第3話 河越公方・渋川 同年同月10日

 まだ夜も明けぬ頃、上杉朝定は兵を動かす準備をしていた。向かうは東、上総である。

 なぜ東へ兵を動かすのか、話は昨日に遡る──。


 河越公方擁立より一夜明け、河越城には各地より書状が集まり始めていた。本丸広間にて作戦を練る。


「大名で言うと、真里谷をはじめとして佐竹、甲斐武田は我らの味方を表明してきたな…。それ以外でいくと山内上杉は中立を宣言、今川も不干渉を貫くらしい…。

上総の土岐も里見を見限ると書状が来た、房総がまた荒れそうだな、それ以外はまだ決めかねているか…。」


足利義勝「或いは、敵対するかだな?」


「左様…。今川の動きが読めず、甲斐武田のお陰で北条は大軍は動かせまい…。この隙に兵を動かしたいが、真里谷から救援要請が来ておる…。どう動くべきかは定まった。」


 広間に書状を広げる。渋川義基へ届いた北条の密書だ。──北条は離間工作を始めていたらしい、下総を切り崩してここ武蔵を制圧する腹つもりか…。渋川が裏切らないでくれたのは助かった、或いは自らの値打ちを引き上げようとの魂胆であろう、望み通り褒美でもやるか──。


義勝「これは…渋川への寝返りの勧告か。

国府台城と松戸城の城主を安堵とな…、吾の動きを読めなかったようだな、氏康めは」


「その通り、これで意表は突いた。このまま関東を掻き回す。

渋川へは奉公衆の任命で引き止め、房総への出兵に兵を出させましょう。戦功次第で所領や城を与えるか侍所頭人にでも任命するかすればよいでしょうな、大名に近い権限が貰えるとなれば奮闘するというもの」


義勝「そんなに厚遇してよいのか?あまり力を与えてはそれこそ危うい」


「なればこそ、です。かつて太田道灌を弑することによって、扇谷上杉は山内上杉に敗れ、北条と敵対する原因になった。優秀な結果には報酬が有用でしょう──」


「私は兵を率いて国府台城を経由し、上総へ向かいます。里見は北条を呼ぶでしょうが…しばしときがかかるでしょうなぁ」


義勝「その隙を突いて─」


「いいや、待ちます」


義勝「!?そんな悠長に待ってよいのか?」


「おそらく、里見の力を削ぎつつ上総に真里谷武田信隆の勢力を復活させるのが狙いでしょう…

ですが、里見義堯は狡猾故、北条がいればまともには戦わぬ──なまじ頭がよいからこそ、掌の上で踊って貰えるというものですな」


「そして、里見は土岐と対面するという体裁で兵は動かさない──

後は決戦で真里谷武田信隆を討ち取りつつ北条の援兵を破り、土岐を救援すれば北条はいよいよ動けない筈」


義勝「しかし、ここ河越は…武蔵はどうする?」


「難波田一派に多摩川─江戸城の防衛戦を任せ、相模守殿にはここ河越に鎮座し北条と山内上杉を睨んで頂く。空にしては山内上杉に狙われるでしょうからな」


「佐竹には小田、千葉らを牽制するよう要請します。太田信濃守、臼井らが下総にいる限り古河御所も千葉も動きにくい、その間に私、渋川、三戸と武田信応に土岐で上総を抑える、と」


義勝「相わかった…また御内書か?」


「ええ、まだまだ沢山…あと半分ほどはあるようですな」


義勝「…あがががが」


 流石に忙しいだろうが、やってもらわねば困る。

という訳で、1日かけて兵を2000ほど集め陣触れを領内に送り、今朝出陣という訳だ。

 2000は少ないが、北条への牽制が必要なためだ、仕方ない。




 準備は整ったようだ。丁度空が白み、少し明るくなってきた──。

 出陣するため馬出うまだしに向かおうとしたところ、呼び止められる。


千佳「五郎殿、出陣なされるのですか?」


「ええ、そうなのです──千佳殿、私の領内では河越城が最も安全ですから、安心して待っていてください」


千佳「…あ、あの…五郎殿は安全なのですか?」


「戦場故、安全とは申せますまい…が、必ず戻って参ります、ご安心を」


千佳「必ずご無事で戻ってきてください…ご武運を」


 御守りを手渡された。氷川神社と書いてある。


「ありがとうございます…用意してくださったんですか?」


千佳「はい!…一昨日から慌ただしくなりましたから、こんなこともあろうかと取り寄せたのです。

平貞盛たいらのさだもり公らの平将門たいらのまさかど討伐にならい、素戔嗚尊スサノオノミコトのご加護があらんことを、と…」


「それは、かたじけない──では、出陣しに参ります」




 関東管領上杉朝定が河越城を出陣し、北武蔵を進軍する。

 前回の下総占領より動きは緩慢だが、今回の動きは奇襲ではないから構わない。逆に、堂々と進軍することによって北条軍を房総に分散させる狙いだ。




 夕方になり、ようやく国府台へ到着した。詰めている渋川義基に合う。


義基「よくぞ参られましたな、御屋形様」


「お主にも書状を届けたが、我らは上総へ向かう。兵はどれほど出せる?」


義基「ふむ…恩賞次第ですなぁ」


「まずもって裏切らず密書を寄越した故、奉公衆を任ずる…その上、戦功次第で城一つか侍所頭人を任せよう。或いは下総守護代やもしれぬがな」


義基「これはしたり。北条など領地の安堵すら覚束ないというに……御屋形様には高く評価していただけるものですな」


「…結果次第だ。それにどの道北条はおいそれと裏切るような輩は重用せぬよ、お主なら考えれば理解できよう、北条の調略など信用に値せぬと」


義基「そのようですな…兵は松戸より1000、国府台より1000、合わせて2000は出せます」


「1500でよい。北条の水軍に備えて国府台城の守りは堅めねばな。お主は城の守りでなく直接指揮してもらうが」


義基「はっ、そのように…ときに、三戸殿はすでに小弓城まで進軍しております」


「速く、いい動きだな。しばし小弓城に留まるよう伝えよ、我らも明日には上総に着き、里見に対峙できよう…三戸の兵数は?」


小姓「およそ2000とのこと」


「ふむ…問題ないな、太田信濃守には千葉を牽制するよう命じておいてくれ。臼井景胤殿と連携するように」



 気付けば外は暗くなっていた。この時代は夜は真っ暗だ。据え付けタイプの行灯に火を付け、また書状を書く…─訳ではない。最近書状を書きすぎて面倒に感じ始めたので、祐筆に頼む。宛は土岐為頼だ。


「房総東岸は任せてもよいが、今真里谷と争うのはやめるよう書いてくれ、里見の思う壺だとな…それと、正木一族の調略も土岐に任せよう。正木時茂は忠臣故裏切らぬであろうが、他の者は揺らごう。家中が揺れているときに動くほど里見義堯も阿呆ではあるまい。

…働き次第で奉公衆に任ずることも付け加えておくように」


祐筆「……書くことが多いです…」


「……そういうものなのだ…悪いな…」



 明日からは敵軍と対峙するだろう。北条の動き次第だが、おそらく木更津に上陸してくる筈だ。出方を伺わねば、戦術も定まらない。

 …考えてみれば、私はまだ戦の経験は少ない。この選択でよかったのか、もはや結果を見なければ分からないな…。



 千佳から貰った御守りを眺めながら、戦という予測不可能な状況を想い、戦略通りにことが運ぶよう願っていた。



───────────────────────

小田原城二の丸にて


 北条氏康は、夜闇の中北条氏綱と対談している。


氏綱「状況は分かった。すでに綱高は武田信隆殿と共に鎌倉を立ったのだな」


氏康「はっ、房総で戦が起こらねば武蔵を押し潰すには至りませぬ…綱高は先の戦での負傷がありますが、当人たっての希望で行かせました」


氏綱「危ういのう…無茶はさせぬよう言ったであろうがな…

見よ、幻庵よりの書状よ、千葉はおそらく小田と酒井以外は敵対する故、ろくに動けぬと申しておる…。士気も低いようじゃ。古河御所を経由し回り道で小田原まで帰るというが、無事であろうか」


氏康「敵地を行き交渉を行うは幻庵叔父上にかなうものはおりませぬ、問題はなかろうかと。

しかし、幻庵叔父上まで来てすらも今川のせいで兵を武蔵に差し向けられぬ…今川義元からすれば交渉に応じる必要すらない、むしろ武田と共に富士川以東を狙っていよう…上杉朝定め、新たに関東将軍を建てるなど…外道が、関東を再び混迷させるつもりか」


氏綱「…一つ、手はある。儂が駿河に入り、お主が武蔵に攻め入れば河越は危うかろう。無論、房総での動き次第だがな」


氏康「父上…かたじけのうございます…その策ならば、10000の兵を出して武蔵を攻めまする」


氏綱「よかろう、とりあえずは綱高より報せを待つとしようか…氏康、当主ならばな、余裕がなければならぬ。

父上、伊勢宗瑞公は常に余裕そうであったが、余裕を失った途端叔父上北条弥次郎が戦で重症を負い、それで死んでしまうたのだ。余裕がなくば勝てど大切な者共を失いかねぬ。肝に命じよ」


氏康「はっ…」

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