36 母様 ②
かつて、私には憧れる人がいた。
誰もが無能と蔑む私に、ただ一人手を差し伸べてくれた人。
その人は、とても強かった。
強く、そして自由だった。
力を求め、力に魅入られ、そして何より力を振るうために生きていた。
誰からも縛られず、誰からも指図されず。
ただ、そこにあるがまま。
彼女は自分の思うがままに生きていた。
そして最後は――
「――アリア」
「……母様」
「アリアは、私の娘でいてくれるわよね?」
そう言って、母様は私を抱きしめる。
私は、なすがままだ。
「やっとアリアを抱きしめても、苦しくなくなったのよ? 体が傷まないし、むしろとても幸せな気分なの。それなのに、アリアがどこかへ行ってしまったら。私は悲しい」
「……ええ、解っています」
そう、とても良く解っている。
母様の、どこかわがままだと自分でも解っているようなこの物言いを、私はよく解っている。
「母様が、どう想ってくれているか。私にはよくわかります」
「そう? だったら、どこへも行かないでいてくれるかしら?」
「……母様が、本当は私にこんな束縛、したくないということも」
「……!」
少しだけ、母様の体がこわばる。
私はそんな母様の背に手を伸ばし、同じ用に抱きしめる。
「母様の愛情を、私は知っています」
――かつての私が抱いた憧れと、それは同じ感情だから。
「母様の心配を、私は知っています」
――かつての私が抱いた不安と、それは同じ感情だから。
「そして私は、きっと母様の思った通り、自由に生きて……止まることはないのだと思います」
「……そうね」
「そうした結果どうなるのかは、私だって想像はできています」
想像どころか、かつて一度経験したことなのだから。
それがとても、周囲を悲しませることだと知っている。
「だとしても……私は強さを求めると思います」
「ええ、知っているわ」
「私にとって自由とは……強さとは、生きる理由です」
かつて、才能のない私は誰からも認められない存在だった。
罵倒され、蔑まれ。
生きている価値などない存在だったのだ。
価値が生まれたのは、強くなったから。
強さを得て、自由に生きる権利を得た。
そうすることで、私は初めて生きていると言えるようになったのだ。
そんな、零から最強を目指した人生を、一度終えて。
何の因果か、こうして別の人生を歩んでいる。
今度は、私が憧れた才能に溢れた人生を。
「ただ、そうしているとやはり、考えてしまうこともあります。自由とは、止まり木を失うことなのだと」
今は、クルセディスタでの生活に満足している。
しかしいずれ、それでは満足できなくなる日がやってくるのだ。
クルセディスタには、私より強い人間はいない。
きっと、これからもやってこないだろう。
そうなった時、果たして私は満足できるのか?
強さとは、誰かとぶつけ合ってこそ意味のあるもの。
そもそもただ剣を振るうだけでは、肉体こそ鍛えられても経験は得られない。
最終的に自身を完成させるには、より強い敵とぶつかり合う他にない。
「正直、私が飛び立った時、クルセディスタというとまり木に再び止まるのか。自分でもわからない時はあります」
「ええ」
「いずれ、変えることはなくどこかで墜ちてしまうのではないかと」
けれども――
「それでも、私は強さを求めることを、自由を求めることを止められないのです」
今なら解ってしまう。
どうしてあそこまで、彼女が自由であったのか。
アレだけ周囲から心配されても、実際にその心配が現実になっても。
彼女が自由であろうとしたのか。
「私には――見えている世界が広すぎる」
だってそうだろう?
私はこれからも、まだまだ強くなる。
強くなれるのだ。
前世で至った頂にすら、私はまだたどり着いていない。
彼女が見ていた景色すら、私はまだ知らない。
それでいて、世界には魔神という倒すべき敵がいる。
どれだけ倒しても構わない強敵が、山のようにいるのだ。
「……そうね、きっとアリアはそれでいいのでしょうね」
「母様……」
「解っているのよ、貴方は言葉では止まらないということを。それに何より、見てみたいの。私自身が――貴方がどこまで高く飛べるのか」
母様の言葉を、意志を、私は理解できる。
周囲の人々は、心配している。
私がどこかで墜ちてしまわないか。
けれども同時に、願ってもいる。
私がどこまでも、高く飛び上がってほしい、と。
その二つの感情は、同時に同じだけ大きくなっていくのだ。
誰もが願っていても、止められない。
止めたくたって、止めようとしない。
私にあこがれてしまったから。
ああでもしかし、かつての彼女と、今の私。
明確に違うところだってある。
「私も――解っています。母様、母様の感情は……とても」
かつての彼女は、解っていなかった。
最後の最後まで、周囲の心配も願いも、理解してはいなかった。
だけれども、私は違う。
私は知っている。
本物の才能と自由を謳歌する人間への、期待と心配を。
そんな人間に私がなってしまった。
果たして、かつての無能は。
彼女に憧れ、零から頂点を目指した私は――今。
飛び上がった先に、どんな感情を抱くのか。
はっきり言って、こればかりは健闘もつかないことだった。
――
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