第10話 知行割り 同年同月28日

 小弓城から、上杉朝定は重臣難波田憲重、小弓公方の娘足利千佳、上杉義勝の父足利晴直を伴って未明に舟で出立した。河越城に帰還するのである。


 帰還途中に得た情報では、武蔵方面は北条綱成が江戸城を出陣しようとしたところ大道寺盛昌がやめるよう説得し、特に戦闘は無かったとのことだ。北条軍もそろそろ鎌倉に舟を付け、小田原城に着く頃だろう。


 ──今回の戦は、小弓御所と千葉以外の全ての勢力にとってプラスに働くものだった。

 だが、最も利益を得たのはこの扇谷上杉家である。これよりその利益を分配する手筈を整えなければなるまい。諸将には今日中に感状を与え戦功を労うと共に新たな所領と与える城を伝える書状を送る。与える城の内容は以下だ。


上杉朝定 河越城

上杉義勝 蕨城

難波田憲重 難波田城 

難波田定重 深大寺城

難波田広儀 関戸城

太田資顕 岩槻城 小金城 根木内城

太田資正 松山城

上田朝直 葛西城

三戸義宣 馬加城 鷺沼城

渋川義基 国府台城 松戸城

臼井景胤 臼井城


 ちなみに、異議があるものは10日以内に伝えるよう申し付けている。おそらくは異議を申し立てる者はいないとは思うが…。



 舟で馬加城、鷺沼城周辺を経由、諸将を回収しつつ国府台と利根川を越え葛西城に入る。今のところ所領に文句を付ける者はいなかった。

 渋川義基は蕨城を取り上げたことに文句を言いたげであった──が、国府台城と松戸城という比較的大きな城を2つも与えたお陰か、納得してもらえたようだった。…やっぱり戦国時代らしく現金なやつらしい。


 …そして、出会ってしまった。上杉義勝と足利晴直の親子が対面したのだ。


晴直「おお、義勝、元気そうじゃな」


義勝「…え──え!?なぜこんなところに…」


「当家の客分として扱うことと相成ったのです」


晴直「義勝よ、どうやら城を持つようではないか…折角なのだ、お主の城に住まわせてはもらえんか?」


義勝「い、嫌じゃ…嫌じゃ嫌じゃ!!城に住まわれるくらいならば、城主になどならんわ!大体、蕨城は北条との前線、戦いたがらない客分など必要ないであろう!」


晴直「なんじゃと?我とて戦の経験ぐらいあるわ、腰抜け老人と勘違いして甘く見ておるのか!?この青二才が!」


「まあまあ、ご両名落ち着いて……晴直殿、河越城と蕨城は近い故、舟を使えば毎日通うこともできましょう。とりあえずは河越城におられてはいかがでしょうや?」


晴直「ふむ、では上杉殿のお膝元に住まわせて貰うとしようかの…義勝、しっかり見張ってやるでな?覚悟せい」


義勝「…絶対城に来んなよ!絶対だぞ!折角手柄を挙げたんだ、邪魔されてたまるか!」




 …そんな一幕もありつつ、なんとか1日で河越城に帰還した。舟も使ったとはいえ90km近くある。休憩も挟みつつ到着は夜中になってしまった。1日の移動はとても疲れる。皆戦勝祝いどころではなさそうだ。



 今回の出兵を思い起こす…。今回の戦いで扇谷上杉家の得られるものも少なくなかった。領土以外にも、他国との関係や新たな利権、新当主としての実力の周知…それに、これからは北条に狙いをつけられ、マークされるだろう。ここからはさらに謀略を重ねなければ生き残れないかもしれない。

 領土や名声。これを維持し、拡大していくための準備は数多必要だろう。それに、ここまで成長しても北条と真正面から戦える兵力ではない。だがしかし、未だ少し江戸城を奪還するには機が熟していないと見る。


 内政もやらねばならない。というのも、ただの国力増強だけでなく…─史実で天文の飢饉は天文9年に起き、原因は天文8年の水害、蝗害が原因とされている。つまり、天文の飢饉への備えをしておかねばなるまい。対策しなければ領民は死に、低地の城は破壊されかねない。川の下流は危険だし、上流の土砂災害にも警戒しつつ年貢が減ることも見越し蓄えねば…。

 逆に飢饉を上手く乗り越えれば、周辺諸大名と有利に戦えるし、優良な主君として名声が高まる。戦も警戒しつつ内政まで手を伸ばすのは難しいが、チャンスだと思ってやっていくとしよう。


 そして、家臣達にも力をつけて貰い、再び扇谷上杉を北条と真正面から渡り合える実力を取り戻すため動いていくとしよう。武蔵統一まで見えてきたからこそ慎重に行くべきだ。



 ──史実と異なり、北条が房総に進出せず扇谷上杉が下総へ進出した。

 この結果が一体どう影響し、何を引き起こすのか──。

 夜空に揺蕩う新月すらも知らないようであった。



───────────────────────


 北条氏綱は本拠、小田原城に入った。戦後の処理をしつつ、これからの展望を思い描いている…。


 目下、最大の狙いは扇谷上杉家だ。所領こそ増やせなかったが北条を除けば関東最大の勢力を持つ小弓公方を排除出来たお陰で、本格的に扇谷上杉家討伐に注力できる。

 その上約定通りであれば古河公方足利晴氏によって間もなくに任命され、北条家が関東諸勢力に対し軍事指揮権と裁判権を行使できるようになる。尤も、諸将が大人しく言うことを聞くかというと甚だ疑問ではあるが、本質はそこではなく大義名分が手に入ることだ。

 関東管領は本来鎌倉公方や古河公方の部下。室町殿─つまり、室町幕府の麾下きかなのだ。よって足利晴氏さえ北条家を抑える大義名分を一部失うこととなり、北条家が名実ともに関東最大勢力として完全に幕府から独立して動けるようになる。


 北条氏綱は御用米曲輪ごようまいくるわの書院に氏康を呼び、今後の展望を聞くこととした。


氏康「父上、お呼びでしょうか」


氏綱「夜分遅くにすまぬが、これからのことについて考えがあるか、聞きたくてのぉ…」


氏康「ふむ…では、小弓御所亡き今真っ先に狙うべきは扇谷上杉でしょう。これ以上大きくなる前に叩くべきなのは明確です。当主上杉朝定は戦術・戦略共に油断ならぬ者、身をもって感じております。故に、成長を待たずに今すぐ北条の力をもって潰すべきかと存じます」


氏綱「大軍の動員は領民に負担をかけ、鶴岡八幡宮の再建、近衛稙家への献金もある。あまり戦はしたくはない…」


氏康「ですが、ここで扇谷上杉を潰さねば里見、今川、武田に山内上杉と有力な大名達との争いが不利になります。戦が長引けば長引くほど、北条が勝てねば勝てぬほど領民らは苦しみましょう…。父上、ここはを使ってでも扇谷上杉の勢力を削らねばなりますまい、すぐに風魔小太郎をお呼びください、扇谷上杉の内情を探らせ、幻庵叔父上が千葉氏の勢力を安定させ次第ありとあらゆる手段で扇谷上杉を潰すべきでしょう、もちろん領民らに負担をかけぬよう長期戦には持ち込ませませぬ」


氏綱「……よし」


氏康「?」


氏綱「そこまで考えられているならばよし、お主にを譲る!」


氏康「ま、まだ早いかと存じます、まだ22なれば…」


氏綱「早いことなどあるか、さっさと継がせて儂がおらずとも北条は安泰ということを見せつけねば周辺との関係が安定せん。それに、上杉朝定はすでに父もおらず家督を継いでいるのだ、13の小僧にできてお主にできぬか?」


氏康「…わ、分かりました。では、当主になると同時に武功を重ねて得た方が円滑に進むかと」


氏綱「で、あれば…どうする?」


氏康「やはり、扇谷上杉を狙うべきでしょう…関戸城を落とします。戦術的な価値は少ないですが、家中に示すには十分、それに…調略もします」


氏綱「どこの誰を調略するのかな」


氏康「扇谷上杉の内は渋川義基、外は里見義堯を狙います」


氏綱「よかろう、幻庵なしで…北条氏康の力だけで、扇谷上杉を追い詰めてみせよ」



 新月が覗く闇夜の中、後に相模の獅子と呼ばれる男、北条氏康が──上杉朝定に、牙を剥かんとしていた──。



第二章 国府台合戦 完

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