第二章  国府台合戦

第1話 密約・読み 天文6(1537)年6月9日


 関戸城を落としてから一月足らず、関東の情勢はいよいよ──動きを見せ始めていた。

 小弓公方傘下の下総千葉氏・千葉昌胤が北条との盟約により離反を宣言、古河公方派への鞍替えを表明したのだ。

 それに合わせるように上総の真里谷武田でも武田信隆たけだのぶたか武田信応たけだのぶおきの家督争いが勃発。

 小弓公方足利義明は北条派の武田信隆排除のため挙兵の準備を開始、武田信隆の居城上総の笹子城に向け小弓御所から出陣しようとしており、安房の里見家にも出陣要請を出した。


 これまでの動きはおおよそは史実通りであるため、扇谷上杉家当主朝定は千葉氏の離反と同時に密書を書き、葛西城から舟を使って安房の里見義堯へ届けさせた。6月9日、里見義堯に密書が届く。


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 安房国久留里城内 里見館


使番「御屋形様!扇谷上杉より密書が届き申しました!」


里見義堯「…なんじゃ、この忙しい時に──扇谷上杉とは…」


小姓「某が読み上げましょうや?」


里見義堯「いや…良い。」


 密書の内容によっては、当主である自分以外に見せない方が良いことが書かれている可能性がある。

信用できる家臣は限られているし──読み上げられては、盗み聞かれる恐れがある。ゆっくり考えながら読ませてもらい、読み終われば焼く。それが里見義堯の密書の扱いであった。


密書『安房の里見家当主 里見刑部義堯殿

私は先日扇谷上杉家当主を継いだ上杉朝定と申します』


 伝え聞いた話では、扇谷上杉当主朝興は病死し、齢13の朝定に家督が継承された──とのことだった。そんな人物が、この危急のときに、一体何を伝えようと言うのか。それも、わざわざ密書で…。


『今回の真里谷の内訌、刑部殿は小弓御所の要請に応じるでしょう』


 …何を伝えたいんだ?


『刑部殿は家督争いの際、北条氏綱の力を借り、真里谷武田信隆の支援を受けました

普通であれば、小弓御所の要請を受けぬでしょう

しかし、北条氏綱は我ら扇谷上杉や、駿河の今川の備えの為大軍を向かわせることは難しい上、北条軍は上総には舟で時間をかけて向かうしかないでしょう

小弓御所の動きの早さを見るに、武田信隆の救援が間に合わない上、小弓御所に歯向かってはさしもの刑部殿も苦しい状況になるでしょう』


 …確かに武田信応側につかねば、北条の援軍は辿り着かず里見は孤立無援…。状況判断は出来るようだが、問題は密書の意図だ。


『故に小弓方に付かれるでしょうが…問題はここからです

北条は既に今川と交渉を行っております

つまり、交渉が成功すればしばらくは北条は北もしくは東に大軍を動かせます』


 だから小弓御所に歯向かえと?冗談ではない…そのような世迷言を聞き入れるほど、阿呆ではないぞ…?


『北条はその大軍で江戸城へと向かい、葛西城を攻める…ように見せかけ、私の居城河越城に攻め寄せるはずです』


 河越城は確か幾つかの城に囲まれていた筈だ。そう簡単に攻め込まれるか?


『扇谷上杉の目を掻い潜り、領内に浸透、葛西城防衛に向かう我らを尻目に河越城を攻撃、河越城攻撃に対処するため引き返したところを大軍で以て葛西城を攻撃、このような戦術を北条は考えているようです

小弓御所は国府台城に兵は詰めさせるでしょうが…荒川を渡河してまで武蔵救援には来ないでしょう、古河御所と千葉氏を狙う筈です』


 なるほど、確かにこれはありうる動きだ。小弓御所の驕りは今に始まった話ではない。北条など相手にしてやるまでもないと高を括り、同じ血筋の古河御所にのみ執心だ。


『そこで、我らはあえて北条の策に乗るつもりです

河越城周辺の守りに兵を割き、葛西城を放棄します』


 なんだと!?扇谷上杉の唯一の江戸湾へ通じる城であり、国府台を経由して小弓御所との連絡を送る城をあえて手放すのか、何が狙いだ?


『北条の狙いを小弓御所に引きつけます

そもそも北条は古河御所を大義名分として利用するため、扇谷上杉を潰すより先に小弓御所との決戦は避けられぬのです

そのためあえて葛西城を北条に手に入れさせれば、北条の大軍と小弓御所の大軍、千葉軍、古河御所軍…は来れないでしょうが、大軍が国府台の周辺へと収束し、決戦を誘発できます

兵力は北条の方が多いこと、小弓御所軍を半包囲する形になること、戦場は江戸湾より遠く、里見水軍が合力できぬこと、何より北条を見下している傲慢さで小弓御所はおそらくは負けることでしょう…故に』


『刑部殿には決戦前に離脱して頂き、上総を占領してもらいたいのです』


『我ら扇谷上杉は、下総北西部を調略と破壊工作で奪います

その上で兵を領内からかき集められるだけかき集め、全兵力で下総の北条軍の補給路を断ちます

城を失った千葉は城を取り返しに来るか総崩れになるかの二択で北条の戦力にはなりませんし、古河御所は宇都宮の内訌でろくに兵は出せません

こうなれば北条は我ら扇谷上杉と決戦するか江戸湾から撤退するかしかありません──が、扇谷上杉が下総一の堅城たる国府台城に入り、全兵力で後詰をすれば正面からは落とせないでしょう

荒川を扇谷上杉の全兵力で封鎖されたのならば、もはや北条は江戸湾から撤退するしかないはずです

北条を撤退させた後は、刑部殿に上総と下総東部はお任せします、切り取り次第ということです』


 ────なんと壮大な戦略か、このような絵図を描けるものは日ノ本には───いや、北条のようなバケモノでなければいないだろう。面白い。13でこんなもの、想像もつかんだろうに……よう考えたわ。


『もし小弓御所が勝てば、私と刑部殿は小弓御所へ宣戦布告、古河御所に加勢を宣言し、同じく下総北西部を奪います、刑部殿にも同じく上総に侵攻して頂きたく』


『どんなに強大な勢力でも下総と上総で挟んでしまえば袋の鼠、よって──我ら扇谷上杉と刑部殿の里見が同盟すれば、目の上のたんこぶどもたる、北条と小弓御所の2つの大大名を潰せると思い密書を送った次第です』


『もしこの上杉朝定と密約されたければ返事の密書を河越までお届け下され

そうでないのならば小弓御所にこの密書をそのまま送れば刑部殿は関東一の忠臣として名が残るでしょう


里見刑部殿と、里見家のご栄達を心より願っております


天文6年6月7日、扇谷上杉朝定』


 最後に儂に選ばせるか…美味しい話を持ってきてくれたのう…だが───ふふっ…面白い──


「よし…決めたぞ」


小姓「どのような内容だったので?」


 ──里見義堯は密書を、火鉢に焚べた。


「今すぐ筆を持て、扇谷上杉に密書を書く」


小姓「はっ」


「正木大膳へ伝えよ、儂は少しばかり遅れるから先に真里谷武田へ兵を向けるようにと」


───────────────────────

扇谷上杉朝定居城 河越城にて──


 上杉朝定は、集められる諸将を以て、評定を行おうとしていた。


小姓「御屋形様、お呼び出来る方々は全てお集まりいただけたかと」


「そうか、すぐに向かう」


 予定通り行っていれば今頃里見義堯は密書を読んでいるはずだ。彼は私と誼を通じない訳がない。

 何故ならば──私の現代知識で高精度な未来予測を描き──彼は疑い深い性格かもしれないが、うまい話に乗らないほど無欲ではない。

 小弓公方への恭順きょうじゅんはカタチだけ、そもそも小弓公方につくうまみは少ない。北条も里見を守れる地理関係にないから、里見は史実で上杉謙信や武田信玄等と連携して北条と対峙したように、今回は扇谷上杉に与する筈だ。

 その上でどう転んでも上総が手に入り、下総東部まで狙えるとなれば──必ず乗ってくる。



 河越城二の丸広間に入ると、難波田定重、太田資顕兄の方、渋川義基、上田朝直に三戸…やべ、三戸何某だっけ─忘れてごめん─あと萩野谷全隆の彼ら6人が座っていた。


「皆よく集まってくれた、これより評定を行うこととする」


「まずもって第一に、千葉が決起し真里谷武田で内紛が起きたことは存じておるよな?」


一同「はっ」


「これが元で小弓御所は武田信隆の排除と千葉の屈服を狙いに兵を集めている、どういうことか分かるものはおるか?」


上田朝直「はっ…小弓御所の勢力が安定しておらぬ証左かと…」


 悪くない答えだが、いまひとつ足りないな。


「お主はそう思うか、他の者はどうだ?」


太田資顕「千葉も武田信隆も北条と繋がっておる、里見も北条に恩がある、小弓御所にとっては窮地かと」


「ほお、信濃守は聡いな…だが、里見が北条につけば北条の援軍が到着するまでに安房は落ちるだろうて…それほどまでに小弓御所は勢いを持っている」


「つまりな…これは北条の策略よ」


渋川義元「北条の策略とな?御屋形は何を仰られたいので?」


「これより北条は──我ら扇谷上杉に攻め入るということよ」


 広間に緊張が走った。皆なんとなく勘づいていたか。流石は戦国武将、現代に名が残っておらずとも生き延びるための感覚は持っている。


「北条は今川と交渉しているようじゃ…太原雪斎と幻庵宗哲の交渉じゃ、破談する方がよほど難しい」


「つまり大軍を武蔵に差し向ける余裕が出来る」


「そこで、だ…北条はどこを狙っておると思うか?───そうじゃな、讃岐守と萩野谷、あと──」


三戸「…駿河守義宣でございます」


「おおすまぬ…お主らの意見を聞こう」


上田「御屋形、我らは?」


「私はすでに奴らの策は看破かんぱしておる、これは皆の意識を高めるためじゃ」


上田「…なるほど、斯様な仕儀でしたか」


「うむ…。では、讃岐守から」


難波田讃岐守定重「はっ………えー、関戸城と深大寺城かと」


「…どうしてそう思ったか話してみよ」


讃岐守「それは…、我らが関戸城を奪い、深大寺に城を築いたこと北条はもう知っている筈、…故に…そこを狙うかと考え申しました…」


 まあ、初陣済ませたばかりならこうだよな。


「そうか、まあよい、三戸駿河守、次はお主の考えを」


駿河守「はっ、蕨城と難波田城かと」


「何故かな?」


駿河守「扇谷上杉の本拠はここ河越、ここを落とすために江戸城から河越までの城を落としてゆく腹積もりかと存じます」


「ふむ、悪くはない…素直な読みじゃな、では萩野谷左馬允、申してみよ」


萩野谷左馬允「へぇ…葛西城かと」


「何故そう思った?」


萩野谷「此度の房総の動き、小弓派と北条派の争いでさぁ、北条は房総への影響力保持のため、房総へ向かうための道を塞ぐ葛西城を奪いたいはずでさぁ」


 いい読みだな、萩野谷は観音寺砦に入ってもらってよかった。情報通な上、北条の戦略を頭で掴めている。


「いい読みよ…ここまで3人と違う読みをしたものは、あるか?」


「「……」」


「左様じゃな、ではお主らはどれと思うたか?」


渋川「三戸殿と同じで御座る、あえて葛西を狙うとなれば我らを潰しにくるまで時間がかかってしまいまする、武蔵を無視して房総に向かうとは思えませぬ」


上田「儂は左馬允と同じで御座る…葛西城に詰めておる故、北条の圧迫感は感じております」


太田資顕「…某も左馬允と同じで御座る」


「なるほど、お主らの考えはわかった」


「だが、皆ある程度は合っているが違う」


「「…!?」」


 まあしょうがない、私も現代の知識なしなら絶対わからん。


「北条は我らを武蔵に抑えて房総に向かえるほどの大兵力を持っておる、まずもって本軍の1万、武蔵と相模守の狭間と江戸城近辺合わせて1万、伊豆相模より5000、その他国衆や土豪を含めれば総勢3万じゃ…我らを1万で抑えれば、2万と千葉の兵で余裕を持って小弓御所と決戦できる」


渋川「つまり…」


「左様、北条は葛西城を狙っておる…ことを我らに隠すため、ここ河越へ向かう」


上田「なんと!」


「江戸、桝形、それに小沢あたりで国衆や土豪を徴収していると掴んだ。」


「それに、扇谷上杉の領地の一部、東武蔵でも調略を企んでいるようじゃ…葛西や蕨、難波田を攻めるには関係ないところである上、兵力も少ない地域を狙うには理由があるはず」


太田資顕「…つまり、何らかの手でここ河越を狙うと?」


「河越の兵を動かせばそうだろうな」


「そのために江戸城に1万以上は兵を集め、葛西城や蕨城を狙っていると吹聴させるはず」


三戸「そして河越の兵が減ったところで河越城を攻撃する…御屋形様の読み、流石としか言えますまい…」


「いいや、ここまでが陽動だ」


「「!?!?」」


「敵の狙いは葛西城よ、そうでなければ今頃北条は兵をかき集め挙兵し──我らの城を落とせるところから落としに来るであろう…北条から遠方の葛西城でなければ、侵攻は早さが肝となるからな」


「なればこそ…河越城を攻撃して扇谷上杉兵を釘付けし、葛西城を落とし房総へ入る…これが北条の真の策」


「故に、我らは…葛西城を捨てる」


上田「な、な、流石に聞き捨てなりませぬ!!我が城が、なくなってしまいまする…」


「落ち着け、葛西城を捨てるは北条を呼び込み小弓御所とぶつけるため」


「お主らも小弓御所が北条や我らをそこまで重視していないのを気付いておろうな?それ故、共倒れを狙う…奸臣と嗤うなよ?ここは乱世ぞ、謀略などに掛かるほうが悪い」


「後は、主のいない城から頂いてゆけばよい、我らの真の狙いは下総西部よ…上田能登守と太田一族には下総の城を任せる、太田信濃守にはすでに書状で伝えたであろう?」


太田資顕「…なんと遠大な戦略、ここまで考えておられたとまでは想像もしておりませなんだ…しかし、北条がそのように戦略を立てますか?」


「北条氏綱、氏康、幻庵の恐ろしさは身に沁みておろう、奴らはバケモノよ」


太田資顕「…そう仰られればそうかも知れませぬな」


難波田定重「某には見当もつきませぬ……」


「よい、まだ若いゆえ、な?」


三戸「…御屋形様もお若いではありませぬか……」


「はははっ…では皆、これからはおそらくは長陣になる。しばらくは兵を動かす準備をし、北条に備えよ、頃合いがくれば都度、伝令することとする…」


「そうじゃ、手旗信号の機序システムが完成したでな、各城に配置するように、高い櫓台などなければ申し出よ、河越より職人を出し物見櫓を作らせる」


「これで評定は以上じゃ──この戦、我ら扇谷上杉家の存亡がかかっておる、お主らも心してあたれ!!」


「「承知!!」」

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