第6話 北条 同年同月12日

 日が沈み、満月が南に見える。暦の上では日付が変わった頃だ。尤も──江戸時代になってからも、民間での認識は日の出こそが1日の始まりだったようだが──それはそれとして、城内から兵達が出てきた。真っ先に東へ、大道寺盛昌隊の方向へ向かう。

太田資正隊だろうか。


「我ら本陣の者が遅れを取るでないぞ!突撃せよー!!」


「「うおおおぉぉぉ!!!!」」


 1kmほど離れているが、ここは平野だ。流石に物見が気付く。ならば一気呵成に突き崩すのが一番だろう。


 10分も経たないうちに、敵陣の前まで辿り着く。敵の隊列はまだ整っていないが、なんとか集結している。


「敵陣はすぐそこぞ!弓箭きゅうせん構えーっ!放てーっ!」

「弓の無い者は片端から印地いんじを食らわせいっ!」


 印地とは、投石のことである。手ぬぐいなどに手頃な石を包んで両端を指に挟み、丁度いいタイミングで片方を離し投げつける。補給無しで白兵戦に遠距離攻撃を織り交ぜられる、地味だが有効な攻撃だ。投石を平地で食らうのはとても恐ろしい。

 矢と投石を受けた敵陣は、完全に隊列を崩した。  

 混乱状態での遠距離攻撃の恐ろしさがわかる。


「雑兵は捨て置き、大将首を狙え!」


大道寺盛昌「むっ…、流石に苦しいか……、隊列を立て直せ!突破された隊列は撤退せよ!」


 流石に北条早雲伊勢宗瑞と共に駿河へと下向した御由緒家ごゆいしょけ──つまり譜代ふだいの一族であり、内政手腕も優れ扇谷上杉相手に奮戦し続け追い詰めた名将相手ではこれでも崩れない。相手は未だに持ちこたえつつ、徐々に撤退を始めた。

 ──だが、後続の太田資正隊が加勢した途端総崩れ。戦線を支え切れずに敗走していった。


太田資正「御屋形様、夜襲が決まりましたな」


「太田美濃守よ、助太刀ようやったな、大儀だ」


上杉義勝「もう敗走しておるのか、追撃しようぞ」


「相模守殿、もう深夜じゃ、闇雲な追撃はならん」


太田資正「相模守様、敵は扇谷上杉との戦に慣れておる者です。このまま追撃すれば、手痛い反撃を受ける恐れもあるかと存じます」


「それに大道寺は戦の目標では無い、今はまだ捨て置くが最上かと」


上杉義勝「相わかった、よい、お主らがそこまで言うのだ…、ところで、勝鬨はまだか?」


「これは失敬…、では勝鬨を。」


「皆、よう聞けい!当家は北条に圧迫され続け、雌伏の時を過ごした!だが、皆の働きで城を落とし、北条の譜代ふだいの後詰も跳ね除けた!ようやったぞ!皆はこれからも私の元、当家一丸となって北条を倒すため力を貸してくれ!…ここ関戸から河越城まで届く─勝鬨を挙げよ!!」


「「「えい!!えい!!おおお!!!」」」






 ここに、扇谷上杉朝定は初陣を果たし、関戸城を落とした。物理的にも戦術的にもたった1つの小さな小さな城でしかないが──しかし扇谷上杉にとっては、多摩川を越えて、新たな当主を内外に認めさせるという大きな一歩なのだ。



 ──奇しくも、ここ関戸は鎌倉時代よりの要衝であり────鎌倉時代の最後、元弘げんこう3(1333)年に関戸で鎌倉幕府軍と南北朝の英雄の内の一人新田義貞にったよしさだ率いる倒幕軍が激突、激戦に次ぐ激戦の末幕府軍が敗退し鎌倉が陥落した──執権たる氏の時代が終わりを迎えたのである。



 だが彼ら──扇谷上杉家が後北条氏を打倒出来るかは──未だ誰も知らない。









 関戸城に戻り、日の出を迎えた。戦勝に浸っている暇はない。すぐに深大寺城に戻り、城の改修に乗り出す必要がある。

 難波田憲重に一旦関戸城を任せ、上杉義勝と太田資正には諸将への書状と感状かんじょう(部下の戦功を労う証文しょうもん)を持たせて河越城まで帰り、諸将に渡して兵を解くよう命じた。私の隊の半分ほども一緒に帰る。捕虜にした関戸城の数人の兵に頼み、塩漬けにして首桶に入れた佐伯道永の首を小田原城に届けるように伝えた。

 まあ、丁重に送ったところで別に北条からの株は上がることはないのだが──他の大名や武将、公家達にとってはこのような些細なこと一つとっても信用が揺らぐ。余計な波風は避けるが吉。


 というか…寝ずに沢山の書状を書いてへとへとだ…。


 関戸近くの多摩川の畔に深大寺に持っていかせた材木で作ったのであろう小舟が到着した。さすがに私の隊全ては乗らないが、余った人員には渡河して深大寺城に来てもらい、普請を手伝って貰おう。もちろん負傷者は全て河越に帰らせた。


「御屋形様、こちらに」


「おお、すまんな……お主は?」


「ははっ、難波田弾正憲重が次男、難波田讃岐定重が弟の四郎と申します」(この時代は幼名と生まれる順番が滅茶苦茶なことが多い。上杉朝定も幼名は五郎だ)


「おお、弾正の次男か。歳は?」


「はっ、13に御座います」


「ほう…私と同じとは奇遇じゃ」


「そ、そうだったのですね」


「元服はまだか?」


「はい、父上には早くとも15までは待つように言い付けられました」


「左様か、ならば…元服の暁には私の偏諱へんきをやろう」


「か、かたじけのう御座います…」


「よいよい、ただのいみなじゃ…ふぁ〜っ、ね、ねむい…すまんが徹夜でな、寝る」


「承知致しました。深大寺に着き次第お知らせします」


 …いや、激動の1日だった…ほぼ私の想定通りなのに、こんな忙しさなのは計画を甘く見積もっていたせいだな…。まあいい、初陣の経験も活かして今後に繋げれば…。あーねっむっ、意識がっ…。遠の…く………──────





───────────────────────

 小田原城内では、慌ただしさこそないが、僅かに緊張した雰囲気が漂っていた…。


 当主氏綱は大広間のある本丸でなく、二の丸の書院部屋にて情報を整理している。



 扇谷上杉家との境、関戸城を一夜にして──奪取された上、重臣の一人大道寺盛昌が敗走したのだ。

 延べて1800の兵が相手をしたのに多摩川を越えて城を奪われ、城主は生死不明……。

 だが、北条氏綱はこれくらいで動じる大名ではない。そうであったら北条は扇谷上杉家をここまで追い詰めることは出来なかったであろう。


 桝形城に撤退し守りを固めた大道寺盛昌からは、後詰の失敗の謝意と敵情の報告の書状が届いていた。

 曰く、旗指は上杉の物で、本隊の兵は1300、多摩川付近に陣取った兵は6〜700程度だと。

 そして城は到着時には落ちていたらしく、北条の旗指が掲げられていたが夜中に出撃して敵本隊と共に夜襲を仕掛けられたらしい。夜襲といっても陣を荒らす為でなく、ほぼ全軍で突撃してきており、戦いつつ撤退を始めたが敵の勢い凄まじく敗走したことが書かれていた。敗走する前に横手に突っ込んできた将の旗指が丸に梅のように見えたとも。幾度か扇谷上杉と戦っている大道寺や氏綱ならば分かる。恐らくは太田の紋だ。



 扇谷上杉か山内上杉か。深谷上杉は2000はおろか城から離せる兵は7〜800ほどが限界だろう。太田氏は扇谷上杉の家臣だ。我らにくみした太田の残党、太田資顕かその縁者か。山内と扇谷はしばらく戦はないが、同盟したとも聞かない。素直に受け取れば扇谷が落としたようだ。


 だが扇谷は江戸城を狙ってくると思っていた……予想が外れたな…。

 それに前当主朝興が死んでまだ半月ほどの筈だ。敢えて予想を外す奇策…儀礼を知らぬ阿呆か、或いは油断を突く策士か。新たな当主朝定…。期はすぐにやってくるだろう。お手並み、見させてもらおうか───




 不意に書院の屋根から横の庭に農民のような格好の男が落ちて来た。男の目はどこか優しさを湛えている。普通の男だ。…………過ぎるほどに。


北条氏綱「出羽守…いや、風魔よ…もう少し尋常じんじょうに来ぬか?誰かに見られたら面倒だろう」


風魔出羽守小太郎「はっ…某はいつ何時も尋常で御座いますれば…しかし見られる恐れはありませぬ、ここは二の丸ですが、本丸からしか見下ろせぬ故、本丸からの死角を通れば良いだけのこと」


氏綱「いつもようわからぬことを申すな…して、関戸は?」


風魔「扇谷上杉の手に落ちておりまする。今は扇谷重臣難波田憲重とその甥広儀が入り、多摩川から木材を運んで城を修復、改修している模様。木材は深大寺より運び、深大寺にも城を普請している様子、上杉朝定は多摩川を下り深大寺に向かっているようで」


氏綱「ふむ……大儀、他に敵情は?」


風魔「近隣の民に聞くところ、どうやら昨日の夕方、突如関戸城が攻められ四半刻30分ほどで完全に包囲、半刻1時間ほどで落ちたようだと。城主佐伯道永らは城将共と自害したらしく。道中首桶のような物を見た故、おそらくは首をここ小田原まで届けるのでしょう。」


氏綱「なるほど、佐伯は死んでしまったか…供養してやらねばなるまい、準備させよう」


風魔「上杉朝定を殺しましょうや?」


氏綱「いや…よい、こんな小城1つで大名や武将を暗殺していたら関東の秩序は今以上に滅茶苦茶じゃ。そもそもお主ら乱破らっぱは情報収集や攪乱かくらんが役目、暗殺は確実でない。…できるかもしれぬがそなたらを賭けで使い潰すつもりはないぞ?」


風魔「…承知」


氏綱「それより東、東じゃ…小弓御所はどうじゃ?」


風魔「どうやら真里谷武田の内紛に茶々を入れるようで」


氏綱「ふむ…武田信隆たけだのぶたか殿と信応のぶまさ殿か…当家は信隆殿と親密ゆえこれは大事だいじ。安房の里見義堯殿はどう動く?」


風魔「詳しくは分かりませぬが領地を拡げようと画策しているようで。ややもすると当家と敵対するかと」


氏綱「小弓御所につくか…」


氏綱「千葉は?」


風魔「千葉領内は行っておりませぬ、幻庵様の仕事なれば、邪魔立ては無用では?」


氏綱「よい、お主と幻庵では役目は違うからな…小弓御所に味方させ、頃合いを見て当家に寝返る…そういう取引はもう固まっておる故、まあ行かずともよい…幻庵の仕事ならば古河御所にも行っておらぬか?」


風魔「御意…しかれども小弓御所と古河御所は一触即発なのが房総を歩くのみでも肌で感じますな。古河の実情はお膝元の下野しもつけ宇都宮の内乱でまともに動けぬ筈だと言うに、小弓御所は足利が血に執着があるようで…下野など、武蔵相模より名門名族がひしめいておる、わざわざ手の出す地では無かろうに、愚かですな…」


風魔「ときに御屋形様、若様がやってくるようですぞ」


氏綱「!…驚かせてくれるな、儂はもう50過ぎなのだ、寿命が縮んだらどうする」


風魔「はっ、相模富士川から武蔵江戸まで手中に収める大大名だいだいみょうが──驚く程度で黄泉路よみじが近くなるわけないでしょう」


氏綱「言うてくれるわ」


氏康「父上!失礼します!」


風魔「では某はこれにて御免」


氏康「待て風魔ぁ!わしにも話を聞かせよ!」


氏綱「いや、よい。風魔が去るのは情報を伝え終わった時だ。これからまた情報収集をしてもらわねばならぬ故な」


氏康「父上!あっもう出羽守がいない…」


氏綱「奴は乱破、逃げるのが下手では命がいくつあっても足りぬでな」


氏康「…はぁ、そんなことはどうでも良いのです、それより今朝の件ですが」


氏綱「扇谷上杉がやってくれたわ、まだ13の小僧だろうに」


氏康「…左様ですか…、しかし妙です」


氏綱「妙とな?」


氏康「はい…戦術的な話は置いといて…戦略的に関戸を狙う理由が分かりませぬ」


氏綱「確かに、普通なら江戸を狙うであろうな」


氏康「それに、相模方面なら落とすのは桝形城でしょう」


氏綱「そうであろうな、お主はどう考える?」


氏康「………扇谷上杉前当主朝興は死ぬまでその家臣と江戸を狙っておりました、故にこの動きの原因はおそらくは新当主朝定のもの。───しかしここからが難題、これは──河越の守り以外の意味であれば、囮でしょうか」


氏綱「その理由は?」


氏康「…確かなことは言えませぬ、が…まずもって江戸を狙うことを目標とすれば、そこまでの道筋補給路を脅かす為の一手です。桝形でないのは関戸を放置すると多摩川の川上を取られ桝形が孤立することと、複数の城を一挙に奪う兵力もなく、奇計で落とす準備の時間も掛けずに城を落としたかったためかと」


氏綱「そう思うかお主は」


氏康「いえ、違います。これのままでは囮ではないのですよ…これはの考え」


氏綱「表とな…ならばは?」


氏康「は……そうですね、我々がのように考えるよう、誘導しているのではないかと」


氏綱「面白いことを考えるな、13がそこまで考えるか?」


氏康「杞憂きゆうならばよいのです……関戸を狙うは、小城を奪い、そこに焦点を当てることで我らが狙いを逸らす…」


氏康「つまり、北条以外…扇谷上杉に近接している大名は甲斐の武田、山内上杉、そして千葉、小弓御所、或いは領地を挟んで古河御所か…、

甲斐を攻めるには山内の許しが必要ですし、武蔵の一部を支配しているのにわざわざ豊かでなく勢いのある武田を攻めるとは考えにくい……

山内上杉を攻めれば山内と我らと古河御所と挟み打ち、出来れば今の和睦状態を保ちたい……

小弓御所は格と勢いがあり、誼を通じている……

古河御所も家格があり、領地を奪えば山内、宇都宮、小山おやま、千葉、そして小弓御所に狙われかねない……

───────ならば」


氏康「千葉…」


氏綱「…武蔵は千葉とは荒川を挟んでおろうし、名目上は小弓御所が配下、我らと誼を通じているのを知っているのは我らと我らの家臣共、千葉と千葉の家臣共のみの筈」


氏康「左様、確率としては高くはありません…これより梅雨、川を越えての行動も難しいでしょう。ただし、我ら北条と違い千葉は一枚岩ではない…どこかから漏れないとも言えません。その上、我らが小弓御所と訣別する可能性は周囲の関東諸将は勘づいておるでしょう…ならば」


氏綱「なるほど…我らと小弓御所との大乱の内に」


氏康「千葉の城を掠め取るかもしれません」


氏康「ま、可能性は高くありませんがね、13はガキですし」


氏綱「勝って兜の緒を締めよとは、私の言葉。油断することなかれ」


氏康「は、心得ております…では失礼仕ります」


「はぁ…」


 氏綱は無意識にため息をついた。とても優秀な息子なのに僅かな傲慢さがなかなか抜けない。まあ氏康も儂と違って未だ若いからな…。

 そう思いつつ、頭の片隅で思考を回転させ続ける。千葉、千葉か…。この儂としたことがそこまでは想定しておらなんだ。もう隠居の歳かな、しかし風魔に頼めばよかった。だが北条も敵に囲まれている、呼び戻すことは出来るが駿河今川甲斐武田、そして信濃の小笠原と村上、越後長尾上野山内上杉、そして少し遠いが常陸佐竹、本来足利の領地である三河の細川阿波守護家や我らの先祖伊勢氏の家臣の松平………そして有数の豊かな土地の尾張にある、守護代の家臣如きから徐々に台頭してきた織田弾正忠家…今の家督は織田信秀織田信長の父か。調べなければならぬ国はあり得ぬほどに多い。

 だが東国はここまで調べておけば大丈夫だ。小勢力が乱立し内乱の続く奥羽や一向宗の強い北陸などは脅威ではない。畿内周辺や中国地方は遠い上に近況が同族の伊勢氏から届く(伊勢氏は山陽の備中に所領があり、足利将軍家にも奉公衆などとして仕えている)。諜報活動はあらかた万全なのだ。


 ふぅー…考えていたら疲れた。扇谷上杉の朝定小僧は儂の疲労これが狙いで関戸を落としたのかもしれん───流石に冗談だ───


 ………さっさと周辺をうまく抑えて、氏康に家督を継がせたいのぉ……。



───────────────────────


 長い…長い夢を見ていたような気がする。だが、完全に忘れてしまった。

 目を覚ました理由は難波田の次男の声ではない。深大寺城の普請で響く、木材を加工したり土塁を盛り固めたりする音だ。重機のある現代よりはいいのかもしれないが、掛け声が大きいのも相まって普通にうるさい。そりゃ目も覚める。


「おはようございます!御屋形様!」


「はいはい、おはよう、もう起きてるよ」


「では参りましょう、兄者が待っている筈です!」


「わかった…わかったから…流石に音が五月蝿うるせえな、どうにかならんのか…河越に帰りたい(泣)」


 まあこれも当主の務め、城の普請の勉強も兼ねて手伝うか…。



「よくぞ参られました。御屋形様、ご戦勝おめでとうございまする!」


「讃岐守、お主も初陣という名の普請をさせてすまぬな、河越の職人共には設計図を渡したがその通りに進んでおるか?」


「いかにも、些細な問題すらありませぬ。ただ…」


「ただ…?」


「ここは北条との最前線、城はまだ未完成でお、おそろしや…」


「落ち着け、お主も武家の男だろう…それに、私の隊もいる、北条の御一門でも来ぬ限り…」


「それは頼もしいですね!あれ、あそこで何を揉めて…」


「本当だ、なんだろう」





?「おい、お前ら!何故こんなところに城を建てる!」


職人「へぇ、お侍に頼まれたからでぇ…」


?「何故!?北条はこんなところに城は作らぬ!作るならもっと北にと義父上が…ん?お侍ってどこの侍に?」


職人「?上杉では?」


?「?…??……???………!?!?!?」


?「な、なんだと……無礼者めが、切り捨ててくれよう!」


職人「ひ、ひぇっ…か、かたな…」


「そこまでじゃっ!」


 刀抜き

   謎の男を

     止めにけり

       上杉朝定 心の俳句


?「!」


 ──謎の男は刀を止められた瞬間、目にも止まらぬ速度で私の刀を弾き、私に刃を向ける…まずい、只者ではないな。心の俳句など詠んでいる場合ではない。

 慌てず右足を下げ、ひと息で飛び退すさる。男は隙を逃さず喉へ突きを出してきた。どうにか私の左側へと受け流しつつ体勢を整えようとした時には既に男は半歩下がっていた。威圧感を感じる上に、周囲の兵を警戒して下がったようだ。

───強いな。

 剣術を修めてそうな上、先程の動きは天性の才能まであるだろう。


───謎の男は更に間合いを取り、刀を構えた。頭の右横に縦に刀を構える八相の構えだ。この時代ならそうだろうな…。等と考えている余裕は無い。左足を後ろに下げ…刀からを離し、片手平突の構えをする。

────私の未熟な体では、この男とまともには打ち合えない。ならば突くしかない。体格差を見るにリーチでも敵わないだろう。ならば片手で最もリーチの長い突きを眉間に刺さねばなるまい。八相ならしゃがみにくい。上段突きを避けるには頭をかわすしかない──が八相なら相手から見て左にしか避けられない。その一瞬でこちらは手首を回し右に振り抜けば頭を斬り──殺せる。或いは男が先程の速度で弾いて来れば刀から手を離し男の右手に掴み掛かる。刀を止めている間に誰か助けに来てこの男を斬るはずだ。


 よし、脳内シミュレーションは完璧──だが、そんなものでは微塵も安心できないほどの威圧感を感じる…。これは駄目か…?

 そう思っていると私の小姓や兵達が槍や刀、長巻ながまき(長巻とは大太刀と薙刀の中間、取っ手の長い太刀だと思えば良い。ヨーロッパで例えるならツヴァイハンダーがにている。スイス傭兵とかランツクネヒトとかが持ってるやつだ。あちらは両刃直刀だが。)を手にし、謎の男へ突きつけた。

 これなら流石に動けまい…。


?「お主ら、腕を切り捨てられるのと首を斬られるのと、どちらが良いか言え」


 ええ…命が惜しくないのか、本当に大勢殺せるのか、その両方か…はぁ、戦国時代舐めてたわ。


「皆、下がれ。…そのほう、腕が立つな。…名うての武士であろうか。名を名乗らぬのか?」


?「?…名うてってなんだ?まあいい、みたいに難しい言葉を使う奴だな…」


氏康?氏康って北条の…───


北条綱成「俺は北条綱成、北条家最強の武将として名前が通っ…」


「──皆、斬り殺せ!」


 周囲5、6人から長柄の槍や長巻が振り下ろされる。北条綱成と名乗った男はかろうじて防ぎ、避けきり、汗をかきながら槍を2本も折った。息は少し上がっている。

 ……………こいつ、人間離れした強さではないのだが充分──多分戦国でなくても──いや、戦国だからこそ活きる──北条氏綱はじめ北条幻庵、北条氏康等とは全く異なるタイプの───バケモノだ。


綱成「な、何をしやがる急に…死ぬかと思ったぞ」


「皆、武器を納めよ」


 警戒を解くため刀を鞘に…緊張で震えて入らん、地面に捨てよう。後で拾えばいい。


「お主、強いが阿呆じゃな」


綱成「なんだと!?!?盛昌や氏康みてえなこと言いやがって…」


「はぁ…まあ待て…お主、良いか…」


「良いか、綱成、いや諱は良くないのぉ、官途は何か教えて貰えぬか?」


綱成「孫九郎」


「いやだからそうじゃなく………何処何処の守とか」


綱成「ああ…そういうことか、左衛門?太夫?と名乗れと義父上が…言ってた、ような…?」


「そうかぁ、左衛門太夫か、では北条左衛門太夫よ、わしゃなぁ?、小弓御所の使者なれば、ここ深大寺に寺を作ろうと思うてのぉ」


綱成「御所…?ああ、あの偉そうな奴か、その使者ね」


「あぁあぁ、全くもってその通り、偉そうな奴じゃ。…それで造営の為に、ここに、こうして寺を建てているのじゃ」


綱成「寺…?確かにここは深大だったと思ったが寺があったからそう名付けられたのか」


「如何にも!!まさしくここは深大寺故、寺を建てているという訳なのよ」


綱成「しかし寺なら近くにあったよな?あれが深大寺じゃねえのか?」


「うむ、れも深大寺!!!だがここも深大寺じゃ!良いかぁ左衛門太夫、よーーうく聞けよ?、あっちのは……あっちのはではなくの深大寺なのじゃ!!!」


綱成「くぎょう?ク行ってなんだ?」


「公卿とはなぁ?公方と同じくらい偉い奴なんじゃあ、公方が武家の頂点ならば、公卿は貴族共の頂点なのじゃ」


綱成「ふーん、つまんね」


「そうじゃあそうじゃつまんないじゃろぉ、こっちも仕事で忙しいでなぁ、茶は出せん…やべまだお茶は高級品か、えーと、えーと、おもてなし出来んでな、帰って…くりゃれ?」


綱成「わかった。邪魔したな、くぎょう?いや公方?」


「違う違うわしゃは使者、仕える側よ」


綱成「ほいほい、んじゃさいなら〜〜」


綱成「〜♪〜♫」


 鼻歌を歌って帰ってゆく。呑気なものだ。我ながらどうにか嘘八百で騙せた。寝不足の上疲労を溜めるような事件を起こしてくれるとは…アドレナリンドバドバで…昼寝は絶対にできんなこれは…北条…許せん(泣)


難波田讃岐守「御屋形様は演技も上手ですな。しかし奴は北条の一門。追って斬るか捕らえるかせずともよいのですか?」


「よい、私も疲れた…それに、部下の命を無駄にせずともよいのだ」


「その上…あのまま斬り合ってあやつを殺すのと私が死ぬのとどちらが先か…小姓や兵どもがいてもわからんかった………バケモノが………」


「疲れたが眠気など飛んだわ、深呼吸して………よし、仕事をさっさと進めよう──兵どもよ、先程のようなことのないよう見張りを立てよ!いつ何時北条の手先が来ても防げるように備えるのだ!」








 あれから夕方になり、作業は一旦休止となった。暗くなれば小さな作業しか出来ない上、梅雨だからか…雨が降ってきた。これでは作業しにくいし、危険も伴う。雨降って地固まるとも言うし、土台を固める上でも晴れるまでは普請は休止だな。

 雨が降ったので既にある郭の小屋に泊まることにした。作業小屋も沢山あるので、野宿する者はいない。飯も干し飯(保存食、干してアルファ化させた米)や梅干し等を建材とともに運んだため飢えることはない。

 あー、疲れた。マジで疲れた。昨日の今日でこれかよ。今日は私の計画とは関係なく運が悪かった。こんなことのないよう皆の役目を見極めねば……。ねむい…。寝よ。



第一章  初陣  完

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