第5話 関戸城攻略 同年同月11日

 いよいよ喜多院で父上杉朝興の法要を終わらせ、家督継承の儀を行う事となった。とは言っても、そこまで大々的なものではない。足利一門でもないから京から公家を呼ぶ必要さえない。今回必要なのは足利氏、それも使者だけでいい。今は扇谷上杉家は表向き小弓公方派だから、小弓公方の使者が来ている。


「御所様からの御言葉である。──扇谷上杉の家督を藤原修理大夫朝定に認める」


 藤原と言ったがこれは上杉氏の姓が藤原氏だからだ。元々京の弱小貴族だったのが、足利家に乗っかってここまで大きく成長した。


「──並びに、御屋形号、白傘袋、毛氈鞍覆もうせんくらおおい塗輿ぬりごしを免許する」


 小弓公方の使者から御内書ごないしょを貰い家督を認めてもらう。今回は父が既にいないためついでに屋形号を引き継ぐ事も認めてもらう。これは大名としては今日の儀の中で飛び抜けて重要だ。

 たったこれだけのことなのだが、これ一つで御屋形様と呼ばれるようになり、家の内外の者が裏切りにくくなるのだ。たかだか故実こじつ、されど無視出来ない差がそこにはある。


 だからこそ北条などは近衛家に近付き、箱根権現や鶴岡八幡宮に積極的に寄進し──古河公方等に取り入ろうとするのだ。必ず大義名分を立て、少しでも多くの者に自らの正当性を認めさせる。少なくともこの時代の政治とはそういった小さいこと、取るに足らないことの積み重ねで周囲と差をつけるもの。そういう意味でも北条氏は強敵だ───。




 家督継承の儀はあっさり終わった。


「名を一字授ける。これより、難波田讃岐守定重と名乗るがよい」


「はっ、ありがたき幸せ」


 ついでに難波田憲重の長男の元服も済ませた。名は難波田定重さだしげ。定の字は私の偏諱へんきだ。基本的には主君のいみなを目下の者が名乗るのは無礼にあたる。その分主君から字を使わせてもらうのは名誉なのだ。もちろん私は偏諱に快諾した。官途名は讃岐さぬき守。

 立派な武将になってくれると扇谷上杉家としては滅茶苦茶助かる。史実通りに戦死させぬよう気をつけよう。





 そんなこんなで、やるべき儀式は終えた。既に日は昇り昼前になっている。後は戦略通りに動くだけだ。


難波田弾正「御屋形、時は満ちもうした」


「うむ…陣触れじゃ!──作戦通りに動くよう家臣達に伝えよ!」


 早速、手旗信号の出番だ。移動用の櫓から河越城、有山砦、観音寺砦に手旗で信号を送り、その先は伝令に走らせる。


「難波田は隊を二手に分け、半数は舟で蕨城まで行き、建材とともに深大寺に布陣せよ、隊将は難波田讃岐守だ!」


難波田讃岐守「承知!!」


「もう一手は難波田弾正を隊将として多摩川の北まで進軍し後詰せよ!補佐は隼人正だ!」


難波田弾正・隼人正「はっっ!!」


「私は本隊を率いる!本陣は関戸城の北に布陣し、力攻めを行う!上杉相模守殿は渋川の兵が到着次第本隊の後ろにつき、多摩川に着き次第西に周り関戸城に取り付くよう!」


上杉相模守「おう、吾は西からだな」


「伝令!太田美濃守様ご到着!」


太田美濃守「只今参上仕る、太田美濃守資正で御座る!」


「よう来た美濃守!美濃守は多摩川に着き次第東へ布陣し関戸城と桝形城の連絡を経て!」


太田美濃守「相わかり申した!」


「寄せ手の将は事ある毎に本陣に報告し、伝令に従い行動せよ!」


「以上が陣触れである!軍令に沿って迅速に行動せよ!」


一同「「応!!」」


 ここ喜多院に扇谷上杉家は挙兵した。

 目標は関戸城を落とすこと、深大寺城を普請すること、あわよくば津久井城を落とすこと。

 目的は扇谷上杉家の士気を上げ、新たな当主の力を内外に示し、裏切りを抑止すること。

扇谷上杉朝定の──初陣が始まる。




扇谷上杉軍 寄せ手の陣容

扇谷上杉朝定本隊1300

上杉相模守隊500

難波田弾正隊700

太田美濃守隊300



───────────────────────

 一方その頃、小田原城にて



 北条氏綱は、小田原城の大広間で1人、地図を見下ろし考えていた。

 先の河東一乱で、かつてより仲が深かった今川氏と対立してしまったのだ。元は家督を継いだばかりの今川義元が原因であり、駿河に攻め込んで富士川以東を手に入れ、甲斐武田の嫡男武田晴信の仲立で和睦を結べた、が───

 北条は今まで北に注力していれば良かった。武田、山内上杉、扇谷上杉。この3家だけ相手取ればよかったのだ。しかし…この今川氏の潜在的な火種に武田家の優秀な嫡男の台頭、上総下総の小弓公方との対立、古河公方の地盤下野宇都宮氏の内訌ないこう、安房の里見義堯は小弓公方につくか不鮮明…。おまけに自身の体に限界が近付きつつあるのも感じていた。

 嫡男の氏康は優秀だがそれ故にまだ僅かな驕りがある。当主を継げばすぐに立派な大名になれると信じているし、弟の幻庵に補佐してもらえば道を違えることはあり得ない。だが…、何か見落としている気がする。

 東、北、西か───。拡張を続けねば北条家さえ関東の混沌に飲み込まれる。やはり江戸城を守りつつ、最も潰しやすい扇谷上杉を氏康に相手取らせるか──────。


 そんなことを考えていると、ふと、暗くなったように感じた。昼間なのに何故か?徐ろに顔を上げる。───小田原城から見える相模湾が、僅かに灰色の染みをつくる───雲か。小さいが…厚く、影を落とす。



───────────────────────

関戸城にて


 佐伯市助道永は、端的に言って油断していた。戦を知らないわけではないし、味方の救援要請があればすぐに駆けつける準備はできていた。そのような人材でなければ北条の城主になどなれない。だが、味方が少数の戦や、負け戦は一度も経験していない。それはひとえに、北条家が野戦で未だ不敗を誇っているからなのだが───佐伯道永は理解が浅かった。戦は常に想定内の出来事しか起こらないと慢心していた。


 それに、扇谷上杉と対峙しているとはいえ多摩川の向こう、近くには大道寺盛昌の詰める桝形城、さらに関戸城を落とされてもすぐ東に小沢城という今は使われていない城があり、撤退も容易だ。関戸は鎌倉時代から要衝として知られ要塞化されており、その上この城の戦術的価値自体は他の城の補助が主なため単体では狙われない。

 上杉朝興が狙っていた江戸城は攻められそうだが、支城や大部隊が揃っているためまず招集はかかるまい。 

 支援要請を受けるとするなら桝形城からだが、多摩川向かいの深大寺には古い城趾が残るのみで本格的には攻め込めない。

 自らが出陣することは、他の城主達が動かない限り、あり得ないと考えていた。



 そう、攻めて来るはずなど無いと…高をくくっていた。




───────────────────────

 喜多院から関戸までは最短で28kmほど、鎧武者ならば全力で走っても6時間は掛かる。

 出陣から移動を続け、扇谷上杉の寄せ手は多摩川を越えた。多摩川から関戸城まで1kmほどに迫っていた。

 日の入りまで1時間を切った。息を整え、攻め込むには丁度よい塩梅あんばいだ。


「上杉相模守と太田美濃守の隊は既に東西に分かれた由!」


「大儀、お主らは続けて斥候せっこうせよ。皆、他の隊と足並みを揃えるためにもうひと息休んで良いぞ」


「はっ!」





「頃合いかな──、よいか皆!これより我らは関戸城を落とす!私が号令を出すまで出来るだけ静かに進み、合図したら城の北まで全力で走れ!」


「「応!!」」


 関戸周辺は多摩川の氾濫で均された地形であった。その平原を、扇谷上杉本隊が音を抑えてにじり寄る。あと4、500mほどだろうかというところで城の見張りに気付かれたようだ。大慌てで周辺の詰所から兵を集めている。


「好機───」


「全軍、かかれ!」


 本隊が全速力で城を目指す。

 狼煙を上げているのが見えたが今は日の入り寸前、東の桝形城からは夕日の逆光で狼煙が見えにくく、西の津久井城からは夕日で照らされ狼煙が風景に溶け込む。これでは伝令を走らせるしかあるまい。


 本隊が到着し、簡素だが本陣を張り始めた。同時に兵を門に取り付かせる。


 「伝令!西門突破!」


 いち早く上杉義勝隊が門を突破した。戦略眼はイマイチだが戦術的な判断力と足の速さを持ち合わせているらしい、初陣にしてはいい動きだろう。


 太田資正隊は寡兵ゆえに、城兵が放棄した詰所などに身を潜めているようだ。伝令を逃さぬことを信じよう。



 僅かに時を置いて北側も突破した。この速度だと城兵は少ないのかもしれない。斥候の情報だと城兵は600はいるらしいが…。


「難波田弾正隊に伝令せよ、多摩川を渡河せず、そのまま待機し陣を張るように」


「承知!」


 既に門周辺は制圧したようだ。城に入ろうとしたところで東で動きがあった。太田資正隊と城兵が戦っているようだ。どうやら城を守れないと判断し大部分の城兵が東に集中したらしい。


「太田隊を援護する!本陣の兵のうち500ほどで敵側面を突くぞ!」


 そこからは一方的であった。城兵が行き場を失い次々に投降していく。本陣から知らせがあった。佐伯道永ら城将が本丸で自害したようだ。要害にいながらあっさりと落城するとは、北条方も予想外だろう。


 攻城戦は30分と少しで終わった。


 本陣に投降した兵を連れ戻り、状況を確認する。

 佐伯道永の首が届いていた。流石に見ていて気持ちのいいものではないので首桶に入れるよう言っておく。


 こちらの損害は軽微、太田隊の者が僅かに死傷しただけだ。太田資正の報告によると一気に500人程が東に出てきたらしい。恐らく西と北から殺到した寄せ手を見て東へ抜けに来たのだな。

 そして数人東に逃したらしい。大道寺盛昌隊がやって来る可能性がある。


「難波田隊に桝形城からの兵を警戒するように伝令せよ」


 捕虜は100名ほど残して解放した。どうせ数人逃げたのだ、すぐ情報は伝わる。

 この時代捕らえた捕虜を人身売買することも多いがそんなことをすると善政を敷く北条に評判で負ける。やむを得ないとき以外は避けよう。


 上杉義勝が本陣にやってきて勝鬨を上げようと言っていたが、せめて桝形城の大道寺盛昌の動きを掴んでからにしたい。そう伝えるとしょんぼりしていた。子供か?




 戦後処理をしつつ、完全に日没したころに伝令が来た。難波田憲重からだ。


「報告!大道寺盛昌が1000ほどで関戸へ向け進軍中!」


 …来たか。近いから日没後にも軍を動かしてきたな。ではこちらも動こう。


「難波田弾正隊に多摩川を渡るよう伝えよ!」


「上杉相模守隊並びに太田美濃守隊は急ぎ関戸城に詰めよ!上杉の旗指ではなく北条の旗をかき集めて掲げよ!敵を欺くぞ!」





 真夜中に大道寺盛昌隊が関戸城から東1kmほどに布陣した。兵数は1200、伝令より兵数が多いからおそらくは小沢辺りから土豪など兵を集めたな。

 彼らからすれば関戸城はまだ落ちていないように見えるはずだ。夜明けに朝駆けで城兵600とここ上杉本隊1300を挟撃し敗走させる腹積もりだろうが、先にこの本隊と城に詰める兵800で叩きのめすとしよう。

 時間をかけると既に城が落ちたと発覚し、撤退されてしまう。先制攻撃して完全勝利で初陣を終えたい。


「城内に申し伝えよ!これよりすぐ大道寺盛昌隊に攻撃する!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る