2 安全とは何だったのか
衝撃を受けて、意識が一瞬で覚醒する。
先ほどまではまどろみの中でうつらうつらとしている感覚だったが。
今はハッキリと意識がある。
生身の感覚、というやつだろう。
実時間で千年ぶりのその感覚は、しかし。
眼の前の惨状のせいで、感慨にふける暇すらなかった。
一言で言えば、そこは地獄だ。
馬車が横転して、馬が殺されている。
御者にいた――おそらくは従者と思われる――男は傷だらけ、生きているかも判別がつかない。
そして何より――私を抱えている女の状況が酷い。
身なりはいい、おそらくは上流階級の人間。
推測するに、私の母か?
何にせよ、馬車の中で私をかばったものだから、その傷は男より更に重症だ。
慌ててマナを総動員して、肉体の怪我を治癒する。
最低限、命に関わるものだけなんとかすれば。
そんな思いはしかし、眼の前の”そいつ”によって防がれた。
”ハッ――どこへ逃げたかと思えば、こんなところにいたのかよ”
人ならざる、どこかノイズの奔ったような声。
見上げればそこには、牛の頭を持つ巨大な羽の生えた男が立っていた。
悪魔、と呼ぶにふさわしい容姿。
なるほどこいつが――
”この魔神ザガン様の手を煩わせるとは、いい御身分だなぁ”
魔神。
見れば解る、その体には莫大な量のマナが宿っている。
人とは違う、神と呼ぶにふさわしい特異なマナだ。
量は生前の私と同等か、それ以上。
こんなものが魔物の中から現れたら、確かにそれは人類も追い詰められれうというものだろう。
ザガンを名乗った牛男の魔神。
そいつは、如何にも面倒そうな態度で、私とその母親に手を伸ばしてくる。
故に、私は。
「何を――する」
未発達な声で、そう口にした。
ふと、ザガンの顔が驚きに変化する。
同時に私自身も、自分の発した言葉に驚愕していた。
”ほぉ、まだ乳離れすらできていなさそうなガキの分際で、俺に口答えするとはな”
まず第一に、幼い。
元々、女神殿が言うには私の意識が覚醒するのは、肉体がある程度成長してからだという。
ある程度、というのは”物心がついた頃”という意味だったのか。
いや、それにしたって今の私はおさなすぎるが。
それより、だ。
”母を殺されかけて、それが許せなかったのか? 父親を死地に追い込まれて、憤慨してるのか? 赤子同然のガキにしては、中々見上げた根性じゃないか”
「何を、した?」
”ハッ! そもそも、俺はお前の母親を殺すためにここまで来たんだ。そしたらお前の父親は自分と部下を囮に、お前とその母親だけを逃がしたんだよ!”
なるほど、不思議な状況だとは思っていた。
逃げるにしても、母と子に従者が一人とは。
あまりにも少なすぎる。
それはつまり、一人でも私達を守るために囮になる人間が必要だったのだ。
父上の努力が偲ばれる。
”ああ安心しろ、まだお前の父親は殺しちゃいねぇ。お前と母親をお前の父親のもとまで連れて行って。そこで殺すんだ。でなけりゃ愉快じゃねぇからなぁ!”
何やら魔神が宣っているが。
ちょうどいい、その間に思考を巡らせる。
この状況は、端的に言って女神殿から聞いていた状況とは違う。
私は女神殿いわく、生まれてすぐのウチはある程度安全な場所で過ごすことになるはずだった。
それも、肉体に魂が馴染む時間を作るため。
ようするに修行期間を設けてくれる、と。
願ってもかなってもないことだ、私は才能の塊であるこの肉体で修行するために、現世へ舞い戻ったのだから。
しかし、今の状況はどうだ。
安全どころか、今にも死にそうではないか。
思うに、女神殿は大分抜けているところが多いのではないか?
魔神の出現理由をしらないことといい、多分それは間違っていない推測だ。
何より――
”だが残念だなぁ! お前の父親は無能だった。お前と母親を救うために命を投げ出した。それが何一つ意味のない、無駄なことだとも知らず!”
――――ふと、思考がそこで一旦静止する。
眼の前の魔神の言葉に、聞き捨てならないものが混じっていたからだ。
「それ、は――違う。かれら、は――無能じゃ、ない」
”ほう、そこに食いつくか。見れば貴様はその母親の子でありながらあまりにもマナが少ない。無能という言葉を、身にしみて理解しているようだな?”
――なるほど。
それは確かにそうだ。
私は、無能という言葉の意味を、きっと誰よりも理解している。
「とう、ぜん……無能、とは。ちからなき、もの。弱者。かれら、は、私をまもろうと、たちあがった。強き、もの。強者」
"強者ぁ!? 確かにマナ総量はそこそこあったが、俺を前に囮で時間が稼げると考えた時点で失策だ。それが無能でなければ何だという!”
人とは、肉体だけにあらず。
人とは、精神だけにあらず。
どちらかが弱かったとしても、それは決して弱者ではない。
無能ではない。
人が無能でいるための条件は、肉体も、そして心も弱くすり減っていなければならない。
すくなくとも、今の父上は違う。
高潔なその精神で、誰かを守ろうとしているのだ。
――そういう後ろ姿を、私はよく知っている。
「わたし、は。無能が、嫌い」
”奇遇だな、同感だよ!”
「おまえみたいな、視野が、狭くて。考えなし、で。そして何より――」
私は、強い意志を持って指先を魔神に向ける。
魔神は訝しむものの、動きを見せることはない。
当然だ、それは奴にとって、本当に取るに足らないマナの発露だったのだから。
その、出力の大きさを除いては。
「――私が、マナを隠していると、気付けない。その短絡さが、嫌い」
魔神は言った。
マナが少なすぎる、と。
でもそれは、私が意識を覚醒させてからずっと、わざとそうしてきたのだ。
油断を誘い、不意を撃つ。
弱者を倒すうえで、これほどまでに便利な作戦はない。
”ば、か、な――”
「当然の帰結」
そして、私の放った、マナをエネルギーに加工したビームは。
一発で魔神ザガンの脳天を貫き。
その顔を、木っ端微塵に吹き飛ばしていた。
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