落ち目の小大名転生、河越城から復活出来るか?

木沢左京亮

第一章  初陣

第1話 目覚め 天文6年(1537)4月27日

 「っっー!」


 急な頭の激痛に驚いた。ついさっきまで眠りについていたのに…。記憶が濁り、あまりの痛みに今にも意識が飛びそうだ。兎にも角にもひと息つかねば満足に起き上がることも出来そうにない。


 20秒ほどしてようやく痛みが引き始め、思考の余裕が生まれた。体をゆっくりと起こしつつ、周囲を見渡す。


 ここは…一体どこだ?和風建築でしか見ないような木製の天井…薄い煎餅布団…板間の和室に見えるが…私は誰だったか…?

 あぁ…そうだ、私は扇谷上杉おうぎがやつうえすぎが嫡男「朝定ともさだ」だ、ついこの間まで幼名の「五郎」と呼ばれておった。

 しかし…一瞬にして手にした記憶に混乱する。無理もない、現代人の一生分の記憶を経験したのだ、意識があるだけマシというもの。


「うっ…ううう…」


 覇気も何も無い声を出す、声変わり中の男子の声。それもそのはず私の齢は未だ13だ。


 …前世?でいいのか? まあ前世としよう。前世の記憶が混ざっているせいで不可思議な感覚が襲っている。なんだかよく分からんがひとつずつ記憶を思い起こしておこう。


 ひとまず、今世の記憶だ。ここは武蔵国の河越城の二の丸、扇谷上杉氏の屋敷だ。扇谷上杉氏は上杉氏の一派であり武蔵、相模(現代で言う東京都、埼玉県、神奈川県)を中心に勢力を持っていた大名だ…が、今では江戸城をすらも失陥しっかんしここ河越城を本拠にしている。


 扇谷上杉を名乗る親戚は諸事情あってほとんどいない。母は愚か姉までかの武田晴信(後の武田信玄公)に嫁いだ後すぐ死んでいる。当然の如く兄弟はおらず、扇谷上杉の嫡流ちゃくりゅうたる従兄弟いとこは父が殺した。

 一応奥羽おうう(今の東北地方)に浪人として親戚がいるらしい…が、連絡がつかないという。史実通りなら後に一応扇谷上杉氏を継ぐはずなのだが…私が死ぬまで関東に戻らないつもりだろうか。父が嫡流を殺したのだ、或いは当然かもしれない。

まぁ、家督かとく争いの可能性が無いだけ良しとしよう。


 前世の記憶によれば私が家督を継いだ後に北条氏綱ほうじょううじつなによってあっさり河越城を奪われ、武蔵松山城まで退しりぞき、かの有名な河越夜戦で北条氏康ほうじょううじやす相手に討死うちじにするという─なんというべきか─悲運の名将ですらない。多くの歴史オタクからしても大軍を擁してもまともに戦えず22歳で家を滅ぼしたただの無能なやられ役クソザコ武将だ。それは流石に御免被ごめんこうむる。どうにかして生き延びたい。


 では、前世の記憶はどうだ。こちらは平凡なサラリーマン…ですらないしがないフリーターだ。借金に苦しみ、どうにかひと山当て、安寧の日々を得たはいいが、歴史オタクと軍事オタクというマイナーな趣味に没頭し、挙句恋人は当然のようにできず友人すらも数えるほどしかいない冴えない男だった。

 なんで死んだんだっけ…。あ、思い出した、真冬に車を運転していて、小学生くらいの子供が藪から飛び出したのを急ブレーキと急ハンドルで無理に避けようとして川に落っこちたんだっけ…。泳げなかったし、よしんば泳げても生き延びれるか怪しかったからしょうがないか…。


 それはそうとして、前世では冴えない男だったのだ─せめて今世では名を残したい。久しく忘れていた野心が顔を出す。もっとも、乱世は出世しやすい代わりにリスクもとんでもなく高い…まあ、一度死んだ身、ダメ元でやってみようか。


 そのように混濁した記憶をひとつずつ整理していたら廊下から忙しない足音が聞こえてきた。小姓側仕えが戸を両手で開け、私を呼ぶ。


「若様! お、お、御屋形様おやかたさまが…御屋形様の容態が!」


「な、なんじゃと! 急ぎ参るぞ!」


 どうやら父、上杉朝興うえすぎともおきの病が悪化しているようだ。確か天文てんもん6年4月に亡くなるはずだが…小姓に聞いてみるとするか


「ちと良いか? 今は何年か?」


「はっ、只今は天文6年4月27日にございます」


「ふむ…そうか…」


 あっ…これもしかして今日死ぬやつか…。


 私の父、上杉朝興は本来扇谷上杉氏の嫡男ではなかった。だが兄より当主を任されてから幾度も後北条氏と干戈かんかを交え、圧力を受け続けながらも必死で抵抗し続けた。少なくとも史実の私よりは余程評価されている。

 確かに私が幼いうちに自家の嫡流の男子を殺した…のだが、それも北条の人質として利用されないため、或いは内乱を防止するための手段と考えれば致し方ないことだ。まぁ、そのおかげで恐れられ、他の扇谷上杉の親類が奥羽にいるのだけども…。


 二の丸館の奥に進み、父のいる間にたどり着いた。まだ朝早く──朝日は未だに見えない。代わりに戸の外から──月が沈み始めるのが見えた。


「父上、失礼致しまする」


「おお…五郎、ちこうよれ…ちこう─」


「はっ」


 具合の悪そうな父に近づき、耳を傾ける。


 庭越しに月が───徐ろに沈みゆく。


「以前より家の内外へ宣言しておったが…そなたが扇谷上杉の新たな当主じゃ…まだ幼いというのに父が先に居なく成ること、相すまぬ」


「父上。私はもうすでに元服成人を済ませておりますれば、武家の者として覚悟は出来ておりまする。しかし、父上には今しばらく生き延びて頂きたく…」


「五郎や、儂はもう充分生きた。49年も生きればこの乱世、数多の者共を殺し殺されてきたというに、床で死ねるだけありがたいものよ…だが…北条…かの憎き北条を蹴散らし、また武蔵と相模を束ねたかった」


「では、私が父上の願い、必ずや叶えて見せまする」


「おお、よく、よくぞ言ってくれた…では……扇谷上杉が血脈を残し…願わくば坂東武者ばんどうむしゃとして恥じぬ力ある大名としてこの家を盛り立て…守り抜いてくれ」


「はっ、父上の仰せのままに」


「あぁ…儂は…これまでのようじゃ───五郎──民を守り─当主たる責をしかと負い─よく…家臣をむくいるのだぞ───儂は─冥府めいふより─見守って…おる、ぞ…」


「父上─」


 朝日が──昇り始めた。


 私の父上杉朝興は──49年間、この乱世を、数多の戦の中を生き抜いたのだ。


 この日の朝、上杉朝興は病死した。

そしてこれより、上杉朝定─つまり私が扇谷上杉氏の当主になる。


 私の目標は決まっている。父の望みを叶えてやればよい。

 史実では9年後に…ここ河越城の外で討死するという運命を避ける。

 生き延び、血脈を残す。

 後北条氏を退ける。

 扇谷上杉氏が、この私、扇谷上杉おうぎがやつうえすぎ朝定ともさだこそがここ関東の覇者なのだと──必ず名を挙げてみせる。

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