」


 ようやく魔の森にも慣れ、二人は会話もできるようになってきた。

 日が暮れる前にまた拓けた場所にでる。ここで野営するようだ。


「〈整地(レベル)〉、〈土壁〉」


 凸凹だった地面が均されて行く。二メル四方の範囲だ。そして一つの小さな小屋が建てられる。中には昨日のマットと毛布が敷かれる。

 簡易的なかまどが作られ、スープと白パンが供される。二人はありがたく頂いた。


「ラント、貴方今日も寝ないつもり?」

「まさか、トールがいるから大丈夫さ。それに魔物が近づけば目が勝手に覚める。俺はトールにもたれて寝るから気にするな。それよりもしっかりと寝ろよ。遮音の結界を張ってやる。ここはうるさいからな」


 それは素直にありがたいと思った。虫の魔物がトールに恐れを抱いて逃げ出す音や、遠くから聞こえる魔物の声は非常に怖かったのだ。

 だが行軍中は魔物の接近に気付けないので遮音の結界は張れないのだと説明された。納得の行く説明だ。


「早く寝ろ。明日も早いぞ」

「わかりました。おやすみなさいまし。今日はありがとうございます」

「おやすみ」


 マリーとエリーはマットに横になり、お互いの鎧を外す。外すくらいはエリーもできるようだ。

 横になった瞬間、疲労が襲ってきたのか二人はあっという間に寝てしまった。



◇  ◇


バトルホースは北斗の拳のラオウ様が乗っている馬を想像してください。本来魔の森はこんな簡単に進めません。そうでないと森の切れ目に国境を置く理由がないからです。ラントの凄さの一端が見られる話ですね。


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