15 31番 ②

 幼い私がミイを助けた時。

 私は彼女に名前を問いかけた。

 おぼろげな意識の中で、傷だらけのミイは答える。


「さん……い……」


 おそらく、彼女は”31”と答えたかったのだろう。

 後に知った話だが、闇宵は飼い犬を番号で管理する。

 その番号こそが、当時のミイにとっての名前だった。

 しかし、いかにも味気ない名前だ。

 私は少し考えて。


「じゃあ、貴方の名前はミイね」


 と、そう答えた。

 二人の会話は、それが始まりであり。

 私とミイは、今も主従を続けている。



 ◯



 高速で迫りくる刃。

 普通なら逃げられない距離だ。

 私はそこで、杖を前に翳す。

 杖先から漏れた光を察して、ミイは勢いよく横に吹き飛んだ。

 先程の瞬発強化を、今度は回避に使ったのだ。


「いまのは危なかった」

「っく……!」


 必殺の一撃を、しかし私は余裕を持って対処してみせた。

 ミイにしてみれば、今の一撃で殺す――ないしは制圧できなかったのは最悪としか言いようがないだろう。

 完全にこちらが格上なのだと、察してしまったのだから。


「貴方はすごいのね。マナの量は決して多くないのに、一瞬の出力増大を駆使して上手く立ち回っている」

「……闇宵は、どれだけ使えない飼い犬だろうと、最低限の能力に仕上げることを得意としているんです」


 元から知っていたことだが、ミイは決してマナの量が多くない。

 それをなんとか鍛えて同年代よりの平均を、少し下回る程度の水準に引き上げている。

 前世の私の同じ頃と比べれば、それでも十分多いくらいだが。

 闇宵の中では、扱いが悪い部類に入るのだろう。

 ミイはよく言っていた、人が努力するには熱意か、努力しなくてはならない環境が必要だと。

 間違いなく、闇宵は後者。


「闇宵は、ひどい場所のようだ」

「そうです。ですが……クルセディスタは違います! アリアお嬢様は……闇宵とは違います!」


 暗闇の中で、剣と杖のぶつかり合う音だけが響く。

 お互いに夜目が聞くから、この暗闇の中で問題なく戦闘ができているものの。

 端から見れば、黒い影が二つ不自然に動いているようにしか見えないだろう。


「アリアお嬢様は、私に居場所をくれた! 命をくれたのです!」

「……随分と執心なんだ、そのお嬢様に」

「そうです! あの日、私に名前を与えてくれたお嬢様のためにも! 私は 負けるわけには行かない!」


 なんだか、随分とアリアを推しているな。

 いや、いいのだけどね。


「でも、クルセイディスタも兵を鍛えてセフィラナ騎士団へと送り出す場所。闇宵と何が違うの?」

「……違います、全く! クルセディスタは強制もしなければ、兵士を痛めつけることはしない!」


 速度が上げる。

 ミイの身体能力は、瞬発強化を連続で行使することで成り立っている。

 というよりも、意図してマナの消費に緩急をつけているのだ。

 剣を振るうにしても、初速さえ勢いを乗せれば後はその勢いがなんとかしてくれる。

 動くにしてもそう、最初の一歩だけを強化していた。


「いいえ、あの環境は中々に酷。努力できない人間にとって、周囲は熱心に努力しているのに自分がそれに追いつけないというのは」

「だとしても、そうさせないためのご当主様は! アリアお嬢様は気を使ってくださっている! 闇宵のような場所とは、違う!」

「まぁだからこそ、貴方もそこまでクルセディスタに心酔してるのでしょうけどね?」


 挑発に揺らぐこともなく、むしろその剣速はどんどん速くなっていく。

 研ぎ澄まされる剣を受け流すのは、実に楽しい。


「特に、アリアお嬢様はいつだって兵達の救いです。お美しい尊顔を晒し、親身になって指導することで彼らは勇気を奮い立たせています」

「お美しい……って」

「ええ、美しいですとも。ですが、正直いいたいのですけれど流石に距離が近すぎますね。今はまだいいのですが、大人になった時が怖いのですよ」


 そうなのか。

 私は異性との距離感など、一度として意識したことはない。

 今の人生ならともかく、前世の無骨で面白みのない顔で異性が喜ぶはずもないからだ。

 まぁ、それはそれとして。


「それはいいとして」

「……何でしょうか?」


 流石に、そろそろミイも露骨になってきた。


「信奉するあまり、掃除中に主人の服の匂いを嗅ぐのは感心しないのだけど」


 その瞬間。

 一瞬だけ顔を真赤にしてから、今まで以上の速度で突っ込んできた。

 緩急も何も無い、マナをすべて使い切る勢いでの身体強化だ。

 私はそれを、最小限の動きで避ける。

 当然、ナイフは空を切るが、フードに少しだけ引っかかった。

 すると当然、フードが取り払われて私の髪が晒されるのだ。


「なぜ、そんな事をいうのですか」


 髪の色は黒く染めているが、髪型をいじったりはしていない。

 そうすると、自然と一致するわけだ。

 髪の長さと、形が。

 ハッキリ言って、それを見れば親しいものなら私の正体を言い当てることは簡単だろう。

 何よりも、ミイの場合――



「――お嬢様」



 先ほど、私が魔術で光を放った時、私の顔を近くで見ている。

 というよりも、彼女がやってきたのは私の光魔術を見たからのはずだ。

 アレは目立つ、近くで使われれば特に。

 しかも光は結構な時間残るから、顔を覗き込むことだってできるだろう。


「それはこっちのセリフ。どうして最初から私と解っていたのに、貴方は私の口車に乗ったわけ?」

「……それ、は」 

「ミイ、前々から思っていたのだけど」


 私は、変装を解いて元のネグリジェ姿に戻る。

 これ以上、姿を隠す必要はないからだ。

 この場には私とミイしかいない。



「ミイってたまに、私の腰とかお尻をジロジロみてくるのよね」



 その言葉に、


「やめてくださいお嬢様……死んでしまいます」


 ミイは、涙を流しながら顔を真赤にして崩れ落ちた。

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