049.帰還

「クレットガウ卿は行かぬのか」


 コルネリウスは帰り支度をしているラントを見て聞いてみた。


「いえ、私はハンス閣下らと共に王都に罪人の貴族たちを連れていきます。コルネリウス王太子殿下。後の処理は簡単です。なにせランドバルト市は侯爵家のほとんどがいないのです。残っているのは女子供のみ。ロクに指揮も取れぬでしょう。兵も残っていません。全て捕まえました。それに今回私は十分に功を上げました。殿下の初陣として、きちんとアドルフ閣下の意見を聞き、ランドバルト市を落とし、人質を取られた貴族たちの子弟や夫人たちを助け出してください。そして本来のランドバルト侯爵をお助けするのです。これは殿下がやることに意義があるのです。そうすればランドバルト家は必ず殿下に忠誠を誓うでしょう。アドルフ閣下、後はお任せしても」

「構わぬ。ほとんどの領地は既にもぬけの殻だ。進軍すればほとんどの領地が白旗を上げるであろう。ランドバルト市まで一直線だ。軍を率いても一月も掛からぬ。今回活躍した兵は帰らせ、今回使わなかった諸侯の兵で囲めば即降伏するだろう。そうすれば彼らに報奨も出る。殿下の名声も天下に轟き、騎士団や魔法士団たちも功を得られた。クレットガウ卿。よくぞ献策してくれた。まさか半日でホーエンザルツブルグ要塞を落としてしまうとは思わなかった。貴殿とは敵としては相まみえたくはないな。王国元帥として負けるとは決して言えぬが必ず勝てるとも言い切れぬ」

「私はただの騎士で魔法士で、本業は錬金術師です。戦は本分ではありませんよ」

「それにしては良い指揮であったではないか。熟練の総帥のようであったぞ。なんというかオーラがある。儂が保証する。軍に入らぬか? 即座に大将が務まるぞ。儂が推薦する。誰にも文句など言わさぬ。騎士団や諸侯の軍は卿を総指揮官だと認識していた。殿下も承認している。間違いなく卿の功績だ。もっと誇れ」


 ラントは苦笑している。これほど深入りするつもりはなかったのだろう。

 何せ元はハンターだ。騎士に叙勲され、魔法士になっただけでも成り上がりと言われるだろう。更に今回の功績だ。準男爵を飛ばし、男爵か、もしくは子爵までもあり得るほどの大功だ。

 マルグリットがラントに恋心を抱いているのはコルネリウスですらわかる。マルグリットにふさわしいとなれば最低でも伯爵位くらいは持っていなければならない。何せ王太子の従姉妹なのだ。王家と縁続きとなる。実際マルグリットを狙っている貴族は多いが、ベアトリクスが後見している為に、公爵家や侯爵家ですらマルグリットを得ることができない。

 マルグリットへの縁組の申請は全てベアトリクスを通され、ほとんどが握りつぶされていると聞いた。


「わかった。後は俺の仕事なのだな」

「はい、もう危険はありません。あっても優秀な近衛騎士団と魔導士団が守り切るでしょう。一番の危難は去りました。後は堂々と兵を指揮し、戦の経験を積んでください。それが殿下の糧となります。後々必ずその経験は生きるでしょう。俺の出番はもう十分です。これ以上功を上げると必ず嫉妬されます。私は十分功を上げさせて頂きました」

「そうだな、策を練り、有言実行で敵の首魁を討ち滅ぼし、帝国の暗殺者も間者も見抜き、打ち倒した。その働き、勲一等と言っても誰もが認めるだろう。真の英雄だ。褒美は何でもとは言わぬが希望をできるだけ聞こう。私が王都に帰ってからだがな」

「はははっ、あまり持ち上げないでください。それと褒美は禁書庫への入室権が欲しいです」

「ふむ、考えておこう。流石に禁書庫に関しては父上に聞かねばならぬ。私の一存では決められぬな」

「わかりました」


 ラントを褒め称えるとラントは照れた。言われて気付いたが彼は錬金術師なのだ。戦の名人でも何でもない。

 その筈なのだがついラントを信頼してしまう自分にコルネリウスは気付いた。引き込まれるような魅力がラントにはある。思えば初めて顔を合わせた時からラントに危機感を覚えなかった。

 恐るべき力を持っていると知る今ですらラントを信頼している自分がいる。

 ラントが敵に回ることはない。それほどコルネリウスは短い期間であるのにラントを信用し、信頼している。


「アドルフ、どうすれば良い」

「夜も更けて来ました。仮眠を取らせましょう。そうでなければ兵は動けませぬ。騎士たちも興奮して暴れまわって疲労しています。一旦陣で休ませるのが正解かと」

「わかった。皆を休ませろ」

「はっ」

「俺も疲れた。一旦寝る。何せ夜中に叩き起こされたからな」

「はい、殿下もお休みください。後はおまかせを」


 アドルフが胸をドンと叩いた。頼もしい姿だ。


「アドルフ、お前は頑丈だな。寝なくて大丈夫なのか」

「本当の戦争では三日三晩寝ずに戦うなどよくあります。この程度どうってことありません」

「ふふふっ、それは敵わぬな。真似ができん」

「その代わり殿下のように書類仕事に埋もれるのはまっぴらです。儂は副官に全てやらせておりますぞ、がははははっ」

「あははっ、俺も書類仕事は嫌いだぞ。だが王太子なのだ。やらねばならぬ。どうにもうまく行かぬものだな。だが今回は戦勝を喜び、分かち合うこととしよう」


 ハンスが側に寄ってくる。


「では殿下、儂らもクレットガウ卿と共に王都に戻らせて貰いますじゃ。良い物を見られました。殿下もあれほどの魔法、そう見ることはできますまい。王城にも魔法結界は張っておりますが、結界士たちにはより強力な結界を張るよう言っておかねばなりますまい」

「だが王城に魔法を撃ち込まれることなどないだろう。その時はすでに王都が落ちている」

「それでも結界は必要ですじゃ。もし王都貴族街で反乱が起きたらいかが致しますか? それが熟練の魔導士で、一人で王城の結界を割れるともなればどう致します? クレットガウ卿ほどの魔法士はそうはいませんが世界は広いのです。念には念を入れて置かねばなりません。クレットガウ卿が本気を出せば王城など更地になるかもしれませんよ」


 想像してしまい、コルネリウスは青褪めた。


「恐ろしいことを言うな。想像してしまったではないか」

「ふぉっふぉっふぉ、王太子たるもの、脅威は常に認識しておかねばなりませぬ。信を置くのは宜しいが、クレットガウ卿は自由を愛する様子。間違っても縛り付けようなどとは考えては行けませぬ。クレットガウ卿を飼いならすことは誰もできませぬぞ。儂も宮廷魔導士に誘いましたがすげなく断られました。天下の宮廷魔導士すら彼は嫌うのです。褒美を選ぶ際、お気をつけください。帝国にでも逃げられたら事ですぞ」

「うむ、肝に命じておく」


 ハンスの言葉を心にしっかりと縫い付け、コルネリウスは天幕に戻った。既に天幕は綺麗に清掃され、近衛たちが控えている。


「少し休む。お前たちも交代で休憩を取れ。仮眠を取ったら進軍だ。指揮するのはあのアドルフだ。休む暇などないかもしれんぞ」

「「「はっ」」」


 近衛達が畏まる。ベアトリクスや国王陛下から借りていた近衛たちは返すことにした。よく考えればなぜ貸し出されたのか。戦を知らぬ世代に経験させたかったのだろう。若い近衛たちが多いように思えた。実際ラントの檄で動き出そうとした近衛が居たほどだ。

 近衛たちも精鋭とは言え本当の戦は知らないのだ。だから貸し出されたのだろう。近衛たちにも戦を経験にさせるために。


(なるほど、父上にも母上にもまだまだ敵わぬな)


 コルネリウスは寝台に横たわると、即座に睡魔に負け寝入った。



 ◇



「マリー、ただいま」

「ラントっ!? 早かったのね。もう戦は終わったの?」


 公爵邸に着くとマリーがラントに抱きついてきた。最低二月は掛かると言っていたのが一月半も掛からずに帰ってきたのだ。確かに予定より早い。


「大筋はな。後は殿下に丸投げしてきた。もう十分功を上げた。これ以上は嫉妬の嵐になる。貴族の嫉妬は怖いぞ。知っているか?」


 ラントはマリーの体の柔らかさを堪能する。相変わらず美しい。いや、むしろより美しくなったように感じた。自然と腰に手を回す。マリーはぎゅっとラントを堪能するように抱きしめてきた。マリーの美しさがラントの与えた化粧品の力だとはラントは気付かなかった。


「相変わらずマリーは美しいな。マリーの顔を見ると帰ってきた気がするよ」

「まぁ、嬉しい。わたくしもずっと不安でしたのよ。でも同じ様に不安に思っていた王太子妃殿下、フランツェスカ様とも仲良くなりましたわ。あとヘルミーナ殿下は可愛らしいお方でしたわ」

「あぁ。あのピンク色のドレスを着ていた可愛らしい女の子か」

「知っているんですの」

「コルネリウス殿下の執務室でちょっと見た事があるだけだ。まさかあのような子供にまで嫉妬しているのか?」

「まさかっ、流石にそんな狭量ではありませんわ」


 マリーとの会話は軽快に弾む。エリーやデボラも嬉しそうにしている。

 帰ってきたのだと思った。そして公爵邸が、マリーの元が自身の帰る場所だと思った。そう思ったのは久しぶりだ。何せラントは祖国から逃げ出した男なのだから。それからも転々と拠点を変えてきた。セイリュー市には三年も居たが長いほうだ。良い街だった。


 ラントはテールの麒麟児と呼ばれていた時代、上げた戦功は十や二十では利かない。何せ北方は常に乱世なのだ。小競り合いから大きな戦いまで常に戦争をしていると言っておかしくなかった。

 そこで大将首を取ったり有名な武将の首を取ったり、敵陣に魔法を撃ち込んで本陣を丸焼けにしたことがあった。ラントが参加する戦は常に勝ち戦になると噂になったほどだ。実際ラントは戦で負けたことがない。常勝無敗の戦鬼として他国から恐れられていたのだ。


 だがそれが他の貴族の嫉妬を呼んだ。まだラントも子供だった。自重を知らなかったのだ。祖国がジリ貧だったという事情もある。それなのにどの貴族たちや騎士たち、魔導士たちよりも功を上げる。戦に出れば必ず勝つ。献策をすればすべて的中する。

 それが弱冠十を越えたばかりの伯爵家の三男坊なのだ。嫉妬の嵐だった。だが誰も文句は言えない。ラントに逆らえばその魔法の力で家ごと吹き飛ばされるのが目に見えていたからだ。それほどラントは嫉妬に晒され、更に畏れられていた。

 マリーが妖しく笑う。こんな妖しい笑みはラントは見たことがなかった。いや、一回だけあった。ラントを陥れた時だ。


「ふふふっ、知っているわ。貴族の女性社会も醜いものよ。嫉妬の渦と言っても過言ではないわ。その中を渡り歩くのは大変なのよ」

「そうか、マリーも苦労したんだな」

「いいえ、わたくしは公爵家の出で次期王太子妃でしたもの。わたくしに逆らえる者など誰もおりませんでしたわ。結果的に陥れられて国外追放になりましたが、堕ちた瞬間、わたくしに向けられていた嫉妬が濁流のように流れ込んで来ましたの。あれほど恐ろしいと思ったことはありませんわ」

「そこで俺に助けられ、惚れたのか?」

「……そうですわ。今考えれば一目惚れだったのかも知れません。あの状況ではラントが真に助けに来てくれた白馬に乗った王子様に見えてもおかしくありませんことよ」


 マリーはラントに惚れていることを初めて明言した。ラントは胸の中が温かくなった気分になった。惚れている女に惚れられるほど、男として嬉しい物はない。


「そうだな。俺も助けた令嬢に惚れられた事は幾度かある」


 照れ隠しにそう言うとマリーは食いついてきた。失言だったと後悔してももう遅い。エリーやデボラまで興味津々の瞳で見つめてきている。


「あら、それは是非聞きたいですわね。その令嬢方とはどうなさいましたの」

「勘弁してくれ、戦に出て疲れているんだ。〈洗浄〉は掛けたし着替えも済ましている。だが湯浴みもできていない。ゆっくり休ませてくれないか」

「いいですわよ。ですが後でじっくり聞かせて貰いますからね」


 マリーの追求から逃れたラントは湯浴みに来た使用人たちを三人抱いた。

 何せ久々の戦だ。気分が高揚し、火照っていた。その燻りは娼館に寄った程度では冷めなかった。むしろマリーに抱きつかれ、ぶり返してしまったくらいだ。

 だが流石にマリーを抱く訳にはいかない。その分たっぷりと使用人たちと気持ちの良い汗を流した。湯浴みは二時間にも及んだ。使用人たちの秋波は日に日に激しくなっているように思える。尻を撫でたくらいでは怒られるわけでもなく、嬉しそうにしている。


 ラントは帰り道に騎士や魔導士たちに飯や酒を奢り、娼館まで奢った。どうせ使い切れないほどの報奨金が入ってくる。以前貰った報奨金ですらまだ全然使っていないのだ。

 それに貴族の嫉妬は怖い。騎士や魔法士はほとんど貴族家の出で、家を継げない者たちだ。彼らの信を得ておいて損はない。それだけ嫉妬に晒される危険性が減るからだ。

 ラントは疲れているからとマリーの追求を振り切り、寝室に直行した。流石に疲れたのかすぐ寝入った。ラントの様子を見て、夜這いを掛けてくる使用人も居なかった。久々に熟睡でき、次の日の朝はすっきりと目覚めた。

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