第四章  足利の戦い

第1話 新たな芽吹き 天文14(1545)年5月5日

 分国法『扇谷上杉法度集』を施行してから4年経ち、内政はうまくいき…飢饉の傷痕も癒え、領内は活気に溢れていた。

 もちろん、他の大名も息を吹き返してきた。徐々に戦の報告が増え、領内の平穏が不気味なほどだ。そしてそれは──私が戦を始める前触れでもあるのかもしれない。


 夏至のこの日、今川から再び太原雪斎が来る予定──だったのだが、忙しくなったようで代わりに手紙を寄越してきた。

 書斎で広げて読んでみることにしよう。


『扇谷上杉殿へ

河越御所にお送りした我が妹は元気にしているであろうか。早く甥か姪の顔が見たい…のはともかく。

ようやく北条を攻める時が来たな。こちらの準備は整っているが、足並みを揃えたい。

万全を期して5月末…5月22日としよう。同時に挙兵し、こちらは駿河の富士川河東を、そちらは江戸城でも攻められよ。

今度こそ…今度こそ北条に目にもの見せてやろうぞ、氏綱亡き今、氏康なんぞ一捻りよ。いっそ伊豆まで頂いてしまおうか』


 恨み節満載だな。まあ当主になってすぐ領土を取られたのだから無理もない。尤も、リップサービスの可能性もあるが。


『おそらく小田原城に近いこちらを先に対処しようとしてくるだろう。水軍のぶつかり合いは結果がどうなるか分からんが、こちらで可能な限り引き付けておくつもりだ。故に、22日に挙兵してもらい、我らは23日に挙兵する。』


 なるほど…。こちらは悠々と進軍して北条軍を引き付けて欲しいのだな。それくらいなら読まれてそうだが…。


『それと…今回、武田は兵を出さないらしい。どうやら北条と和睦したいようだ。』


 おいおい…。完全に信濃侵攻に全力挙げる方針か。せめて戦闘後の交渉にて和睦の斡旋を頼みたいが…。


『まあ、全軍でかかれば問題なかろう。此度は三河遠江の武将達も寝返ることはない故、今川が負けることはない。以上、扇谷上杉の活躍を祈る』


 なんだか適当な大名だなぁ…。しかし、単純だが基礎を押さえており、戦略としては十分だ。小手先の技術よりも単純な条件の方が将兵も理解しやすい上、対策も難しかったりするもの。

 太原雪斎といい、今川家は部下使いが上手い家なのかもしれない。




「萩野谷、おるかー?」


小姓「萩野谷殿は城下の工場こうばにおられるかと」


「すまん、ちょっと書斎に呼んで来てくれ」


小姓「はっ」


 萩野谷全隆には新兵器を開発してもらっている。そのためにわざわざ種子島にまで行って貰ったのだ。


萩野谷「…只今参ったでござい」


「おお、急に呼び出してすまんな。今川から文が来ておっての…北条を東西から挟み撃ちにするため、今月末に足並み揃えて攻め込むのよぉ、そこでだ。は量産出来そうか?」


萩野谷「へぇ…試作はどうにか出来たんでさぁ、しかし…ずるでぇたっぷり繕えたぁ負ひねぇことでさぁ」


 …訛りが酷いがようするに、とてもとても大量に用意することは不可能だ、ということだろう。


「私が考案した試作は幾つ使えそうだ?月末までに幾つ揃えられる?」


萩野谷「今はとおも使えませぇ、金を使って工匠を集めても10…12が限界でさぁ」


「旧式は?」


萩野谷「種子島の八板金兵衛と語ったこともありゃ、少しは用意出来るたぁ思いやすが…10ぐれぇかと」


 …お分かりの方も多いだろうが、種子島…つまり、火縄銃のことだ。まだ東国には殆ど伝わっておらず、国産化も怪しいレベルだ。

 ギリギリ八板金兵衛が雌ネジの製法を編み出していると考え萩野谷を送り出した。結果は上々、どうにか火縄銃の再現に成功した。


 そして、私がこの時代の技術で量産出来るギリギリの技術を詰め込んで新型を開発させた。もちろん、複雑な機構を詰め込むのは不可能だ。そして従来の火縄銃と扱いが異なっても兵達が混乱してしまう。故に、火縄銃を改良した程度のものだ。


 まず、ライフリングを彫る。旋盤なんてものはないから、四角の棒を使って4条の溝を彫る。これで単純に弾道が安定する…はずだ、多分。

 そして火薬は黒色火薬ではなく褐色火薬を使う。なんてことは無い、黒炭ではなく半焼炭を使い、硫黄を減らしただけだ。これで燃焼速度が下がり、火薬というより爆薬に近い黒色火薬の欠点、銃身に負荷が掛かる問題をクリアできる。その分銃身の鉄板を薄くして、銃身を延長することも出来る。銃身を伸ばせば初速が増し、命中率、威力、射程が伸ばせる。僅かでも伸ばしたい。

 弾は早合はやごうを使う。紙や木で弾と火薬を包み、火薬と共に装填するだけで済む、という代物だ。火縄銃の有効射程は決して長くない。少しでも早く装填させなければ敵に突破される。

 最後に、銃床と照星、照門を付ける。日本の火縄銃の使い方は弾幕を張ることより狙い撃つ方向に近い。より安定して、狙いのつけやすい工夫をしてやれば命中精度は向上するはずだ。


 だが…、合わせて20程しか用意出来ないか…。色々厳しいものがあるな。


「一応聞いておくがの方は…」


萩野谷「失敗ばかりでさぁ、試作すら完成しねぇ」


「まあ、そうだよな…

では、今から少しでも多く種子島を用意してくれ。あと、予定より早いが訓練を行わせる、既に完成したものを集めよ。弓の下手な者を集めて二十日はつかで運用出来るようにするぞ」


萩野谷「へぇ」


 上手くいくかは分からないが動きが早いに越したことはない。敵が音でビビってくれれば儲け物だ。


 萩野谷はそそくさと出ていった。ぱっと見冴えない男だが、頭の回転は悪くない。どんな家臣でも有用に使いたいが、やはり優秀な者がいると助かる。


千佳「…五郎殿、やはり…また戦、ですか?」


「こらこら、盗み聞きされていたのですか?」


 戸の奥からヒョコッと千佳が出てきた。長い黒髪と共に、軽やかに書斎に入る。

 もう16だ、とても美しい少女に育った。


千佳「ま、まあそのことはお気になさらず!

それより、戦が始まるのですか?」


「ええ、今月末には。この乱世、今まで飢饉とその復興で戦は少なかったですが、これよりは再び戦が頻発するでしょう」


千佳「…確かに、ここ最近近隣諸国では戦が起き始めていますよね。

…では、私の輿入れのことは?もう16なのですよ?」


「それは……千佳殿はもうお相手を決められたのですか?」


千佳「……はぁ〜、もう…五郎殿がこのようならこちらも手を打つしかありませんね。

──皆様、こちらに」


 パンパンと手を鳴らすと人が入ってきた。足利義勝に足利晴直、八幡殿に今川の方、挙句上田朝直や難波田憲重まで!?!?女中どもも外にいるのが見える。何をする気だ。

 書斎に、こんな沢山人が集まっている。なんというかこう、窮屈だ。


「な、何事!?」


足利義勝「ハハハ、観念せい。逃げ場は無いぞ。年貢の納め時というものよ。

…足利千佳はまず、名目上吾のとすることになる」


「まあそれは何処に嫁いでもそうであろう、亡き足利義明小弓御所や里見の国王丸君くにおうまるぎみの親類というだけよりも、その方が我らにとって得だからな」


上田朝直「それから、婚儀はここ河越で行いまする」


「…?輿入れ先でやるのではなく?婿入れしてもらうのか?」


難波田憲重「はは、御屋形様はまだおわかりにならないようだ」


千佳「では、単刀直入に…私は、殿に輿入れします。

──もう、ここまで言わないと気付かないなんて、にぶい方」


「えっ、え、えええええええ!!!???」


八幡殿「上杉様は本当にご存知なかったようですね…」


今川の方「…まさかここまで気付かぬとは」


上田朝直「では、5月7日、大安の日に婚儀としましょう。実は既に半分ほど準備は整っております。」


「──いやいやいやいや、あまりにも早すぎでしょ!!…ってか、すぐに戦の準備があるから婚儀は暫く後回しで──」


八幡殿・今川の方「「──婚儀を先延ばしにすると??」」


「あ、あなや…」


 じょ、女性陣怖い…。


足利晴直「…では、二日後で宜しいですな、上杉殿」


「…はい……戦の準備があるので宴は控えめで…」


千佳「えへへ…これからもよろしくお頼み申しますね、五郎殿♪」


「……は、はいぃ………」


 やられた……。というか、想定外だった……。完全に外堀を埋められていた…。なんか家臣の圧力で言うことを聞かざるを得ない大名ってたまにいるけど、こういうことなのかな…。


 まあ、『俺、帰ったら結婚するんだ…』よりはマシかもしれない。死亡フラグ過ぎる。


 千佳が呼んだ者達は、書斎から出ていった。婚儀の話のためだけに本丸に来たのか…。


 ここ河越に至っては、私より千佳の方が権力を持っているかもしれない。人脈をここまで広げるとは、流石は足利の姫だ。謀反でもされてたら追放されるところだったかもしれない。尤も、そんなことはなさそうだが。


千佳「五郎殿!婚儀に国王丸を呼びますね?」


「…いや、里見におられるから無理でしょう。里見とは未だ敵対しております」


千佳「…致し方ありません。では書状を書きましょう。ほら、五郎殿も花押を書いてください」


「……はい…」


千佳「えへへ、新婚生活、楽しみですね?」


 新婚生活なんて言葉、この時代にあるのか…?いや、私が教えたんだっけ。

 か、かわいいけど圧力が…。


「…エエ。…タノシミダナァ」


千佳「むぅ、不満なのですか?」


「いや、想定外だっただけですよ。千佳殿も立派に育って…あんなに小さかったのに…」


千佳「もう、五郎殿も今より小さかったではありませんか」


「親心が分かる気がします……」


千佳「親ではないでしょう?幼い頃は兄のように慕っておりましたが、もう……私達、夫婦めおとなのですよ?」


「…じ、実感が…」


千佳「婚儀が済めば実感も湧きますよ♪えへへ、五郎殿、五郎殿〜♪」


 …楽しそうで何よりです。恋する乙女ってこんな感じなんですね。


千佳「これで私が正室ですね?これで五郎殿の一番は私ですね?」


 こ、怖いこと言ってる…。




 河越は賑わっている。これからの戦乱の時代を知ってか知らずか、和やかな雰囲気であった。



───────────────────────


 小田原城御用米曲輪にて、書庫の中、書物を読み漁る者がいた。何を隠そう、北条家現当主、北条氏康である。


北条氏康「出羽守、いるのか?」


 天井から、姿を現す乱破が一人。


風魔出羽守小太郎「御屋形様がお呼びでしたからなぁ」


氏康「そろそろ戦が始まるかと思うてな」


出羽守「左様、戦が始まるようですぞ。今川は戦の準備を始め、扇谷上杉に同時の挙兵を持ち掛けております。扇谷上杉も新たな武器を開発している様子、このままですと挟み撃ちですなぁ」


氏康「…やってくれるな。古河御所の大義名分がある以上士気は落ちぬだろうが…。父上亡き今、最初の窮地だな。こちらを挟み撃ちする気であれば、逆に挟み撃ちにしてやれば良い。山内上杉を動かすぞ」


出羽守「…しかし、関東管領を任ぜられでもせぬ限り動かぬでしょうなぁ」


氏康「関東管領は父上であり、私は未だ関東管領ではない。先に上杉憲政に譲るとでも言えばよかろう…お主には、山内上杉に密書を渡してくれ」


出羽守「お安い御用でございますな」


氏康「今川には…策がある。幻庵叔父上の力をお借りすれば、戦の相手をせずとも良い。

武田とも和睦は成っている。晴信は強いが、信濃侵攻に夢中だからな。

里見も表立って敵対はすまい、むしろ水軍を借りれるか書状を出そう。

あとは…」


 …書物をしまい、地図もしまう。出したのは大名の名簿だ。


氏康「──扇谷上杉を、叩きのめしてくれようぞ。狙うべきは…最も厄介な存在」


 北条氏康の狙いは、河越でも下総でも無かった。狙っているのは土地でも城でも無い。


氏康「…上杉朝定が首、唯一つのみ」

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