35 母様 ①

「――母様」


 母様。

 リリア・クルセディスタ。

 私の母親。

 前世は母の顔など知りもしないので、実質彼女が私の唯一の母親ということになる。

 体が弱く、普段はベッドで寝たきりの生活を送っていた――のだが。


「今日は、外に出られても平気なのですね」

「ええ、体調も大分良くなってきたから」


 それも、大分改善傾向にある。

 私がマナの制御をきちんとやっているというのもあるが。

 これに関しては、天魔の加護の影響が大きいだろう。

 なんとなく、直せると思ったのだ。

 結果、母様のマナはどんどん落ち着いていって。

 今では、こうして外を自由に歩くこともできる。


「あ、わ、私、お茶を入れてきますね!」

「ええ、お願いミイ」


 ミイは、慌てて駆け出していく。

 私達が今いるのは修練場の外れにある休憩用のベンチで、ミイと私の二人で座っていたからな。

 二人しか座れない大きさなので、ミイがいると母様が座れない。

 普段は気にせず一緒に座っているが、母様の前では流石に……といったところか。

 お茶は口実だろう。


「ミイはいい子ね」

「ええ、自慢のメイドです」


 なんて話をしつつ。


「私も、まさかここまで良くなると思わなかったの」

「少しずつ良くなってきてはいましたけど、思ったよりずっと早かったですね」


 本当なら、騎士学校へ行く頃までにここまで直せればいいな、というのが私の考えだったのだ。

 だがまさか、天魔の加護を授かるとは。

 彼女も、マナの制御は大分天魔の加護に助けられていたと言っていたし。

 やはり、便利な加護だ。


「アリアも、剣がとても上手になったのね」

「ええ、幸いにも才能があったみたいです」


 才能、ある意味私と最も無縁な言葉だが。

 同時にこの体が才能の塊であることは間違いない。

 前世では体力をつけるにも、相当な苦労を強いられたからな。

 まぁ、そもそも食べるに困っていたから、鍛錬の時間を用意できていなかったのも大きいが。

 今はただ剣を鍛えているだけでいいのだ。

 才能とは環境にも依存するものである。


「でも、なんだか私は少し心配なの」

「心配……ですか?」


 母様の、薄幸そうな顔立ちがどこか暗くなる。

 どこか絵になる光景だが、そんな事を考えている場合ではないだろう。


「アリアはどんどん強くなっているけれど、強くなったアリアはどこへ向かうつもりなのかしら、って」

「どこへ向かう、ですか……」


 どこへ、と言われても。

 私が目指しているのは常に最強だ。

 強ささえ手に入れることができれば、私は他に何もいらない。

 だから、強くなれるならこのままずっとクルセディスタにいたいくらいで。

 そうも言っていられないのは、世界の情勢が原因だ。


「このまま、貴族としての道を辿っていれば、自然と騎士学校へ入学して騎士になるのではないかと思いますが」

「……でもそれは、アリアの望むところじゃないでしょ?」

「まぁ……そうですね」


 実際、私は騎士団に入るつもりはない。

 いや、騎士団と協力したいとは思ってるし、結びつきを作るつもりはある。

 だが私のような貴族が騎士団に入れば、自然と幹部候補になる。

 クルセディスタだからそこまで出世はしないだろうが、それでも人を管理する立場に立つはずだ。

 そうなれば、前線に出る機会があるかどうか。

 そしてそれは、クルセディスタにいていても同じだ。

 いずれは父の跡を継ぎ、領地の経営だとかそういう問題に頭を悩ませなくてはならなくなる。


「私はね、アリアがどこかへ行ってしまうのではないかと不安なの」

「…………」

「アリアは自由で、どこへでも行けてしまう子だから。私達のことを大事にしてくれるのは、わかってるんだけどね?」


 ――どこかへ行ってしまう。

 その評価は、きっと正しい。

 強さを求めるためには、どうしても自由でなければならない。

 才能のない前世の私であればともかく、今の私のように才能も立場もある人間は。

 いずれ、それ相応の責任が伸し掛かってくる。

 それから逃れるためには、自由である必要があった。


「きっとアリアは、これから大きな事をするのでしょう。アリアが望んでいても、望んでいなくても。それは、アリア自身が一番良くわかっているはず」

「そうですね。母様の言う通りです」

「だからこそ、アリアがどうなってしまうか私には不安でしょうがない。ねえアリア――」


 どこか、すがるような、懇願するような。

 そんな感情すら感じられる母様の瞳。

 それがこちらを、じっと見つめてくる。


 ああ、知っている。


「――あなたは、いつか消えてしまわないわよね?」


 その瞳を、私はよく知っている。

 私がかつて、彼女へ向けていた瞳だ。

 どこかへ行ってしまいそうな、誰よりも自由な彼女へ。


 しかし、そして。


 母様の願いは、結局叶えられることはなかった。

 私の思いは、彼女に届くことはなかったのだ。


 ――


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