第11話 敵の全容 同月同月26日

 山科言継の文が届いてから8日、調略を進めていた成田から報せがあった。山内上杉家臣、白井長尾の長尾憲景が敵情を連絡するとのことだったが、どうやらうまくいったらしい。


 わざわざ河越まで使者がやって来た。密書でも良いのだが…。


「貴殿が件の使者かな」


勅使河原「はっ、勅使河原てしがわら左近と申しまする。

…白井長尾の直接の臣下ではありませぬが、上杉兵部少輔上杉憲政様の…いえ、北条幻庵の警戒を掻い潜るため白井殿と姻戚関係のある某が参った次第にて」


「なるほど、憲政はともかく、幻庵まで白井城に来ているのだな」


勅使河原「はっ。上方より、幕臣は伊勢貞孝の名代として政所代の蜷川にながわ大和守、外様衆は大外様の細川陸奥守が。そして、近衛稙家公の名代として徳大寺拾遺徳大寺公維様が下向されるとのこと。

彼らより先に幻庵が先に白井城に到着し、迎い入れる準備を整えており申す。

一向は既に越後を過ぎたと聞き及びました、今日中…遅くとも明日には白井城に着くことでしょう」


 徳大寺公維とくだいじきんつな、か…。彼は徳大寺を名乗ってはいるが、近衛家の生まれだ。おそらくまだ幼いはずだが、近衛家の人間を下向させるとは…。本気度が窺えるな。


足利義勝「…左様か。山内上杉は連中が着き次第挙兵するのか?」


勅使河原「はっ。

彼らを待たせぬため、いち早く挙兵に及ぶのは間違いないないかと」


「山内上杉が挙兵した後、狙う城と同調する武将は?」


勅使河原「挙兵が間違いないのは山内上杉、横瀬に加え、古河御所…そして宇都宮、佐野、上那須衆ら下野の者共も同時に挙兵する手筈かと。まず勧農城の足利長尾を攻めると兵部少輔様が息巻いております。

常陸の佐竹、小田、江戸、鹿島も兵を出し、結城城へ向かうと書状が届き申した。房総の千葉、酒井も結城攻めに向かうと確約をしたとか。

幻庵は明言していなかったのですが、北条もやはり挙兵するでしょうな」


「確実に動くのはそれだけか?」


勅使河原「いいえ、越後勢も挙兵するかと。越後守護の上杉定実様の名代として長尾弾正景虎が揚北衆の中条の援兵と共に南下する手筈で間違いありませぬ。

上杉定実様が守護代長尾左衛門尉晴景の排除を影で目論んでおり、そこを理由に兵を動かすと幻庵が申しておったので」


「よりにもよって、長尾景虎か……」


 ──長尾景虎は後の上杉謙信だ。無敗の軍神、越後の龍…。その異名に負けない程の才能を持っている。

 まだ彼は若く戦の経験が多くないとはいえ、当然だが戦術の天才に真正面から戦いたくはない。だが、話通り上杉定実がやる気なら…兵を動かしてくるだろうな…。


足利義勝「挙兵するか分からぬのは何処か」


「今川や里見は静観の姿勢を保ち、土岐は内応に打診するか微妙な態度を見せております。

そして…上杉定実様が奥羽勢を動かそうと画策しているとか」


足利義勝「…まさか、奥羽勢だと!?」


「ちょっと待て。まだ奥羽は伊達の内乱の最中ではないのか」


 この時期、天文の乱といって伊達家の内乱で東北奥羽を二分する争いが起きている。

 複雑な内容だが端的に纏めると、越後守護上杉家の跡継ぎ争いに伊達稙宗、晴宗父子が介入するしないで揉め、伊達家に関連する勢力が真っ二つに割れての争いとなった。

 中央集権化を強行した稙宗に対する反動とも見られるが、私も大名権力を強化するため、扇谷上杉の中央集権化を目指していかねばならない。気をつけねば…。


 それはそれとして、大争乱の中から兵を関東まで出すことなど可能なのだろうか。


勅使河原「それはわかりませぬが…、現在稙宗派が優勢であり、稙宗派に加勢している上杉定実様の伝手を使っているのではと推察致しまする。実際、山伏や僧侶が次々に奥羽と越後を行き来していると噂になっておりまする」


 山伏や僧侶は、書状を送るときに頼む相手であることも多い。実際に挙兵するかはともあれ、急いで動くなりこちらの優勢を示すなりしなければ敵に加勢が来るということか。


「よく分かった。その他の勢力は?」


勅使河原「越中の神保と椎名は互いの抗争に加え、一向一揆の対処でとても外征など出来はしますまい。能登の畠山は代替わりより間もなく、挙兵は難しいかと」


「…信濃は?」


勅使河原「村上が動く可能性はありまする。しかし、甲斐武田を無視して兵は送れぬでしょう」


 確か信濃守護小笠原氏が村上義清と組んで武田の信濃侵攻を阻止する構えを見せているが、小笠原長時は武田に押され続けている。村上義清が兵を動かす余裕は少ないだろう。


「これで全てか?」


勅使河原「はっ、存じている限りでは」


足利義勝「勅使河原よ、大儀であった」


「白井にもよろしく伝えてくれ」


勅使河原「はっ。失礼致す」




「……よし、一旦整理するぞ。敵の全容がようやく見えてきた。

まず敵を羅列してみるか」


上野 山内上杉 横瀬


下野 宇都宮 佐野 上那須衆


常陸 佐竹 小田 江戸 鹿島


房総 古河公方 千葉 酒井


越後 長尾


相模 北条


足利義勝「…これは流石に多いな。どうにかなるのか?」


「これら全てと当たる必要は無い。まず佐竹は味方に付ける」


 もし味方に付かなくても結城城攻めに時間がかかったり他方面で劣勢になれば撤退する。佐竹義昭はそういう大名だ。


「そして結城攻めには僅かな援兵で良い。主戦場は足利周辺で間違いないからな」


足利義勝「ではこうなるか」


上野 山内上杉 横瀬


下野 宇都宮 佐野 上那須衆


下総 古河公方


越後 長尾


相模 北条


「上那須衆は那須に止めて貰いたいが難しかろう。北条相手は守りに徹することで決まっている。長尾景虎の動きを止めるなり到着前に決着を付けるなりすれば……」


上野 山内上杉 横瀬


下野 宇都宮 佐野 上那須衆


下総 古河公方


足利義勝「大分減ったか。ここまで削れば勝ち目はあるやもしれぬ」


「いいや、これは敵になる勢力だけだ。ここに奥羽勢、村上勢が加われば勝てぬ。それと今川勢が北条方として参戦すれば終わりだ。

故に…より急いで敵を撃破せねばなるまいな」


 これを見ると扇谷上杉は戦略的には失敗しているが、北条もまた包囲網を完璧に構築出来ていない。少々苦しいが…ここから生き延びるには、戦術的な勝利だけでは足りない、勝利の連続と大勝利が必要だな。


足利義勝「此度、房総は戦場にならぬ…そういう認識で良いか」


「里見が動き、土岐が包囲網に加われば房総も戦になろう。真里谷に抑えを任せつつ、優勢を固めていけば戦にはならぬ」


足利義勝「勝ち続けねば生き残れぬ、まさに乱世よな」


「この一戦に勝たねば我ら須らく滅ぶ、そういう戦だ。」


足利義勝「ここが正念場か。吾とお主の名を東国…いや、天下、遍く全国に轟かせようぞ」


「その意気で行こう。

…さて、早速今から謀を進め、陣触れを諸将に伝達しておくか」


足利義勝「我らが先に動くのか」


「いいや、連中にはこちらが察知していないと誤認させる。動きを確認次第、傘下の諸将には指示通りに動いてもらう。

包囲網の大部分が足利、勧農城に攻めると分かっていれば動きは容易に想像出来る。諸将には集結後にあれこれ命を下せば十分よ…そこからは流石に読めんがな。


甲斐も真里谷も動かせそうに無い、隊に武田菱の旗印を紛らせ、敵の動揺を誘うとしようか。


越後、奥羽の援軍を足止め出来るか怪しいが、長尾晴景と伊達晴宗に協力を要請するとしよう。甲斐武田にも村上の牽制を依頼する。

土岐には酒井の土気城が手薄な内に奪取するよう唆す。さすれば目先の欲に駆られてこちらにつくはず。どのみち、里見を信用しなければ中々動けぬしな。


…後は陣触れか。

今回は動く兵が多い。諸将の動きは可能な限り単純なものとする。

臼井隊と高城隊は結城城の後詰に向かわせ、難波田衆、太田資正隊は北条より城を守る。

その他は二手に分かれて足利に向かい、合流するぞ。

我ら本隊と萩野谷と上田隊、渋川隊、成田隊、藤田隊は敵の出陣直後の隙をついて新田金山城を奪取し、越後よりの援軍を防ぎつつ上野勢の補給路を断ち、早期の決戦を誘引する。

もう一方の太田資顕隊、三戸隊は関宿城、古河御所を狙う素振りを見せながら南方より足利へ向かう。これで初動は以上、合流次第状況を見て判断とする」


 これで図式は東の結城城である程度敵勢を抑え、北条より本拠を守りつつ…上野、下野勢に全力で当たる、そういう構図になる。


足利義勝「幾つか問うても良いか?」


「構わんが…?」


足利義勝「何故敢えて敵地の金山城まで行く?

直接足利まで出陣した方が早くないか」


「いい質問だな。敵地に赴くことで彼我の兵力差があっても兵が脱走し辛い。士気の低下の影響を抑えるのが目的だ。

直接足利に布陣するのは難しいだろう。敵も読んでくる以上罠や伏兵を仕掛けることも出来る。その上、持久戦に持ち込まれる可能性がある。それは避けねば、敵の援軍が到着したり北条に武蔵を奪われて終いという訳よ。

補給路、撤退路を断てば、自ずと決戦か講和に持ち込める。」


足利義勝「堅城、新田金山城を奪えるのか?」


「堅城かどうかは城兵が少ないときの奇襲に影響があまり無い。大軍を分けて小勢で一気に迫り、ほぼ無傷で手に入れるのが理想だな。横瀬の陣容次第で、結果は変わってくる。万が一守兵が多ければ攻めぬ方が良いな。

最悪迫撃砲で力押しだが、可能な限り避けたい。」


足利義勝「なるほど…」


「こんなところか。明後日には出陣となろう。戦支度を整えると共に、晴れになることを祈っておくといい。雨になれば火薬が使えぬからな」


 最後は運頼みだ。旧暦の4月から5月は梅雨の季節、梅雨前線が当たれば厳しい。軍の機動力にも関わってくる、願わくば敵の頭上にだけ降っていて欲しい。


 戦が始まる前の打てる手は全て打った。後は自然の流れと直感に任せて戦う他無い。間違いなく今回の戦が私の…扇谷上杉朝定の最大の危機だ。どうにか勝たねば。


 

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