第3話 評定 同年同月30日

 あれから難波田を三の丸屋敷に泊めさせ、私も二の丸屋敷で夜を明かした。


 早朝、宿直とのいと小姓に起こされ、朝餉を食べながら服装を整える。大名だから仕方ないとはいえなんでこんなに忙しいんだ。せめて朝食くらいゆっくり食べさせて欲しい──。

 そんなことを考えていたら、家人がやってきた。


「殿様、太田信濃守様、上田能登守様、三戸駿河するが守様、渋川右兵衛佐うひょうえのすけ様が城に参られました。」


「では、二の丸屋敷の広間まで案内あないするように」


「かしこまりました」





 二の丸屋敷の広間─その裏の座敷で家臣達の到着を待っていると、慌てた様子で小姓がやってきた。


 「なんじゃ、誰ぞ喧嘩でもしたか?」


「いえ、上杉と名乗る者がおりまして──」


「えっ──う、上杉…?」


 ちょ、ちょっと待て。

 そんな家臣はいないっていうか───領内に上杉を名乗る者はいないはずだ。奥羽から帰ってきた親戚か?

 いや、それだと父が亡くなってから来るのが早すぎる。つまり…扇谷上杉以外の上杉ってことか?

 武蔵の北、上野こうづけに上杉宗家を名乗る山内上杉やまのうちうえすぎ憲政のりまさという大名がいるし、さらにその北には越後に山内上杉の分家越後上杉氏がいる。だがそれなら山内上杉の者と名乗るはずだ。──では、一体誰だ?



 いや待て、領内にいないだけで武蔵にはいる──深谷上杉ふかやうえすぎ氏だ。深谷上杉氏は山内上杉氏の分家の一つだが、深谷周辺にしか勢力を持っていない。

 先の父の葬儀にも一応使者は出していたようだが、影が薄く全く覚えていなかった。

 かつては奥州管領おうしゅうかんれいに任じられたこともある一族だった──だがしかし、没落具合は山内上杉や扇谷上杉とは比べ物にならない。城一つしかなく、北条から危険視すらされない──そんな存在だ。尤も、史実では北条相手に割と粘っているため、無能ではないと思うがどうだろう。


「深谷の者か?」


「直ちに確認してまいりますっ!」


「粗相のないように頼むぞー!」


 全くこの忙しいときに何の用なのだ。この時代、基本的には書状を通して連絡し合うのだから、アポ無しで来るのは流石にマナーがなっていない。


「殿、深谷ではなく、上杉義勝うえすぎよしかつと名乗っております」


「───────うえええぇぇ!?!?………って、どちら様?」


「も、申し訳ありません、我等にはさっぱり見当も──、当人も、『ただの上杉だ』とだけ申しておりまして」


 現代の記憶に照らしてもそんな人物はいない──はずだ。義勝─────義勝?改名後の名前しか残っていない人間か?普通歴史上で義勝といえば応仁の乱で有名な足利義政の兄、足利義勝だ。だが僅か9歳で亡くなった将軍だ──。ここにいる筈はない。

 或いは超マイナー武将か?そもそもこの時代、上杉といえば山内上杉氏か扇谷上杉氏、後は京都の犬懸いぬがけ上杉家しかいない。尤も犬懸上杉家も没落寸前だし、かといってわざわざこのタイミングで関東まで下向するとは思えない。


 じゃあマジで誰?うーん。わからん。忙しいとはいえ相手は上杉を名乗っている。無視できないか…。取り敢えず会ってみよう。


「家臣の衆には少しばかり待つように伝えて置いてくれ、わしはその上杉義勝とやらに会ってみることとする」


「はっ…広間でよろしいですか?」


「よい、早めに頼むぞ──家臣共をあまり待たせるわけにもいかん」










 上杉義勝が広間に入った。そう小姓に告げられ慌てず、されど急いで広間へ向かい、上座へ座──ろうとしたらもうすでに埋まっている。広間には立派な若武者が狩衣かりぎぬを纏って堂々と上座に座っていた。こちらを見ていぶかしんでいる


「お待たせし申した、扇谷上杉修理大夫しゅりのたいふ朝定と申しまする。」


「──何故上座に座っている、と言いたげだな」


「はて─家督を継いだばかり、未だ若輩の我が身では御前おんまえの正体、とんと推測出来ませぬ、よろしければご教授願えますかな?」


「はぁ…上杉弾正少弼義勝だ」


…どういうことだ?


「よいか?われの父は足利晴直はるなお、母は足利義明が娘じゃ」


「なっ…足利様で御座いましたか…」


「父がかつて関東管領を任じられ、上杉憲寛のりひろと名乗っておったのだが今の山内上杉憲政関東管領に負けてな、上野を追放されたのだ──父は今上総の真里谷武田におる…隠居して呑気な父と仲違いしてここまで参ったのだ、上杉を名乗るのも父と決別するため」


「左様だったのですな…知らぬこととはいえ、失礼し申した」


 決別したなら足利だからって偉ぶるなよとまでは言わないが、どうあがいてもそんなのわからんて。


 つまるところ、古河公方とも小弓公方ともお家騒動を避けて遠ざけられており、居心地が悪い。山内上杉は宿敵、真里谷武田は父がおり、甲斐武田は真里谷武田の同族、京の将軍にも頼りたくない──が、鎌倉公方としての血筋を活かして関東を統べたいという野望はある。故にここまで来たのか…房総から河越まで。良くも悪くも、じっとしていられない御仁ごじんのようだ。


「まあよい、お主に頼みがあってな」


「なんでしょう」


「単刀直入に申す。──吾をここ河越に置き、鎌倉を奪還してもらいたい」


 なるほど、鎌倉に向かおうにも北条は今の段階では古河公方足利晴氏と近しい。北条と縁があり、古河公方とも室町将軍とも近しい今川も駄目…。

 自身の価値を活かせるのは公方──つまり足利一門と多少距離を置いている大名だ。扇谷上杉はどちらかというと小弓公方派だが北条のせいで物理的な連絡線が途絶え、連携しずらい。だから扇谷上杉を選んだのだな。


「いずれ当家が相模を席巻する──その野望こそありますが、時がかかりますぞ」


「それでは駄目だ、すぐ北条と決戦せい」


「…慌てずとも、小弓御所と北条は近々ぶつかりましょう、お互いが潰しあってからでも遅くはありませぬ」


「むぅ…そうなのか?」


「おそらくは」


 史実通りに行けば国府台合戦で小弓公方が没落する。上杉──足利義勝にしてみれば潰しあいは望ましいはずだ。基本、ライバルは少ない方がいい。


「吾に小弓へ帰れと?」


「そうは申しておりませぬ──小弓御所が負ける可能性の方が高いと見ます──北条はこの手で潰すと決めておりますれば──つまるところ、この河越にしばし座して頂きたい」


「吾を旗頭にしたいと?」


「いかにも、ただし──小弓御所と北条が決戦してからにはなりますが」


「それはいつになる」


 史実通りに行けば来年10月だが─


「読みが正しければ、今年か来年には起こるでしょうな」


「そうか…一つ問いたい、そなたの狙いはなんじゃ?」


「扇谷上杉を再び大きくすることに御座います──故に、小弓御所が没した後、北条討伐のため弾正様には御輿になって頂きとう存じます」


「なんと!!…野心を隠さぬ子供よの」


「もうすでに元服は済ませておれば───乱世を生き抜く覚悟が御座る」


「ほう………気に入った、修理大夫よ…そなたの野望に乗るとしよう」


「はっ、ありがたき幸せ──では早速、家臣との評定が御座いますので、お呼びしたら再びこの広間にお入りなされ」


「ああ、よいぞ」


「それと…弾正少弼は我が家臣にもおりまする。義勝様さえよろしければ鎌倉公方代々の官職左馬頭さまのかみを名乗られては如何なりや?」


「えぇ…父と同じ官職か…それは嫌じゃのう…」


 なんだこいつ、偉ぶってる上に面倒だな…まあ御輿は軽い方がよいともいう、持ち上げやすいよう工夫するか。


「では左馬頭と同じく、足利直義ただよし公に倣って相模守か左兵衛督では如何?」


「ふむ…鎌倉に入りたい吾には相模守がぴったりじゃな、それを名乗ろう」


 武家の中では左兵衛督の方が相模守より偉いことが多いのだが、目的意識を重視しているのだろうか。或いは左兵衛督を任官したことがある斯波氏等に配慮した、か。やれやれ、知識がないのか思考が柔軟なのか─。


 おっと、こうしてはいられない。さっさと家臣達を呼ばねば。







「皆、集まってくれたか?」


小姓「はっ…お呼び出しされた5人の方々は、すでに広間に」


「では向かうとしよう」



 広間に入ると、5人の家臣達は頭を下げた。

上座に座る。


「待たせたな皆、よう来てくれた。私こそは扇谷上杉修理大夫朝定である。皆も知っておろうが、すぐにこの扇谷上杉家の家督を継ぐことになっている。…父上が亡くなったばかり、急な参集に応じてもらって相すまぬな」


上田「いえ、そのようなことはございませぬ。此度我らが集まったのは、──北条のことですな」


 本当はこの当時あまりない面と向かう評定を増やして一体感を増すっていう単純接触効果も理由なんだけど、まあそれはいいや。


「然り、早速皆の力を借りることになる」


太田信濃守「家臣が主君をお支えするは当然の務めなれば、命に代えてもお仕えする所存で御座います…」


太田殿兄の方は頼もしいな」


「では、本題に入ろう。5月11日、北条方の関戸城を落とし、その後深大寺に城を普請する」


渋川「お待ちあれ、殿。未だ四十九日が開けておらぬではございませぬか」


「喜多院の住職に聞いたが『法要を後に送るのは良からぬが先に済ませてしまうのは実は問題ない、七七しちしち忌だから十四日経てば良かろう』と聞いた」


渋川「そ、そのような…」


難波田「よいではないか渋川殿、亡き御屋形の血の繋がった者はもはや殿しかおらぬのだ。──殿が決めたことなのだから、我らが口を出す必要はない」


上田「その通り、早速殿は御自ら我ら扇谷上杉家中のため、動いてくださるのだ。我らには嬉しいことではないか」


渋川「ふむ…」


「よいかな?では話を進めようか、陣触れは法要の後家督継承の儀を済ませたその後じゃが、大まかにはすでに決しておる。私と難波田殿が主力となり…」


渋川「なっ!!!お待ちあれ!その言葉聞き捨てならず!」


難波田「落ち着きなされ渋川殿」


渋川「これが落ち着いて居られるか!関戸城には難波田と左程変わらぬ距離しかないのに何故…」


「渋川殿、左様申されるが…江戸城方面の備えをしてもらいたいのだ」


渋川「しかしそれでは恩賞が…」


「恩賞のため戦いたいのは結構だが、家臣としての務めはそれだけではないのは渋川殿程の者なれば存じておろう」


渋川「…扇谷の、こ、小童が…この渋川、お主の言うことなど聞けぬ!」


三戸「し、渋川殿、お気をお鎮めにっ!」


こうなると思った──ま、丁度いいかな。


「まあ落ち着け、扇谷では聞けぬというなら丁度よい。お呼びしようか、少々待っておれ」


家臣達「??」



「ささ、こちらに」


義勝「おう」


 入ってきた若者は、そもそも家臣達に見覚えがなかった。それはそうだ、強いて見たことがあるとすれば彼の父、上杉憲寛、今の足利晴直である。特別な立場でもなければ他所の殿様の嫡男など、見たことが無いのが当然だ。それも没落したものなら余計そうだ。

 当主たる私が上座を譲り、若者の左横に私が座った。この状況を見た家臣達は流石に混乱している


義勝「お初にお目にかかる、祖父は足利高基あしかがたかもと、父は足利晴直、母は足利義明が娘…吾こそは上杉相模守義勝とぞ申し侍る───」



 言い終わる前に家臣全員が頭を下げる。流石は足利だ、乱世とはいえ室町殿は武家の王。畿内では権勢を落としてこそいるが関東では権威と権力を未だ有している。


「相模守様は故あって上杉を名乗られておるが皆もわかる通り足利御一門、鎌倉御所の流れである」


義勝「まぁ…そうじゃ、足利の流れじゃ」


「いづれ…再来年までには足利に復姓頂くつもりですが」


義勝「そうなのか?」


「そも、今の時点で勝手に上杉を名乗られているだけで他の御所からは足利扱いでしょうな」


義勝「えぇ……」


 自分のやったことが無意味に近く落胆しているようだがそれはそれ。彼にはやってもらいたいことがある。


「では、渋川殿、私の命を聞けぬでも、相模守様では…どうかな?」


義勝「ほー、そなたが渋川とやらか」


渋川「はっ…ははーっ」


義勝「渋川も足利一門ではあるが、ここは吾の顔を立ててもらおう──上杉修理大夫殿の命、聞いてくれるな」


渋川「……かしこまり申した…」


「そのように暗い顔をするでない、今回の戦、機を見て津久井城を攻めることがあるやも知れぬ、その暁には…」


「松山城を与える」


渋川「!?」


難波田「殿、某の城をやるのですか?」


「すまぬな難波田殿。しかし津久井城は難波田衆のものとすればどうじゃ?津久井をお主が手に入れれば武蔵と相模の境目はほぼお主のもの。大きな城より大きな所領の方が欲しくはないか?それに先祖伝来の難波田はそのままよ」


難波田「しかし、武功のない人間に城をやるのは…」


「では、渋川殿には5〜600程兵を出してもらう。それでよいか」


渋川・難波田「ははっ」


「蕨城の備えには渋川殿の他ここにはおらぬが萩野谷にも入ってもらう、後詰をしかと頼むぞ」


義勝「これにて一件落着かな」


「左様、一件落着に御座います…ちなみに、渋川殿の兵は相模守様に率いて貰います」


義勝「わ、吾が…行くのか…」


「?…然り」


義勝「…ワクワク」


テンション上がってんな…大丈夫かこいつ…。


義勝「待ちに待った初陣じゃ!よろしく頼む!」


「えっ…相模守様って初陣まだなんですか」


義勝「そうじゃが?」


………し、しまったぁーーっ!

なんか立派な若武者感あるけど戦の経験無いんかい!

………いや私も無いけど!


難波田「ハァ…殿、某がついておりますれば問題ござらぬ」


「苦労をかけるな難波田殿」


「上田殿、太田殿には東西の守りを、ここ河越城の留守居は三戸殿に頼む」


上田・太田・三戸「承知」


「では評定はここまでじゃ、質問があればこの場か書状で頼む。以上」


「相模守様はおもてなし致します故、案内あないについて来てくだされ」


義勝「おう」

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