第10話 初手 同年4月18日
江戸城の奪還を果たしてから丁度一ヶ月、戦後処理を終えて江戸城の再整備、拡幅を進めていた上杉朝定は河越と江戸を行き来し、只今は河越城本丸にて政務を執っていた。
小姓「御屋形様、京より文が届いております」
「京から?」
小姓「はっ。山科卿からの文にて」
「山科卿か。何の便りかな」
文を紐解く。そこそこ長そうだ。
『上杉修理大夫殿、対面より半年が経ちましたが、京まで江戸城奪還の話は届いております。戦勝、真に目出度い限りにて。
さて、本題に参りますが…元関白近衛稙家公が子弟と室町殿の意見書とを携え禁裏に参り、扇谷上杉家と河越御所を朝敵にするよう内密に訴えに参りました。
無論、上杉殿は朝廷へ献金を行った功があり、正当な理由の無い訴え故取り下げさせましたが…おそらくは関東の諸将を集めて追討させるつもりでしょう。
此度のこと、あまりに近衛派の動きが大きく、急ぎ応対すべきかと思い慌てて文を送った次第です。
北条の
九条派は大内を頼っておりますが、傘下の陶、毛利が室町殿、ひいては近衛派に近しいとの話も聞いております。ややもすれば、朝廷内の近衛派の影響力が制御出来なくなるかもしれません。どうか近衛派の策謀に負けぬよう…、お力になれれば幸いです。
京の都より関東の安寧を祈っております。扇谷上杉殿にご武運を』
………。
「──はぁ?
……いやいやいや、冗談でしょ?」
小姓「…御屋形様、大丈夫ですか?」
「全くもって、大丈夫ではないな」
足利義勝「ほう、何かあったみたいだが…一体、何が大丈夫ではないのだ?」
「来ておったのか。…この文を読んでみよ」
義勝「ふむ、どれどれ…。
…………………。
なるほど、戦が始まるという訳か」
「ただ戦が始まるだけならばどれほど良かったか…。後で詳しく説明しよう。
急ぎ河越周辺の諸将を集めよ、一刻以内に評定を始める。それまで一人で考えさせてくれ」
小姓「はっ。ただいま」
一刻ほど経ち、河越城本丸広間には上杉朝定、足利義勝始め足利晴直、上田朝直、萩野谷全隆、難波田憲重、難波田定正、食客にしたばかりの吉良頼康、それに人質にしていた成田泰季も集まった。
「呼び出してから一刻でここまで集まるとは、皆足が速いな」
上田朝直「丁度江戸城を難波田隼人正殿に任せて更なる物資の搬入の準備をしておりましたからな」
難波田憲重「急ぎの話のようでしたからな。難波田城より駆けて参り申した、が…此度は何用で?」
山科言継からの文を掲げ、広間に置く。
「京の山科卿よりの文が届いた。要約すると近衛稙家公と
「「…!!!」」
皆、目を丸くして驚いている。当然だ、朝敵にされるということは…歴史上で一部の例外を除き、完膚無きまでに滅ぼされているという前例も含めて、実質的な滅亡宣告に他ならない。もし朝敵になっていたならまともに戦も出来ない可能性は高い。
…この間朝廷に献金していなければワンチャン終わっていたな。不幸中の幸いと言うべきか。
「安心せよ。お主らが知らなかったように、関東諸将にもまだ影響を及ぼしていない。扇動する大儀名分を…」
上田朝直「し、しばしお待ちあれ。それはつまり、
「それは的を射ていないだろう。畿内は細川の争乱が落ち着いておらぬ。都がまだ平和な内に動きを見せた、というよりも…北条が機を見て動かした、といった所だろうな。
此度近衛派の手引きをしたのが誰かはともかく、首謀者は氏康であろうて」
難波田憲重「ならば、北条の狙いは…」
「左様。中央の政争を利用して我らを潰す大儀名分を用意しようと画策した、そういう話だ」
関東の人間で畿内の情勢に詳しい者は少ないだろう。まして、それを利用しようなどと画策出来るのは北条氏康に違いない。
「さて、次はどう出るか。思い付いた者はおるか?」
難波田定正「…北条が朝敵に出来なかったのであれば、諦めて独力で江戸城を再び奪いに来るのでは?」
「逆に、氏康がそんな甘い策を敷くと思うか?」
難波田定正「それは…、そうなんですが…」
上田朝直「室町殿が関与しているなら御内書を送り付けて関東諸将を動かし、我らを包囲するように攻め寄せるでしょうな。
この文が書かれたのは一月前、であればすでに関東諸将に届き始めておるでしょう。
もしそうであれば、北条は思う存分武蔵を蹂躙できまする」
「良い見立てだな。おそらくその通りだろう。
最も有り得る想定は古河御所を中心に山内上杉、宇都宮に佐野、佐竹に小田、千葉残党の連合軍で我らに与する諸城を落としていく戦略だろう。
対抗するために北に兵を差し向ければそこを北条、里見が南から突き崩す…典型的な挟み撃ちだな」
足利義勝「ならばこうしてはおれぬ、すぐさま古河を落とし、北条を破って小田原へ向かわねば」
成田泰季「相模守様、血気盛んなのは構いませぬが…そのようなことが出来ればすでにそうしているのでは?」
「左様。仮に戦に勝っても周辺から攻められることに相違は無い。
しかし諸城を攻められ、見捨てれば傘下の信頼を失い士気が下がって終わりだ。
ならばどうするべきか…ここは待つのが得策かな」
太田資正「御屋形様、折角の情報を得たというのに放置するのですか」
「ここはあえて待つ。敵は我らが狙われておることに気づいておらぬ。そうなれば一気に侵攻する段取りを立てた方が効果的に攻め込める、が…そのようなことはできぬ、思惑の合わない諸将共は足並みが揃わんだろう。であれば一箇所に集結して攻めてくるはず。
そこを全力で叩きのめす…無論、北条を抑えた上でな」
逆に北条を先に対処しようとすれば睨み合いは必至、北から大軍で攻め込まれて終わりだ。
「多少難しいが良く聞け。
まず、他家に気取られぬように戦支度をせよ。萩野谷、迫撃砲と火縄銃の数はどれほどある?」
萩野谷全隆「へえ、砲が30、銃は400でぇ。弾はそれぞれ1000、9000程ありやす」
「一丁20発か…。すぐに数を増やせ。予算はあまり無いが多少無理をしてでもどうにかせよ」
萩野谷「へい」
「他の者も戦支度をするように。
そして、周辺に間諜を放て。いつも以上に多く放つようにせよ。詳しい情報がなければ動けん、何処で誰が何をしようとしているか詳らかに調べさせよ。
次に、調略を行う。成田には白井長尾、深谷上杉を味方に付けてもらおう」
成田泰季「しかし、白井殿はともかく、深谷殿は一向山内方から寝返ろうとせぬところを見るに、寝返るとは思えませぬが…」
「寝返らせずとも良い。戦で動かぬか、或いは寝返りそうだと敵に思わせれば儲け物よ。
白井長尾は扇谷上杉と縁がある、敵情を教えるよう要求を伝えるようにせよ。それだけなら乗ってくるやも知れぬ。
深谷上杉は…そうだな、もしこちらに与せず敵対するのであれば、江戸城のように山内上杉らの救援が来る前に半日で攻め滅ぼすと脅せ」
成田泰季「はっ」
「もし調略が成れば、成田により多くの地を与えよう。此度の戦の結果次第では、城を幾つも持てるかも知れぬな。
ああ、お主は成田に戻って良いぞ。成田家の一員としてよく働き、功を挙げて見せよ」
成田泰季「よ、よろしいのですか?」
「うむ。この調略が成れば山内は恐るるに足らず。成田家を頼りにしておるぞ」
これは別に成田家を信頼している訳ではなく、人質を返したのにも関わらず、恩を仇で返すと成田家の評判が地に落ちる。それを見越してのことだ。
成田家当主の成田長泰は家督を継いだばかりだが、外交能力は低くない。このような武将ならば、容易には裏切れない。
「私は佐竹と土岐、真里谷に書状を送り敵に回らぬよう工作しておく。佐竹は領地への野心が強い上、変わり身が早い。操るにはもってこいだな。
特に土岐と真里谷がおれば里見に兵を差し向けずともよくなる。まあ、真里谷は我らを敵に回すと包囲される、そこまで気にせずとも良いだろうが。
それと…此度、より多くの関東諸将を味方に付けるため他の勢力も狙うはずだ。
甲斐武田、今川は攻めるのが難しい、有り得るのは結城、小山、那須の連合だろう。特に結城と小山は兄弟の血縁で結ばれておる。この三家を味方に付ける工作もしておく。
ここまでが関東諸将が動くまでにやるべきことだ。分かったか?」
足利義勝「此度、吾は書状を出さずとも良いのか」
「そんな訳なかろう。此度も書いてもらう…嫌そうな顔をしても無駄よ、観念せよ」
足利義勝「…相分かった」
「して、敵が挙兵してからだが…正直動くまで分からん。ただ、少なくとも北条が多摩川を渡河して攻め込むのは間違いない。
北条の兵数は今川への備えを加味しても2万、最低でも1万7000は出してくる筈…これにまともに当たっても旨味は無い。早期に合戦を終えることが叶って反転したとしても、疲労した兵で大軍を相手には出来ぬ。最悪多摩川で戦線が膠着して終わりだ。
故に、思い切って河越城と江戸城以南の諸城は放棄する。」
難波田憲重「御屋形様、流石にそれは…」
「真に、申し訳ないことではあるが…。しかし、多摩川で北条勢を防ぐ程の兵は割けぬ。その上西方の三田らが側面を突けば敗走するぞ。
江戸の守りは難波田勢に、河越の守りは太田美濃守に任せる。
必ずや北で古河連合軍を撃破し、速やかに多摩川以北を制圧する。これで飲んでくれぬか」
難波田憲重「……致し方ありますまい。しかし…、しかし、江戸城はまだ完成しておらぬでしょう、守りきれるのですか」
「守れなければそのまま連合軍と北条軍が合流して手がつけられなくなる。そうなればもはや打つ手は無い。迫撃砲を数門配備し、5日…いや、3日は耐えよ。さすれば救援に向かい北条を追い払ってくれる。
この戦が終わりし時には、勲功第一として難波田衆に褒美をやろう。土地でも守護代でも官位でも、何でも申すが良い。どうか受けてくれ」
難波田憲重「そこまで申されるのならば、この難波田弾正、お受け致しましょう」
太田資正「…某に河越を任せ、某抜きで合戦に向かうので?」
「河越には諸将の人質等重要な者共が数多くいる。江戸は最悪落ちても取り返しがつくやもしれぬ。
だが、河越は落ちれば扇谷上杉は滅亡を免れまい。そのような城を任せることのできるような…お主程強く、その上忠義に篤い者はおらぬ。ここ河越を死守せよ」
太田資正「承知!」
「後は集めた情報を判断し柔軟な対応をして即座に動く。
松山城が狙われれば深谷城に、足利城が狙われれば新田金山城に、下総方面が狙われれば結城城に集結する。
深谷城と新田金山城は場合によっては力攻めとなるだろう。結城城に集結した後関宿城、古河御所を落とす。城攻めの準備を忘れるなよ。
…このように動けば連合軍は退路を断たれ、必ず即座に決戦となる。決戦で勝ち、そのまま返す刀で北条を打ち払う。これを基本の動きとする」
いわゆる機動防御というものだ。敵を引きつけ、1方面ずつ潰す。敵に包囲されているのであれば各個撃破するしか無い。
「この策に異議のある者はおるか?」
上田朝直「…下総の諸将に相談せずに決めて良いのですか?」
「呼び出す暇があれば戦支度をさせた方が良い。それに此度最も被害を被るのは武蔵の者共だからな…。流石に文句は言うまい。
早ければ10日以内、遅くとも1ヶ月以内には動きがあるはず。
この戦は扇谷上杉家で最も苦しい戦となるであろう…心して準備せよ」
「「ははっ」」
いよいよ東国に大戦の気配が漂い、扇谷上杉家はその存続の為に動き出す…。
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