第2話 難波田憲重 同年同月29日

 父である上杉朝興の葬儀は河越城南の喜多院きたいんで速やかに執り行われた。扇谷上杉氏に仕える者たちや近隣の武家の使者が多く訪れた。落ちぶれても大名、流石の人脈である。


 家督継承の宣言はすでに済んでおり、他に家督を狙う者もいない。よって家督継承の儀は葬儀の後喪に服してから執り行うこととなった。とはいっても、明日には河越に来れる有力家臣を招集しょうしゅうし私に御目見おめみするように書状をしたためた。


 この書状を書こうとした時に気付いた、この時代の文字は現代とまるで違う。記憶が今昔こんじゃくで混ざったのでなく単純に転生していたらと思うとぞっとしたが、まあ大丈夫だからそれでいいか。それに読み書き出来なくても最悪祐筆ゆうひつに頼めばなんとか…

 そんなことより、早くやらねばならないことが山積みだ。早速河越城に戻ろう。


 なぜ早急に家臣を呼ぶのか。それは父朝興が死んだことにより、史実では3ヶ月後の7月には河越城を北条氏綱らに落とされるからだ。これだけでも居城を失う大惨事だが、それを皮切りに家臣が寝返るのだ。河越城を失うと傘下のわらび城主の渋川義基しぶかわよしもとが来年には裏切る。これを阻止したい。


 というわけで家臣が来るまでにここ河越城を守る戦略を考えるとしよう。 河越城さえ守れれば、少なくともポンポン家臣は裏切らない。国衆のような半独立勢力は、軽々と大名家主君を乗り換えているように見えるが、これは勢力バランスが変化しているからだ。新たな当主が超有能であれば、もしくは寝返るメリットが小さく、デメリットが大きければ、家臣が寝返るリスクは高くない。もちろん、ここは乱世だ。織田信長本能寺のように油断していると死にかねないのも事実…。


 …コホン、話が脱線した。つまり、後3ヶ月で戦国時代きっての名将バケモン北条氏綱率いる北条軍バケモン共に打ち勝つ、最低でも拮抗しなければならない。だがそんなことは可能なのか…?いや、そも北条の本軍から勝ちをもぎ取らずとも、充分な力量さえ示せば?


 そんなことを考えていると、小姓が部屋に呼びかけてきた。


「若様…いえ、殿」


「いかがしたか」


「松山城主、難波田弾正なんばだだんじょう様がそろそろ到着するよし


「おお、丁度よいところだ、着いたら二の丸屋敷に、いや…三の丸屋敷でよいか、小座敷に呼んできてくれ」


「承知しました」


 難波田憲重なんばだのりしげは現在の扇谷上杉家の家臣の中でも一二を争う有力な家臣だ。官途かんと弾正少弼だんじょうしょうひつなので、通称は弾正である。

 実は、彼だけ1日早く呼び出したのだ。本当はもう一人、太田資正おおたすけまさを呼び出したかったが…まだ難波田憲重のもと松山城にいるため、今回は辞めておいた。



 三の丸屋敷は二の丸屋敷ほど立派ではなく広間もないが、それ故少人数で会議するのに向いている。ちなみに本丸に天守閣は無い。織田信長派手好きが岐阜城に天守を建てるまでそもそも歴史上に天守というものが無いためだ。代わりと言ってはなんだが富士見櫓というなかなか立派なやぐらがある。天守代わりに使えるし、無くても平山城なので丘の上の本丸からならば遠くまで見渡せる。ここからは室町時代の東国田舎としては有数の規模の城下町もよく見える。流石に京や堺などには遠く及ばない町並みだが。

 記憶が混濁してから改めて河越城を見ていた。この時代にしては充分な規模を湛える良い城だ。縄張りの改修や櫓の配置の変更、土塁の石垣化や周辺の砦群の構築等でより堅固には出来そうなのだが、流石に北条の侵攻までに城を改修したりする金や時間は無いか…。



 しかし、この時代の武蔵は空気が澄んでいるな…うん、美味しい空気だ。まぁ、現代の首都圏と比べるのは様々な意味で良くはないか。


 流石に屋敷の周辺には女中や奉公人が沢山いる。城や屋敷を幾つも持っている大名だ、当然といえば当然。


 夕日も沈みかけ、そろそろ夜だ。長い葬儀で少し疲れた。葬儀とは意外と時間が掛かるものだな、現代の家族葬などではもっと一瞬で終わるのに…等と考えつつ三の丸屋敷に入った。小座敷の間にて難波田を待つことにしよう。


「只今参りました、難波田弾正でございます」


「よう来てくれた、礼を言うぞ、難波田殿。」


 この時代にしては少し細身だが、立派な髭を湛えた無骨な武将がやってきた。現代人の感覚だと智将感は無いが、これでも文化人でもある。

 何故"殿"付けで呼ぶかというと、まだこの時代は安土桃山時代や江戸時代と違い大名の権限は地域を治める家臣や国人衆など領主に行政能力を完全に委託いたくしているため、つまり大名とは小国の連邦の代表に過ぎないからなのだ。せめて家督継承の儀を終え、屋形号やかたごうなど賜り、圧倒的な身分差や実力差を見せつければ大丈夫なのだが──基本的には家臣といえども格下扱いは難しい。だからこそ下克上や裏切りが頻発する時代であったわけなのだ。


「此度のこと、亡き御屋形様が身罷みまかられるなど…まこと残念至極ざんねんしごくに存じまする」


「確かに残念なことだ、難波田殿。だがそれよりせねばならぬことがある、早々に話に入ろうか」


「ははっ…しかし、なにゆえ某をお呼びになられたので?」


「これからの扇谷上杉家のことなのだがな、取り敢えず北条について考えたいと思っておる」


「ほう…お若いのに立派に御座います、父君のように江戸城の奪還を狙うのですな」


「いや、違う」


 江戸城奪還には問題がある。

 1つ目は難易度の問題だ。今の江戸城にいる北条軍にはまるで隙が無い。攻めるなら他家と争って北条の兵力が分散している時、一気呵成いっきかせいに奪うのが一番だが、それを避けるため当分は…河越城を攻めて来るまでか、或いは来年中までに起きるであろう小弓公方対北条おゆみくぼうたいほうじょう国府台合戦こうのだいかっせんが起こるまでは万全であろう。万全の北条から硬い城を獲るのは軍神上杉謙信毘沙門天クラスの天才でも難しい。

 2つ目は戦略の問題。このまま史実通りに行けば来年、天文7年に国府台合戦で上総かずさ下総しもうさにいる小弓公方足利義明あしかがよしあきが討たれるはずだ。彼は血筋と戦上手を兼ね備えた危険な存在である。一応味方として誼を通じてはいるが史実通り北条に倒してもらう方が都合が良い。だが江戸城奪還を果たしてしまうと北条が小弓公方と対峙する為の道が無くなってしまう。

 3つ目は…家中の問題だ。まだ若い当主の元、扇谷上杉全体が一丸となって行動することすら難しい。家中の喫緊きっきんの課題は蕨城主渋川義基一番裏切りそうな人だ。蕨城は河越城と江戸城の間に位置する城。江戸攻略の拠点にしたい城の主が裏切りそうなのはリスクでしかない。渋川義基という男は──小さな勝利でも良いから私が北条に勝った実績がなければ信頼出来ない。

 そもそも渋川氏は足利氏から鎌倉時代に分かれた御一門、さらに今の足利将軍家の元を辿ると鎌倉幕府執権北条氏かまくらばくふしっけんほうじょうしとの血筋だけで宗家を名乗っているのであり、室町幕府No.2の三管領さんかんれいの1つ斯波氏しばしと渋川氏は足利の別流、何なら足利より格が高いとさえ言えなくもない気位の高い血筋だ。乱世とは言え血筋は武家のプライドの源流、上杉は上杉でも庶流で明らかに格下の扇谷上杉では言うことを聞かせるのも一苦労なのだ。

 はぁ…なんでそんなめんどい血筋でめんどい城にいるの渋川さん…。


「な、ならばいかが致すのです」


「関戸城を──落とす」


 関戸城は、現代でいう多摩たま市にあった。ここを奪えば河越城を攻めるのは現実的では無いし、まだ城の普請ふしんからあまり時間が経っていない。つまり攻めやすい。それに北条が警戒しているのは江戸城周辺の江戸湾海域舟で交易する場に接続出来る川下だ。佐伯さえき市助道永という北条の家臣がいるらしいが、私が言うのもなんだが未だ若い。戦闘経験の少ない武将が相手だと落としやすい。懸念点を挙げるならば大道寺盛昌だいどうじもりまさがいる桝形城ますがたじょうが近く、援軍に入りやすいため、時間を掛けられない。だからこそそこに若輩じゃくはいを配置したのだろうが…。

 ちなみに桝形城は落とせない。大山道に直結しており北条が死に物狂いで奪還突撃して来かねない。関戸城は街道を眺める要所だが、街道を組み込んでいる桝形城チョークポイントには価値で及ばない。他の城で街道をカバーしきれるため、北条が無理して攻めてくる可能性は高くない。それに防衛には1つ戦略を立ててある上、奪還されても難波田憲重の難波田城などの拠点で充分河越城を守れる。


 城単体くるわの防御ではなく、俯瞰ふかんしていくつかの城郭群じょうかくぐんを防衛ラインの要所拠点として考えると、充分多分北条氏綱という名将とも渡り合えそうな状況だ。…これであっさり河越城を取られた史実リアルくんさぁ…。ま、当主が13歳ならしゃあないか。有力な親戚もいないしハードモードには変わりない。


 自分の考えを難波田憲重に掻い摘んで伝えた。


「はーっ、御屋形がそのような策をお考えとは…」


「まだ家督継承の儀を済ませていないから小弓御所小弓公方から屋形号を頂いていないのだ、しばらくは殿でよい。」


「これは失敬…」


 なんかこの人忠臣っていうよりはちょっと抜けてるいい人だな。演技も下手そうだし裏切らなそう。


「つまるところ、喪が開け、家督継承の儀を終えた後、直ちに陣触れをし出陣、関戸城を落とすと…」


「そういうことよ、主力は私の本隊とお主ら難波田衆だ。挙兵は喜多院で行うこととしようか」


「河越城でなくともよいので?」


「ここからでは関戸までに時間がかかるからな、喜多院から出る」


「しかし、関戸を電光石火で落とした後どうなさるので?」


「河越や難波田の南に深大寺じんだいじという地がある。そこから多摩川を挟んだ向かいが関戸城だ。その深大寺に古きくるわがあるはず、そこを改修し難波田殿の甥の広儀ひろよし殿に入って貰いたい」


「我が甥に居城を?」


「城主は難波田殿の息子でも構わぬが、ただ…確かまだ元服しておらぬのよな?」


「はっ、嫡男はそろそろ頃合いかと…」


「ならば丁度よいか、私の家督継承と同時に元服して貰おう」


「! …ありがたき幸せ」


「ちなみに関戸城も改修して太田資正に入ってもらう」


「なっ─美濃守みののかみに、よろしいので?」


 太田美濃守資正は岩槻いわつき城主太田信濃守しなののかみ資顕すけあきの弟である。今はまだ年若く父兄との不仲で難波田憲重の元にいるが、史実通りであれば岩槻城主になる隠れた名将という貴重な家臣だ。活かさない理由は無い。さっさと活躍させて、出世して貰おう。

 難波田憲重からすれば親戚と客分の取り立て。余りの高待遇に逆に慎重になった。しかし…しかし、今の扇谷上杉家の主な家臣は太田をはじめ上田うえだ三戸さんと等だ。彼らは名将どころか──私が負ければ寝返りかねない。萩野谷はぎのやに至っては没落してしまって城を任せるには力不足だ。砦程度なら任せてもよいが──今変なところに砦を配する余力は無い。そんなものがあるなら一兵猫の手でも多く用意したい。


「お主は今や武蔵の中では太田と並び無類の領主じゃ、それに…」


「それに?」


「太田には役目があるからな」


 国府台合戦怪獣大戦争が史実通りならば、没落した小弓公方怪獣の後下総に北条怪獣が勢力を拡大するはずだ。つまり東に侵攻出来る。その領地を太田に任せればよい。多くの国人は領地替えを嫌う。先祖代々の土地を手離したがらない面倒な連中が多いのだが、太田氏は岩槻に入ってさほど経っていない。転封しやすいということだ。

 太田資顕兄の方への書状にも書いておいた。彼からすれば──これ自体に断る理由は無い。いて言うなら美濃守資正おとうとのことだが、今の関戸城は別に大した城ではないし、資正にそれに見合う武功を挙げて貰えば文句は言えまい。そもそも、太田家中の不仲とは言え勘当や出奔ではないのだからわざわざ主君に否を突きつけることは考えづらい。


「…というわけだ」


「殿の仰ることは分かり申した。しかしまこと御所おゆみくぼうが敗れるので?」


「確たることは言えぬが…もし長引くか、御所が勝たばそれはそれで武蔵統一や相模侵攻がやりやすい。何なら氏綱、氏康父子、幻庵や綱成など北条党を皆討ち取って貰えば…一気に我等が北条の領地を頂けるだろう」


「御所はいかがなさるので?」


「北条もタダでは負けぬだろうが、我等は真里谷武田まりやつたけだと縁がある。武蔵と相模を手に入れれば千葉馬加里見さとみと御所では我等に容易に勝てぬし、古河御所古河公方に動いてもらえば…」


「どう転んでも我等扇谷上杉の利になると」


「然り」


「はーっ、…この弾正、殿がここまでの深謀遠慮しんぼうえんりょをお持ちとは思いませなんだ」


「まぁ、未だ13の若輩だからな、これから宜しく頼むぞ難波田殿」


「では、明日の評定ひょうじょうのことお頼み申す」


「無論じゃ─家中を取りまとめるのは私の役目、新たな当主に期待して参れ」

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